TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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ちいさいおうち 中島京子 (3) 東京オリンピック

...昭和10年には、5年後には東京大会が開かれると、それこそ誰もが思っていた...私は今でも、あのころのウキウキした東京の気分を思い出すと楽しくなる。
おばあちゃんは間違っている。昭和10年がそんなにウキウキしている訳がない、昭和10年には美濃部達吉が「天皇機関説問題」で弾圧されて、その次の年は青年将校が軍事クーデターを起こす「2・26事件」じゃないか、いやんなっちゃうね、ボケちゃったんじゃないの、というのだ。
人聞きの悪い、誰がボケるものか...
...しかし、あのころは、日本では「事変」はあっても「戦争」はなかったし、「戦争」と言ったら、イタリーとエチオピアとか、スペイン内戦のことだったんだと言ったら、健史は心の底から腹を立てたらしく、目を剥いた...


たきおばあちゃんの手記を甥の次男の健史が覗き見して、不満を述べている場面である。本来のテーマから外れるかもしれないが私がこの本で一番興味深いと思うのは、戦後教育を受けた大学生の健史の意見とおばあちゃんの手記がことごとく対立する場面である。推薦拡散希望の理由は、もうお分かりだろう。日常生活をありのままに淡々と綴った東京の女中さんの「心覚えの記」が、力強く日教組教育を打ち砕くところにある。
5年後の東京大会、とあるのは東京オリンピックのことである。昭和11年に決定している。
12th8.jpg
幻の東京オリンピック:その1 & その2
Baidu IME_2012-12-13_14-41-48
昭和13年には2年後の万国博覧会の入場券が発売されている。↑
ちいさなおうちの旦那様も長い列に並んで12枚一綴りの回数券を10円で購入。上の写真でもわかるが富くじが付いていて一等は家が一軒建てられる位の大金であったとか。さらに札幌での冬季オリンピックも決定。
タキおばあちゃんは昭和13年が坊ちゃんの小学校入学年だったことを思い出す。小学校で坊ちゃんが最初のお遊戯会のために覚えさせられた歌と踊りを思い出し、お正月のある日一人で試しに姿見の前で踊ってみるのだった。私もつられて声に出して歌ってみた。
その曲がこれである。そしてタキさんはあの頃の奥様とのウキウキしたお正月を回想する。少なくとも今の日本人のような精神の萎縮はどこにも見られない。
しかし昭和13年も夏を迎える頃、両オリンピックは返上、万国博覧会は延期が決定される。景気の良かった旦那様の会社も雲行きが怪しくなる。当然彼女は彼女の見た事実を素直に書くのである。
筆者の中島京子氏の綿密な取材力のおかげで、見たこともない時代の空気を感じることが出来た。お正月の食べ物、着るもの、行事、しきたり、そして時代の景気、雰囲気が、何より戦前の日本が、ちいさなおうちに限定はされるが、よく伝わってきた。

追記:関東大震災から7年目の昭和5年、一番上の場面より5年前、帝都復活祭があったと書かれている。これはタキさんが奥様から聞き知るお話。東京の真ん中を花電車が何台も走って、沿道には日の丸を振る人がいっぱいで、夜どうし明るい提灯の列が並んだ。あれは心華やぐお祭りだったと。夜を徹した提灯行列や花電車のことは大阪市東区大川町に住んでいた祖母にも何度か聞いていたが、帝都復活祭は初めて聞く。探してみたら「花電車」の絵葉書が見つかった。
帝都復興祭記念 奉祝 花電車 & 帝都復興祭の仲見世
引きこもりや鬱病、自殺者、自傷者、あるいはそれでなくても不景気な暗い顔の現代人と比べて、戦前は随分と楽しそうではないか。昔のお正月は楽しかったと祖母もよく言っていた。お正月の支度を済ませ、除夜の鐘を聞いてから、家族全員、親族とも誘い合わせて心斎橋やら道頓堀に繰り出して、ということは深夜から夜明けまで「遊んだ」と言っていた。お店も開いていて大勢の人たちが繰り出し大賑わいだったのだろう。

日本人の生活の中に楽しさと誇りがあった、喜びもあった、帝国政府がイヴェントを仕掛けたり様々な企画をしたり、国民に生活の楽しさを享受させるという国家の義務を自覚していたのだ。その前提なくして強い陸海軍も生きてこないし「欲しがりません勝つまでは」などというお達しに当然の如く従おうという国民の存在もあり得なかったのではないだろうか?

/////追記:2012年12月14日/////
紀元二千六百年式典
内閣総理大臣近衛文麿
寿詞(よごと)奏上:音声
元サイト:探検コム
・・・・・
紀元二千六百年記念特別観艦式
You Tube(昭和15年10月11日)
・・・・・

コメント

戦前・戦中まっ暗史観

楽しそうですね。

戦前・戦中まっ暗史観は日教組が流行らせた。
そりゃ彼らは「お尋ね者」だから、まっ暗だったろう。
題してこれを「お尋ね者史観」と言う。

庶民はお尋ね者ではないから、
その日その日をおもしろおかしく暮らしていた。

と、
山本夏彦じいさんが語ってました。
じいさん、亡くなって何年でしたっけ・・・。

  • 2012/12/14(金) 05:46:13 |
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Re: 戦前・戦中まっ暗史観

コメント有難う御座います。
地域によって、生活水準によって判断は様々だとは思いますが、少なくとも世界征服の共同謀議などは、お笑い種、悪の枢軸って、どこが悪なのという気がします。南京などの酷い虐殺をみても、最近はどの民族の仕業か、確信できるようになりました。秦の始皇帝と劓の話を読んで、さらに確信を強めました。西太后の壺漬けの話もありますし、仕込まれたポルポトの子供兵士が何をしたか、そこまで遡らなくてもどんな犯罪を何国人がしたか、新聞を見ればわかりますよね。「平和を愛する諸国民の公正と信義」ではなく「平和を愛する日本固有の公正と信義」であって、それは国内だけにしてもらいたい。国益が対立する国に自国の国民の財をしかも卑屈に垂れ流し続けていては、いかに優秀な根を持つ国民といえども、醜くねじれて最後には窒息してしまうでしょう。親日国を増やすこと、親日国を大切にすること、敵と味方をはっきり区別すること、そして怒るべき時には冷静に激怒すること、怒りを表明すること、まずそのへんからきっちり堂々としていただきたい、ですね。

  • 2012/12/14(金) 15:59:11 |
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「投影」を観れば敵が隠し持つハラワタが見える

「南京大虐殺」で「日本軍はこのような殺し方をした」という様々な殺害方法は、「支那文化」特有のやり方です。「自分がそのような殺し方をする気だから、相手もそうするだろう」と「投影」したものです。
「世界征服の共同謀議」は、コミンテルンが「投影」したものでしょう。コミンテルンの主たる方針は、国際的にプロレタリアの革命を助けるための共産党が世界中で設立されなくてはならないというもの。

コミンテルンは「世界征服の共同謀議」をこらしていたから、「敵(日本)もそうするに違いない」と思った訳です。

米英はこれに乗って、東京裁判をゴリ押ししたんでしょうねえ・・。

  • 2012/12/14(金) 20:29:08 |
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  • たつや #-
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Re: 「投影」を観れば敵が隠し持つハラワタが見える

コメント有難う御座います。
言い忘れましたが最近の記事ではTel Quel Japon過去記事「通化事件」も参考になると思います。

  • 2012/12/15(土) 21:14:11 |
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このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2012/12/16(日) 05:36:04 |
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Re: 「投影」を観れば敵が隠し持つハラワタが見える

今日ふと気づいたのですが、「投影」などという言葉はあまり感心しません。
「私がそんなことをする人間だと思うのはあなた自身がそういう人間だからです」という意味でご使用かと思いますが、「投影」は適確さにかけるし、普通にそのまま言った方がいいと思います。
それからこの論理は「私は確信しました」という自己内部での判断の論拠には使用可ですが、相手がある論争には使用不可です。「あなた自身がそういう人間だからです」と言っても相手が「勝手に決め付けるな」といえば、「失礼しました」とならざるを得ないでしょう?
この「投影」を使って「田中上奏文」も、日本のものではないと論じている人物を知っていますが、論争には通用しません。私は故にそう思う、という主観的判断に過ぎず、実証性が欠落しています。
(その人物の駄文を近々まな板に乗せるつもりです)
南京虐殺は激怒して完全に息の根を止める必要がありますが、「田中上奏文」は仮に日本人が書いたとして、本来全くビビることはないと、考えています。日米未来戦記が両国で大ベストセラーになって、そういう未来を誰ひとりシミュレーションしていなかったといえば、おそらく嘘になるでしょう。
野球ファンがオールスターや日米戦のスターティングラインアップを頼まれもしないのに熱心に考えることがあるでしょう、それと同じだと思います。外務省のだれかの引き出しの中にそういう文章があってもおかしくはないし、それだけではまだ問題のない日常なんです。それを盗み出しあたかも日本国の謀略のように仕上げてた工作員がいて、悪の枢軸propagandaにでっち上げられた、問題はそこ、つまり諜報戦に負けたということで、誰が書いた書かなかったに論点を固定すること自体、もうハメられているのです。
「田中上奏文」に関して私自身はTel Quel Japonにも提示していますがトロツキーの残した手紙が一番興味深いと思います。(「田中上奏文(2)」)また私の記憶では松岡洋右がIPRの会合で出回っている「田中上奏文」の信ぴょう性を完全否定する説明演説をしています。(「正論12月号2011年&別冊正論16」)

