TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

知られざる降伏条件 関連(4) 

さらに、昭和天皇と元老西園寺公望は、つねに善玉なんです。いつでも、どんな局面でも昭和天皇擁護です。昭和天皇は平和を祈っていた。ところが逆臣共がそれを妨げて戦争に引きずり込んだんだという話に仕立てている。歴史はそんな単純に動いていたか。昭和天皇を守るつもりで、軟弱な天皇像を描いて、それでかえって無礼を働いていないか。天皇を自分好みの平和主義のために政治利用していないか。(P.17)
そのいい例が、天皇の戦争責任という大きな、深刻な問題についての積年の議論です...その11条の不備を悪用して天皇以外のもの、つまり陸軍が天皇の統帥権を利用して、最後には海軍も利用して、言わば軍部が政治を支配して独走した、というのが左翼の、統帥権の干渉に天皇の戦争責任をからめただいたいの議論です...
しかし、それに対して保守の側が言うのは、軍部が天皇を利用したことについては多少は非難気味に語る一方、天皇は平和主義者であらせられ、立憲君主の制限の枠の中で立場をお守りになっておられたので、天皇には戦争責任はないという弁明であり、擁護論なんです...
でも、私はおかしいと思ってるんです。そういう考え方はアメリカ占領軍の政策的言い回しに似ていて、むしろ昭和天皇を侮辱する考え方だと私は思いますね。なぜならば、昭和天皇はご自分の名で開戦されているからです。東條に無理強いされてハンコを押したわけではない。誰が見ても、天皇には戦争責任がありますよ...(P.110&111)
悲劇的敗北に終わったから悪ということになったけれども、あの戦争そのものが悪だったんでしょうか。負けたことは国民に災いをもたらしたかもしれないけれど、戦争が悪だったとは言えないんですよね。戦争は悪であるという前提ですべてを議論するのは間違いです...(P.111)
それを保守の知識人や言論人がごまかして「一人、平和主義者であらせられた」などと天皇を軟弱文士のように描くのは、かえってご無礼だと私は思います...(P.111)
つまり、悪だからと否定し、陸軍をスケープゴートに仕立て責任を追及するような女々しい精神ではなく、たとえ悪であろうとなかろうと、過去から逃れるすべはないのであり、過去をことごとく肯定する強靭な精神を持つことが、今の日本人に求められている最大の心の試練だと申し上げざるを得ないんです。なぜかというと、天皇はあの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまうからです...(P.111&112)
自国の悪を言い立てるのは基本的に戦後日本の平和主義の大きな間違いで、アジアに対する犯罪だとかとばかり言って、アジアに対する大きな貢献を何故言わないんですか。日本の戦争がなかったら、中国の領土の三分の一と朝鮮半島はロシア領になっていたでしょう...(P.113)
私は左翼の議論も、いわゆる保守の議論も、どちらも容認できない。自分の動機の善をひけらかす言動は、生命力の衰退の現れです。これを乗り切るには、自分たちの歴史を知るということ、自分たちの歴史を肯定し、決して悪びれないということ、これが肝心だと、私は思っております。(P.113)


「天皇と原爆」西尾幹二著、新潮社 2012年1月30日刊 より引用させていただきました。私見的蛇足ながら、この場合の戦争責任は、東條が東京裁判で言ったように国内的な結果責任であり、対外的に国際法で裁かれたり、非難されたりする類の戦争責任を論じるものではありません。
これは論壇におけるアポロ11号の月面着陸に匹敵するほど画期的な論説で、定着するには時間がかかるかもしれませんが、東京裁判史観の拘束からの解放、自虐史観の粉砕、OSSの罠からの脱出、そのすべてに向けての67年目の漸くの大きな第一歩となると思います。

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コメント

天皇の責任

日米開戦時に大人でなかった人物の意見は、注意を要すると思う。社会や政治や戦争について、当時の判断力が不十分と思われるからだ。また、どういう立場にいたかも、意見に反映される。
戦記の多くは参謀経験者など高級軍人によるものがほとんどで、実際に戦闘の中心だった兵・下士官が語るものは少ない。

