TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

The most famous & impressive scene

1933,February, in Geneva
Mr. Matsuoka

このFILMの部分の日本語訳を以下に付す。
「日本の政策がその根本において、極東平和の確立と、全世界の平和の招来に貢献せんとの純正なる希望によって設定されたるものなることは、先に周知のところである。しかしながら、日本は総会によって採択せられたる報告書を受諾することは不可能であることを発見した」(It is a matter of common knowledge that Japan's policy is fundamentally inspired by the genuine desire to guarantee peace in the Far East and to contribute to the maintenance of peace throughout the world. Japan, however, finds it impossible to accept the report adopted by the assembly,...)
NEWSはここで終わっているが実際はあまり知られていない以下の発言が続いている。

日本政府が人類の福祉に貢献し世界平和に寄与する事業のために誠意を持ってこれから諸国と提携しー不幸なる報告書採択の結果による諸事情の許す範囲内において、可能なる限り、諸国との提携を採る政策を今後ともに固執するであろうことは、余がこれを付言するまでもない所である("The Japanese government will, however, make their utmost efforts for the establishment of peace in the Far East and the maintenance and strengthening of cordial relations with other powers.I need hardly add that the Japanese government will persist in their desire to contribute to human welfare, and will continue their policy of co-operating in all sincerity in the work dedicated to world peace,")」
赤字をよくお読みいただきたい。席を蹴って喧嘩腰に退出したわけでは決してないのだ。
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浅間丸が横浜に入港する直前、松岡は船上から日本国民に対して次のようなメッセージを送っている。(抜粋)

日本各地から帰朝に対する熱烈なる歓迎電報を受けて感謝しているが、実はかかる熱烈なる歓迎を受くる資格なく、かかる歓迎を受ければ受けるほど、自分の微力を痛感するのみである。...
余は微力、国民の期待に十分副わざりしを恥ずるのみならず、せんずるところ、日本国民として、陛下および国家に負うその本文を最善を尽くして、果たそうとしたのにすぎず、別に国民の感謝に値することでもないと思う。余を歓迎する趣旨は感謝に堪えぬが、非常時日本には、ただその分を尽くさんとした余を歓迎する余裕はない筈と思う。...
(非常時に直面している国を思い、熱狂的歓迎に恥じ入っている。心を引き締めなければならない。こんなに浮かれた状態では、連盟脱退の資格があったのかどうかさへ、疑わざるを得ない、と自宅の歓迎会の席上言っている。言うまでもなく連盟脱退は心の進むところでなく、やむを得ない切羽詰った国家の選択であったのだ)
参照:
「松岡洋右 悲劇の外交官(下)」(豊田穣著)P.77-79
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この演説を資料では「さよならスピーチ」と言われているが、それは先に載せたサンフランシスコでラジオ向けにした演説で最後に言ったことば「SAYONARA」が、混同された結果、そのまま今日に至ったものと思われる。
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///2009年7月23日///
松岡擁護論にトラックバックさせていただきました。

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以上は2006年8月26日
以下追記:2011年10月3日 国際連盟
資料1 & 資料2 
List of Assembly Delegates and Substitutes - (M)
Chronology 1933
Chronology 1932:
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Tel Quel Japon過去記事
1931年9月19日朝
The Mukden Incident:柳条湖事件
New York City,March,1933:
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三国同盟
Ina.Fr Films
三国同盟祝賀:万歳といっているのは駐日ドイツ大使オットー、奥さんをゾルゲに寝取られていた男だ。  
三国同盟締結:サインしているのは来栖、後に野村大使の助っ人として渡米し、当時日本はダブル大使だった。来栖がアメリカで敵対視されたのは、この条約の調印者だったからだと言われている。
追記:2011年10月7日 You Tube
日独枢軸・松岡洋右外相の訪独を大歓迎するベルリン市民

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

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  • 2009/07/24(金) 01:07:28 |
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