TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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どこが究極の駄文なのか (7)

今年の2月3月に長々と書いていた「どこが究極の駄文なのか」は(6)で脱線して(6-10)まで書いたので、今回の(7)で16稿目となる。振り返ってみると、出さなかった記事が二つ、番号なし、下書きのまま残っていた。時間がないので、それらは振り返らないことにする。脱線したまま終わりにする訳にはいかないので、今回(7)をもって(終)としたい。あまりにも当たり前のことで、書く気がしなかったのだが、ほかの記事を書いていてその当たり前のことに触れている自分に気づいて、これはむしろTel Quel Japonに書くべきだと考え直して、今日こちらに移動することにした。そこに「当たり前」のことをさらに追記して、今日の最終稿を仕上げるつもりだ。
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Fellersも寺崎もOSSの「日本計画」もGHQの内部もその占領政策も全く何も知らない無知丸出しの保守の御大が究極の駄文を書いている。よりによっていわゆる南京虐殺への反撃本にである。
どこが(究極の駄文)なのか?&どこが(究極の駄文)なのか?:
ー「あらゆる敗北の君主と同様にヒロヒトも命乞いに来たとばかり思いこんで」ー
君主であるならどんな敗北の君主でもまず「命乞い」などしない。ましてあれだけ勇壮で壮絶な武士の名に恥じぬ戦いをした大日本帝国の、君主である。すでに前提からして駄文なのだ。「命乞いに来る」とマッカーサーが思っていたという根拠も資料もまるでないし、特攻の大日本帝国、その国体をなす天皇陛下にむしろ畏敬の念を持って戦いていただろうと推し量るのが、日本人の常識ではないだろうか。処刑された戦犯の中で誰かひとりでも「命乞いをしたか!」の話だ。竹本某自身の「マッカーサーがそう思う」という前提推測自体が卑しく常道を逸しているのだ。しかも天皇の利用は長年の研究結果としてGHQの切り札的占領作戦である。保守の絶大な尊敬を受けているこの御大はそれさえ知らない
ー「元帥はこの言葉を忘れかねた」ー
こういう作家の視点で、作り話を書く癖がこの御大にはある。ノストラダムス本では途中で自分が預言者ノストラダムスに変身してしまう御仁である。未発行の原本を翻訳書として、好き放題に書いて平然としているお方である。
ー「南京」とは一つの殺人事件だったと見立てて」ー
反撃本にもかかわらず歴史的証拠で正面から反撃することはできないのか?「殺人事件と見立てて日本を被告席に座らせる」?反撃に値するまともな知識のある人間の着眼ではない
今日偶然見つけたのだが、この駄文の筆者には、以下の文の学習をお願いしたい。この辺の歴史入門から、口を開く前にまずは歴史検証の初歩的視野を身につけていただきたい。
The Fateful Year 1898: The United States Becomes an Imperial Power
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追記:2013年11月9日
ー「朕の忠良なる国民に代わって朕を罰せよ」と。ー
この発言は歴史的に確定されているわけではない。証拠がないのだ。天皇陛下御自身「そのことについては言わない」と会談の内容に関して、決して明らかにしない、と断言されている。それをあたかも事実のようにこの文章の核と持ってくる神経は、どうなんだろう。頭の空っぽが透けて見える。これでは文章全体が破綻するしかない。子供の時から「お話じいさん」になりたかった人だから、あることないこと、空想したい気持ちはわからないでもないが、こういった資質の人物は、重要な歴史を知ったかぶりして語るべきではない。
ー「朕の忠良なる国民に代わって朕を罰せよ」と。ー
これに感動した保守の方が多くいらっしゃるのはよく知っている。しかし申し訳ないが、この場面では全く驚くに値しない極めて普通のセリフではないだろうか。どこの国の敗戦の君主ならこれ以外のことをいうのだろう。となりのおじさんでも、このシチュエーションで国家を代表してマッカーサーに会いに行ったら、そして謁見を許されたら、これくらいは言うだろう。しかもこの部分竹本某氏の筆になるとご発言の中に「罰されるべきは国民」が当然の前提として含まれるようで(当時の議論の沸点、最大の懸念は天皇自身の処刑である)、間が抜けているだけでなく、自虐史観丸出しの不愉快なものとなっている。近所の主婦に最近大衆演劇にはまっている人がいるが、その人の話から判断するにマッカーサーがここで感動したとして「世界最高のジェントルマンを見た」というセリフが続くとしたら、大衆演劇の次元のお話になってしまう。でないとしたら喜劇だ。このセリフもそうだが、マッカーサーが天皇の堂々とした立派な態度に感動したなどと言う資料もどこにもなく、このような日本の「お話じいさん」の類の方の創作の中にしか存在しない。出だしの「王殺し、ここに来たれり」から作り話なのだが、これで感動するようなら、人生全て口先だけ、になってしまう。歴史は検証の上に立脚するものでなければならず、この方のように空想を振り回して妄想に入ると、読む人をいい気持ちにしてファンを獲得することは出来るかもしれないが、歴史に於ける創作は所詮捏造そのものにしかならない。これが日記にでも書かれたものなら、あるいは映画のシーンなら、何も言う必要はないが、南京大虐殺を検証し否定するために日本会議が総力を挙げて国際社会に是非を問うたバイリンガル本に付されたとされる文章であるのでそうはいかない。究極の駄文と呼ぶ所以である。

