TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

A Revised History of the Shandong Question 山東問題見直し

Woodrow Wilsonを調べている過程でこんなものを見つけた。
Wilson and China:
A Revised History of the Shandong Question
by Bruce A. Elleman
9780765610508.gif
Reviewed by Roger Chapman
非常に面白い。この本のAMAZONのペイジ
Roger Chapmanの書評から少し引用する。
Later, China claimed it signed the secret treaties with Japan while under duress (p. 44). The evidence shows, however, that China "gladly agreed" to the secret agreements (p. 27), pleased to receive the infrastructure improvements (such as the railroad line and mining technology). But China's real self-betrayal came after the war when it insisted on receiving back Shandong from Germany and not Japan, a ridiculous demand that would force Japan into a humiliating position that the circumstances did not warrant (pp. 46-48)...
The letter blamed Wilson for allowing imperialists to continue their exploitation of China (p. 128). This letter, argues Elleman, contributed to the Shandong myth, its perception that Wilson had betrayed China, and it helped convince the U.S. Senate to reject America's joining the League of Nations...
この前半を読み始めたときは吃驚したが、思い出した、最近読んだ西尾幹二著GHQ焚書開封8「日米百年戦争」第6章第7章にこの辺のことが書いてあった。小見出しで言うとそれぞれ「二十一ヶ条」真の要求は四項目で、極めて妥当な申し出だった、米支以外の国々は日本の「山東問題」に理解を示していた、となっていた。日本史を学校で勉強した人には想像もつかないような事実が書かれていた。偶然だがBruce A. Ellemanのテーマも同じである。上の表紙の顔はWilsonと顧維鈞だと思われる。顧維鈞は代表する政府からほとんど事実関係を知らされることなくParisに来ていて(Bruceの見解)、米国の代表団の指示に従って発言していたと思われる(日米百年戦争の見解)。顧維鈞については前から気になっていて、いつか日を改めて書くつもりでいる。引用の後半部はWilsonも困惑する言いがかりで、顧維鈞の態度にWilsonは実際そう感じたかもしれない。これは私の私見であるがこの頃のWilsonは多くの同行した取り巻きの傀儡であり、ほとんど指揮力はなく「なぜそんなことを自分が言われなければならないか」全く困惑したことだろう。

同じくする見解はないかと探していたら、こういうものを見つけた。
歴史に学ぶ対外広報の重要性-第一次世界大戦後の山東問題を事例として by 庄司 潤一郎
この文章には直ぐに賛同される方も多いのではないかと思われる。

ただTel Quel Japonでいろんな本を紹介したからといって、長年教科書や専門家、研究家が書いた内容を一気に否定できるわけではない。たとえば下に紹介する二つの文章、(Bruce A. Ellemanの著作や焚書開封8を読まなければ)、これから先もこういう見解で固まったままの人のほうが圧倒的に大多数を占め続けるだろう。
庄司 潤一郎の文章は日本語で内容的にも非常にわかりやすいので、面白半分にでもクリックして見てください。↑
固まったままの人たちの文章↓
1.寺島実郎pdf
2.パリ講和会議と日米中関係、山東問題を中心に:PDF 大阪大学

・・・追記:2013年9月22日・・・
今日改めて2.大阪大学のPDFを全文読んだ。内容的には全部書かれていた。ただ論調があきらかにWilson寄り、即ち極端な中国寄り、国際社会からの日本排除意思が透けて見える。内容的にはなぜそうなったか、山東問題でWilsonがなぜ敗北したか、そのあたりは、以下のようにしっかりと書き込まれている。ご存知でない方も多いと思うのでその部分を引用する。

