TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II.

Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II by John W. Dower
Interview : Lecture : Review : ReviewReview
時間をとるが非常に興味深い内容だった。最後の応答に関しては、この本の内容はアメリカにおいては理解されないのではないか、そしてまたそれは当然だろうとも思った。視聴を強くお勧めしたい。外の視点というものを知ることが、日本人間の議論に、絶対的にかけていると思うからだ。

日本語訳が出ている。読後感想も見つけた。John W. Dower氏には、日本人自虐史観論者並みの侵略戦争という先入観があるが、そこを除けば、日本人が目隠しされてきたところを、米人学者らしく客観的視点で見抜いているところも多い。すべてを鵜呑みにするつもりはないが、覚醒できる立場にいる、米人学者の強みだ。
日本人の読後感想:
No.1 & No.2 & No.3 & No.4

増補版「敗北を抱きしめて」上下、岩波書店刊を入手した。増補版は写真も多い。


       ///////////////////////////////////////////
    (追記・参照:2011年2月27日:大変興味深い講演)
    講演:The Only Woman in the Room 2007
    Beate Sirota Gordon, author of the memoir, "The Only Woman in the Room", and member of the Japan Society New York speaks at Middlebury College.
    Beate Sirota Gordon : Wikipedia
    The Gift from BEATE:
    Biography: Beate Sirota Gordon (1924 - )

その頃の日本には、珍しい事に国際的な一流の外国人演奏家が集まっていた。何故なら,皆ナチスのユダヤ人排撃を恐れて逃げてきた方たちなのだった。指揮者のローゼンシュトック。バイオリンのモギレフスキー。ウィリー・フライ。ピアニストのクロイッツアー。レオ・シロタ。(「さようなら私のニ十世紀」石井好子著 東京新聞出版局刊P.49 より)
思い出して本を取り出してみたら、やはりレオ・シロタの名前があった。「リストの再来と言われた」BEATE SHIROTAの父親である。
戦争やユダヤ人排撃がなかったら、そのような立派な音楽家が日本に住みレッスンすることは決してなかったであろう、と同ペイジに記されている。上記の講演に於いてもBEATEは日本人の子供達と一緒に羽子板遊びや、紙芝居を楽しんだ事を懐かしそうに述べている。(潜水艦のことをスイセンカンと言っているのはご愛嬌である)上記のwikipediaもクリックされたし。子供の頃から日本の社会を知っていたBEATEが時代の紆余曲折と共に住む国を変え、22歳で日本国憲法草案に関わっていく運命的必然がよく分かるだろう。
ある本を読んでいて気づいたのだが、フランス女性が選挙権を獲得したのも日本女性と同じ1945年である。少し驚きであった。
参照:女性参政権 : 日本国憲法第24条
         ///////////////////////////////////////////


今「日本国憲法の二〇〇日」半藤一利著(文芸春秋社刊)を読んでいる。自身の体験や著名人の日記などからの引用も多く、何事も鵜呑みにする気はないが戦後生まれには厳しい本である。激しい飢えと機銃掃射の体験がないことに、後ろめたさを感じる。
被占領期を語るJohn W. Dower氏の話と「日本国憲法の二〇〇日」とがピッタリ重なる部分も意外と多い。(林檎の歌の並木路子は爆撃を逃れようと川に飛び込み危うく死ぬところだった、一緒に飛び込んだ母は溺死した、この歌をどんな気持ちで歌ったのだろうか。)但し内と外と大筋で視点は違うが。
(追記:2011年2月28日):「日本国憲法の二〇〇日」半藤一利著(文芸春秋社刊)を読み終えた。筆者の視点がゆらゆらして定まらないのが気になった。仕方がない、筆者は15歳当時の自分の視点で体験を書いているからだ。歴史はあとで振り返るのと現場をウロウロするのとではまるで違う。フランス革命のときパンをよこせと宮殿に駆けつけた農民達が、その流れの中で、まさか後に国王をギロチンにかけることになるとは夢にも思わなかっただろう。

この本で憲法第九条と幣原喜重郎の関係を知った。知ったからといってそのまま何事も鵜呑みにするつもりはないが、とりあえず少しリンクを探してみた。
幣原喜重郎と日本国憲法
憲法制定時の首相、幣原喜重郎氏の発言の記録
幣原喜重郎 Wikipedia
幣原 MacArthur会談と憲法第九条その元サイト
〇参照:幣原喜重郎 :Tel Quel Japon過去記事
リンクを貼ったからと言って、だからどうだというつもりはない。終戦から占領、冷戦にかけての日本語書物は、あらかた推量または混乱、決定的資料による、覚醒した真実をまだ見せていないのだから。

//////////追記:2011年3月15日//////////
サイト紹介: Books About Japan at War, 1931-1945
An afternoon with Saburo Sakai
Meet Colonel Tsuji, genius and cannibal

//////////追記:2011年12月2日//////////
John W. Dower氏のInterview 日本語
肝心のところは最初の部分だけ、あとは、ひとつ別の見解を別の目で見る、そういった思考を柔らかくする訓練にはなるかもしれない。テーマが一般的すぎて残念ながら参考資料にはならない。聞いてよかったと思う人たちも多いとは思う。

//////////追記:2011年12月10日//////////
////////////////////////////////////////
The Showa Emperor and Japan's Postwar Imperial Democracy:
○Tojo ordered strike on Pearl Harbor according to Hirohito interview:
Hirohito talks of Pearl Herbor:
・・・・・・
Unconditional Surrender,Demobilization,and the Atomic Bomb

テーマ:日本を憂う - ジャンル:政治・経済

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/tb.php/254-d9bf0bb9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad