TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

(続)保守とはなにか? 保守本流の正体

「正論」6月号の中西輝政氏の文章を引用させていただく。

日本を空想的平和主義に縛り付けている何よりの元凶である東京裁判史観とそれに沿った従来の「昭和史」は、根底から再検証すべきであると悟ったのである...
左翼、たとえば社会党党首だった土井たか子のような声高な護憲論は正面からは唱えず、しかし内面的には強固な護憲の信念と使命感を確固として持つ保守政治家が、実は左の護憲派を内側から支え、護憲勢力全体の中核にいるという大きな構図に気づいた...


悟った、気付いたと書かれている。そこから新しいどういう主張に繋がっていくか。

彼ら曰く「健全なナショナリズムはいいが、偏狭なナショナリズムは問題だ」「強制はいけない (注1)」・・・。北岡氏のような戦後的現実主義者、いわゆる「保守本流派」も、何かにつけて「偏狭なナショナリズム」「復古調」といった言葉を否定的なレッテルとしてしばしば用いる...
実は自民党の「保守本流」の政治家たちと共に、戦後の日本で憲法改正を阻んできたのは、彼ら「霞が関官僚」なのである。左翼や知識人といった一般的に言われる護憲勢力とはレベルの違う大きな改憲阻止勢力がここに控えていたのである...
彼らに支配的な憲法観は、実質的な「日本国憲法改正不能論」である”八月十五日革命”説を唱えた宮沢俊義・東大法学部教授に遡る学閥・学会支配構造に起因していることも指摘しておきたい...
そこで、アメリカが重視したのは残る「中間派」勢力、いわゆる進歩的な親英米派、リベラル派であった。吉田茂や幣原喜重郎らである...
このGHQの占領永続化政策の影響を受けた中間派こそ、かつて「保守本流」と呼ばれた自民党リベラル派のルーツだったのである...


これは「日本に保守は存在しない」というTel Quel Japonの過去記事にもろに繋がっていく。「保守とは何か」の正体を西尾氏も中西氏も徹底的に見直さなければ、おかしなことになっていると、同時に声を上げられたことを意味する。
過去記事に私はこう書いている。

いつの間にか「保守」は単なる安全地帯確保のための言葉になっていたのだろう。そして連帯感獲得の実態のないキーワードになっていた。左翼ではない、体制派である、という連帯感だ。


気になるのは、「保守だから正しい」とまるで正義を獲得したかのように、議論を抑え込む排他的特徴を持つことだ。つまり保守と言う言葉は「錦の御旗」と化していて、「じゃないですか」同様、真剣な検証の端折りに利用されているのが現状である。

自民党リベラル派や「戦後的現実主義者」の抵抗を乗り越えて、憲法改正を実現し真の独立国家となる道を歩まなければならない、中西氏の結論部はこのようになっている。文章の結論としてこう書く以外にないのはわかるが、この抵抗をどう乗り越えていくか、の方法論の考察が必要であり、さらにその前に[自民党リベラル派や「戦後的現実主義者」の抵抗]は何故に存在するのか、何故に誕生したのか、何故に頑強なのか、徹底的にゼロから解明する必要がある。「長い間日本の憲法改正を阻んできた真の勢力の尾っぽ」を掴むだけでなく、解剖解体しなければ、抵抗を乗り越えることは不可能だからだ。しかも現状では、その抵抗には「日本国憲法改正不能」の仕組みが組み込まれているように私には思える。(つづく)

・・・・・・・・・・
注1)「彼ら」の側にも自分たちが正しい保守だという認識があるのだろう。「強制はいけない」という表現、意外な保守がよく発言するのを聞く。つまりは、錦の御旗、我にありの心境ゆえにか。この発言、以下の出来事の影響もあるのだろうか。
参照:News鳥越過去の出来事

即ち、御発言を大々的に報道することで、保守系が多い国旗・国歌推進論者に「天皇陛下ですら国旗・国歌の強制を批判しておられる」と示し、推進論者の切り崩しを狙ったのではないか。


・・・・・以上は2012年5月7日・・・・・
・・・・・以下は2012年5月8日・・・・・
中西氏の「憲法改正の敵」に関して、親英米派、リベラル派ではなく吉田茂や幣原喜重郎等、名前が具体的に出てきたので、Tel Quel Japonの過去記事を思い出した。それぞれリンクを一つに絞った。
Tel Quel Japon過去記事このリンクは非常に面白い

幣原は「この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えたわけである。……その考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心した」と述べ、憲法の内容が自らの考えであったとしている。
憲法9 条の起源については諸説ある。しかし幣原の発言からも分かる通り、たとえある程度アメリカ側からの圧力の下に行われたものであるとしても、平和憲法の成立に一定以上日本側からのコンセントがあったことは間違いない。