日本全権団が山東問題をめぐって、米・英・仏・伊各国に自らの主張を支持するよう働きかけたのに対して、英・仏両国は戦中日本と結んだ密約もあって、支持の意を伝えたが、アメリカの対応だけは違っていた。アメリカ代表団はすでに4月10日の時点で、山東権益の中国への直接返還を主張する方針で、コンセンサスを得ていたのである50)。しかし、 1915年の日中条約を前提として日中間で交わされた、 1918年9月の山東関係交換公文の中に、中国側が「欣然として同意」するという一句があったことと、北京政府がすでに鉄道建設借款の前賃金として日本政府から二千万円を受け取っていたことが、条約開示によって明らかになっていた。これは中国全権団の主張を無力化させる致命傷となっただけではなく、アメリカの中国への支持をも大きく揺らがせる障害物となり、これまで日本に大きなプレッシャを与えつづけた「米中協調」の足並みも崩れ始めた。中国への山東権益直接返還の実現がますます困難となっていくなかで、ウィルソン大統領が受け入れたのは、ランシングから提言された山東権益に対する五大国共同管理案であった。すなわち、 「米英仏伊日からなる五大国は直ちに共同委員会を組織し、放棄された領土の処分を遅滞なく決定する」という項目を講和条約に書きいれ、山東権益の処置をもこの五大国共同委員会に委ねるという提案であった。そして、ランシングはさっそく4月15日の米英仏伊日五カ国外相会議の席で、上述の共同管理案を提唱したが、腸洲湾は植民地ではなく、租借地であるという牧野の反論に遭い、不発に終わった。(略)一方、日本国内では、山東問題が未解決のまま日時を経過していることに焦りが徐々に募り、政府の政策は講和会議前にもまして強硬となっていった。(略)したがって、日本政府からは、 「青島還付問題に付ては支那側の運動よりて直接独逸より還付を受けんとの主張或は多数とならんとするの虞あるに因り同島は我武力によりて占領し、又日支条約は支那が参戦巳前に締結したるものなるに因り絶対に我主張を貫徹せしめざるべからず、万一多数を容れざる場合には連盟条約に調印せずして訓令を乞うべしと強固たる訓令を我全権に送付する事となし直に発送の手続きをなせり」と、全権団に山東問題に関する厳重な訓令が送付された。
(Bruxelles注:日本側の論理も明快であり、日本側の態度もWilsonの偽善的態度に篭絡されてはいない。正しく読めばWilsonの日本排除およびここで中国を手懐けておこうというアメリカ製のNew World Orderの意図が明らかに見える筈なのだが。Wilsonの引きがあるとは言え顧維鈞もよく頑張る、ただ母国が母国なので論理が常に破綻するのは実に気の毒だ。)


顧維鈞で辛うじて繋がっているだけで,少し話が逸れます
You Tube 必見 World Charter Signed (1945)
上の話は第一次世界大戦のあとのパリ講和会議でのこと。国際連盟に関連している。
上のYou Tubeは第二次世界大戦の最中のサンフランシスコ。国際平和を希求す国際組織、国際連合憲章の調印式の報道filmである。最初にサインするのは「一番最初に枢軸国から侵略を受けてきたChina」そのChinaを代表して顧維鈞が登場している。二番目に登場するのは、二番目に枢軸国から侵略を受けた?ロシアのAndrei A. Gromyko、下にその写真を出した。
29-l.jpg
上のYou Tube: サンフランシスコに到着したトルーマンが勝利のパレードを行い、熱狂的な歓迎を受けているシーンがある。この時日本軍はまだ戦闘中、国土は空爆を受けて荒廃し国民は生きるか死ぬかの瀬戸際、しかも米軍の本土上陸に怯えている。1945年6月26日、勝利を祝い永遠の国際平和を誓って彼らは国連憲章にサインしている。指折り数えていただきたい。パレードで勝利に酔いしれ、また永遠の国際平和を誓ったトルーマンが、その一ヶ月以上後に、勝利には全く「不必要だった二つの原爆」を日本国に投下しているのです!国連を軸としてOne Worldの世界平和を目指す政党・政治家・官僚は日本にも非常に多いと思いますが、国連は昔も今もかつて枢軸国であった日本を敵視しているのです。顧維鈞がサインする時filmにかぶさる言葉に耳を傾けてください。戦勝国でもないChina代表に真っ先にサインさせるのは、日本を貶めるためのPropaganda、演出なのですよ!日本国民にはこの瞬間のmind controlが延々と今に至るまで続いていて解けないのです。二度と過ちを云々の石碑が広島にある限り、国連軍の平和使命をアホの小学生のように信じ続ける限り、Remember Pearl HarborがSloganとして機能する限り、永遠に。
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パリ講和会議には近衛文麿も、中野正剛も、FRDも参加していたのですね。

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