TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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太平洋に散った英霊のために

2015年12月25日、Paris同時多発テロ、の記事の後半部に付随していた記事ですが、長いうえに内容があまりに異なるので、本日(2016年2月26日)さらに追記しBlog Topに移行させました。
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「ヨーロッパ解体と野蛮の台頭」
のYou Tubeのコメント欄で、
以下のような丸谷元人氏の本とペイジがあることを知った。
全く遅ればせながら丸谷氏に関する紹介の追記としたい。

marutani.jpg

日本の南洋戦略 1~17


日本シーレーン問題研究会


/////////2015年12月25日 追記/////////////////
参照1:ラバウル小唄
Wikipedia & You Tube
参照2 :ラバウル海軍航空隊
Wikipedia & You Tube
参照3:ラバウル航空隊 wikipedia
参照4: 映画 さらばラバウル wikipedia
参照5:You Tube
日本ニュースから大日本帝国海軍航空隊の爆撃、訓練シーンを抜粋したもの,らしいです

上のYou Tubeの2番目で、丸谷氏が「謎」とおっしゃっていることに着目したのですが、私は軍事のど素人なので、全く謎が解けません。しかし、おろそかにしてはいけないご指摘ではないかと思います。

私の父はアマチュア海軍研究家で、Navyというサークルで創設当時(1950年代)から海外活動、海外交流をしていたようで、子供の私は軍艦の本や写真や模型の中に埋もれて育ちました。後に(父は1960年3月、私が小学校5年生の時に亡くなっています)聞くところによると、西ドイツの海軍評論誌”Marine Rundschaw”や、同じく西ドイツの海軍年鑑"Weyers Flottentaschenbuch"とコンタクトをとったり資料の提供などをしあったりして、世界に数人の同好の友人を持っていて(主に軍人が多かった)、夜毎タイプライターを叩いては、精密な情報の収集・交換に励んでいました。typewriter.jpg
私は小さくて、病弱で、馬鹿で、父からは何一つ教えられていません(高校生になって父が文通していた英国軍人と文通などをしたこともありますが。この方は晩年イタリア海軍年鑑の招待で一度日本に来られました)。
最近ぼんやりと思うのですが、海軍力では決して劣っていたわけではなく、「作戦」さえ、冴えきっていれば、日本は勝っていたかもしれない、否、勝っていたと、勝てる戦争だったと思っていたのではないかと。戦争にはいろんな要素が絡んでくるので、あくまでも、後で気がつくなんとやら、だとは思いますが。父は英国軍人と、持ち駒を確認しあった上での「再びの太平洋戦争」をしていたのです。これは私も良く知っています。父が部屋一杯に海図を広げて、楽しそうにリヴェンジの作戦を練っていたのを見ていたからです。
Navy Circleの会報(この号には父に対する追悼文が掲載されている)によると(以下引用)「最近会誌上にて連載、異常な反響を諸兄に与えた”紙上決戦太平洋”は、日本に於いては、戦前ー戦後を通じて、全く初の試みでもある、遠く海外にいる外人研究家を相手に、審査官も外人研究家による、新形式の海戦ゲーム。これは単なる幼稚な海戦ゲームではなく、太平洋戦争で敗北を喫した日本海軍のあだ討ちを、紙上にて決せんものと、○○氏は当会の聨合艦隊司令長官として、全面的に一切の采配をふるわれ、それに必要な海軍戦略、戦術、それに海軍兵力の準備配布、根拠地の選定、出動準備、補給整備、兵力の運用に関する兵術に加うるに、使用艦艇の戦闘力、艦隊編成と各種隊形と連動、偵察と警戒、通商破壊戦、航空及び通信、電波兵器等等に関する優れた知識と卓越したその洞察力を駆使されたもので、ますます戦機の熟した第6回を迎えるにあたり、長官戦死の為、今後の作戦計画は見通し甘くなり、残念ながら一応休戦とさせて頂きます」というふうな紙上決戦だったようです。勝つ自信が無ければやらなかったと思うのです。2番目のYou Tubeで丸谷氏が指摘されている「謎」のような奇妙な作戦は他にもあると思います。奇妙な作戦が無ければ、勝てるとふんで、その辺を調整して父は戦っていたのではないかと、思うのです。あくまでも私の想像です。娘だから言うわけではありませんが、御堂筋に勝利の日の丸が立ち並ぶのを夢見た父が、外人相手にたとえゲームであろうと、負ける戦争をするわけが無いのです。あとは、これは妄想かもしれませんが、すべての奇妙な作戦上の「謎」には、連合国側についた知られざる日本人スパイの存在があったのではないかと、今回丸谷氏の動画や文章を見て、ふと思ったのでした。


戦後70年、おかしなことに何ひとつ、メスが入っていないのはおかしなことです。

追記 2016年2月24日
ー開戦当時保有する空母の数は日本が8隻であり、アメリカの7隻より多かった。また戦闘機に関しては、日本は世界最強のゼロ戦を有しており、アメリカを圧倒していた。少なくとも太平洋の戦域に関しては、開戦から当分の間は、日本海軍のほうがアメリカよりも戦力的に優勢だったのである。(「世界最強だった日本陸軍」p.198 by 福井雄三)-
第4章には「アマチュア集団だった日本海軍」という小見出しのところで、海軍の作戦批判が語られている。「攻勢終末点」という小見出しのところで、その理由が説明されている。
丸谷氏が疑問に思われたラバウル撤退に関してある方に質問したところ「18年9月に設定される死守しなけれならない絶対国防圏なるものではラバウルは外れています。」というお返事をその地図とともにいただいた。この絶対国防圏なるラインを見れば、「攻勢終末点」なる理論(戦力は根拠地と戦場の距離の二乗に反比例する)を持ち出さなくても軍事のど素人でもわかる、一体何を根拠にこれだけ拡大拡散させたのだろうか?
この本の第4章「陸軍悪玉・海軍善玉論の大うそ」を読めば「アマチュア集団だった日本海軍」の真実も丸見えになってくる。海軍悪玉論がいつの間にか陸軍悪玉論にすり替わったのも、やはりひとつの史実の捏造ではないだろうか?思い当たることもいくつかある。
石原莞爾は東京裁判の出張所たる酒田臨時法廷で「もし自分が戦争を指導していたら、日本は断じて敗戦にはいたらなかった」と主張したらしいが、おかしな作戦の過ちを徹底検証し、海軍内部に巣食った怪しげな人物達(おそらく立派なと尊敬されている筈)を徹底究明することもまた必要だろう。彼らを糾弾するためにではなく、史実捏造部分を排除して真実を見極めるためにである。

追記:2016年2月26日
また同じ方に「スパイ、あるいは対敵協力者の存在はありやなしや」ともたずねてみた。否という後に「19年7月のマリアナ海戦の敗因のひとつは作戦内容が福留中将の書類鞄が盗まれて読み取られた為と言われています。」と添え書きがあった。書類かばんを盗まれた話は私の記憶にもあったが、いかにも怪しげな話なので少しBlog記事を探してみた。
あくまでも参照としてリンク3点 ↓
参照:“海軍乙事件”「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)
参照:海軍乙事件・海軍使用暗号書紛失。その関連事項
参照:大東亜戦争におけるバカども
敗戦後日本及び日本人の美点はことごとく否定され、組織的隠蔽体質だけが(善)として張り付いてしまった。

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