Tel Quel Japon過去記事このリンクも非常に面白い。
こちらは引用と言うより全文の熟読をお勧めしたい。このリンクについては新たなペイジを設けてさらなる検証・追記を重ねていく必要があるかもしれない。知られざる降伏交渉の必要を最初に着想するのは1945年1月ではなく、実は1944年1月である。ドイツの降伏云々が前提条件ではあるが、すでにロシアを仲介として構想している。最近再度入手した木戸幸一日記下巻1月6日に記されていた。なぜ今ここにそれを書くかと言えば、連載している早期休戦交渉一味は、即ち平和主義者であり、GHQに積極的にコラボするものであり、東京裁判肯定派であり、原爆容認派であり、当然平和憲法護憲派である。つまりそれぞれの和集合がほぼ重なるのである。全部が全部すっきりと同じ方向と言うわけではないが、力を合わせて舟を漕ぐ者たちの顔は、どの場所に於いてもどの時間に於いても、さほど変わることはなく、川の流れのベクトル同様ほぼ一定である。手漕ぎボートを漕ぐ速度でゆっくりとそれを実証していくつもりでいる。中西氏にとっては、直近の引用だけでも厄介な壁に見えるだろう。何故なら引用部分には保守本流ではなく「日本側からのコンセント」と書かれている、似ているようで似ていない。

・・・・・追記:2012年5月9日・・・・・
1)視力負担を考えて一度は手放した木戸日記を再度検証したのはTel Quel Japon(テル・ケル・ジャポン)の過去記事に寄せられたコメントを見てからだ。

「笹川君!こんな嘘吐き野郎はいないよ。我々軍人が悪く言われる事は、別に腹は立たんが、『戦時中、国民の戦意を破砕する事に努力してきました』とは、なんという事をいう奴だ。この大馬鹿野郎が」
と吐き捨て、・・・、木戸幸一もこの時ばかりは、顔を真っ赤にして俯きながら手持ちの新聞紙で顔を覆い隠したという。


さんざん言われている木戸の戦争責任説及び自己保身説であるが、内大臣ともあろうものがこれほどあからさまな譫言をこの法廷で言うには、単なる「嘘吐き野郎」とみるよりはそれなりの大きな背景と口車あわせの筋書きに沿っている、と見た方が妥当だろう。顔を赤らめるということは、白々しいとんでもない捏造であることを、百も承知の上で、おそらく職務として自分を卑しめての立場上の発言である。全存在を賭けた職務の全うという大義に支えられていなければ、これほど全国民を侮辱するような発言は不可能だ。「新聞で顔を隠す」のではなく、恥を知る日本人ならば即切腹の場面である。ただ本人の立場を考えると「なりふり構わぬ行き過ぎた自己犠牲程度の失言」と認識したのだろう。この私見とは直接の関係はないが、木戸に関して面白い論文を見つけたので、参照としてリンクを貼ることにした。
参照:木戸幸一の認知構造の把握
(つづく)
・・・・・以上2012年5月9日・・・・・
・・・・日付変更2012年5月31日・・・・

コメント

「保守」という言葉には、罠がありそう

ソ連崩壊以前の戦後は、長いこと「革新と保守」の対立軸で語られてきました。革新は進歩的文化人と持ち上げられで、保守は保守反動(半藤?)とクサされました。
近年は「保守」の株が上がって、この言葉は肯定的に使われるようになりましたね。
でも、今さら「保守とはなにか?」と内容を問われることは奇怪とも言えます。私は肯定的に使われるようになった「保守」の言葉に、なにやらうさん臭いものを感じます。

「東京裁判史観」の駆動本体は、「日本国憲法(占領憲法)」です。
だから、目立つマスコミや教育界だけが売国集団ではないはずです。法曹界、それに日本の支配的立場にある官僚機構が東京裁判史観の支持母体であって、売国奴どもが日本を牛耳っていると見るべきです。

>内面的には強固な護憲の信念と使命感を確固として持つ保守政治家が、実は左の護憲派を内側から支え、護憲勢力全体の中核にいるという大きな構図に気づいた...

中西氏ともあろうお方が、今さらこんなことを言っていることにちょっと驚きました。

  • 2012/05/11(金) 01:13:03 |
  • URL |
  • たつや #-
  • [ 編集 ]

