TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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詩と思想 40周年 詩は政治的現実の下僕か

懐かしきアウトローたち:

西尾幹二先生の『GHQ焚書図書開封 7』を拝読して感想を書いた。どの箇所とは詳しく書かないが「あの部分はまずいのではないですか。ああいう発想はアウトローの発想です」と本文とは全く関係のないところで反応してしまった。「多分昔、詩や小説を書いておられたからではないでしょうか。文学は基本的にアウトローの世界だと思います」と書送ったら、西尾先生からしばらく経ってお返事がきて「アウトローへの傾斜」を指摘した部分を面白く感じたと書かれていた。
私が青春を過ごした1970年前後は、文学に無関係でもアウトローこそが主流で、それは精神的だったり政治的だったり生活的だったり文学的だったり、アウトローが充満し支配する、と言ってもいいような時代だった。西尾先生の場合「自由」肯定だったので明らかに精神的アウトローであったが、そこに書かれた自由は国家の管理の締め付けからの「自由」でもあり政治的アウトローとも受け止められる可能性を孕んでいた。しかも西尾先生はそこをかなり強調して書いておられた。私はそのお気持ちは充分わかるし自分も共感するが故に、わざわざ書くのはまずいでしょう、と思ったのだった。

私は70年安保の世代で、その渦の中で、逆回りし続けて生きたのだが、接触する周りの大多数と敵対していた訳ではない。こちらも「自己批判」する代わりにこちらの「思想の自由」も当然認めさせていたし、認められていた。勿論議論した場合1対多数で常にやり込められていたが「あなたたちは鬱積した敗戦の抑圧の反動としての一種の敗戦ヒステリーなのだ」とやり返した。が誰も耳を貸さなかったのは言うまでもない。
時代はまだ以下のような人たちに牛耳られていたのだ。
詩集「2N世代」過去記事:
平和問題談話会と戦後知識人
私は詩や小説を書いていたので、つまり言葉で語ることで、理解しあえると信じてもいたのでかなり彼らの話も聞いた。暴れまくって逮捕され釈放された後にも何年も公安にマークされていた過激派活動家の友人もいた。彼の方から近づいてきて最初に言った言葉はこうだ、「あのね、右も左もぐるっと一回りすれば、結局は同じなんだよ」彼はイデオロギーの縛りのない、普通の会話が欲しかったのだろう。私はあの時代に対してあの激しい運動は、大きく言えば外国支配や海外からの罵りに対するある種のレジスタンスだったのではないかと、いう気がしてきている。三島もそう思ったからこそ、ウイスキーの瓶を下げて東大全共闘に会いに行ったのだろう。(勿論、スパイとして教育され放たれた者や、職業としての活動家はこの限りではない。また洗脳され利害と二人歩きし始めた政治家や宗教家、又は無思想のしかし脳みそまるまる犯された平和教信者もこの限りではない。)
詩集「2N世代」過去記事:
Linda Hoaglund : Movie ANPO
私はその頃神戸の文学界に所属していた。ある日田中角栄のブレーンをしているという元会員が現れ、私を会員制の秘密倶楽部に誘い出し「あの会長は労働運動のリーダーだったのに、レッドパージの時に会員の名簿を当局に売った、その罪滅ぼしにいまは、あんな文学会などに熱を入れているんだ」と告げ口した。会長は、思想性が足りないとか政治性に間違いがあるとか強く非難され反発を受けていた私の作品の全てを掲載してくれていた。
私は東京の詩の会合にも出ていて、シベリア抑留の石原吉郎にも何度か会っている。敗戦のドサクサにどんな取引があったのかは、私の大きなテーマだ。木戸日記などを参考にすると、終戦交渉に際して聖戦を信じて戦い続けている兵隊や外地で生活する日本人たちへの配慮や眼差しが国家として完全欠落している。武器解除を命じるなら、交渉による国民の安全と、生命と帰国路の確保は必須だ。どうすれば国民被害を最小限にする終戦を迎えることができるかを、国家として呻吟した気配は全くない。
詩集「2N世代」過去記事:
詩人・石原吉郎 シベリア抑留

