TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

保守の怒り (5) 保守への愛ある怒り

(5)に保守への愛ある怒りを追記したのはPCの修復がめでたく完了しPC作業が正常に回復したためである。報告を兼ねて付記しておく。殿に置くのは不自然な話ではあるが、まず「本の紹介」から始める。

まえがき:平田文昭
...保守なる人々を如意棒でなぎ倒したつもりだ...小利口に安全第一に立ち回らず、危機に討ちかかっていった...本書は二周、いや三周以上先を走った内容になっている。だから、えっと驚き、あるいは本を伏せたくなる言葉にみちているかもしれない。しかし我独立日本の将来はここで示したような考えを苗床として、初めて見えてくる筈だ。これは保守なる人々の喉元につきつけた匕首である。本書への反応がその人の本当の姿をさらけ出すことになる。私たちが語ったことを無視しても、現実を変えることはできない。自己満足に溺れて愛国ゴッコ、忠臣ゴッコをやっていても祖国の崩落は止められない。どうか敬愛する保守の人々よ...
あとがき:西尾幹二
...「怒り」は精神的概念だが、自他を傷つける危険も伴っている。私もそうだが、平田さんも孤独な人だとしみじみ思う。蛸が自分の足を食べるように、自分の足場の否定から始める論理的気質は、相応の自己犠牲を強いられるだろう。無責任で投げやりな人の多い気だるい今の日本で、彼のような凛然とした意志の人を私より若い層に見つけることができたのは、得難いことだと考えている...

おふたりはこの相手にしかさらけ出すことが不可能なような本心をお互いに誤解を恐れずに語り合っていらっしゃる。しかし聞き出し、理解し、気づかされ、共感し、納得する部分はたとえ数多くあっても、二つの意見を合成し勢いをつけて統合しようという試みの対談ではない。とこどろころに散在する基本的差異はそれとしてそのままにし、気づかされた部分を発展させ吸収し、自分の中でそれを瞬時に醸造させながら、神業のような相乗効果を生み出す対談は熱を帯びて充実していく。この企画は当初の予想をはるかに上回る成功を収めたのではないかと思う。問題は「読者」に尽きる。二周、三周の周回遅れでも走り続ける読者は当然いないとして、喉元に匕首を突きつけられる直前にたとえその論理に矛盾がないことに気づいていたとしても、目を閉じて耳を塞いで走って逃げていく読者の姿が目に浮かんでしまう。深い理解にたどり着けた読者ほど、本を閉じてしまうだろう。理解するしないは別として最後まで読了した方々は、自分を蛸だと思い込んでいる烏賊に過ぎないのではないかと、危惧してしまう。勿論私とて全部が全部を共感しているわけではないし、それゆえに全部が全部を理解しているわけでもないだろう。しかし出版妨害にあった危険を孕んだ書物を、しかも何年も間を置いてから、あえて取り上げて紹介しようとするからには、何らかの工夫が必要だろうと考えた。幸いタイミング的にもまたTel Quel Japonの過去記事の性格からみても、Bruxellesとしては非常に扱いやすい、理解しやすい、ぴったりと重なる内容が多い。いままでの(つづき)でOKなのだ。本の紹介というより本を素材にした、過去記事の再強化に近いかもしれない。精神的には平田氏の

「私たちが語ったことを無視しても、現実を変えることはできない。自己満足に溺れて愛国ゴッコ、忠臣ゴッコをやっていても祖国の崩落は止められない

に強く共感している。従って壊れたパソコンを必死に叩き続けるほど、あるいは睡眠障害を起こすほどに肩に力が入っているのを告白する。機能したかどうかはわからないが今回私の採用した工夫は以下の5点となる。1.テーマの数を極力絞る。2.できるだけ内容を単純化する。3.資料を提示し問いかける。4.Opinionとして書かずに、読者の記憶に残すことだけを目的とし、疑問点をfood for thoughtとして提示するに留める。5.(笑われるだけだが)肩の力を抜く。可能な限りあっさりと書く。理解や共感を全く得られなくとも絶望しない。但し、同じことをもう二度と取り上げない決意で書く。ー5.は工夫とは言えないかもしれないが、他者も自身も含めて見限るときは見限らなければならないと肝に銘じた結果である。

