このfilmの10分から10分58秒あたりに「しかしまださらばラバウルよ、と歌い上げるほどの余裕を持っていたのです」とナレーションが入る。余裕があったなら、撤退は現場では謎であったと言える。しかし振り返ってみるに、この撤退は、なぞどころかまさに「お手上げ」のドーニモコーニモという撤退だったことがわかる。
以下は「日本側がラバウル空戦を撮影した唯一の実写映像」とのこと
ラバウル航空隊 昭和19年(1944年)1月17日
「しかし、うろたえる必要は全くない」のナレーションをお聞きの逃しなく
日付から察するに撤退はおそらく兵士にとっても「寝耳に水」だったことがわかる。
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過去記事からの一部再録
・・・2015年12月25日 追記・・・
参照1:ラバウル小唄
Wikipedia & You Tube
参照2 :ラバウル海軍航空隊
Wikipedia & You Tube
参照3:ラバウル航空隊 wikipedia
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ラバウル小唄(南洋航路)、以下は左のBlog頁からの引用
ラバウル小唄は1944年(昭和19年)頃、太平洋戦争末期に流行した。この歌は1940年(昭和15年)にビクターから発売された「南洋航路」(赤い夕日が波間に沈む・・・)の替え歌である。(作詞:若杉雄三郎、作曲:島口駒夫)
ラバウル小唄 wikipediaによると
「よくラバウル海軍航空隊と間違われることがあるが、全くの別物で、あちらがラバウル航空隊を歌ったものであり、こちらの歌は海の男や、ラバウルへの船旅のことを歌ったものだと言える。」
「歌詞に太平洋戦争の日本海軍の拠点であったラバウルの地名が入っていたこともあり、南方から撤退する兵士たちによって好んで歌われた。」とある。
結論として、戦況の好転を信じた兵士達が、帰国?の喜びを戦前に流行した「南洋航路」に「さらばラバウルよ」と歌詞をつけて、つまり替え歌として、敗戦濃厚な日本に持ち帰り流行させたのだろう。
「南洋航路」 You Tube 歌詞&歌
ノーテンキな「ラバウル小唄」は従って錯覚または、錯乱の果ての流行歌だと言うことが理解できる。
軍歌というより、イントロを聞けば、むしろ「盆踊り」を連想させるのもそのためだ。この時すでに密かに、終戦工作が始まっていた。