TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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問うべき戦後とはなにか

 僕らは生まれた直後から「敗戦」というものの”無機質の言語”を感知し続けてきた筈だ。「敗戦後の国民」という”無音のシラブルの意志”を誰が一体心地よく感知するだろうか。肌に植え込まれそうな多くの言葉をひたすら押しのけようとした僕らは、外部が僕らに引き受けさせようとした諸々を、かたくなに拒んできた。突如として転覆させられた(風土の生命)を、否定された(流れつづけてきた過去)を、断絶した対岸のものとして見つめながら「ちがう、ちがうんだ」「嫌だ、いやなんだ」と叫ぼうとしながらも、引き継いだ生命の重みから逃れられなくなる時、僕らは豹変せざるを得なかった前世代の不安と混沌の残響を、どう救いあげればよいかを考えあぐねなければならぬのが常だった。途切れた糸を途切れない糸でどう補うかに戸惑わなければならなかった。打ち崩された「精神文化の方向性」を、ただ持続する(生命の流れ)で、どこへどう運び切るか。少なくとも僕は、僕たちの時間帯の志向を、供え物ではない、僕たちの体質からにじみ出る欲求に指揮させたいと願ってはいた。
 けれど対岸に新しい橋を架けることも出来ず、ついには、対岸からの種子を風が運んでくれるのを期待する気力もないまま、荒れた大地の上に各々の仮住まいを建てなければならない季節を迎える羽目になっていた。(...)

命を懸けて真実だと信じきっていたものが目のあたりに崩壊するとき、人は次の一瞬からの時刻をどう生きるのだろうか。
「日本軍閥の侵略主義」という、結果から照応された規定から★「精神風土の破壊と無力化」を目的とした占領政策★が約束した「罪悪感」という次からの時間のためのパスポートを持って、前の世代は僕たちを産んだ。深い謝罪によって現在を肯定することができると思った。
 僕は晃という生命の継承を否定する他者から「裏切りと背徳と快楽」を得ることによって、反自然あるいは虚構という裏返しのパスポートを持って新しい真実を生きようとしている。
「似たようなもんじゃないか」
時間は突然止まりはしない。人間を超越して絶対的に流れ続けている。
 僕は名大の芝生の上で僕の身体を回転させた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

四城亜儀著「帰ろう愛の天使たちーまたは無音のシラブルの意志について」より2箇所抜粋
1975年 社会思想社刊 現代教養文庫 863
小川和佑編 「わが1945年ー青春の記録(1)」収録

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような形で、昭和精神史における戦後、あるいは昭和精神史の青春像にみられる精神の形成を広く読者一般に、戦後を考察する核として提出したい。したがって、この一冊は文学的アンソロジーであると同時に、精神史的アンソロジーといった性格を備えているものである。
(...)1975年初秋 小川和佑「編集ノート」より(...)

小川和佑氏編集の社会思想社刊、青春の記録3冊は
「無名者にとっての修羅」青春の記録(2)
「埋没した青春」青春の記録(3)と続いて1975年に刊行された。

コメント

フィリピンで思ったこと

福井様、今回の旅行ではいろいろお世話になりました。私自身、フィリピン戦線については知識がなく、奈良様、倉津様、上島様らの話に聞き入っていました。山下大将、本間中将、望月中尉らの慰霊には感銘しました。また、「海行かば」を皆で斉唱したときには涙が出てきました。ただし、残念なことは、「バタアン死の行進」が史実としてほぼ定着していることでした・・・

五十嵐様へ

五十嵐様へ
私の「帰ろう愛の天使たち」紹介引用記事にコメントをおよせいただき有難うございました。福井様は私の七曜会の先輩です。激戦地慰霊の旅に参加されたのですね。日本人として御礼申し上げます。
福井先輩は御自身のBLOGもお持ちです。
http://kingendaisiminaosi.blog63.fc2.com/
こちらへのコメントもどうぞよろしくお願いいたします。

  • 2007/01/28(日) 17:22:37 |
  • URL |
  • 四城亜儀 #75LwVvhI
  • [ 編集 ]

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