第一回の会談の際、天皇陛下を正面でお迎えしたBonner Fellersが、天皇をお見送りするために一緒に出てきたマッカーサーと二言三言言葉を交わした記録がある。マッカーサーが会談や天皇陛下のご様子に関して感想を述べている。Bonner Fellersの自筆記録である。MacArthurが占領統治に天皇を利用したこと、またそのために部下のBonner Fellersが天皇免責のために大活躍したこと、最近日本でも知られることとなっている。占領期の天皇利用はOSSの「日本計画」の骨子をなす部分であり、Bonner Fellersは本来OSSの諜報専門部員でもあった。GHQに於いては、最高司令官直属の軍事秘書の地位にあり、国際検察局のキーナンや参謀部のウィロビーよりも上位である。感動するとか恋をするとかという話ではなくMacArthurもFellersも日本占領統治という困難な仕事に全力で取り組んだ、しかも例外的に大成功した、それだけの話である。Bonner Fellersの自筆資料だけでなく、GHQの統治資料、及びそれに関する様々な解釈、論述など、今持っている資料を順次開示していくつもりでいる。
口出しするつもりはないので、ご自身の論考にとことんご自由にお使いください。公開された資料は誰か個人のものでは決してないからです。

・・・・・追記:2013年11月12日・・・・・
Report by Colonel Bonner Fellers on the Emperor’s Visit, Sept. 28
The Emperor's abject humiliation hurts me.
He feels he is liable to lose his neck.
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
Emperor Hirohito on Localized Aggression in China
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
What a Difference Half a Century Makes
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
The role of antimilitarism in postwar Japanese political legitimacy
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
書評 『昭和天皇・マッカーサー会見』
考証 昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
International Military Tribunal for the Far East
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
The Tokyo War Crimes Trial : A Digital Exhibition
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・・・・・追記:2013年11月15日・・・・・
今日コメントを頂いたので少し本文で触れてみます。戦後70年近く、おそらく今後も70年近くいわゆる保守の信じる歴史というものは、以下に明記されていると思います。
文章A:昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」
痛々しいほど気持ちは分かるのですが、祈るような希望、そうであってほしい願望・推量・伝聞に満ちています。この中で客観的に日米両側に記録として残されているのは、この中のこの部分です。
「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)
この資料は11月12日のリンク、リンク集の先頭においているものにも記述されています。Bonner Fellersが家族に宛てた手紙(一次資料)に記されています。天皇陛下をお見送りした直後の会話です。これでわかるように第一回会見の双方の最大の懸案・課題は天皇の処刑です。天皇陛下もFellersもMacArthurも、相手の出方を待っている状態で、従ってこの会話が真っ先になされた、と見ていいでしょう。特攻隊員をやっつけたい、それだけは回避したい、などという気持ちは誰の頭の片隅にもありません。

この文章Aにあるように「初めに敬愛ありきとでもいうべき鋳型が出来たことにより」ではなく「初めに敬愛ありき」鋳型を保守が必死に構築したのです。そして近似値100%の保守がその鋳型を懸命に抱きしめています。「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである」という発言まで文章Aにはあります。いくらなんでもこれはまずいのです。また8月29日の木戸日記に「戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして...」とありますが、この時点で複数のものが戦争責任者であり、自分はその中に入らないと天皇陛下がそれを前提として話されるのも、何かを事前に知っておられたかのようで、実に不自然です。また8月29日の時点で「戦争責任者」という言葉を天皇陛下が発せられるもの、奇妙なことです。自分をないがしろにして軍部が独走して邪悪な戦争を引き起こしたと、すでにこの時点で信じきってそう考えておられたのなら、話は別です。同じく木戸日記九月十二日、「久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を」というのも残酷な話で「戦争犯罪人」を特定はしていないにしても日本側で勝手に特定して差し出し、マッカーサーのご機嫌を取ろうとしている皇族がおられたということになります。保守が抱きかかえているこの鋳型にはこのようにボロボロときつねのしっぽが見え隠れしているのです。しかもその狐のしっぽが、目に鱗が張り付いている保守には、うさぎの脚に見えるらしく、後生大事にふところ深く心臓付近にしまいこんでいます。天皇陛下とマッカーサーの間に敵対よりもむしろ友好と信頼と尊敬が芽生えたという、この手の文章は、つまるところ、保守が嫌がる、自虐史観や占領憲法や、日本国の米国属州化、原子爆弾被害の容認、日本帝国主義者の侵略戦争史観の拡大等を永遠化してしまうのです。文章Aを信じる信じないはご自由ですが、バランスを取るために文章Bを置きますので、こちらもご覧ください。おすすめした「考証 昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見」はあまりに長いので読めない、という方のためにそれを極端に短くしたようなものだといってもいいでしょう。
文章B:「終戦のエンペラー」の神話と史実
文章Aと文章Bの支持者を考えると全体的に99:1くらいの割合だと思いますが、文章Aは始めから終わりまで鋳型構築のための繰り返し暗示戦法のかなり洗脳的な文章だと思います。文章Bには苦しい言い逃れや単なる推論はすくなく文章Aに比べれば圧倒的に論証性が高いと言わざるを得ません。次に文章Bの内容を裏付ける資料を置きます。英語の読める方はご自由にご解読ください。これで全容が明らかになるはずです。読みたくない方には無理強いどころか、決してお勧めしません。探究心の全くない思考停止した居酒屋宴会保守や、ワンパターン保守には、たとえ読んでもこの資料価値がわかるわけもなく、猫に小判だからです。
参照:Saving The Throne :

