TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

四方の海 逆ベクトルの意味

GHQ焚書図書開封9を少し読み始めた。3月31日発行の焚書図書最新本である。今朝は午前3時に目覚め、とりあえず「まえがき」を読んだ。P.2では「米英挑戦の真相」にふれこう書いてあった。
(1)わが国が開戦せざるを得なかったあの時の世界情勢、気が狂ったようなアメリカの暴戻と戦争挑発、ぎりぎりまで忍耐しながらも国家の尊厳をそこまで踏みにじられては起つ以外になかったわがわが国の血を吐く思いを切々と伝えてくれています。これは貴重な記録となった一冊です。
またP.3では以下の文章があった。
(2)言ってはならないこととして「洗脳」を強いられてきました。そのため日米開戦は最初のうちは敗者の挑発であり、犯罪であるとみなされ、やがて失敗であり、愚行であるとみなされるようになりました。いまだにそのようなマインドコントロールは色濃く敗戦国を覆い続けていて、一定の締め付けをし続けています。
(1)の方が当時の日本人の真実であり(2)のほうが戦後の「洗脳」である。これがGHQ焚書図書開封9の短い前書きからの要所ピックアップである。
私が何を思ったかと言うと、これぞ「四方の海」の真実と、捏造解釈の必然そのものであると。
閣僚 「事、ここに至りては、実に止むおえざるを得ざるが故に、帝国政府は妥協に至る望みなきを以って、これを断絶し、自衛のため、並びに帝国既得の権利および正当利益を擁護するため必要と認める独立の行動をとるべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動をとることを緊要なりと思考す」明治三十七年、緊急御前会議はついに最後の斷を下し、ロシアに対する国交断絶と開戦が決定された。 天皇は日露戦争にあたって次の御製を詠んだ。ー これが「四方の海」の背景であり(1)の貴重な記録の内容とぴたりと一致する。
(2)「日米開戦は最初のうちは敗者の挑発であり、犯罪であるとみなされ、やがて失敗であり、愚行であるとみなされるようになる」と、平和を愛する昭和天皇が「愚行」を阻止しようとされた明治天皇の歌、と言う風に捏造解釈されたわけだ。挑発であり、犯罪であり、失敗であり愚行であると、いう所謂東京裁判史観を強化するために、歌の解釈が真逆に捏造されている。GHQと日本政府の協力である。GHQとしては勿論日本国と日本人に永遠に負の歴史を背負わすために、日本政府としては、日本国や日本人よりも何が何でも昭和天皇の地位を守り、天皇陛下が東京裁判の法廷に呼び出されることを避けるために。東條の裁判ひとつを詳しく見ればわかるが、敗戦国日本がひたすら望んだものは、東京裁判史観の確定そのものだった。
この逆ベクトルの意味を考えると、「四方の海」の解釈の捏造は、非常に重要な意味を持つことがわかる。
いまだにGHQに協力して国体を守ったことを誇りに思っている保守も非常に多い。東條に2度目の発言をさせたことを、生涯の日本人の誇り、と考えている保守も多い。
たとえ敗れてもどうして法廷で日本人は日本人に堂々とした陳述をさせなかったのだろう。正義を信じて戦ったならば、法廷でも戦い抜くべきだった。東京裁判をいくらひっくり返して調べても、日本の正義を陳述するのは、残念ながら常に外国人である、外国人のみである。日本人は黙り込み込まされ、胸のすくこと感涙することを言ってくれるのは、外国人のみである。日本人は戦後においても論戦では、戦う前から常に負けを選ぶ。ただの負けではない。価値あると思う?虚構を守り抜くために、両手両足に針金をとして、自分を縛りつけ金輪際堂々と歩けないような屈辱を選ぶ。その性癖は後年の「南京」「慰安婦」問題にまで、引き継がれている。
血に飢えた軍国主義国家日本が特にアジアで残酷な侵略行為と愚行を繰り広げ、アメリカに原爆を落とされようやく人間性を取り戻し「二度とあやまちを繰り返しませぬ」と誓って深い反省をし、軍国主義者を処刑し陸海空軍を解体し徹底平和主義者の本来の昭和天皇に立ち戻っていただき、平和憲法を尊び、そうして新しい日本、新しい昭和が、憲法発布と共に始まったのではなかったか?だから最近保守は、核武装・憲法9条改正は言っても、東京裁判史観のマインドコントロールに関しては、一言も言わなくなった。どう転がっても敗北にしか行き着かない大きなうねりを前に、共に戦おうという同士さえ一人もいない。それが証拠に四方の海の捏造解釈をいくら説明しても、考え方を1ミリとも変えようとはしないではないか?東京裁判史観を徹底して守ろうと、寧ろ攻撃してくるだけではないか、それも保守が、だ。

