TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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どこが(究極の駄文)なのか?(6) 別次元・別世界

E.ソルボンヌと言えば、確かそういう名前の色つきのタバコがあったような気がする。昔はそう呼ばれたのかもしれないが、本来ソルボンヌ留学、などという言い方はしない。仏政府留学生として1963年に一年間留学していたという記載をみつけた。問題は11年間の第一期滞仏中(?)、なにかの論文をフランス語で発表したり、修士号や博士号をとったりした様子もないことだ。何年から何年までの11年間を何をして過ごしていたのかということが判明しない。大金持ちなのか、スポンサーがいたのか。ひとつマルローの知己を得てその通訳をした、学問的実績が皆無でもこれは大変な収穫だったことは事実だ。(このあたりの推量も可能なのだが、話がそれるのでやめておく)この邂逅がなければ11年間のパリゴロ生活ということになってしまう。しかし何故著作や論文が皆無なのだろう。
ジュネーヴ大学で教鞭をとっている私の昔の友人がいる。日本文学科の彼でさへ、Gallimard社から3冊の仏語本を出版している。戯曲家としての仕事、media出演、地唄舞の公演など(もし竹本氏に具体的な活動があるのなら)例えばこのようにきっちり書けるはずだ。もうひとりプルーストの研究家になった昔の友人もいる。フランスのプルースト学会の一流研究者たちからも一目置かれている存在であった。プルースト研究にはフランスにおいてさへなくてはならない日本人学者であった。竹本氏の場合、フランスのマルロー研究家たちにその研究が評価されているとは思えない。2冊の翻訳本が存在する、ゆえに辛うじて翻訳者だとは言える、しかし仏語論文も皆無なら研究者とは呼べない。(追記:「アンドレ・マルローと那智の滝」なる本がフランスで出版されているようだ。コレージュ・ド・フランスではこれを講述したらしい)マルローさんの近くにいる若い日本人という認知はあったかもしれない。それで精一杯。しかしこの若い日本人は貴重であった。皇太子同妃両殿下との拝謁の時、そして創価学会池田大作氏との対談の出版本の仕事の際、ありがたい存在だったに違いない。マルローさんは感謝の念から、例の客員教授の限定地位、そしてそこからの勲章、を彼に与えたのかもしれない。学問的云々よりも私的付き合いの濃度は高く、またそれは知られていたようだ。年月不明ゆえ、おぼつかない推量だと言わざるを得ないが、ごく常識的な推量の落としどころではないだろうか?

問題は11年も日本を空けていた竹本氏が、一体どのように日本のアカデミズムに復帰できたかということだ。履歴の年代が不明なので、余計に謎めいてくる。11年の空白のあと、日本側では今度は誰の「引き」で筑波大学に職を得ることができたのだろうか?何年から助教授で何年から教授なのか不明だ。ただ面白い記事を発見した。その記事によると、竹本氏の名前が日本で一般に知られるようになったのは、1984年、筑波大学で統一協会の庇護を受けながら行われた日仏協力国際シンポジウム「科学技術と精神世界」という大イヴェントがあって、どうやら竹本氏がその総合プロデューサーだった、そのあたりのようだ。読売新聞が大々的に連日イヴェント告知をし、関連記事を書いたとある。『たま』の巻末の告知欄に――83年ごろのことだったと思いますが――「筑波大学の福田信之学長のご英断で、国立大学としては初めて」オカルト研究の国際集会が行なわれることになった――と、出たらしい。たま出版もこのイヴェントに噛んでいたのだろう。そう言えば竹本忠雄氏のwikipediaを見るとたま出版からの刊行が多い。(その道に興味を持ったことのある人はたま出版といえば、その性格がピンとくるはずだ。つまり確かにオカルトなのだ)
国立大学の国際集会大イヴェントにご英断をくだされた世界平和教授アカデミーの筑波大学学長福田信之氏の名が飛び込んでくる。
福田信之 wikipedia 福田信之← 要クリック必読:
参照:筑波大学闘争:今回のこととは無関係ですが、筑波大学って激しい闘争を続けていたのですね。ところで、福田信之氏、お読みになりました?このひとが国立大学の学長ですよ、吃驚しませんか?
参照:人体科学会 第20回大会:以下のような文章が見えます。
(筆者は倫理研究所理事長丸山敏秋氏、これで倫理研究所の正体もわかるというものです。竹本氏はここから一冊本を出していますね。ついでに実践倫理宏正会にもリンクを貼っておきます、大して意図はありませんが)

