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リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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日本に保守は存在しない

西尾幹二のインターネット日録,2012/3/27 火曜日「日本に保守は存在しない」を読んで、その内容に唸ってしまった。その昔保守には悪いイメージがあって「自分は保守です」という人などいなかった。今では「自分たちを真正保守と思い込んで、そのように名づけて振る舞っている一群の人々がいる」そう言えばいつ頃から何のために「真正保守」という言葉が登場したのだろう。「保守」の輪郭が希薄になりすぎて、何が保守か、そもそも理解不能になったあたりからだろう。そして「保守などという積極概念は、もともとわが国にはなかった」ことに確かに思い至る。昔は「保守」と言われるくらいなら「右翼」と言われ着ているものを引き裂かれる(そういうヒステリックな時代があった)方がまだよかった、記憶はある。いつの間にか「保守」は単なる安全地帯確保のための言葉になっていたのだろう。そして連帯感獲得の実態のないキーワードになっていた。左翼ではない、体制派である、という連帯感だ。体制派とは親米反共で、つまりはありがたいアメリカ様に原爆の抗議はしません、東京裁判もこちらの望みどおりの結果にしてくださり有難うございました、一等国になろうなどとは2度と考えずに国民一同身を犠牲にしても世界に貢献する国家になるようアメリカさまに国家再建をしていただいたことを感謝し、またお金をつぎ込んでご指導までいただいた日本政府を、貴ご意思に従い復興させ守り育て、少しでも恩返しのできる国にいたします、というのは西尾先生のおっしゃる政治的「疑似保守」だろう。いつの間にか「保守」は歴史認識に横滑りして、左翼に対抗するための連帯感醸成語になった。連帯感醸成語であるがゆえに、考え方に於いて非常に排他的でもある。考え方や読む本、称賛すべき論壇人、全部共通でなければ、その保守から排除される。実体のない語なのに、排除作用だけはある。最近いろんな問題で共通項が揺らいできた、そこでさらに少数の連帯感をまた排他性を強めるために「真性保守」という語が登場したのだろう。実態はバラバラである。言葉自体に輪郭がないのだからバラバラで当然である。
西尾先生は「格差社会はますます激しくなり、反体制政治運動が愛国の名においてはじまるだろう。」と書かれている。鋭い指摘だと思う。保守が何の定義もなく緩慢に使われているのは、すでにその傾向があるからだろう。またこうも書かれている。「遅れた国や地域から先進国が安い資源を買い上げて、付加価値をつけて高く売るということで成り立ってきた五百年来の資本主義の支配構造が、いまや危機に瀕しているのである。」右か左か、保守か革新か、立場的判断が混沌としてきたように見えるのは、ひとえに資本主義の行き詰まりが見えてきたからなおさらなのである。今の世界的金融危機がすなわち資本主義の末路を予感させる。それは自然の流れの結果なのか、最近俄然真実味を帯びてきた金融支配者の超国家的陰謀なのかはわからない。(つづく)

・・・・・以上は2012年4月3日・・・・・
・・・・日付変更2012年5月31日・・・・

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