TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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調印後のマッカーサーのラジオ演説

昨日のペイジ「玉音放送の謎」を繰り返して見て、ああだからこうだろうという推量が明らかにずれていると感じられる個所がいくらかあった。全員が右往左往したのは、日本民族未経験の敗戦をどう受け止めるべきか、連合国側がどういうけじめを求めてくるのか、想像を絶していたのだろう。国民にいたっては男は全員殺害され、女は凌辱されるかもしれないという、言い知れぬ恐怖に緊張していたことだろう。
前にTel Quel Japon過去記事「敗戦に到る関連資料」を書いたときに「マッカーサーの演説」について気づいていたが、「敗戦に到る関連資料」としてさほど重要とは思わなかった。しかし「マッカーサー元帥と昭和天皇」を読んで、この9月2日の演説が支配者側がどんな占領政策を実施するかに関して被支配者側が得た、最初の感触であったことが分かった。すでに一方的な解釈に裏打ちされた演説ではあったけれども、国家も国民も存続し復興する気配が感じとれ少しは安堵できたのではないだろうか。1945年9月2日のことである。翌日9月3日の高松宮宣仁親王の日記には「マッカーサーを、岩戸の後ろに閉じ込められていた天照大神を再びこの世に引っ張り出す手力男命だとする見方もある」というマッカーサー観が書かれている。(「マッカーサー元帥と昭和天皇」p.71&72)少なくともそういう着想を可能にする極めて重要な演説だったのだ。
敗戦に到る関連資料」の中にリンクしている「降伏文書調印式関係:京都大学の資料」の「ミズーリ号上でのマッカーサーの演説」はそこに書いてあるように、調印前の短いコメント程度の演説で、調印後のマッカーサーのラジオ演説は資料に含まれていない。先に書いた理由により、このラジオ演説が貴重な資料になると認識したので、今日はその全文を書き出すことにした。(さらに次回はこれを音声でお届けしましょう)
・・・・・・・・・・・
2010年1月9日 追記
全文の書き出しでは画面バランスが重苦しくなったのでファイルにまとめました。クリックして別画面で御覧下さい。
マッカーサーのラジオ演説:1945年9月2日

2010年1月10日 追記
MacArthurの演説はTrumanの演説に比べると比較的人間性が感じられる。それ故に最後のオレンジ色の部分でMacArthurがしている対比、この部分でドキリときた。感情的に対抗するのではなく、反論するならば、言葉と誠意を尽くして反論論拠を示さなければならないだろう。さらっと読める部分ではあるけれど、意外と深い根っこに繋がっているかもしれない。
the calm, deliberate, determined fighting spirit based upon a tradition of historical trait 対 the fanaticism supported only by mythological fiction
歴史的事実、あるいは国際法的正義云々に関してではなく戦闘スピリット、戦闘精神そのものの対比なのであるから。敗北から真に回復するためには、(特に将来の再生のためにも)ここを議論し尽くさなければならない。

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

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