TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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対ソ終戦交渉という井戸掘り

1)対ソ終戦交渉という井戸掘り

A)前々から納得できなかった対ソ終戦交渉。「正論」7月号の伊藤隆名誉教授のこの発言部分で、まず驚いた。
伊藤隆名誉教授(「正論」2012年7月号P.88 ):

...昭和20年の春以来、近衛文麿をソ連に派遣し、対米和平の仲介を依頼するという計画が浮上していました。終戦で幻に終わりましたが、4月5日にソ連が日ソ中立条約の不延長を通知してきた中でも準備が進められました。この計画にあわせて参謀本部幹部や関東軍参謀、海軍若手らが、いわゆる「改革官僚」らの協力で作った国家再建策草案には、スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました。ソ連、中国共産党のエージェント、シンパが軍指導部に潜り込み、日本の赤化を企画していたとしか思えません。...

これは対談の中の発言なのだが、対談相手の方々は、蚊に刺されたような反応もなく完全無視であった。ちょっとぐらい吃驚してもいいのではないかと。官僚や軍部指導部がルーズベルト政権以上に真っ赤っかだったという発言なのだが、完全無視。
B)そのあと偶然こういうものを見つけた。大森勝久 2012年4月30

...(ソ連に中立態度を維持させるために、日本がソ連に譲歩すべき条件は)「必要なる条件はことごとくこれを停止し、譲歩し、開放し、断念するにやぶさかであってはいけない。換言すれば、「ソ」側の言いなり放題になって眼をつぶる。日清戦争後における遼東半島を還付した悲壮なる決心に立ちかえったならば、今日日本が満州や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨て、日清戦争前の態勢に立ち還り、明治御維新を昭和の御維新によって再建するの覚悟をもって、あくまで日「ソ」戦を回避し、対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない」(『終戦工作の記録(下)』61頁から64頁参照)...

すでに両記事は前記事でも紹介済みである。ただこれでは、日本軍は見事な戦いをしたなどというのは、表面の見える部分だけで、国家としては戦意もなくただただソ連というDV貫一に女々しくすがりつくパーのお宮ではないか。「戦前の社会主義国家「日本」は、左右の左翼が侵略支配した反日国家であったのだ」と吃驚するしかない結論なのに、「死刑囚の言うことなんか気にしなくていい」という反応を除けば、Tel Quel Japonの読者の反応も皆無であった。内容的にはa)=b)である。前からこの内容を知っていたわけではあるまい。戦前の日本がソ連のスパイに乗っ取られていたとか、反日国家だったとか、皆が納得しているわけでもあるまい。
C)そこで今日は対ソ終戦交渉、戦前戦中からの日本の対ソ認識についての論文を探すことにした。
戦争終結をめぐる日本の戦略―対ソ工作を中心として
by 庄司 潤一郎
この論文は資料としてprint outして何度もお読みいただきたい。スパイがうじゃうじゃとか、反日国家だったとかの視点はさすがに無いが、内容的には(日本の対ソ認識がいかにボロボロであるかという点に関しては)a)=b)=c)である。伊藤・大森説には間違いがないのである。
庄司氏は外務省のこんなお仕事もされているが、対ソ終戦資料制作には影響はないだろう。
情報量が全く違うのでインターネットを有する21世紀の人間が70年近く前の「戦争終結をめぐる日本の戦略」に関してどうこう言うのは単なる酸素の無駄である。しかし、しかし、何度も繰り返し読んだ後でいうのだが、これだけ圧倒的なロシアに対する激しい幻想と思い入れを持ちながら、共産主義者でない、人物像は考えにくい。親近感、恋心、信頼感、尊敬、どれにも当てはまらないが、全てに当てはまるとも言える確かな感情が思考力に浸透して作戦を攪乱している。庄司氏は立場上筆を抑えておられるが、比べた場合伊藤・大森氏の推量に軍配をあげてもいいように思う。ということはつまり、ここをもっと掘ればもっといろんな、それこそ想像を絶するような”事実”が形象のない水のようにドット溢れてくるのではないかと思う。それこそどこまで行っても「トンデモ」でしかありえないような「トンデモ説」などとかが...

2)学者は言えない「トンデモ説」学者は言えない「ことだらけ」

対ソ終戦交渉「トンデモ説」の紛失
に関するTel Quel Japon 内部事情
・・・・・・・・・・・・・
B: あのね、天皇をソ連に移すというトンデモ説、あれはあなたに教えてもらったのかしらん?
A: いや、私ではありません
B: 今探しても見つからなくて困っています。アメリカが本土上陸して大虐殺をするから 日本が占領した外地を全部ソ連に差し出して天皇も、満州あたりに逃げるという交渉条件。
A: 天皇の「国外」避難は、空前絶後の構想ですね。
B: もしあなただったらもう一度アドレスのメイルいただけませんか?ソ連に抑留させたのはつまりは逃げてく天皇を守る兵隊として。
A: 陸軍には「ソ連の抑留政策に呼応する動き」があったということですか?
A: 瀬島龍三が敗戦間際に満洲に飛び、シベリア抑留について疑惑を持たれている。という話がにわかに現実性を帯びますね。まあ妄想をたくましくしても?という恐れはありますが。
B: 最終的にソ連がせめて来るまでずっとこの作戦に希望をかけていたという話。トンデモ説なんですけど伊藤隆氏の説を取ると、かなり説得力を持つのではと。シベリアに抑留された人たちは誰にどのように騙されたのでしょうか?騙されたのであって、武力による強制連行ではなかったみたいですし。「赤い月」のお父さんは年齢をオーバーしているにもかかわらず日本男児の使命感に燃えて自ら手を挙げて、大陸にとどまりました。その時そこに大義があったのではないかと。そういう話が強く残っていて、まだその交渉条件を信じている日本人幹部によってあるいはコミンテルンの日本人スパイによって騙されたのではないかと。
B: 勿論天皇の希望で、「行きたくない」という希望で最終的には没になるけど。
A: 昭和天皇が「行きたくない」と本当に言ったとしたら、「行ってみてはどうか?」という工作があったことになりますね。
・・・・・・・・・・・・・


