TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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アカデミズム糸電話(1) 矢吹晋

Tel Quel Japonの過去記事にいただいたようちゃん先生のコメントにあった、矢吹晋氏、あの時気になったのだが、夏休みで気を抜いていたところだったので、深追いできなかった。とりあえずコメントの返信に以下のアドレスを付すに止めた。もう一度出しておく。
US-China collusion and the way forward for Japan
June 30th, 2012 : Susumu Yabuki, Yokohama City University
そしてコメントの返信に「ここから派生して横浜市立大学の内部や(前から気になっていた)外務省のアジア関連政策委員会、そしてやはり朝河が何のためにどのように持ち上げられているのかの必然性等々を、検証しなければならないと思いました」と書いた。実はこの時調べた範囲で、横浜私立大学のこの先生の周りに中国人名の助手や秘書や研究者たちが取り巻いていて、かなり特殊な「矢吹晋」王国がこの大学の内部に巣食っている、という印象を受けました。それで敢えて記憶に止めようと思い「横浜私立大学」の名前を記しておきました。福岡市の中国人公務員研修生の受け入れの話と同じで、横浜市立大学に限らず全国あちこちで中国人留学生のみならず中国人助手、中国人研究者、などで日本人の毛沢東シンパの教授の周りを固めているアカデミズム版中国租界がかなりの数の日本の大学の内部にできているのではないかと推量してみました。(次元の違う話ですが、たとえば孔子学院も一応対象にしてもいいと思います。引き寄せ役の日本人旗振りの検証の必要です)
ところで何故今頃矢吹晋なのかというと言論NPO代表・工藤泰志の経歴のところで横浜市立大学大学院経済学博士課程中退、というのを見て頭の電球にパチパチ灯がついて、何かを思い出せという信号が入ったのです。正直言って言論NPO代表・工藤泰志氏から矢吹晋氏につながるまで少し時間がかかりました。「そうだ、横浜市立大学は前から調べなければと思っていたのだった」と。
閉じられた世界の内部のことは、内部の人間にしかわからず、単なる印象論的なことはあまり書きたくないので、今回は探した資料をリンクするに止めます。

矢吹晋 Biography
矢吹晋 資料
矢吹晋 書評
矢吹晋 録音 mp3
追悼 清水美和(1953~ 2012)通夜の後に記す 矢吹晋
外務省高官は、いかなる国益を守ったのか
田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑
クリックして読んだ上で、内容に関する印象、または感想なりをコメントとして寄せていただくと有難い。
放水され時計台を降りたものは霞ヶ関に陣取り、バリケードの内側にいたものは知らぬ間に教授室に住みついていた。

///////追記:2012年9月6日////////////////
言論NPOの工藤泰志氏に関する追加Video
工藤氏はなるべく中道に立とうという努力を意識的に心がけておられる。どういう背景をお持ちの方かはよくわからないが、きっと真面目な方なのだろう。また柔軟性もおありなのだということも期待したい。ただ熟考による裏付けのない素直は、はめられる事の方が多い。顔的には矢吹晋的,自称良心的学者風左,の痕跡がみられる。しかし少なくともNPOをここまで育てられた実績は評価しないわけにはいくまい。以下非常に興味あるvideoを2本。

世界との対話で見えてきた日本の課題
Video & Transcript :
感想:日本政府を相手にせず、という露骨な意思表示ではないの?

上のVideoで話題になっているCFRでの会議
Views from Abroad: International Perspectives on the United States
Video &  Transcript :
要約)  工藤氏の活動
注:今たまたま47分あたりを見ている。日米の相互文化影響や普天間に関する質問が工藤氏に回ってきた。ところが工藤氏は延々と日中関係の自分の体験を話し始めた。私も通訳経験があるが、こういうのは一番困る。あまり関係ない方向違いの話が続くと、通訳が間違ったと思われはしないかと不安になり、耳を傾ける側は「この人何あさってのこと言ってるの?」としらけてしまうのだ。私なら「日米に関する質問ですよ」と小声で言うが、経験から言うとこういうひとは頭の中で言う順序が固定化していて、本人は中国の話から日米の話に繋げていくつもりで、その順序でないと、話せないと言われてしまう場合が多い。さて続きをみるとしよう。どのへんで日米に話に移るのだろう。
自分の対中国体験を延々といったあと、日米に関しては「中国との議論はできるが、アメリカとの議論は出てこない」この一行で終わり。明らかに質問を取り違えているか、最初から質問に関係なく中国との対話にこぎつけた自分の実績をともかく言いたかったのだろう。普天間に関しては鳩山をつついて政治を批判し、あとは「選挙があると思うので期待してください」という回答。質問者には不満が燻る回答である。(普段は聞き役の人であるから、回答者に回ること自体に無理がある。あらかじめ用意してきたことをとりあえず言う、そして場に出て行ってこれこれを言ってきたと報告する、それだけで精一杯、質疑応答どころの話ではないという見方もできる)2時間20分はあまりに長いのでたまたまここ(47分から約10分)を見ただけなのだが、私が企画者なら2度とこの人を呼ばないだろう。なぜなら質問の如何にかかわらず、一方的に用意してきた発言を述べ立てるので、対話としても会話としても(やりとり)が成立していないのだ。どんなボールを受け止めてどんなボールを返すのかの(やりとり)意識と場の認識が欠落している。

