TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

近衛文麿再考 & 中野五郎注目 未完

近衛文麿の遺書
参照:近衛文麿を再評価する
近衛上奏文の謎 : 元サイト:平間洋一
昭和宰相列伝2 近衛文麿他 (1937-1941)
近衛文磨首相の暴支膺懲発言と上奏文
ここに飛んで近衛文麿をクリック
参照:吉田茂
近衛上奏文 近衛文麿と左翼の敗戦革命

以下2011年6月24日:追記
昨日別冊正論最新号「中国共産党 野望と謀略の90年ー「日本=侵略国家」論との決別ー」を購入した。
近衛か風見か木戸か 政府中枢の「売国奴」は誰だ(加藤康男)がまず目に飛び込んできた。
P.173 にもかかわらず、今日でもなお「共産主義の仮面を被っていた」人物として近衛を悪しざまに罵る歴史観が横行している。
P.175 簡略ながら、以上の経緯を注意深く検証すれば、近衛を共産主義者だと読み間違うような偏狭な歴史改竄主義には陥らないはずだ。 昭和天皇に「戦争を一刻も早くおやめください」とまで進言し、コミンテルンのシナリオに最後まで抗した政治家として記憶されるべき人物である。
下線部全く同感である。説得力のある文章である。近衛がこれまで読者によって極悪人扱いされてきたのは、近衛が昭和天皇の退位を口にしたからである。敗戦直後の歴史は、感情論で書かれてしまっているのだ。(再三使用されてきた近衛の悪人顔の写真は非論理を補うための意図的誘導である)論理を取り戻したうえでの、近衛再検証が必要であると思う。加藤氏の文章はその意味でも大変重要であると思う。
ついでながら同頁に以下の文章もある。
P.175 謎といえば、外務省嘱託となっていた都留は昭和20年春にソ連を訪問している。ソ連に仲介を頼んでの和平構想の一環とみられるが、なぜ都留が派遣されたのか、都留がソ連で何をやったのかは未解明だ。ソ連を仲介役とする和平計画と「敗戦革命」とのつながりも含めて、今後の研究課題であろう。近衛が政治的に生きた時代、昭和一桁から20年にかけて、我が国の政界、軍部中央に共産主義の大津波が押し寄せてきた事実を忘れてはならない。
当時の国際的な動きを見れば、ソ連に終戦の仲介役を依頼するなど、正気の沙汰とは思えない。日本国は少なくともその一部では、この正気の沙汰とは思えない発想で大真面目に動いていたのである。イギリスのケンブリッジ・ファイブや、アメリカのルーズベルト政権内だけではない、日本にもコミンテルンに恋焦がれている、操り人形に成り果てた錯乱者は大勢いたのである。否定はできまい。

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朝日新聞記者:中野五郎について
Tel Quel Japon過去記事:The Final Secret of Pearl Harbor 貴重な翻訳家としての中野五郎氏とこれによってはじめて出会う。著者はRobert A.Theobald
Tel Quel Japon過去記事:モスクワで粛清された日本人
中野五郎が親しく接していた人物の中に、アイノ・クーシネン、杉本良吉、リヒアルト・ゾルゲの名前が出てくる。しかも朝日新聞の記者である。尾崎秀美との接触はどうなのだろう。上の近衛文麿と同じで、後の被逮捕者との接触があるからといって、まさか中野五郎がコミンテルンの回し者だと言うつもりは無いが、一応再検証する必要があるかもしれない。
ー代わりに中野の他の書には、情報交換をしたり、一緒にバーで飲んだりした国際記者仲間として、なんとリヒアルト・ゾルゲとブランコ・ブーケリッチが登場する。ー

