TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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日米諒解案 (2)

ところが、これはアメリカ政府の提案ではなかったのである。それなのに、首相ばかりでなく連絡会議の全員、いな外務当局までアメリカ政府の公式提案だと錯覚し、野村・ハル会談を、日米諒解案をファイナライズするための本格的外交交渉であると信じ込んでしまった。ここに重大な錯誤があったのだが、このような事態となったのも野村大使がミスリードした結果にほかならない。
それに、野村はハルが最も重視した四原則については一言も報告していないので、満州事変以来の日本の国策を全面的に放棄することが、日米諒解案の交渉に入る絶対的条件になっている事実が、日本政府には通じていなかったのである。(「日本外交史ー23 日米交渉 P.84 )
なお、ウォーカー長官のハル宛のメモには「松岡は罷免されることを恐れて不本意ながら諒解案による交渉に同意したが、まもなく失脚しよう。また野村が中立条約を提示したらハルに拒否してくれという希望を野村から申し入れてきた」と記してある。(”Foreign Relations Far East". vol.Ⅳ p.180) (「日本外交史ー23 日米交渉 P.116)

追記:2011年10月16日
上記の中立条約であるが、これは他のどの資料を調べても記載がない。歪曲のために無視されたものだ。驚くなかれ、野村自身がハルに拒否してくれと申し出ている中立条約とは、松岡が野村に訓令した「日米中立条約」のことである。(上記と同書 p.112)
「世界的非常時の折から、このようなこともやってみてはどうか。試しにやるのだから乗ってくればよし、乗ってこなければそれでよし、応じてくれれば結構ではないか」と言って(松岡は)自説を固執した。
この辺りの松岡外交を詳細に検証すると、彼を対米強硬派だと記することは、あからさまな歴史歪曲のための捏造であることが誰にでもわかる。アメリカの参戦さえ避けることが出来れば、最大の暗雲をふきとばすことができるのだ。そもそも三国同盟とはソ連の横暴に睨みを利かし、敵対行為をするアメリカ・イギリスを牽制するための条約である。
日米諒解案のような内容は一貫して、アメリカの望むところであって、日本から持ちかけるような内容ではない。それをこちらから持ちかけ、アメリカからの申し出のように細工した。帰国して最初に諒解案らしきものを見せられた松岡は、それが英文で書かれていないことに気づくのだ。繰り返す催促の中で、野村はしぶしぶ後で作成したものをようやく届ける始末だ。スパイとは言わないまでも、野村は完全な利敵行為者である。しかし戦後に教育された史観では、平和主義者の野村が、対米開戦をさけようと、努力したのに、松岡が握りつぶしたということになっている。否、当時から諜報活動があって実際松岡は罷免されたのであるから、野村以外にもそういう風評工作をした水面下の大きな組織が、存在したとも考えることが可能だ。
民間の和平交渉で回避できるような戦争なら、外交など不要だ。日本に必要なのはなんとしても「日米中立条約」であり、民間でも交渉するならそこからスタートすべきであり、繰り返すが塩をかけられたナメクジのような、敗戦交渉のような、相手が要求する前にこちらから相手の要求を想像して書きたてた、しかも実現性の乏しい、相手の時間稼ぎの、このような偽文書からはじめてはならない。
参照:残念なことに日本の受験生はこういう風に歴史を学ぶ。
・・・・・・・

1941年
2月11日:野村大使ワシントン着任
4月13日:日ソ中立条約調印
4月16日:野村大使より日米諒解案接到ス
4月22日:松岡外相帰国
5月12日:我方対案ヲ提示ス
6月21日:米政府対案ヲ提示ス
6月22日:独ソ開戦
7月2日:御前会議
7月15日:我方対案ヲ提示ス
7月16日:第二次近衛内閣総辞職
7月17日:第三次近衛内閣成立
(追記:2011年10月20日 日米交渉詳細年表)

ORAL STATEMENT June 21,1941の文章に記載されているが、これは5月30日に野村駐米大使に伝えられたもので、話し合いの上松岡外相がハミルトン東亜局長に(おそらく抗議のために)返却したものの写しである。
・・(略)Unfortunately, accumulating evidence reaches this Government from sources all over the world, including reports from sources which over many years have demonstrated sincere good will toward Japan, that some Japanese leaders in influential official positions are difinitely committed to a course which calls for support of Nazi Germany and its policies of conquest and that・・・(略)
明らかな内政干渉である。三国同盟に対する批判であるが、ここに読み取れるのは、松岡という外相への攻撃であり本心としての罷免要求である。そしてこのときまだ敗戦もしていない日本が、開戦もしていない日本が、敗戦後の番頭さん根性さながらに、唯々諾々と内閣解散までして交渉力のある松岡を、米国にとって参戦に目障りな松岡を(押し競饅頭で)罷免するのである。
・・・・・・・・

野村大使は7・15日本案を受け取っていたのに、同案をアメリカに提示せず、20日になって、新内閣の交渉方針を示してもらいたいと請訓して、いたく近衛を驚かせるしまつだった。近衛は7・15案を黙って握りつぶされたのだから少なからず失望したのである。(「日本外交史」-23、P.174、P.175)
参照:野村吉三郎文書研究 :これは戦後のものであるが、戦前戦後を問わず、日本よりも米国に理解者を求めようとしていたように思える。強いものに逆らえないのは世の常であるとしても、親米派と言わずに何と言おうか。
・・・・・・

日米諒解案は、どの辺が日米諒解なのだろう。言語誘導にも思える。どの辺が日米交渉なのだろうか?交渉というより叩頭である。これを日米交渉と呼ぶなら、戦う以前から敗北を想定した、せめてお情けをという敗戦交渉に他ならない。それほど戦争を回避したかった、という魂の高貴さ?を讃え、平和の国日本では、こういった敗戦への協力・先取りさえ(どう考えても利敵行為・発想なのだが)、善とされるのだ。戦争は悪であった、しかも日本の戦争のみが悪であったという認識で、日本の歴史教育は固まってしまっている。
「自分は利用されたのだ。自分は常に戦争を避けようとした。自分は常に平和を求めてきた。戦争は嫌だったが、自分にはどうにも出来なかった。あいつが悪いのだ。」A級戦犯は誰一人、こういう最も憎悪すべき畜生のような発言をしなかった。それは日本人の持つ、大和魂の最低限の美学だからだ。自分の行為に責任感と信念があるからこそだ。

・・・・追記:2011年10月17日・・・・
日米諒解案を含め日米交渉のすべてが、アメリカ参戦のための実際は英米の罠だったとも読み取れる。英米が互いにコンタクトを取りながら日本を真珠湾に向かって絡めている。Tel Quel Japon過去記事:William ”Intrepid ”Stephensonがこの交渉の裏で動いたことは過去記事にも書いている。
野村や民間人がそもそも単独で発想・実行できる行為ではない。利敵行為に同意する隠れた集合体が国内に存在したのだろう。それは英米にもたくさん存在したコミンテルンのスパイたちだったのか、はたまた...。
ルーズベルトをこの視点で見ると、ルーズベルトと親しかったと言う野村の超親米ぶり、それゆえの騙されぶりがよくわかる。野村には魑魅魍魎の国際政治を解さない、他国の信義に縋り付こうとするよほど大きなバックがあったのだろう。気の小さい野村駐米大使が非常識にも非常時に辞任を要求する背景が、その意味がなんだか見えてくるような気もする。不思議にもほとんどお咎めなしの、俗に言われる重大な宣戦布告文書ののんびりした交付遅延も、ここに現れたものと同種の利敵行為だともし解すると、ようやく納得もいく。

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