//////////追記:2012年9月7日//////////
横浜市教育委員会関連記事:
東京アンダーワールド』:ここにこの本のことが出てきたので思い出した。昔に読んで非常に感銘を受けた。あまりにも知らない世界だったので、事実かどうかも俄に信じられず、再読しようと長い間保存していた。再読せずに理解もできずに結局は捨てたが、ずっと気になっていた。こういう内容はほかの本には一切書かれていなかったからだ。機会があればご一読をお勧めします。貴重な本です。

//////////追記:2012年9月8日//////////
話がどんどんあらぬ方向に拡散していきますが上の記事のロッテで思い出した。昔「お口の恋人」ロッテ歌のアルバム、という人気番組がありましたね。芸能人に朝鮮系が多いのも、戦後の流れから続いているのかもしれません。戦後大衆スポーツは力道山を人気者にするしかなかったのですから。この頃(大暴れする所謂三国人から治安を守るために)ヤクザはまだ日本警察とタッグを組んでいました。特攻崩れがヤクザになったという噂もありますね。10年ほどして大ヤクザ映画ブームがきました。ヤクザ映画の世界に当時はまだサムライスタイルで日本・日本人を守るという日本人の心の美学が奇しくも保存されていたのでしょうか?
今日はそういうことを言うために追記したのではなく、ロッテの関連でハリスガムを思い出したのです。ハリスガムのほうがよく売れていたような気がします。またまたその関連で「名犬リンチンチン」(主人公は番組内で別の名前を持っているのに、スポンサー名と同じハリス少年として記憶されている。これは川上のぼるの腹話術人形の名前ハリス坊やと同じCMの仕組みから)を思い出しました。こんな映画だったんですね。悪いインディアンを管理下に置くための完全なpropaganda映画ですね。ハリス食品は日本人の会社だそうで、調べてみると、ここに創意工夫に富む立派な日本人起業家を見出しました。この人の存在もイメージ坑儒されていますね。ハリス食品のwikipediaは面白いのでぜひ読んでみてください。
(ついでにこちらはアメリカのガムメーカーの歴史。事業の拡大はアメリカ史そのものですね。そしてこのガム業界のPR戦略術、PRの見本のようですね。それと1944年のところの説明ですが、1944年1945年リグレーガム社は材料云々の理由から?軍隊専用にガムを卸し市場には出さない方針を打ち出しています。ギミ・チョコレートの方が有名ですが、そうして米軍人が持ってきたガムも日本の12歳以下の子供を懐柔するための、ひょっとしたらOSSの日本作戦の一環だったのかもしれません。(子供にはガムとチョコレート、大人にはJazzとジルバ)少なくともアメリカの子供は1944、1945年はガムを切らしていた、気の毒な事実に出会いました。)
(もうひとつついでに、日本のチューインガム年表にリンクしておきます。これを見るとガムの歴史もハリスの歴史もリグレーガム社の歴史も同じ流れの中で見ることができます)

コメント

Bruxellesさま
おはようございます。夏の海の家が終わり、目の前の海を眺める日々になりました。ここ数日、お子さん患者さんのお相手で少々疲れ気味です。
さて、矢吹氏の追悼文を見て感じたことは、人にレッテルを貼るのをよしとしませぬが、彼は毛沢東主義者であって、仮の名を、鄧小平シンパであると思いました。これって、東京フォーラム人が、みな、そうだったのか。
残暑厳しきおりご自愛のほどを。

  • 2012/09/06(木) 08:46:07 |
  • URL |
  • ようちゃん先生 #-
  • [ 編集 ]

矢吹晋とその仲間たち

コメントありがとう御座います。
「東京フォーラム」って「東京ー北京フォーラム」のことですか?矢吹晋氏と工藤泰志氏は私の頭の中から「思い出せ信号」が発せられ(横浜市立大学)で繋がっただけで、今のところおふたりの関係は見つかっていません。
検証していろんなことが発見できるのはむしろ工藤氏の方でしょうね。なにしろCFRの会合に代表を送り込める実力があるのだから、完全に飛びぬけたNPOでしょうね。日本版CFRを目指しているのでしょうか?
矢吹氏の追悼文を見た限りでは、なんだかあの時代のセクトの友情を見たような気がして、ふと五木寛之の「青春の門」を思い出しましたよ。大学の教授が昔の共闘者のジャーナリストの友人を追悼するなんて、そういうことできるなんて、お二人共夢のように幸せな人生だったのだと思いましたよ。ジャーナリストとして大学教授として中央の道を歩いてこれたということですから。つまりその間時代はそういう時代だったのだということを嗅ぎ取らなければいけない、ということだと思います。角材と手ぬぐいは風化したように見えて風化していないということでしょうか。文学やArtには作品として大した遺産は残しませんでしたが、思想でもなんでも大衆化することによって正義を獲得できる、という路線が出来上がりました。populismと呼ぶべきか。民主主義のもと、populismがずっと価値観の指標になってきたということでしょうか。といってpopulismを支えてきたのは、capitalismなんですけどね。ややこしいですね。

  • 2012/09/06(木) 12:30:53 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
  • [ 編集 ]

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