TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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日独伊防共協定 The Anti-Comintern Pact

○ スペイン内戦
1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で、再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャ(左翼共和党)を大統領、サンティアゴ・カサレス・キロガを首相とする人民戦線政府が成立した
○ 人民戦線
○ 人民戦線事件
上のリンク三連発のあともう一度これを聞くと、(先ほど単純すぎると疑った)何かが今度は真実を照らし出す筈だ。

日独伊防共協定
何かの偶然で日独伊防共協定がThe Anti-Comintern Pactと言語化されていたことに気づいた。スペインの内乱も日中戦争もうしろにコミンテルンの工作があることに、早々と気づいていたのが枢軸国だったということだ。歴史に解釈されているようにファシストの国々が集まったのではなく、コミンテルンの工作に気づき、手を打とうとした国々が集まったのだ。上の「これを聞くと」でも言っているように、毛沢東など、ソ連の傀儡で、日中戦争もユン・チャンが言うようにソ連の、コミンテルンの例の筋書きなのだ。日本をファシスト国家とひとまとめに認識した国は、その国民はすでに赤化していたことがわかる。赤化と言うより、より鮮明に言えば工作員レベルに洗脳されていたといえるだろう。

改めて感じることが二つある。
その一。日米開戦前にゾルゲや尾崎を逮捕した、日本警察の優秀さだ。この「上海の陰謀」がアメリカで取りざたされるのはようやく1951年だ。それ以前、終戦後G2で活躍したウィロビーは日本でゾルゲ事件を知りスメドレーを逮捕しようとするのだが、逆に告訴されてしまう。
駄目押し参照:歴史道楽
その二。毛沢東の中国を政治の内側で体験したユン・チャンとその夫であるイギリス人の歴史家の書いた「マオ」は日本人こそが大騒ぎすべき書物なのに、何故歴史家達は頭から否定的なのだろうか。ユン・チャンに会いに行き、資料を眼にし、そこからさらにその方向を深めようという日本人の歴史家が何故存在できないのだろうか?歴史の書き換えが怖いのか?正しい歴史観を打ち立てるチャンスだという思いは、存在しないのか?目に見えない左右の圧力があって、日本はファシスト国家では決してなかったと、証明できないのか?
ここに渡邊理氏の筆になる「マオ」の読後感がある。学校で教える既成の歴史観にすっかり洗脳されているにもかかわらず、これだけの読み込みをされている。このように他の書物との整合性を比較するだけでも、ユン・チャン達の歴史認識の正しさと斬新さと重大さは分かる筈だ。尤も渡邊理氏の毛沢東と西太后の比較の個所などには何の意味もないが。
日本人が「マオ」に於いて瞠目しなければならないのは、張作霖爆殺の部分であることは言うまでもない。かつて紅衛兵であったユン・チャンが飛車、角をこちら側に与えてくれている、そうとらえる想像力さへ日本人は既に失ってしまったのだろうか?
駄目押し参照1:満州事変「1931(昭和6年)」
駄目押し参照2:日中戦争(正確には「日支事変」)・日中対決
願わくば、渡邊理氏にもお読みいただきたい。

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上の記事は2010年5月2日 以下 追記:2011年1月12日
German-Japanese Agreement and Supplementary Protocol, Signed at Berlin, November 25, 1936 (Anti-Comintern Pact)

テーマ:国際政治 - ジャンル:政治・経済

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