TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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原爆と国連

Why Hiroshima Was Destroyed
The Detailed History Of An Infamous Era
By Eustace C. Mullins
抜粋:A UNITED NATIONS PROJECTより(抜粋だけでなく本当は全部お読みいただきたい)
In May of 1945, the architects of postwar strategy, or, as they liked to call themselves, the "Masters of the Universe", gathered in San Francisco at the plush Palace Hotel to write the Charter for the United Nations. Several of the principals retired for a private meeting in the exclusive Garden Room. The head of the United States delegation had called this secret meeting with his top aide, Alger Hiss, representing the president of the United States and the Soviet KGB; John Foster Dulles, of the Wall Street law firm of Sullivan and Cromwell, whose mentor, William Nelson Cromwell, had been called a "professional revolutionary" on the floor of Congress; and W. Averill Harriman, plenipotentiary extraordinary, who had spent the last two years in Moscow directing Stalin's war for survival. These four men represented the awesome power of the American Republic in world affairs, yet of the four, only Secretary of State Edward Stettinius Jr., had a position authorized by the Constitution. Stettinius called the meeting to order to discuss an urgent matter; the Japanese were already privately suing for peace, which presented a grave crisis. The atomic bomb would not be ready for several more months. "We have already lost Germany," Stettinius said. "If Japan bows out, we will not have a live population on which to test the bomb."

国連憲章を書くために1945年4月から6月にサンフランシスコに集まった人たちは、何の目的で何を相談して何を決めたのか。原爆と国連を考える糧として参考にしてください。↑ ↓
参照:Tel Quel Japon 過去記事
The United Nations  & ○The United Nations

この写真を見れば、国際平和のための国際組織である国際連合が、どのようにして生まれ、そして現在のような国連が形作られているかがよくわかる。この連続写真は何を意味するか?
国連は日独を永遠の敗戦国にするための組織である
クリックすると写真が拡大します ↑↑↑↑↑

Baidu IME_2013-9-17_15-15-21
日本の国土はB29によってすでに荒廃し、国民は空腹に苦しみ、空襲に怯えた。政府はソビエトによる和平仲介交渉にのぞみの全てかけて、スターリンに近衛との会談を申し入れる、それ以外に何の案も思い浮かばない。断られてオロオロするばかり。そこへ2発の原爆が落とされる。
それにしても、のんびりと余裕に満ちたまるで重役会議のような各国代表者たちのご様子。
日本の敗戦、日本の戦後は、ポツダムやヤルタで話し合われたわけでもないようだ。連続写真をよく見ると1941年12月の真珠湾攻撃よりも遥か前に、連合国は勝利の先取りをしていたことがわかる。そしてまた最後の写真が含み持つ意味も読み取る必要がある。国連における日本の地位、価値、立場、

追記:2013年9月18日
潘基文を支持し潘基文に仕えた日本人
赤阪清隆 前国連広報担当事務次長 :
明石康氏もそうだが、国連で活躍する日本人は、独特の顔つきをしている。国連に限定せず、国際機関でと拡大すれば、大雑把な特徴がつかめるだろう。

追記:2013年9月19日・・・・・
戦争のはじめから終わりまでを全く別の目で見るために。
不必要だった二つの原爆
国連憲章はいつ頃から議論されたのか、国連憲章は誰の手によって書かれたのか。国際連合は懐妊期から何を目指していたのか、何を目的の完遂としているのか。彼らの究極の理想世界に、これからの未来に、日本国および日本人はどんな位置をしめるのか、果たして存在するのか?
不必要だった大空襲 : (元ペイジTel Quel Japon過去記事):

小学生になるかならぬかの頃、私は宝塚歌劇団に入団したいと、それくらいしか何も考えていなかった。そのころ祖母がPrince of WalesがどうのFranklin D. RooseveltがどうのWinston Churchillがどうのと話しかけてきたが、全く何のことかチンプンカンプンだった。おそらくこのこと日本の中枢は反ソ親ソというより、むしろ反アングロサクソン、親アングロサクソン、に分かれていたのではないか?この写真を見て思う。共産政権の恐怖政治など、誰一人認識してはいなかっただろう、、この時点でも、そして終戦の時点でも)だったのだろう、祖母が言おうとしたのは。これをアングロサクソンの横暴と言わずになんと言おう。すでに日本に対する充分な挑発行為である。これが国連憲章構想の受胎期の正体である。

西尾幹二著「日米百年戦争」GHQ焚書図書開封8の最終章の一番最後の項目の小見出しもこうなっている。「ユナイテッド・ネーションズを国連と訳した外務省の愚」ー国連と訳した時点で日本の外務省は国連の出先機関になってしまっているのかもしれない。そう考えると外務省のこれまでの動きがスッキリと見えてくるではないか。

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