通化事件で偶然再会した紙田彰氏と最近久々に電話で会話した。どちらの家で最初に出会ったのか、あまりに昔で記憶も薄らいでいたが、お互い記憶を確かめ合い、かつて共有した時間と今をつなげ新しい場を再び獲得することができた。彼もまた懐かしきアウトローである。若き日詩人を志したと言われる西尾先生が、アウトロー的発言をされたのも、今になればよくわかる。「柔軟性を失くした価値体系の縛りを、一顧だにしない」というのが西尾先生のアウトロー性である。Artや文学に関わる者のアウトロー性とは、思想性や政治性とは一切無関係で、簡潔に言うと「縛りに盲従しない」というひとことに尽きる。「私も共感しますが、それを書くとまずいのではないですか」という私の感想こそ、まさに文学的アウトローが対峙しなければならない悪、最悪なのである。繰り返す。検証も論考もなく、古びた価値体系の縛りに盲従すること、良いも悪いも初めから決まっていることのように思考を端折ること、それらに抜刀して挑む者こそが、ここで言うアウトローである。ああいう感想を書いた私は思想における詩性を、老いて失ってしまっていたのだ。(←習性となった自己批判)

もうすっかり忘れていたが、昔、文学を政治の手段とする左翼詩人たちに囲まれて、ある雑誌の座談会で孤軍奮闘したことがある。今朝目があいた時に突然思い出した。その雑誌は1972年創刊で、その号もまだホヤホヤで1972年以内のものだ。テーマは「今、詩に何が出来るか?」、つまり角材を持って闘争している学生たちに対して、詩人は自分の無力さに苦悩しないか?というテーマである。後で噂を聞くと私が時代を闊歩する左翼詩人にコテンパンにやっつけられたという人もいれば、短詩型詩人たちからは、認知度を高めたとしてかなりの支持も得た。文学的アウトローとして「価値体系の縛りに盲従する輩」を相手に孤軍奮闘する自分の姿をここに転記しようと朝から40年近い前の雑誌を探し始めたのだが、その号はどうしても見つからない。出版社の土曜美術社は、今日Netで調べると、かつては「活動家集団思想運動」機関誌『社会評論』の版元でもあった、と書いてあるではないか。私の記憶では詩に理解のある長野県の資産家がスポンサーだと聞いていたのだが。「詩学」よりも思想性が強かった?何も知らない私は、初めから標的だったのかもしれない。そういう感じは全く受けなかったが。私が知らなかったというより、相手が私を知らなかったのだろう。そう言えば、後に、書いていた連載を突然打ち切られたことがあった。私が場違いとわかったのかもしれない。雑誌は見つからなかったが、その座談会についてほんの少し触れた、私の後日記のDiaryがある。それにリンクを貼っておく。そこに若い私がいる。お目通しいただければ幸いである。
Avec Gribouille :そのほかの日々(1)
座談会の司会は村岡空氏であったのを思い出した。お坊さんなのだがお寺ではなく、都営団地に住んでいて、密教の研究家であるという情報をGribouilleから得ていた。数年ののに村岡氏から来阪するので会いたい、という連絡があった。其の辺に触れた日記も付け足しておく。
村岡空:そのほかの日々(2)

/////追記:2012年10月23日/////
参照:40年前、1972年の出来事
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参照:沖縄祖国復帰40年と沖縄の課題
一番最初の話題に注目!日中国交回復を期に「中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よ」という田中角栄の指示があったと!大変な発言だ、これは。

