TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

どこが(究極の駄文)なのか?6-3 国想う青年

North Korea NUCLEAR Test CNN :

今回は2004年6月3日の私の「心覚えの記」に登場する、私と4回コンタクトをとった一人の青年の話だ。前回の記事に比べれば、とても私的な極端に狭い小さな内容である。昨日の記事を書いた後しばらくしてふと思い出し内容を以下に、またしても脱線的に転記することにした。
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心覚えの記:2004年6月3日 「Shining Path」

久しぶりに降って湧いたように適当な話し相手が現れたものだから、イランコントラからホワイトゲート、クメール・ルージュやらハイチ、ニカラグア、ブルンジそして、毛沢東思想がアフリカや南米まで飛んで、不幸を撒き散らしている話をした。南米のテロも毛沢東思想に駆られた、ほらあの、輝ける道とかなんとか・・ここで歳のせいか血液の流れが、鈍る。「センデロ・ルミノソのことをおっしゃってるんですか?」「そうそう、それそれ」「それから最近逮捕された大学教授のテロリストの・・」「グスマンですか」「そうそう」(原子力研究の理系なのに、さすが京大生よく知っている)

明日香歴史walkに行こうか、尖閣諸島上陸のビデオ上映会に行こうか迷っていた。すると「SAPIO」の投稿欄に、日本の将来を共に語ろう、と呼びかけている同市内(つまり近所)の青年を発見。「私は共に行動できないけれど頑張ってください。ところで今度の日曜日駅前のUビルで西村真悟議員の講演会があるので、よければ代わりに行っていただけませんか」とハガキを出した。そしてその日曜日、歴史walkに出かけたのだけれど、平地walkに気分が乗らず、思い切って途中で引き返しそのままUビルに直行。悪天候の中ボートで尖閣諸島に上陸をする姿を見て感動し、講演を終えた西村議員に(拉致問題もまだ表面化しておらず今ほど有名ではなかった。それどころか、このあとSPAでの放言で確か一度辞任に追い込まれている)握手を求め(グラサンをしている私を見て一瞬刺客かと、少しギクッとされたが)家に帰って食事の支度をしていた。そこへこの子が(といって24歳の大学院生なのだが)突然私のハガキを手にヒラヒラさせ、玄関に現れた。

最後に会ってから1年位したころ、突然の来客予定が入って、あわてて掃除している真最中に、誰かが来た。「どなたですか?」「××です。×××できました」「今忙しいです」「少しでいいんです」「時間無いです」…戸も開けなかった。・・さらに10ヶ月ほどしたある日、不意に、あの時来たのは、あの子だ!と気づいた。何かをいいに来た筈だ。少し迷ったが家に電話してみた。
「お正月一度帰ってきました。仲間の人たちと常に一緒で、親とは話もしません」「一人息子さんなのにね」「もう、いないものと諦めました」「辞める意思は無いようですか?辞める意思があって、家に来られたのではないかと思いまして。電話しました」
彼は北京大学に留学していた。「さよなら」を言いに来たのだ。あの時。北京大学という選択は自分の意思だったのだろうか。(原子力の研究・・・?)

