TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Herbert Norman

Herbert Norman

In 1950, Lester Pearson, then Secretary of State for External Affairs, visited Japan at a time when the Cold War atmosphere was distinctly chilly and Norman was facing U.S. Congressional allegations of being a communist and even a spy on behalf of an enemy power. Norman, a long-time friend of Pearson, is shown here greeting his "boss" at the airport in Tokyo.

レスター・ピアソンは長い間、カナダのディーン・アチソンであり、あるアメリカ下院議員が後に指摘したように、ハーバート・ノーマンの件はカナダのアルジャー・ヒス事件になっていたかも知れなかった。ノーマンは、アルジャー・ヒスがアチソンに守られていたように、そのキャリアを通してピアソンの保護下にあった。またピアソンは、アチソンと同じように、最後まで彼の共産主義の信条で結ばれた補佐官に「背を向ける」ことを拒否した。
成甲書房刊「国防長官はなぜ死んだのかーフォレスタル怪死と戦後体制の大虚構」コーネル・シンプソン著、P.239より 上の写真の解説として。


E. Herbert Norman: Wikipedia
E. H. Norman Digital Archive:
Norman's assessment of Gen. Douglas MacArthur's address to the U.S. Congress on April 19, 1951
H.Norman : Communism:

while he was induced to review several books for Amerasia, Pacific Affairs, and Far Eastern Survey, he did not find much time for any other subjects. It is apparent he attended several gathering, described in the correspondence of Shigeto Tsuru as S.G. 3 (Study Group No. 3)....
In 1938, NORMAN became a research associate with the Institute of Pacific Relations. ...


In pursuit of Norman
RCMP Report on Egerton Herbert NORMAN
Canadian ambassador jumps to his death April 4, 1957 :Norman死亡Newsを聞く。

Herbert Normanは日本では、どのような扱いを受けているのだろうか。日本語資料リンク ( 見事にバラバラである)
No.1 & No.2 & No.3 & No..4 & No.5 & No.6 :
No.7 & No.8 & No.9 & No.10
ノーマン第二のゾルゲ説というのが中に登場していたが、評価の分かれかた等、そっくりだ。一人は日本を敗戦に導き、もう一人はその敗戦を永遠にした。単純明快なのだけれど。
この記事をカテゴリー(Photo)のところに入れておいたが、思い切って今日(諜者必衰)のカテゴリーに入れ替える事にした。立場を明確にしたかったからだ。暗殺されるのはなにもForrestalのような強い反共主義者だけではない。知りすぎて疑われ口を割りそうな共産主義者側のスパイもまた、容赦なく消される運命にある。Normanは自宅のそばの9階建てのビルの屋上から、なんと後ろ向きに歩いて転落死するという「自殺」を遂げている。それにしてもNormanはどのようなポジションにいた、どの程度の大物?なのだろうか。面白い写真を4枚以下に掲載する。写真解説はNorman研究家である貴方の手に委ねてみたい。(追記:こんな書き方をしているが、そんな「あなた」がいてほしいという切実な願いだ)

Yoshida
左端がNorman、中央はご存知吉田茂である。重要なポイントだ。

Norman 5
エジプトのカイロで変死したNormanの死を悼んで、日本では追悼の会が開かれた。日本史の中でどのように扱われているかが、被写体の顔を見ればよくわかる筈の図だ。歴史とはこのようなものなのだろうか。

Memorial Sign
Among those signing the memorial scroll were (from the right) Iwamura Shinobu, Matsukata Saburo, Maruyama Masao, Iwanami Yujiro, (写真が途切れているが実際はYoshino Genzaburo, and Okubo Genjiらの名前もある)。各人をチェックすると、日本ではNormanは決してスパイとは認定されないと思えてきた。なるほど、日本史はそう流れてきて既に事実としてそうなっているのだ。
Lester Pearsonが首相を経験していて、その上ノーベル平和賞を受賞していることも加味するとたとえばNo.7の説はNormanに関しては、すべて既に明かされた事実なのだが、どう考えても機能するには障害がありすぎるだろう)