コメント

こんばんは。
全く別の観点になって的外れかも知れないんですが・・
(とある方のブログのコメントにも書かせてもらいました)
私自身のブログで恐縮ですが、↓こんな本があります。
http://koyanonezumi.blog.fc2.com/blog-entry-88.html
「8月18日に横井氏が聞いた第十特攻戦隊司令官小和田少将の(武装解除の)言葉が書かれあるが、「陛下が一身を投げ出す御覚悟でいらせられること」を涙ながらに諭した、という。」と書きました。

横井氏の本だけでなく、同じ隊に居た方の手記でも同じことが出てきます。
別の特攻隊資料も見ていて気付いたのは、敗戦の予感は隊員の殆どが感じ取っており、その時に「連合軍は復讐の処刑をやるだろう、特攻隊員は真っ先にやられる」が噂としてかなり伝わっていた印象を受けるんです。

昭和天皇も大本営も、「平和に対する罪」は想像していなくても、戦場現場で恨みを抱かれる対象である特攻隊への復讐処刑は高確率であり得ると予想していた、言い方変ですがものすごく現実味を持って常識化していたのではないかと。

抽象的な意味での日本国民の誰か、大本営の誰か、ではなく具体的に特攻隊が屈辱の処刑をやられる、との予想から陛下のお言葉として広まった(意図的に広めた)可能性もあるように思います。
上記の小和田少将は陛下からのお言葉を直々に賜り伝えたと書いてあったので、こういうのが拡大解釈されたり事を大きくされていったかも知れません。
不用意に空想を振り回す人もいるでしょうけれど、根拠となるものがあったのは疑いないと私には思えます。

  • 2013/11/15(金) 01:35:04 |
  • URL |
  • 紺屋の鼠 #4TUF.cSM
  • [ 編集 ]

コメントありがとう御座います

紺屋の鼠さま
「国民に代わって」は抽象的な意味ではなくて「特攻隊への復讐処刑」という広まった噂があって、それは「ものすごく現実味を持って常識化していたのではないか」というご意見ですね?国に殉じようとした特攻隊員の処刑に代わって「我が身を罰せよ」ですね。よく考えましたね。
とある方のBlogとはこれですね。
http://kedogawajun.blog.fc2.com/blog-entry-713.html
この方がおっしゃっているように正式な記録としては、以下が日米に残っています。
「今度の戦争については、私自身としては極力これを避けたい考えでいましたが、開戦のやむなきに至りましたことは、私の最も遺憾とするところです。」
これでは、アジアの解放も、聖戦も、挙国一致も、自衛のため戦いも、「愛国行進曲」も、「ルーズベルトへの手紙」も、学徒出陣の「天皇陛下万歳」も、知覧も、戦艦大和も、一体なんだったのかの話に、なってしまうんですよね。
もっと困惑するご発言の正式記録を御必要ならば随時出していくつもりですが、取りあえず、日本語で書かれた上のこのリンク「考証 昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見」をご覧ください。戦争には一貫して反対、軍部に脅され押し切られ「開戦の詔勅」も東條に思いもよらぬ使い方をされたとなっています。上のリンクは考証ですので、推論・伝聞との違いはよくわかると思います。
蛇足ですが特攻隊員は死んでいるのです。死んでいる日本人を処刑できますか?出陣しなかった隊員が生きていることに戦争が終わってから米軍が腹を立てますか?
お気持ちお察しできますので、ご意見の変更をあなたに求めるつもりは全くありませんが、これからも資料を出して行きますので、お暇なときに少しづつでもお読みいただければと願っています。またのコメントお待ちしております。

  • 2013/11/15(金) 14:12:44 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
  • [ 編集 ]

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