TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

Edward Bernays (1)

2011年11月9日
Tel Quel Japonではこののち何度もEdward Bernaysについて書き込んでいくつもりでいる。
まず今日はこの日本語のBlogからご紹介。
Edward Bernays:井之上Blog

CPIは第一次世界大戦中の1917年、ウッドロー・ウイルソン(Thomas Woodrow Wilson)大統領のもとで米国の参戦に対する米国内の賛同を得るために組織されたもので、委員長であるジョージ・クリール(George Creel)にちなんでクリール委員会(Creel Committee)とも呼ばれました。マスメディアを総動員してパブリシティを広範に展開したこの活動では、100もの外国紙にプレスリリースを配信したり、19種類の言語による独自の機関紙を発行するなど、移民国家としての徹底した対応を行い、世論の同意を得ることに成功しました。。...
バーネイズはその他にも、F・ルーズベルト大統領夫人のエレノア・ルーズベルト、国務省や財務省、商務省などへのアドバイスも行いました。...


Edward Bernays:井之上Blog 2

後日、ナチ・ドイツのプロパガンディストで宣伝担当相のゲッペルスは、この本を愛読し、そこから得た情報を基に、ドイツ在住のユダヤ人排斥キャンペーンを行ったといわれています。...
1928年にPropaganda を出版。人の考え方は与えられた情報により形成されるとする理論とそのメカニズムを記したこの本は、当時プロパガンダに対する不信感を抱いていた米国で大論争に発展しました。...
80年に渡るバーネイズの活動範囲は多岐にわたり、CBSやジェネラルモーターズなどの大企業、数々の政府機関、フーバー、F・ルーズベルト、アイゼンハワーなど歴代米国大統領へのカウンセリングを行うなど、彼の与えた影響は政界や財界にとどまらず社会全体に及んでいます。...
((Bruxelles注)日本人はこのPropagandaという概念を知らなかったのではないだろうか。Remember Pearlharborも陰謀という語を当てるよりPropagandaと認識すべきである。)


・・・・・
Did the O.S.S. help win the war against Hitler?

Donovan proceeded to set up a law practice, moved it to Wall Street, and soon acquired a fortune. He made another try at elected office, in 1932, running for governor against Herbert Lehman. He was a hapless campaigner, despite calling on the services of the father of public relations, Edward Bernays (who decided that the situation was irremediable and quit after a week).
((筆者Bruxelles注)この部分は、DonovanがEdward Bernaysに選挙参謀を依頼したということ、1932年の時点で、後に諜報の専門家となるDonovanその人が、票の獲得を依頼する実行部隊としてEdward Bernaysの作戦能力に 頼ったということを証明している。そして後のOSSのDonovanとEdward Bernays の関係の確認ができる。このリンクと引用はそのためだけの役割でしかない)



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参照:Edward Bernays: 詩集「2N世代」

追記:2011年11月26日
参照:米国の対外文化政策研究理論の系譜
参照:the U.S. Committee on Public Information

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