TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

City of Life and Death 南京!南京!を見ながら

Tel Quel Japon過去記事、再審「南京大虐殺」明成社刊、を引っ張り上げてこの記事の真下に移動させた。
さっき「City of Life and Death」の日本兵が奇妙な踊り(軍人の阿波踊り.6分過ぎあたりから)をするシーンを見て、怒りが湧いてきた。何に対しての怒りかと言うと、再審「南京大虐殺」明成社刊の「序文」に対しての新たな怒りである。

戦後半世紀余り、日本は、この問題で外から何を言われようとも、一貫して沈黙を守りつづけてきた。ここに初めて我々は沈黙を破る。ただし、中国式金切り声ではない。被告席に立たされた日本の、低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述である。 (序言より)

これに対する不満は過去記事の中にも記したし、勇間氏からも以下のようなコメントをいただいている。

2. しかし米国を含め対外的には全く仰る通りです。「被告席に立たされた日本の、低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述」では事態を変えることは出来ないことを知るべきです。「日本の対処が間違っている。国家としてとっくにケリを付けていて当然の問題だ。どちらももう手がつけられないくらいに、やりたい放題にやられっぱなしだ。いかんせんfighting spiritと作戦の立案そのものに空振りがある」に全面的に賛同します。

自慢げに書いている「沈黙を守る」という行為は無能者の黙認でしかないことにも全く気付いていない。こんな人に序文を書かせるべきではない。自らを被告席に立たせる、などと言うのはそもそもが弁解という受けの立場の発想でしかない。繰り返すが「低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述」などと言うのは、書物自体の本来の使命を、下品な言葉は使いたくないがその目的認識に於いて「風呂場のオナラ」にまで貶める表現である。この人は事実認識が全く何もできていない。吐き気がするほど不愉快な駄文である。
(過去記事 外務省糸電話(2)に於いて「吐き気がするほど不愉快」の語句をこの人にリンクして伏線に使った。おふたりはお顔がそっくりなので、わかりやすくM氏に「不愉快」の伏線として先行登場していただいた。今回T氏個人に対して珍しく「不愉快」をあらわにしたが、近々T氏に関して予定している原稿の、これもまた伏線である。)

「City of Life and Death」は今見ている最中であるが、明らかなPropaganda映画である。公平な視点であるがゆえに中国での公開が遅れたなどというのは、作り話だとすぐにわかる。感想もいろいろ見てみたがPropaganda大成功である。あの序文の付いた、再審「南京大虐殺」明成社刊を仮に一億冊世界中にお読みくださいと頭を下げて無料配布したところで、この映画の強力な成果の前には、屑屋に出す古紙の価値にも匹敵しないだろう。それほど相手は手強く、序文の書き手の知脳レベルはあきれるほど無残で、窒息死寸前にまでに酸欠状態である。
以下の映画に比べると基本的な取り組み姿勢が全く違う。何を相手にしどの辺に立ち位置を決めるべきかという、初歩の初歩が序文の書き手には欠損している。敵の大きさ深さを正確に捉えていないのである。

City of Life and Death : Wikipedia : 映画「南京!南京!」
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この映画を見た中国人はもとより、多くの国の人たち(日本人も)も含めて、取り返しのつかない数のひとびとが、これをむしろ抑え気味の事実として受け止めているようだ。プロパガンダの完了である。教育の完了である。結果今まで無知で、興味もなかった人たちまでが、正義感を掻き立てられ活動に参加するのだ。この映画を見て平気でいられる人間はそうはいない。
再審「南京大虐殺」のほうは、日本会議以外の何人の日本人が読んで学んだのだろうか。日本人が友人に贈ったものを除けば何人の中国人、何人の今まで興味もなく無知だった欧米人が、本の存在を探し出し自ら購入し読んで理解して感動して説得されたのであろうか?「清明公正なる陳述である」は第三者から見れば、すでにバイアスがかかっている(偏向)宣伝と受け止められるのである。これも繰り返しになるがこういう形容語句は読んだ上で読者自身が決めるものなのである。書き手として初歩的過ちを犯している。
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・・・・・追記:2012年9月16日・・・・・
今you tubeに登場している下記の映画を見ている。
【部分公開】[桜H24/7/28]
「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」
すでにご覧になりましたか?ご感想は?
参照:詩集「2N世代」
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すでに完了した記事に何故今日追記するかといえば、ちょっとした発見(それとも私だけが気づかなかった?)があったからだ。
詩集「2N世代」の最新記事の続きで
南京の真実 公式サイト、を見てみようと思った。
英語版HP開設のお知らせがあった。
Message Board をクリックすると放棄されたような無残な状態に出会った。英語版だから欧米人からのコメントを期待してのMessage Boardなのだろうが、しっかり管理するかまたは早急に取り外すべきだろう。このまま放置すればHPの真剣さや品位に悪影響をあたえる。それは映画そのものにも影響を与える。英語に直しさえすれば外国人に繋がる、読んでもらえる、コメントがもらえるなどと考えるようでは認識が甘い。このザマだ。
informationをクリックしてみた。その中の
THE ALLEGED NANKING MASSACRE CHAPTER 1 をクリックしてみた。どこかで読んだ記憶がある。私は水島さんの映画「南京の真実(仮題)」の英語版のinformationを読んでいるつもりなのだが、これは明成社刊の上に取り上げた、再審「南京大虐殺」、の序言と同一ではないか。これは手抜き?それとも、チャンネル桜の映画作りの発端は日本会議のこの本の映画版を目指したものなのだろうか?だろうか?ではなくそうに違いない。同じ序文なのだから、本と映画は同じコンセプトに違いない。ならば制作発表記者会見でそのことは明らかにされたのだろうか?本ができた、英語に翻訳もした、次は映画だと費用対効果も考えずにはしゃいだ結果の大人の遊びなのだろうか?共通のコンセプトで発想したものならば、せめて、再審「南京大虐殺」、が売れに売れて大ベストセラーになって、結果その利益を映画製作に回すくらいの筋道が欲しい。南京大虐殺論を二度と足腰が立たないくらいに打ちのめす費用対効果を考えた上での真剣な目的及び方法論の検証が欲しかった。
尖閣問題も含めて水島さんに対する保守の期待は大きい。それに背中を押されて映画もなんとかここまでたどり着いたのだろう。ただ水島さんも映画監督であるなら公式サイトの英語版のTHE ALLEGED NANKING MASSACRE CHAPTER 1に他人の本の序言をそのまま流用してはいけない。(もし仮に制作発表記者会見で本と映画の関係が明らかにされていたとしても、だ)

注:問題の序言 日英の比較で突然気づいたこと。
日本語が先だと思えるので、英訳者の間違いだろうが、論理のある人間ならこのように訳したくなる気持ちはよくわかる。誤訳というより、駄文をカバーする出来すぎた訳だ。
「被告席に立たされた日本の、低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述である」(上に書き手としての初歩的誤ちを指摘した部分である)これが「as an accused standing in the dock of a courthouse, speaking in a low tone of voice, asking the fair judgement of the readers.」となっている。「被告席に立たされた日本の、低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述」は「日本は被告席に立ち、落ち着いた声で陳述し、そして読者の公正な判決を望むものである」という英訳になっている。つまり上に書いたように「読者自身が決めるものなのである」という常識を踏まえた「誤訳」に仕上げられている。(京劇のように五月蝿くなくお能のように低音で立ち昇る、というイメージが水島さんの脚本にヒントを与えたのかもしれない、もしそもそもが通底しているとすればの話だが)

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