・・・・・・・・
9784198637743.jpg

まだ前書きまでしか読んでいないが、巻頭の写真ペイジP.2上に1940年9月、日独伊三国同盟調印式において、松岡外相と記されている人物は来栖三郎氏である。黙っていればわからないほどのミスであるが一応記しておく。
日独伊三国同盟調印式に松岡が居ないはずがないと思っている日本人は非常に多いのではないだろうか。三国同盟=松岡洋右と頭に入っているからだろう。しかしこの日松岡は日本にいて三国同盟締結祝賀会に出席していた。
日本ニュース第17号 日独伊三国同盟
三国同盟は松岡が多くの反対を押し切って強引に締結し、その後開戦へと牽引していった、というのは、これも作られたイメージの虚構と言わざるを得ない。これはもう動かし難いほどの、こびりついたペテン的捏造イメージである。
・・・・・・・・・・
昭和15年9月27日、日独伊三国条約はベルリンのヒットラー総統官邸閣議室でドイツ時間午後一時に調印された。来栖三郎駐独日本大使、リッベントロップ、チアノ各外相が調印、その後現れたヒットラーと三人は握手を交わした。
東京永田町の外相官邸の祝賀会はこれまた熱狂的なものだった。万歳万歳の声が響いた
参照:Tel Quel Japon過去記事

////////////////// コメント by まるこ /////////////////
FC2によって「不正投稿」として何度もはじかれたコメントです。そこで本文の下に特別にコメント欄を設け、特別扱いとして以下に「まるこ」様のコメントを掲載させていただきました。素晴らしいコメントありがとうございました。
Bruxelles記

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いろいろ事実を知ってくると、昭和天皇がこの期に及んでまだ「和平」を望んでいた、ということにずっと違和感を持っていました。「四方の海」…これで腑に落ちました。
それにしても一次資料と言われるものがこうも改ざんされているのでは何を基準にして考えればいいのやら。Bruxelles 様が仰るように、「捏造資料こそが、現在の日本の日本人の歪な腐りきった精神構造を作り上げてきた」わけで「歴史の核に捏造を持っている昭和史では、どう転んでもまた何年たとうとも日本の近現代史は嘘にまみれ腰折れて、この先も永遠に腐敗するばかり」ということですね。
「国体を護る」…よく聞く言葉ですけれど、具体的にどういうことだったのか、やっと少しだけ理解できた気がしました。
当時の日本人は「天皇処刑」を心底恐れ、それを避けるために軍部が泥をかぶり、それ以外のことだったら何でも受け入れた。当時の指導者たちの苦悩を想像すると涙が出てきました。実際「その後」に備えて皇統護持作戦があったようです。縄文からの日本の歴史を知り日本人にとっての 「天皇」の意味を知って、初めて彼らの 気持ちに思いをはせることができるようになりました。彼らのこの事実こそ世界中の人々に知ってもらいたい、と思いました。

「天皇陛下の免罪を取り繕い続けなくても、そもそも大日本帝国に戦争犯罪などないからだ。もう終戦直後ではない。男は全員奴隷にされ女は全員レイプされ、天皇陛下は処刑されるなどと、怯えて震え続ける必要も何もなく、東京裁判史観にいつまでもすがりつかなくても良い」
戦後69年たった今は、「自虐史観を葬り去る準備は実はとうにできて」おり、勇気さえ持てば言挙げできる時なのですよね。 足りないのはこの「勇気」だけで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/tb.php/555-4e5e561a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad