TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

戦後天皇制とSUSUMU OKANO (3)

戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石:
野坂が昭和天皇を救った?
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ブラック・プロパガンダ 謀略のラジオ
ー中国戦線のブラック・ラジオー
特に「五 アップル・プロジェクト-延安でのOSS工作と野坂参三」以下を慎重に読むと、野坂とOSSの関係、戦後日本における野坂の影響力等について理解が得られる。また追加検証の必要も認められる。

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
Obituary: Sanzo Nosaka

・・・・・追記:2012年11月16日・・・・・
いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の一›東京裁判と講和条約第11条について

、昭和19年に延安にゐた野坂参三がアメリカ政府から延安に派遣された使節団(ディキシー・ミッション)と接触し、「われわれは天皇打倒のスローガンを回避する」と申し入れ、これがアメリカ本国に伝達されてゐた。野坂は、モスクワのコミンテルン勤務から延安に移動した後のことであり、この方針はソ連の方針であつて、野坂はそれを単に伝達したに過ぎない。なぜ、ソ連がその参戦前から、来るべき我が国の敗戦後に天皇不訴追方針を決めてゐたかといふと、それは野坂の意見が採用されたからである。野坂の意見は、根強い天皇崇拝意識下の我が国において、天皇の処罰(処刑)と天皇制の廃止を求める運動を展開することは大衆から完全に遊離してしまひ革命が遠のく結果となつてしまふとの現状分析と、天皇個人の退位と天皇制の廃止とを区別し、天皇制廃止への第一歩として天皇の退位を求めていくといふ運動を展開するものであつた。イタリアでは、昭和19年6月に、国王の退位、皇太子の即位、王制の廃止による共和制の樹立といふプロセスを経たことが野坂の主張のヒントとなつたのである。

野坂が延安で接触したアメリカの使節団のメンバーの多くはいはゆる「中国派」で容共勢力であり、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主党政権が容共的体質であつたことの証左でもある。ちなみに、昭和20年7月23日付でOWI(戦時情報局)日本部長のジョン・フィールズが野坂に感謝状を送つてゐることが公開文書から明らかになつた。このことは、日本共産党が主張するやうに、野坂が二重スパイであつたとする根拠にもなり得るのだが、むしろ、東西冷戦構造の始まりにおいて、米ソが天皇不訴追といふ共通した結論を同床異夢として抱いてゐたと言へるのであり、「ヤルタ密約」に野坂が関与してゐたのではないかと推測させる事実である。さうであればこそ、日本共産党がマッカーサー率ゐるGHQを「解放軍万歳」して占領を受け入れたことの説明がつく。



・・・・・追記:2013年7月3日・・・・・
戦後天皇制と野坂参三:陰謀論が絡んで:
誰も取り上げない、それに反比例してよく聞く話。また
ー明治政府は英国つまりユダヤ王ロスチャイルドが投資して作った政府であるー。これも反比例して、よく聞く話。取りあえず興味深い話として頭の片隅に入れておこう。
この記事に繋がっている?:明治維新
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日本共産党と野坂参三
論客の誰ひとり野坂参三を語ろうとしない、書こうとしない、「なんでだろーなんでだろーなんでだろー」
第90回帝國議会 : 野坂参三vs吉田茂:
昭和天皇の戦争責任問題と東京裁判←重要
戦後、「象徴」として天皇の地位が確保された背後には、「東京裁判」を正当なものとして位置付けた昭和天皇自身の判断が隠されているのである。(東京裁判の否定を口先だけで言っている保守は目や耳を所持しているのだろうか?それより、東京裁判の否定を「口にさえしない」真正保守の面々はのっぺらぼう(人間もどき)なのだろうか?それとも東京裁判の否定は天皇制の否定に繋がるとでも思い込んでいるのだろうか?なるほど、隅から隅までズズイーっとワンパターンな人たちだ。)

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