昭和59年11月に筑波大学で「科学・技術と精神世界」と題する日仏協力国際シンポジウムが開催された。その企画委員長を湯浅先生はおつとめになり、非常なエネルギーを注ぎ込んで成功に導かれた。大学院を修了したばかりの筆者は事務局員を依頼され、湯浅先生と竹本忠雄教授(事務局長)を補佐しながら、得難い経験をさせていただいた。

福田信之氏がイヴェントを許可・決定、竹本氏は事務局長、湯浅氏が企画委員長。3人は協力関係でリンクし福田氏はバリバリの統一教会患者。この人の「引き」ですね。

結局は歴史認識の検証経験などなく、本来緻密に事実を取捨選択して論理的に結論を導こうと努力する人でもない。「アメリカ人への手紙」を読めばすぐ分かることだが、素人にドがつく程度の知識もない。分野が違う人なのだ。一応教養人なので一般大衆紙程度の論争は理解できるだろうが、日本会議の南京本の序言を書ける技量の人でもない。南京反撃のための「アメリカ人への手紙」にしても、タイトルをどうしようか考えていると、目の前にアメリカ人の姿でも見えてそうだ、アメリカ人への手紙をタイトルにしようと思われたのではないだろうか。その際、日本語で書くのであって日本人しか読まないことも、すっかり配慮から飛び出していたのだろう。そういう世界にお住まいの方なのだ。たとえばアメリカ人への手紙、以前に取り上げた最初の部分

「太平洋戦争」で日本が敗北し、列島に貴国アメリカ人兵士が満ちあふれたとき、「キルロイ・ウォズ・ヒヤ」という言葉が彼らの間から聞こえてきた。「王殺し、ここに来たれり」とでもいう意味らしい。あちこちの壁に、彼らは得意げにそう落書きして回った。「独裁者ヒロヒト」と「軍国主義者たち」の手から、哀れな日本国民を解放してやるのだというメシア思想の宣言であったろうか。

竹本氏にはアメリカ兵が騒ぎながら「キルロイ・ウォズ・ヒヤ」とあちこちに落書きしているさまが、実際に見えたのだろう。その得意げな表情も。歴史論争だということなどはじめから頭にない。どう説得しようかそれだけだ。そこで見えたように、確信を持って自己解釈をすらすらと書かれたのだろう。それなら納得がいく。
私は竹本氏のこの本を今年になってから何度か手にして読んでみた。非現実と現実が入り混じった世界を言ってみれば超能力で捉えることができる方なのだろう。従って文体もそれにふさわしい書き方にならざるを得ない。それでなければ学者が正気でこんな本が書けるわけがない。フランス語には直接法、条件法、接続法という法の区別がある。想念か現実かをはっきり区別して話しかつ書く。また時制の概念に理解が及んでいれば、小説のスタイルで書き出してしまっていることに自分で気づく筈だ。従って最初に「アメリカ人の手紙」を読んだ時、この人に論説的な歴史認識を扱うフランス語が書けるわけがないと直感した。発想・思考にフランス語の明快さが欠けている。そう思って読むと、歴史の専門的知識もない、またまともな歴史認識もない、床屋談義程度の知識はある。すぐ判断できた。実は激怒していた。しかしこの本を手にとって少し読むと、アルファベットの順番や厳格な時制など完全に超越した、言語の時空を超えた世界を自己の五感の超能力を確信して独自の世界に没入している方だと、認識できた。別に発狂しておられる訳ではない。歴史検証の王道を歩もうとする者とは、所詮住む世界が、思考する言語処理が、違うのだ、と、それだけのことだとわかった。

(つづく)

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