彼がそれを言い出すまで3度ほど電話がかかってきた。2度目からは家でなくUビルで会って時事問題やらお互いの日常生活の話を90分ほどした。4度目も彼は切り出せなかった。話が進まず私が3分ほどで帰ろうと立ち上がった時、彼は意を決してその言葉を口にした。否口にしたのではなく、いきなりパンフを見せた。・・
「お金全部吸い上げられて、どうして生活してるの」
「生存ギリギリです。信仰心がないとおかしくなります」
「そのお金、どこへ行ってどう使われてるのか、しってるの?」
「・・・」
「例の抽選みたいな結婚式もしてるの?」「はい」「奥さんはどこにいるの」「いまニューヨークです」「どうして一緒にいないの?」「信仰上の結婚ですから。僕も以前ニューヨークで活動していました」「奥さんと一緒に?」「いいえ、お父様と一緒に」
まじまじと顔を見た。悪くない。狂信者の目でもない。むしろ澄み切っている。前途も明るい筈なのに。
「せめて、これだけでも目を通してください」
「教義ぐらい、一から自分で考えなくっちゃ。信仰はready-made思考。貴方ほどの人が他人に考えてもらうようじゃ、いくらお父様にでも・・」
「あっ、それもよくお父様に言われます。自分で考えろって」
私はケンモホロロを演じた。彼は迫った。私は日ごろ練習しているNO!を日本人としては苦手なNOを、明白なNOを態度で示した。それでも彼は取り縋った。両手で私の腕を取り押さえて、行かないでくれと。私はそこに彼の孤独を見た。迷っているのではないか。心にもう親も無く、結婚はしても触れ合いもせず、けれども組織の中心部にどんどん吸い寄せられていく自分に、不安を感じているのではないだろうか。逆洗脳。足抜き。一瞬頭を過ぎった。しかし彼の人生、彼の判断と選択を尊重しなければ。暖かい他者の無言の肯定の眼差しが、どうしても欲しいだけだろう。それにこの青年と存在を賭け、心の強さの綱引きをしたら、おそらく私が負けるだろう。信仰とは何度も逆揺れしては、その都度強化されるものだから。
約1年後扉の向こう側で、彼が名を名乗った時、全く思い出せなかったのは、T教会の青年としてのイメージがこの時固定し、彼個人の名前が消えてしまったからだった。

北京からこの先、何処へ続くのだろう。彼だけのShining Path(輝ける道)彼だけのセンデロ・ルミノソ。願わくば、なんとか国のかんとか開発に知らずに関与させられることのないように。仕掛けのある城を造った後の大工のようなdead endに行き着く道でないことを、切に祈っている。さようなら、原子力の頭脳を持った志ある日本の青年。
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少し理解しづらい文章かもしれない。一番最初に出会ってから15年になる。彼が玄関の外で名乗りを上げ、その名を思い出せないために戸も開けずに無下に追い返してから14年になる。彼が北京大学に消え、実家の両親にも居所を教えなくなったこと、つまり彼が日本から消えたことを私が知ってから13年だ。お父様に連れられて、どこへ行ったのだろう。彼の専門知識は初めから一本釣りされていたのではないだろうか?すぐのお正月に一度帰国したが、常に仲間に取り囲まれ、母親とも口をきかなかったのは、何故なのだろう。何処にいるのだろう、そして何のために??彼と文鮮明氏との距離を考えると、今となっては誰にでも大凡の察しはつく。私とてそんなことを問うためにここに「心覚えの記」を転記したのではない。

私がここで言いたいのは彼が「Sapio」誌上で、(おそらくかつて自分がそうされたように)反共と憂国と旧態然とした日本人論・国体論を訴えて仲間を募ったことだ。統一教会の限定を外してここを拡大解釈すると、彼らは反共と憂国と皇室崇拝を餌に、ただ和するだけの、NOの言えない、しかも興味はあるが歴史検証力をほとんど所有せず「矛盾を突く目」を持つことをむしろ負ととらえ排除の対象とし、論理のなさを誤魔化すために国際議論の場においてさえ沈黙・寡黙を徳となし、もはや習い性となった権力・権威にひたすら従順な,「孤立に怯える」だけの自称保守、表現を変えるならば、そのようなunreasonableなspiritual和人をターゲットにしている。結果、宗教生活に入る入らないを別にすれば、現在保守を名乗る者の大半は、様々な宗教や超現実紛いのレベルに留まり、またそこに歴史解釈の議論を託している。信者性白内障の手術が永遠に終わりそうもないのはそのためだ。