追記:2012年12月29日
「投影」の使い方に文句をつけましたが、この使い方をしている人物を実は知っていて、そのセンスの無さにかなり怒っていた所に、あなたが、その影響を受けてそのまま使ったので思わず書いてしまいました。
投影というのは、ある意味哲学用語で、簡単に言えば「実相観入」に近いと思います。この場合は、自分がそうだから、相手もそう考えると、単に自分を基準にして相手の行為を判断している、という意味しか出てきません。もし田中上奏文で「投影」を使っても、あなたが言いたいことの意味は出ないのです。なぜなら、田中上奏文においては、「相手の行為を判断している」に留まらず「それをそのまま捏造して、拡散して工作に利用している」からです。「勝手に判断する」→「相手の主体に置き換える(捏造)」→「拡散して工作に利用し歴史の事実(証拠)とする」、田中上奏文を言うにはそう説明せねばならないのに、「投影」では、せいぜい「勝手に判断する」の意味しか説明できていないのです。
(その人物の駄文を近々まな板に乗せるつもりです)
と書きましたが、今回の追記はそのための先書きの一部早出しです。意に反してあなたを巻き込んでしまって、申し訳ないと思っています。

  • 2012/12/18(火) 15:44:31 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
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こんにちは、新年明けましておめでとうございます。
ちいさいおうちのレビュー及び、懐かしい万国博覧会関係の写真、楽しく拝見しました。
この小説、凄く好きなお話です。
でも細部を結構忘れてしまって、、、、再読したいな~と思います。

  • 2013/01/01(火) 10:59:45 |
  • URL |
  • latifa #SFo5/nok
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Re: 小さいおうち

latifa様
コメント有難う御座います。
再読したらもう一度レビューを書いてくださいね。そしてその時はトラックバックお願いします。

嵐の夜をご記憶ですか?板倉さんが一足、一足踏みしめるように降りてきた。
「終わったよ。タキちゃん。ありがとう」
板倉さんの手が、ぽんと私の肩を叩いた。
雨に濡れた人肌の匂いが鼻をうった。不思議なことに、ふとした瞬間にそれを思い出すことがあった。そして思い出すとなぜだか、後ろめたいような気持ちになった。

そして鎌倉の大仏を見に行こうとして、板倉さんと覚しき白いシャツを着た若い男とすれ違った。そのとき、ふと、嵐の夜の匂いが香った気がした。
「手紙をお書き下さいまし。今日、タキが届けてまいります。明日昼の一時に、お会いしたいとお書きください」というセルフがあるので、手紙を届けなかったにしても、タキは板倉さんに会いに行っている。そして「あの日、坂の上のちいさなおうちの恋愛事件が幕を閉じた」といきなり断言できるような、話し合いをタキは板倉さんとしている。翌日、タキと板倉さんの話し合いの結果の筋書きに沿って、ことは進行した。だからこそ断言できたのだと思います。
板倉さんにとってこの小さなおうちの主人公は、その時すでに恋しい奥様だけではなく、もうひとり女中のタキさんの存在が大きく重くなっていて奥様と対等な、守られるべき人、として認識された。

板倉作品の手をつなぐふたりの女性、タキちゃんの作品ならそう描きたい気持ちは充分にわかるけれど、板倉作品になぜ、こうもたきちゃんが大きく存在感を持って描かれるのか、私にとってはそれが一番の謎で、大体以上のような記述をもとに、推量してみました。

  • 2013/01/02(水) 11:09:50 |
  • URL |
  • Bruxelles #-
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