下士官だった坂井三郎はこう語っている。
「戦争の決着をつけるまでは私は死ねない。生き残った私は、あの戦争の本当のことを書き続ける義務がある」。
戦後もっとも苦労を強いられたのは、坂井ら下士官であった。兵学校・士官学校出身者は大卒と同等と見なされたから、多くは戦後もエリートの地位に収まった。坂井ら下士官は職業軍人だったので、敗戦後戻るべき稼業がない者が多かった。戦後、撃墜王がまずはじめた仕事は、ヤミ屋だった。
坂井が繰り返し批判しているのが、海軍の将校と下士官・兵の間にあった身分差別である。
「モダンで居心地よく勇ましい・・。これは海軍兵学校を出た士官だけが口にするスローガンで、下士官・兵にとっては無縁の言葉」。兵学校出身の将校たちの無能と非情を見続け、そのために多くの戦友を失ったのだという怒りがある。

この坂井三郎が1994年、外人記者クラブで「日本に天皇は必要」という前提でこう発言している。

「天皇の責任はもちろんある。
最高指揮者であり、私たちは開戦の詔勅を信じて命をかけて戦った」

物議を呼んだが「問題にするほうがおかしい」と、坂井は説を曲げなかった。

後方や銃後にいて生き残り、戦後の指導層に紛れ込んだ人物らの意見とは違う。大東亜戦争の「無名の英雄」は少なくとも10万人は下らず、英雄たちをこれほど輩出した国家は空前絶後であろう。彼らの行動原理は、「開戦の詔勅」を信じて大東亜共栄圏の理想と祖国防衛に殉じたと理解するの他はない。

私たちは、坂井三郎の言葉を「英霊の言葉」としてかみしめてみるべきだろうと思う。

  • 2012/05/02(水) 02:58:24 |
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  • たつや #-
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Re: 天皇の責任

空の英雄撃墜王坂井三郎氏の発言、応援追記有難うございます。
まさかこの英雄の発言に撤回を要求しうるまともな日本人はいないでしょう。
ただね、たつやさん、戦争当時成人日本人男子であろうとなかろうと、将校であろうと下士官であろうと、上の本文の主張には年齢的階級的分断視点は全く不要なのです。こういう視点は視点のすり替えによる主題の回避誘導に繋がりかねません。

西尾先生も書いていらっしゃるように、ほんの少し知性があれば、平成の小学生にもわかる当たり前のことです。(これは比喩ですが、チップを埋め込まれている人たち、を除けばね)
天皇陛下がマッカーサーに申し出たという保守が必ず提示する(それでいて決して論拠としない)例の発言をここで繰り返すつもりはありません。なぜならあれは論証不可、そういうことにしておきたいという気持ちの次元の話で、その後に大きな矛盾も生じてきますから、厳密に検証はしないほうがいいでしょう。
西尾先生が書かれていることは、右とか左とかそういう立場を超越した「それでも地球は回っている」と言うくらいの当たり前のことなんです。追及でも何でもありません。このままでは、天皇に対する侮辱だとおっしゃっているのです。GHQ支配下に於いては傀儡的発言も致し方なかったとも受け止められますが、みんなで寄ってたかってその線を時折強化したり(靖国には行かない発言の富田メモなど)、延々と継続したりしている場合(平和主義者の天皇を血迷った軍部がないがしろにして暴走した)ではもうないのです。
東京裁判のほとぼりの冷めた頃、私が書いている「一味」の」側から、天皇陛下ご自身の発言として責任および国民に対する謝罪の文章が書かれています。資料が山積みで失くしたり消えたりといろいろ不手際があって、まだ書き出してはいませんが、そのうち必要を認めるような登場の順番が来たら、探し出してここに提示するかもしれません。
ひょっとしたら西尾先生にご迷惑がかかるかもしれない、引用をあえて記事に書いたのは、私自身それを見ているからです。このままでは非常にまずい、と思っている限界に来た時に西尾先生の(理解出来る人はいまだに少ないと思えるゆえに)非常に勇気のあるご発言に出会い「アポロ11号の月面着陸」に匹敵すると思い、その気持ちのまま引用させていただきました。

  • 2012/05/04(金) 12:15:25 |
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中が空っぽ

