TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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ソ連の参戦

Please Read, ** Difficulties in accepting these definitions
:FROM Thanks to this page
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We must remember that the USSR and the Netherlands are some of the prosecuting nations in this case and both declared war against Japan first. So far as the USSR is concerned, even if self-defense be taken as admitting of initiation of war under certain conditions, the circumstances in which that state declared war against Japan would hardly justify it as war necessitated by any consideration of defense. It would perhaps be difficult to read "an instant and overwhelming necessity for self-defense, leaving no choice of means, and no moment of deliberation" in a war against already defeated Japan.

1945年8月6日 日本は米軍による人類史上初の原子爆弾投下により、すでに疲弊の極みにあった。
戦闘行為が侵略のそしりを免れるのは、そこに防衛の必要が認められる場合のみであるが、すでに死に体の日本は何の脅威にもならない。したがってソ連の参戦は明らかに侵略に当てはまる。

The USSR declared war against Japan on 8th August 1945. The Potsdam Declaration demanding unconditional surrender of Japan was issued on July 26, 1945. Japan had requested the Soviet Union to mediate in the early part of June 1945, and ultimately offered to surrender on August 10, 1945.

広島に原子爆弾が投下された翌々日の8月8日、ソ連は日本に宣戦布告した。3方面6ヵ所から「満州国」とソ連国境をこえた。関東軍将校及び民間人も含めて57万人が(64万人とも言われる)が、シベリアに抑留された。一方27万人ともいわれる満州開拓団は、ソ連進行と同時に着の身着のままで南を目指して逃避行を余儀なくされた。
(図解「太平洋戦争」太平洋戦争研究会著 河出書房新社刊 P.134)

日本が藁をもすがる思いでソ連に和平仲介をたのもうとしていたときに、スターリンはポツダム会談をしていた。メンバーはスターリン、トルーマン、(チャーチル後)アトリーである。

ヤルタ協定:(松山大学のHPにリンクさせていただきました)
ヤルタ協定こそ共同謀議以外の何者でもない。この写真が歴史の表面に堂々と現れることこそおかしい。強盗たちのひそひそとすべき山分けの話し合いとしか思えない

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