TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Fritz Kolbe & ヨハンセン・グループ

Fritz Kolbe (September 25, 1900 - February 16, 1971)
〇 The Independent
London, Saturday, September 25, 2004
〇 The Beginning of the Fritz Kolbe Story, 1900 - 1943
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 
・・・・・・・・・・
 
参照:Tel Quel Japon 過去記事 Hitler暗殺計画

//////////////追記:2011年3月2日/////////////

ヨハンセン・グループを迂闊に調べていると、随分おどろおどろしいblogに突き当たる。ガセネタときめつけるわけにもいかないので、推論を並べ立てたものを排除する。以下のふたつは無難な入り口。
ヨハンセン・グループ 1ヨハンセン・グループ 2

なぜヨハンセン・グループを思い出したかと言えば最近の、西尾幹二先生のこの記事を読んだ人が単純に(日本を売った佐藤栄作)と早合点しないかと思ったからだ。意外とそのまんま、反応する人も多い。およそ40年前がどんな時代だったかを思うと、まだ日本は日米関係に於いて終戦工作の延長線上にあり、へらへら腰の抜けた妾国家として、アメリカ様にもそしてなりより日本自身を含めたアジア諸国の世界市民様にも、首に輪をかけて振り回されている最中のような体たらくだった。売ったというより、敗戦処理を誤ったために、敗戦の度合いが延々と深まっていた、政治的にはその一番深みに嵌ろうとしていた時代だった。ノーベル賞が欲しくてと言うよりも、そう思われないために、それなりの努力はしたのではないだろうか。(ただあれ以来、ノーベル平和賞など、誰が貰おうと日本人は一切関心がなくなったのは確かだ)
売国や裏切りという言葉が意味をなすとしたら、あの戦争中の反戦活動、密かな終戦工作、ポツダム宣言受諾の敗北容認だったのではないだろうか。それが現世からみて、正しいか間違っているかは別として。あの戦争に関して、日本人の善悪の判断、いい者悪者の判断に、だいたい基準がなさ過ぎるのだ。
OSSの「日本計画」によると、罪悪感を植え付ける一方アメリカは、究極の平和を愛する反省国家という服を無理矢理に着せて復興を支援した。佐藤内閣の非核三原則は明らかにそれに繋がっていく流れである。つまり大筋で行くと、むしろ平和国家日本のイメージ促進として肯定しなければならないのではないだろうか。肯定も否定も紙一重なのだ。日本は生き延びるために一切の抗弁をせず自立を諦め、だまって理想的平和国家として「(常に無抵抗でマゾヒスチックな)平和」というjoker(日本語で言うところのババ)を掴まされたままなのだから。

その意味からも西尾幹二先生のこの記事の千葉県のST生氏のコメントはまだ「驚き桃の木」の段階で確証があるものではないにしても、時を遡って「もしも」を考えると、返す返すもったいないと感じさせる話ではある。

・・・・・追記:2011年3月5日・・・・・
千葉県のST生氏に対して、真実には程遠いという水戸のRO生氏からの反論があったようだ。原子爆弾の開発には、アメリカ人の諜報部員が多数様々な活動をしていたのは、今までにも見てきた。日本に於いては、開発に着手したかもしれないが、手が出なくて早々に打ち切られた、と見るのが正解のようだ。実験段階にも達しなかったとしても、もしあのまま開発を続けていれば、というお言葉は、お気持ちとしては当然で、この部分は肯定してもいいのではないだろうか。オープンにはできなかった発言であることも時代を考えれば、納得できる。

テーマ:憂国 - ジャンル:政治・経済

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