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リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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日米諒解案 (1)

日米諒解案
開戦回避交渉にしても終戦交渉にしても、近衛の日本国憲法と同じで、本人はそのつもりで行動していても、正規のものでない限り、効力を持ち得ない。どころか、時間稼ぎに利用される骨折り損「交渉」である場合の方が多い。それはまた後世、歴史の筋書き捏造に利用される。(ルーズベルトに代わって朝河貫一が草案した日本国天皇に対する書簡などを、日米諒解案は思い起こさせる。朝河とルーズベルトでは、当然根本の発想が違う。日米諒解案にはハルの4原則がはいっていない、満州国承認など絵に描いたもち。朝河が草案したものが天皇に届けられていれば、確かに戦争は起こらなかっただろう。しかし朝河は米国大統領でもなんでもない。)
近現代日本史にはそういう活きなかった開戦回避交渉や終戦交渉はずらりと並んでいるが、実際の公式外交資料をもって検討されたものはほとんどない。空想的私見を入れたものフィクションとほぼ同列である。
参照:開戦回避交渉

・・・・・追記:2011年10月13日・・・・・
日本外交史 全33巻 別巻5冊 という凄いシリーズ本の存在を見つけた。現在3冊手元においている。今日はそのうちの一冊「日本外交史 23 日米交渉 加瀬俊一」(発行 鹿島研究所出版会 昭和45年11月20日刊)を手にしている。資料の塊である。
第一期 松岡外務大臣の時代 第二期 豊田外務大臣の時代 第三期 東郷外務大臣の時代 からなり章としては10章に分けられている。第一期は 第一章 松岡外相と野村大使 第二章 交渉の発端 第三章 日米諒解案の提示 第四章 日米諒解案の紛糾 第五章 日米諒解案の停滞 第六章 松岡外相の辞任 からなる。その間の日米両文の資料も含んでいる。引用したいが全部引用するのは不可能な大書なので、各自手にとって読解いただきたい。松岡が癇癪を起こして日米諒解案を握りつぶしたという通俗的歴史認識は、事実の歪曲であることがよくわかるはずだ。
地位にふさわしい交渉能力のない人間は時に利敵行為に走る場合がある。相手の機嫌を取って自分の置かれた苦境からとりあえずの脱出を無意識に計ろうとする。大臣の挿げ替えは取り返しのつかない失策で、駐米大使をこそ更迭すべきだったのだ。無能な大使に助っ人をおくってまでその人物をその場にとどめたこと。北進を主張する松岡を皆で押し競饅頭をするように追い落としたこと、誰かのご機嫌を取るためにそういう空気が醸造されていたのだろう。アメリカの文書を読めば、南進こそが開戦の直接的原因だと理解できるはずだ。
その後坂を転がるように開戦へとまっしぐら:4回の御前会議
・・・・・・

今日新しいサイトをBookmarkした。その資料の一例だけ出しておく。[昭和16年]12月1日 牧野伸顕関係文書 書翰の部 659-41
国立国会図書館 吉田茂書翰 牧野伸顕宛
見る人がみれば、非常に意味深い、いくらでも汲みだせる重要資料である。
・・・・・・

追記:2011年11月14日
最初から日米交渉などというものは、催眠術に過ぎなかった。それはこれだけを見てもわかる。敵国に加担している、これはすでに攻撃である。What was the Lend-Lease Act?

The Lend-Lease program began in March 1941, nine months before the US entered the war in December of 1941.

こちらもご覧ください。
American Financial Support for the War Before 1941

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