安濃様
東條英機ネット神社、クリックしましたが中が空っぽでした。560枚は容量オーバーのためか、その後動作に異変が起こってしまいました。このままでは拡散に協力もできないし、むしろ被害を拡散しないために、申し訳ないですが一旦消去させていただきます。Bruxellesは視力に不安があり、(実際は空っぽでないと仮定して)ネットカフェから最新機種で見るにしても560枚の画面からの直読みは自虐・自滅行為にほかならないのです。
帝国政府声明文に関しては、声明文そのものより、安濃様のお父様のご発言内容、その状況、新聞報道の扱い、などに関してより重要な意味を見出しています。声明文とそれらをセットにして、いつか触れる日がくるかとも考えています。新たな意味づけができるかと、思っています。乞うご期待。

  • 2012/10/27(土) 11:01:11 |
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  • Bruxelles #qXcWIg3k
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安濃氏のかつての記事

自分のコメントに自分で返信するのも変な話だけれど。なくさないうちに安濃氏の記事のアドレスを書いておく
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51010580.html
出港してから数日後、兵隊達は全員甲板に集められ、司令官から訓辞を受けたそうです。その時初めて、南方で上陸作戦を敢行すること、その目的は南方の米英軍を殲滅し、大東亜共栄圏を確立することであるとを告げられ、同時に「貴様らの命は陛下に預けよ」と命ぜられたそうです。
亡父の言葉「父さん達はアジア解放のため戦場へ行った」と帝国政府声明文が一致した。

まだこれに触れる時間がないけれども、この件に関して私的保留事項3点、忘れないように記しておく。
1.出港して数日後甲板に集められ、というところ。何故出航前ではなかったのか。行き先は告げられず不安であったと書いてある。
2.「貴様らの命は陛下に預けよ」の持つ意味分析。
3.帝国政府声明文はどうやら全紙に出たわけではなく、記事の注目度も低かったという事実、全紙のTOPで報道して国民に徹底周知させなかったのは何故か。帝国政府声明文として、海外の国々での報道を徹底させたのか?正式なプレスリリースをしなかった場合は(事実海外どころか国内でも認知度が低いということは)「アジア解放の大使命」という意味からの資料性は低い、と言わざるを得ない。
低い高いは別として、この新聞記事は「ない」訳ではなく「ある」。私は日本が戦った「戦争の性格」として、何かとリンクさせれば資料として活用できるのではないかと思っている。(西尾幹二先生がこの新聞記事を「天皇と原爆」という書物に付記された意味も、内容との呼応にある。断っておくがこの本は「日本は戦勝国である」とは無関係である。)
・・・・・
ビルマへ転進したそうです。マレーでもビルマでも、住民から大歓迎を受けたと言ってました。花、果物、水を沿道から差し入れてくれたそうです。水は下痢をするので受け取らなかったそうです。まさに英国からの解放軍として迎えられたというのです。
今日気づいたがこのあたりはYou Tubeにあった現地人の証言映像(Tel Quel Japonにも出している)と完全に一致している。現地の人はみんな喜んで食べ物を差し入れた。ただ日本兵は生水を決して飲まなかった、というところなど。「仲良く暮らした」「日本人は暮らしを向上するためにいろんなことを教えてくれた」「子供を可愛がってくれた」などなど、証言はたくさんある。私は「侵略」などとは、端から思っていないのでこのあたりは「当たり前」なのだけれど、「侵略」と思っている日本人や外国人は、こういう事実をいつも無視するので、どうすれば彼らの鼻先にこれらの事実を突きつけることができるか、効果的対策を立てなければならないと思っている。前にも書いたと思うが、私自身インドに行った時に、子供の時に日本兵にたいへん可愛がってもらって、日本兵が去ったあとも、思い出を忘れることができず、日本人を見ると日本兵に教えてもらった歌を歌うインド人に会っている。彼は日本兵と暮らした幼い自分こそが自分のアイデンティティーなのだろう、そしてひとり取り残された自分に戸惑っている様子だった。今でも思い出す。その中年のインド人は「あめあめふれふれ、かあさんがー、ジャノメでおむかえ、うれしいなー...」と私に歌ってくれた。

  • 2012/11/11(日) 20:40:34 |
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  • Bruxelles #qXcWIg3k
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