・・・・・追記:2013年2月24日&25日・・・・・
「彼らは反共と憂国と皇室崇拝を餌に」の部分に説明を追記させていただきます。餌というのは、勿論「釣る」目的のために、という意味です。(分かりやすく言えば、病気治癒、立身出世、不幸撃退、問題解決、夫婦円満、などの代用で、それと同次元の餌であって内実は当然伴いません)何故「反共」「憂国」「皇室崇拝」が餌にされるかといえば、議論の必要がなく共感を得られる、つまり当節居酒屋の宴会にはもってこいのテーマだからです。検証の必要も議論の必要も、知識、資料、歴史認識、意味内容、一切合切何もなくても、さらに頭が空っぽでも、その三つに関して感情むき出しにつるんでさえおけば、即すべての保守サークル、保守仲間に共感を持って大歓迎されるという意味です。餌を与える方はともかく、餌に食らいつく方は、今もって誰ひとりそれを餌とは気づかず居酒屋の宴会を楽しんでいます。多勢についていれば、議論の矢面に立たされる必要がないからです。それに関してとやかく言うつもりはありません。ただ、議論の矢面に立って孤立する(保守に「シカト=無視」される)経験がなければ、決して「矛盾を突く目」を養い育てることは出来ない、この点はご理解いただけることと思います。

コメント

尖閣諸島上陸のビデオ上映会

記事自体が随分長いので、追記をコメント欄に入れます。上に書いているビデオ上映会に関して思い出したことがあるのです。左翼全盛時代を知っている者にとっては、駅前のビルでこういうビデオ上映会ができる、ということが不思議でした。主催者は堺市の学校協会かPTAという感じで、子供の父母会のような雰囲気でした。学校といえば日教組と反射的に考えてしまう世代としては、それもまた不思議で、こちらから話しかけてみました。その若い父母たちは驚いたことに日教組批判を展開し、日教組を排した学校の正常化、そして健全な家庭の重要さを熱く語りだしたのです。西村眞悟氏の後援会の方とは、なにか違うと思いました。しかし反日教組は願ってもないいい傾向だと思いました。と同時に市民という言葉遣いに多少の違和感は感じました。政治よりも学校教育、家庭教育、の立て直しに重点を置きながら、何故尖閣上陸なのかが、今ひとつピンと来なかったのです。西村氏を昔からよく知っているというふうでもありませんでした。握手を求めた私に、西村氏が一瞬手を引かれたことも、上に書いていますね。これは講演者と聴衆の間の一体感の欠如に起因すると今では思うのです。
私はその時こういう組織の存在を一切知らず、西村氏もまたその時点ではそれほどこの主催組織に馴染んでおられなかったのではないかと。今日書いているのは、全部今から思えば、の話です。いろいろ考えてみて、その組織ではなかったか、と思えるもののアドレスをURLに取りあえず入れておきます。主張は100%保守そのものなのですが、のちほど時間があればすこし検証してみたいと思っています。
・・・・・・・・・・・
これと同じかもしれない
http://www.kyoiku-saisei.jp/cgi-bin/netwo/archives/126.html
多分これも同じ
http://www.tadasukai.jp/blog/2009/07/post-7e55.html

・・・追記:2013年3月29日・・・
今頃になってやっと気づいた。内気なO君が私のはがきを手にヒラヒラさせながら、いきなり家にまでやってきたのは、私を仲間だと思い込んでいたからだろう。あれがAPTF関係の催しだと、彼は最初から知っていたはずだ
http://www.aptf.gr.jp/contents/activity.html#index_obj
また思い出した。噛み合わない会話を。
「大学でも創価学会のやつらと、いつも議論しています。」「創価学会の人達と何の話をするの???」
・・・・・・・・・・・・・・・
O君の来た部屋には大きな旭日旗や、個人輸入して手に入れた stealth fighter などの新型戦闘機の大型ポスターも貼り付けていた。彼の目にそれらはどのよう映っていたのだろうか?

  • 2013/03/23(土) 14:42:06 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
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