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
今日書店で購入した別冊「正論」EXTRA18は発売から40日近くも経っていた。立ち読みして興味をもって購入したのだが、帰宅して読んで、吃驚した。近年読んだすべての雑誌のどの記事よりも驚嘆した。上の記事は「詩と思想」の座談会の年1972年、40周年関連でたまたま日中国交正常化を思い出し、何故日米が突然共産中国に叩頭したのか不思議に思って上の二枚の写真を掲載してみたのだが、この「叩頭」という直感は当たっていたようだ。日中国交正常化はマスコミが挙って大絶賛してきたが、これこそが売国のクライマックスだということがわかった。
(割り込み追記:2012年11月1日 別冊正論Extra18,江崎道朗氏の文章「東アジア冷戦の真実 最大の標的は日本」には、日中米それぞれのこの時期の唐突に思える国交回復の背景と思惑が詳しく解説されている。これは説得力のある総括的なひとつの意味づけであった。これもご一読をお薦めしたい)

上にも「日中国交回復を期に中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よという田中角栄の指示」を書いているがこれが実に詳しく書かれている。注目の記事はP.74~P.92までの座談会で、長くてとても引用できないが、その部分だけをとりあえず引用する。

大平は田中内閣の外相当時、田中角栄と協力して外務省、内調、公調、警察庁、防衛庁の全ての情報担当機関の責任者に「中国を刺激するような情報活動を禁ずる」と指示している。警察庁はその指示を受けて、中国共産党が日本に対して長年続けてきた革命工作やスパイ活動の調査を停止している。内調、外務省なども同様である。(P.86)

また以下はP.80の一部要約である。

満州国総理・張景恵の一人息子張紹紀は日本にいる間、東条英機首相が身元保証人になっていたので、憲兵も外事も特高も手を出せなかったが共産党の秘密党員だった。戦後は撫順の戦犯管理所の責任者になって、かつて戦友だったはずの「戦犯」である日本人に、自分はかなり前から共産党の秘密党員だったことをカミングアウトしている。この張紹紀の満州時代の学友が孫平化で、この男が戦後の日中友好活動の中国側の代表的人物で、田中角栄の訪中の実務を共産中国側で担当した。20歳そこそこで満州国の国民として日本に留学し、日本でマルクス主義の文献を読み共産党の秘密党員になっていた。日本経済新聞「私の履歴書」に自分で書いている戦前から孫平化は一貫して対日地下活動をしている。ところが東工大は彼に名誉卒業証書を与え、宮澤内閣も平成五年に勲一等瑞宝章を与えている。(注:こういう具体的な内容が延々と続く。できれば実際の記事を読まれることをお薦めしたい。)

田中角栄に関してはもう一点、P.84&P.85から日中借款のリベートについて要約。

中国の対日工作資金がどのように日本人に渡されるか。例えば鄧小平から三百億円が田中角栄に三千億円借款の上乗せリベートとして渡される場合、の方法が具体的に説明されている。このような日中借款のリベートは大規模な国際汚職である。(注:これが日中国交回復の正体である。田中角栄が国内政治工作に派閥の部下たちにポンポンと多額の金銭を「よっしゃ、よっしゃ」と渡した話は有名だが、その出処がやっとわかった。土建屋だけでそれだけ儲かる訳がない。ロッキード事件は明らかに不正の感覚が麻痺した結果だろう)

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
田中角栄に関してP.89よりもうひとつ要約追記

日中国交樹立に際して周恩来は「朝日新聞と結託して自民党の中で一番腐敗した、一番汚い政治家をトップに座らせる...外交音痴の田中角栄に大平をくっつけて大平に外交問題を全部コントロールさせる。その田中・大平コンビを、朝日新聞の広岡和夫社長と周恩来が支援することで田中角栄内閣を誕生させる」と構想していた...朝日新聞に関しては、西園寺公一の息子一晃が入社した年に(1971年)、本多勝一の「中国の旅」の連載が始まっている。ちなみに父親の西園寺公一はゾルゲ事件に連座し、戦後は北京に住み日中国交正常化を推し進めた人物である。(これだけでも日中国交正常化とはなんだったのかが、よく分かるはずだ。)

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