Norman Occupation
General Douglas MacArthur ,Norman, and Lt-Gen. R. L. Eichelberger, US 8th army
・・・・・・・・・
追記:2010年4月3日(上記は2009年8月21日の原稿です)
○E. Herbert Norman, Norman Writes About Joining the Communist Party, March 3, 1937(兄への手紙で、ケンブリッジで共産党に入党したことを告げている)直接のきっかけはピカソと同じで、やはりスペイン内乱。
Norman’s Suicide Notes
Newspaper or Magazine Articles about Herbert Norman
・・・・・・・・・・
追記:2010年4月8日
工藤美代子著「悲劇の外交官 ハーバート・ノーマンの生涯」1991年岩波書店刊、を読んでいる。どのような立場から書いているかは、出版社からも推察できると思うが、労力を惜しまない力作の名著であった。登場すべき人物はすべて登場しているので、ここで内容に触れる時間は無いが、意外と思われたことだけを少し書いてみたい。ひとつは1946年頃しばらくの間ノーマンは三笠宮の英語の家庭教師をしていたと言う事実である。もうひとつ、ノーマン夫妻は1948,49年頃朝吹常吉一家の軽井沢の別荘を借りていた、そして家族ぐるみの付き合いをしていた、ということで、これに関しては朝吹登水子の証言もある。ノーマンはさすがにというか、意外にというか、日本語資料は驚くほど多い。近衛の自殺の引き金を引いたのは周知の事実だが、それはこの書でも、確認できる。石垣綾子との交流からはオーウェン・ラティモアを連想させるが、頭脳明晰で知識人からの圧倒的支持と尊敬を受けているところは、どうしてもアルジャー・ヒスと重なってくる。あるいは、キム・フィルビーか。3人とも知性が匂う紳士であることに間違いは無い。私的結論としては、この人もやはりファシズムvsコミュニズムで思考していたのだと思う。このパラダイムの崩壊が、彼の自殺の原因だと思う。もしそうでないとしたら、残るは他殺しか思い浮かばない。
もう一冊「汚名ーアルジャー・ヒス回想録」1993年晶文社刊を同時に読んでいる。こちらは本人が書いているので、ニクソンとフーヴァーとチェンバースが3人の悪党と言うことになっている。目新しくかつ意外だったのは、刑務所生活をくどくどだらだらと一章を設けて書き記していることだ。
参照:The Alger Hiss Story :
不謹慎かもしれないが上の三人のいずれかを主人公にした映画を見てみたい。誰のものが一番優れた映画に出来上がるのだろう。結果が明らかで描きやすいという意味では、キム・フィルビー、一番の大物としてはアルジャー・ヒス、戦後日本への影響を考察するにはハーバート・ノーマン。その前により深い歴史的解明と解釈が必要だが。監督と脚本家がどう扱うかを見てみたいのだ。

上の記事の最終入稿は2010年4月8日
・・・・・追記:2011年5月22日・・・・・
(一番上の写真でノーマンと握手している)Lester B. Pearsonの亡くなる2か月前のinterviewを見つけた。
Lester B. Pearson reflects on a life in politics
元気そうな声をしている。何かの参考になればと思う。イギリスの陰に隠れてカナダという国の第二次世界大戦中の行動は見えにくいが、少しでも光を当てる必要がある。最大にして最強のスパイと言われるWilliam Stephensonも何を隠そうカナダ人であった。
参照:Tel Quel Japon 1 & Tel Quel Japon 2
Lester B. PearsonのYou Tubeを3本見つけた。
Lester B. Pearson:
You Tube1 & You Tube2 & You Tube3
Herbert Norman はこのような驚くほどの大物とタッグを組める大人物だったわけだ。Herbert Norman の働きを解明できたとは言い難いが、日本史の中のノーマンに外から光を当てるという意味では、新しい視点を二人のつながりから世界史の中で獲得できたように思える。研究者たちのさらなる深い研究を待ちたい。

LesterとHerbertは生い立ちにも共通性があり、お互い理解しあえていたのだろう。Wikipediaの以下の二行もまた、妙に気になる。
During the Second World War, he once served as a courier with the codename "Mike." He went on to become the first director of Signal Intelligence.
また何故Normanがエジプトにいたのかに関しては、タイミングを考えると、これは明らかにLesterがNormanをかくまうために、あるいはいたわるために力を発揮した結果であろう。

追記:2011年7月3日
とりあえず、資料を置いておきます。
Norman 日本語
ノーマンの命日に

Lester Pearson, Illuminati Tool:話が変わってくる
Norman’s Assessment of His Duties in Japan
FBI Memo About Lester Pearson
初めて聞くことだが、あのElisabeth Bentleyの証言にLester Pearsonの名が挙がっていたのだ!

追記:2011年7月12日
Elizabeth Bentley & Lester Pearson
FBI Files On Communist Lester Pearson
Canadian Prime Minister Was 'Red' Spy
Lester Pearson a Communist Spy?
SPY CASES - UNITED STATES Elizabeth Bentley
Elizabeth Bentley
追記:2012年7月22日
Elizabeth Bentley & Lester Pearson:

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

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