中野五郎の仕事を調べてみた。
〇中野五郎とGilbert Cant
Gilbert Cant作品を凝縮した「敗戦の歴史・かくて玉砕せり」
〇中野五郎とロバート・シャーロット
サイパン』 ロバート・シャーロット著 (昭和20年)
1956年日本映画:太平洋戦争の記録 日本かく戦えり
1956年日本映画「南極捕鯨船団
〇中野五郎とSamuel Eliot Morison
アメリカ海軍第2次世界大戦作戦史
中野五郎が翻訳を手がけた海軍戦史、第3、4巻のみが中野五郎によって訳され改造社から出版。日本語版全18巻として改造社から発売予定だったが、予告もなく最初の4巻で突然発行中止となって海軍ファンの読者を落胆させたらしい。発行が(改造社)であることが、影響したのだろうか?それとも(中野五郎)の交友関係が問題視されたのだろうか、そんな時期だったのだろうか?
One of Morison's research assistants in the project, Henry Salomon, was inspired to create an ambitious documentary TV series on U.S. Navy and Marine Corps warfare in World War II. Several years after the war, the National Broadcasting Company TV network bought Salomon's idea, and the eventually became the TV series, Victory at Sea.
Indeed, very ambitious documentary TV series on U.S
Victory at Sea :戦史研究家には喉から手が出る動画、26×3
Victory At Sea Online Video Index

以上は2011年4月18日の入稿
以下は2011年5月4日:追記

K氏に中野五郎のもう一つの翻訳本を教えていただいた。それはハルの後継の国務長官となったEdward Stettinius, Jr.著「ヤルタ会談の秘密」(昭和28年9月15日発行、六興出版社刊)。前々から気になっていた人物、Edward Stettinius, Jr.。いつか人物検証しなければならない。1945年2月4日~11日のヤルタ会談ではルーズベルトの首席顧問となり、英(イーデン外相)ソ連(モロトフ外相)と共に議定書に署名している。中野五郎のあとがきによると、1945年12月Edward Stettinius, Jr.は国連の初代代表に、最後はバージニア大学総長となり、1949年10月31日、47歳で死去した、となっている。
Edward Stettinius, Jr.:wikipedia: Time Cover参照:
Blog つむじ風 :Stettiniusの名前が引っかかっていたのは、これに似た内容を敗戦に至る歴史の情報収集中にどこかで何度か読んだためだろう。このあたりFACTかFICTIONか徹底検証の必要あり。どういうわけかこれまでの歴史検証ではことさらあいまいに日本においてパスされている部分だ。ついでにStettiniusそのものも、パスされてきたと言えるかもしれない。
最近敗戦前後の書物に関してとんでも本にみえるものほど、検証に値するような気がしている。すでに認知された内容は大部分が意図的な創作に近いし、読者のほうもそれにならされて、筋書き通りの理解をしているように思える。「それで落ち着いているのだから、そのままでいい。真実を掘り返して、混乱を招く必要はない」という賢者からの声に、まるでムンクの絵のように耳を塞いでむなしい抵抗をしている。そんな日々が少しづつ増えてきた。

Roosevelt and the Russians THE YALTA CONFERENCE
(「ヤルタ会談の秘密」)by Edward Stettinius, Jr.:中野五郎訳書

・・・・・・・
以上2011年5月4日入稿
以下、追記:2011年6月18日
新潮社 2010年12月25日刊「日米交換船」を入手した。中野五郎に触れた部分も多い。p.115に鶴見氏の発言として「中野五郎は社交的人物でよくしゃべった。大正時代は左翼だったんじゃないか。左翼に理解があった」という記述があった。アイノ・クーシネンやゾルゲとやはり接近しやすい素地は当然あったのだろう。交換船で帰国し、敗戦国民となり、覚醒するほどの大きな使命に目覚めた、と推測するのが正しいだろう。ただゾルゲの正体を知らなかったとはいえ、どのような情報を交換していたのだろうか?
これは単なる私の推測にすぎないが、中野五郎は自殺した近衛に、ある意味自分を見たのではないだろうか。近衛の無念を最も理解できた人物ではないだろうか。
状況の変化を顧みず、左・右と決めつけるのはよくない。その意味でも新潮社刊「日米交換船」ご一読をお勧めします。今までになかった視点が各読者に導入されるのではないかと、交換船に乗る、特殊で微妙な立場の重要人物に接近できる稀なる機会を読書は読者に与えるのではないかと、期待しています。

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