Re: 「保守」という言葉には、罠がありそう

> ソ連崩壊以前の戦後は、長いこと「革新と保守」の対立軸で語られてきました。革新は進歩的文化人と持ち上げられで、保守は保守反動(半藤?)とクサされました。
長い間そうでしたね。
> 近年は「保守」の株が上がって、この言葉は肯定的に使われるようになりましたね。
そうですね、変わりました。
> でも、今さら「保守とはなにか?」と内容を問われることは奇怪とも言えます。私は肯定的に使われるようになった「保守」の言葉に、なにやらうさん臭いものを感じます。
でしょう?何がうさんくさいのか、その辺を明解にするために、奇怪、ではないような斬新な視点で必然性のある問いかけをしなければ、放置したままでは臭いにおいが取れません。
>
> 「東京裁判史観」の駆動本体は、「日本国憲法(占領憲法)」です。
考え方はいろいろありだと思いますが、「日本国憲法(占領憲法)」の駆動本体は(改憲の妨げとなっているのは)「東京裁判史観」だと思いますよ。
> だから、目立つマスコミや教育界だけが売国集団ではないはずです。法曹界、それに日本の支配的立場にある官僚機構が東京裁判史観の支持母体であって、売国奴どもが日本を牛耳っていると見るべきです。
中西氏の文章もほぼそういう内容ですよ。
>
>>内面的には強固な護憲の信念と使命感を確固として持つ保守政治家が、実は左の護憲派を内側から支え、護憲勢力全体の中核にいるという大きな構図に気づいた...
> 中西氏ともあろうお方が、今さらこんなことを言っていることにちょっと驚きました。
気付いた、と過去形になっていますね。私もここは少し立ち止まったのですが、最近の過去ではなく、かなり古い過去の「過去形」だと判断しています。それに保守とはなにか、を正面から斬新に問う人は今までほとんどいなかったからこそ、今耐え難く匂ってきたのも事実ですから。保守と言う非常に安全になった被り物を猫も杓子も被り始めてその立場をとるので、被り物の中身の実態が何でもアリになり、また見え難くなってきた。「問う」というのは、被り物を剥がして中を覗く、と言うことではなくて、そもそも何故被り物をしているか、その何故を明解にするつもりです。

  • 2012/05/13(日) 00:29:30 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
  • [ 編集 ]

Re: 「保守」という言葉には、罠がありそう

次元の低い話で申し訳ないです。
4月のamebloである人が自分のコメント欄にこんなことを書いていました。
東京裁判を否定しなければ保守派ではないでしょう。もちろん,いわゆる「A級戦犯」全員が無謬であったはずはありませんから,批判はあっても不思議はありません。
結構吃驚しました。自分を保守派とまず立場づくりをし、故に東京裁判を否定する?これじゃ論理的ほころびが出るのは、当たり前。
ちょっと話の次元が極端に低すぎましたけどね、この次元の自称保守って結構多い。所謂保守系のBlogから入門してくる人たちに非常に多い。非常に多いのが問題なんですよね。これでは、たとえば田中英道氏の「OSSの日本計画」など100回読んでも永遠に理解できないし、中西氏がここで書いておられる、改憲を妨げている保守本流の正体、という意味も理解不能でしょう。「改憲を妨げるようでは、保守ではないでしょう、馬鹿を言うな」となりますから。西尾氏の「天皇と原爆」の天皇の戦争責任云々などは、この人たちにとっては卒倒ものでしょう。
たつやさんは、そんなものは無視すべし、とおっしゃるでしょうが、繰り返しますが多いんです、この手の保守。居酒屋の宴会派とでも呼びましょうか。盛り上がるんですね、これがまた、何しろ居酒屋の宴会ですから。目的は盛り上がることですから。
西尾氏は「天皇と原爆」で「松岡が一体何をしたというのか」と松岡擁護論を展開されていますが、これなんかもこの手の人たちには噴飯ものでしょうね、理解不可能。「松岡が極悪人でないと言うなら、保守ではないでしょう」と。私は松岡は自己検証力のリトマス紙だと思っています。東京裁判を真に否定できる可能性のある者たるには、まず自分で歴史を検証して、松岡悪人説を論理的に完全粉砕できなければ、自虐史観粉砕までは到底自力では行き着けないでしょう。これは話の次元が高い低いに関係なく。そう思っています。

  • 2012/05/13(日) 03:44:35 |
  • URL |
  • Bruxelles #qXcWIg3k
  • [ 編集 ]

「保守」という言葉の罠

「『保守だから東京裁判を否定する』というのは本末転倒で、『東京裁判を否定するから保守なのだ』」ということですね。

「改憲」もいろいろ立場があって、くくりにくいものです。私は「自主憲法制定」と言っています。

>(「保守」とはなにか、と)「問う」というのは、被り物を剥がして中を覗く、と言うことではなくて、そもそも何故被り物をしているか、その何故を明解にするつもりです。

期待しております。
綱領もない民主党に、右も左も雑多な連中が流れ込んだように、「保守」も「民主党化」した感がありますね。WGIP恐るべしで、自虐史観からの脱却はそう簡単ではありません。
>そもそも何故被り物をしているか

憶測で言います。
1)自虐史観を自力で粉砕していない連中が混入しているから。
2)彼らの無意識のねらいは、「自主憲法の制定阻止」でしょう。

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