/////////////追記:2013年5月28日////////////
小見出し「異様に政治的な天皇発言の意味するもの」より抜粋

平田:...かつてチベット独立武装闘争勢力に対して、ダライ・ラマが抵抗をやめるように諭す「玉音テープ」があり、これによってチベット武装勢力は解体されました...チベット人は平和主義を唱えてもシナにより虐殺・ジェノサイドされ続けてきました。ダライ・ラマは自分の手を汚さないためにチベット人を苦しめるだけ苦しめているのではないか、それでいて自分は世界中の平和主義者という連中から賞賛されて良い子になっているのではないか、そういう疑義が、独立と生存のための戦争をしてきた、その歴史を肯定している日本の保守の中から出てしかるべきです。元首の平和主義とはこういうものになるんじゃないのか。すでに前例はあるんです。(p.138)

「Seven Years in Tibet」だったか「Kundun」だったかもう忘れたが、ダライ・ラマが幼すぎて政治も国防もなにも理解していなかったこと、初歩の純粋な宗教教育だけでは、国主としての判断など下せない、映画を見たあとそう思った。チベットの惨状を知る人、チベット支援活動を行う人、日本にも世界にもたくさんいる。しかし国家と国民を放り出して、取り巻きとスタコラ逃げたダライ・ラマ、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ、国民とともに独立武装運動をせず平和主義という仕事に徹しているダライ・ラマを支持・支援するひとはもっと多い。おかしくはないか?せめて「独立と生存のための戦争をしてきた、その歴史を肯定している日本の保守」には、そこにある違和感は感じられるはずだ。「元首の平和主義とはこういうものになるんじゃないのか」ということだ。焼身自殺という手段によってしか、苦境を訴えることしかできないチベット人が今もってあとを絶たない。侵略されたあとそこに残された国家と国民の即時救済を存在目的としない亡命政府などありえるだろうか?
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コメント

こんばんは。
ダライ・ラマの非暴力主義についてですが、(関連本を雑多に読んでいるのでソースを失念で申し訳ないですが)ダライ・ラマは「自分は非暴力を貫くが、同胞が武器を持つのを否定しない」と一度ならず発言していたと思います。
亡国となった元が「外交力・防衛力の不備」であったのも認めていますし。
この点誤解されたままの状況はあります。
「抵抗をやめよ」と言ったのは(多分)、70年代初めにニクソンの訪中→国交回復→中共を国連承認を前に、アメリカがチベット人パルチザンへの訓練・経済支援をストップした後ではないでしょうか。(CIA関連の当時の詳細を書いた本もあります)
アメリカが手を引いたら後はチベット人死傷者を増やすだけだということで。
中国は力が大き過ぎ、何らかの後ろ盾無しには抵抗さえ無駄になります。
ダライ・ラマの非暴力主義は一面欺瞞ですね。実はずっとアメリカの支援要請交渉は続いているでしょう。ダライ・ラマが政治指導者であることを辞め、宗教指導者に専念すると宣言したのもこの関係のようです。(つまり政治指導者に対して非暴力を押し付けることはない)
脱出については賛否あるでしょうね。結果論ですが影響力と発信力のあるダライ・ラマが脱出しなければ世界でチベットの状況は興味持たれなかった。チベット人自身が今も尊崇の念を抱いていることで善しとしていただきたいです。
それでも一刻を争う事態に変わりは無い、何らかの突破口が無いものかともどかしいです。

  • 2013/05/30(木) 23:48:30 |
  • URL |
  • 紺屋の鼠 #4TUF.cSM
  • [ 編集 ]

矛盾を突く目の必要性

紺屋の鼠さま
内容をじっくり読んでくださって、その上で独自のコメントを投稿くださっていつも感謝しています。多分あなたは居酒屋・宴会保守ではないからでしょう。
「訓練・経済支援をストップした後」のことは、本のなかの発言にもありましたが、打ち込み省略しました。なぜならそれより「ダライ・ラマの非暴力主義は一面欺瞞です」の方が重要だからです。文章の書き手としてこの文を要約すると、政治指導者であろうと、宗教指導者であろうと「自分は非暴力を貫くが、同胞が武器を持つのを否定しない」の発言で丸見えになる、究極の自己中、にノーベル賞が与えられた、ー即ち歴史・権威・賞賛・崇拝・宗教なるものの大部分を構成する虚偽・欺瞞に目を伏せないでほしい、ということです。

  • 2013/05/31(金) 10:07:32 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
  • [ 編集 ]

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