TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

First Indochina War

First Indochina War-1
First Indochina War-2
First Indochina War-3
First Indochina War-4
First Indochina War-5
どういう視点で見るべきなのか混乱した。ベトナムにおけるフランス軍というのはとても微妙だ。なぜ南北に分離したかはたやすく理解できた。ベトミンは素晴らしく格好良い。大きな白人を捕虜にするシーンは日本軍を彷彿させた。でもミーハーの視点だけでこの戦いを見るわけにはいかない。
Tel Quel Japonの過去記事を思い出した。
野坂参三をホーチミンに重ねると敗戦前の和平交渉、過去記事でケチョンケチョンに貶した和平交渉のもうひとつの別の姿が見えてくる。祖国の滅亡を見るくらいなら、いっそのこと、という考えは、あり得る。ベトミン以上に日本軍なら戦えた。勝てた。白人を追い出せた。但し日本本土は、負けたものとして。しかしいつかいずれ奪還できよう。野坂を庇うようにこう考えるのはホーチミン側に、気づかずに視点を寄せてしまっているのだろうか?
ちょっと資料を忘れてしまったが私の記憶には、Dixie Missionや共産中国、つまり毛沢東、周恩来、そして野坂参三らの、作戦会議、軍事訓練の場に、ホーチミンの名前と姿を、みたような気がする。こんなところにホーチミンが来ていたのかと思った記憶がある。ARIYOSHI, Dixie Missionで中国共産軍の指導にやってきた心理作戦の専門家、日系米人のARIYOSHI,が延安でホーチミンと親しくしていなかったか?もうひとつ、Dixie MissionのAriyoshiは戦後そのままGHQの一員として日本に来てGHQの建物の中で、確か野坂参三と再会するのだ。(←この辺はあやふやな記憶だけで書いています。)
ホーチミンも、共産主義を、ファシズムあるいは帝国主義と対立するものと誤認していたのだろう。ソ連と与せば独立が叶うと考えていたのだろう。それに賭ける以外に、ほかには白人の支配から逃れる術はないと、考えていたのだろう。シアヌークも同じようなものなのだが、カンボジアとベトナムを同時に一気に考えるのは混乱を増すばかりなのでやめよう。ソ連と組んで平和(終戦)を達成しよう等と夢のようなことを考えていた日本の中枢に多くいた和平派も含めて、誰が何をどのように考えていたか、考えるとせっかく仕立てた洋服の糸を全部解かなければならないような気持ちになる。糸を解くのではなく、小野洋子のcut peaceのように、いきなり洋服にハサミを入れたくなってきた。

参照:日本とベトナムの関係:東京義塾:
参照:東遊運動:日本に学ぼうとしたベトナム

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