受信箱には見つからなかったが、送信箱の中にそれらしきものを昨日見つけた。こういう馬鹿馬鹿しいものは取り置きに値しないと判断し、アドレスを破棄したようだ。それが結果として「紛失」となった。参照アドレスは取り置きよりも破棄するモノの方が圧倒的に多い。身体や思考の身動きを軽快にするために毎日思い切った情報の選別そしてそのあとの「断捨離」を実行している。にもかかわらずあまりの強烈な「トンデモ」振りに、無意識に記憶の方に残ってしまった。
送信箱から探し出した自分のそれらしき返信メイルを以下に記す。

コメント有難うございます。なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです、まあね。
革新官僚と大政翼賛会のマルクス主義派知識人は、反米軍事同盟の証しとして、天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた。彼等の目的は、日本をソ連軍の支配下に置き、日本を共産主義化する事であった。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。日本を侵略戦争に追い込んだ革新官僚は、戦争責任を昭和天皇と軍部に押し付け、民主的保守派として戦後日本の中枢を支配した。新たな、平和国家日本の始まりである。
このあたりは、おネンネ保守派は、びっくり仰天でしょうね。天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていたは新鮮度は高いですが、言ったもん勝ち、みたいな感じで、出典がない。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。これもねえ、非常に面白いけど、説明資料もないし、具体的人名もないので、架空ということになってしまう。
本人も、自分は見解もないし、資料提供もできない、単なる年表の丸写し、みたいなことも言っているので。
2012年4月15日 日曜日 午後3:20


Tel Quel Japon過去記事の中の2012年5月31日追記によると仕舞い込まれた無意識の記憶の底から「トンデモ説」がpop upしたのはカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の長谷川教授の説に出会った時が最初だったようだ。まだ「トンデモ」過ぎて書けないと言っている。そのあと伊藤隆東大名誉教授の発言、そして大森氏の文章と各々が相互に接続強化されていくのだが、まだ「トンデモ」を書く決心はついていない。決心がついたのは今日論文資料としてリンクした庄司 潤一郎氏のC)対ソ工作を中心としてをprint outし繰り返し読んでからだ。ここには人物名が初めて登場し具体的に発言し行動する様が描き出されている。庄司氏の論考に沿った発言や動きをそのまま受け入れるのではなく、ここまで来ると人物の表情や吹き出しのセリフ、割付けまで、独自のネイム作りが自然に出来るようになる、つまりほぼ事実として受け止めた上での独自解釈が可能になるということだ。勿論事実ではない。掘り当てた、形象のない溢れ出た水に過ぎない。実行に移されなかった工作・作戦であるので、事実などそもそも存在しないのである。各自独自の解釈を試みその後独自の「トンデモ」度判定をされてはいかがでしょうか。
さてこのあと、紛失したアドレスを探し出して、最初に激しく拒否したそもそもの「トンデモ説」を登場させなければ話を終えることは出来ないだろう。「検索の方法を教えてください」という問が時々Tel Quel Japonに届く。検索は誰がしても同じ。コツは何時間も何日も何週間も見つかるまで粘る根性と気力の保持、それだけだ。しかし今回この状態からどのように「紛失したアドレス」を探すか、そのテクニックを開示すれば、ひょっとして役に立つかもしれない。
参照:最初に見たトンデモ説
日付が合わないが、その後日付の更新があったのだろう。上の私の送信メイルの下線を入れた引用部が、そっくりこのなかに登場するので、私が「なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです」と書いているのがこれと同一だということがわかる。
どうやって破棄し「紛失した」ものを見つけたか、もうお分かりかもしれないが最後に説明しておく。メイルのなかに引用があったので、その一部を使った。具体的に言えば「天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた」をそのまま検索boxに入れ、あとは「検索」をクリックすれば、探していたものが一発で一番上に現れた。

(追記-1)本人が年表に基づいて書いていると言っている、云々とメイルに書いていたので、そのあたりを再確認してみた。参照はこちら
(追記-2)一番上のメイルのやり取りに書いている「天皇の行きたくない」発言、当時破棄する前に全部読み込んだので全体のどこかに出ていたのだろうが、今回は見つけることが出来なかった。ひょっとしたら似たようなテーマを検索で探して、別のところで確認したのかもしれない。実行されなかったplanなので(発言はあったとしても)「行きたくない」発言で取りやめになったというより、追い詰められた状況からむしろ計画自体が立ちいかなくなったと考える方が自然だろう。

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