TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

田中上奏文

田中上奏文のことがこのペイジに色々と書かれている。
ここを素通りしてルーズベルトの悪意も東京裁判も何も書けないことは、このペイジからも分かる。「明らかな偽書だから取り合わない」という態度が最悪の結果を引き起こしたのだという認識がまず必要だ。「釈明には及ばない、それほど明らかな過ち矛盾に満ちている」と日本が判断することに何の意味もない。たとえばルーズベルトにそう思わせそう言わせるように、最大の検証・努力を日本側がするべきだったのだ。
http://homepage3.nifty.com/reveal/conspiracy/tokyo.htm
日本側のどの書物を見ても上のペイジの内容が繰り返されている。斯く斯くしかじかでこれは偽書であるということだ。偽書であろうとなかろうと、それが敵対する側の手に渡って最悪のイメージを生み出してしまえば、あとは独り立ちしてとんでもない事態を引き起こすのだ。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-4.html
田中上奏文に関して、今一番定着している認識は上記アドレスの記事となっている。これで恰も一件落着したかのように扱われているが、このイメージ操作によるその後のダメージの大きさを考えれば、むしろここを出発点として徹底的に歴史を解明しなければならないのだと思う。ソ連がでっち上げたとしたら、その目的は?誰が明らかにトンチンカンな内容を長々と創作したのか?それとも日本に種本があり、そこから着想を得たのか?種本は意図的に盗まれるべく、そこに置かれていたのか?でっち上げにしては、信憑性を得るための工夫が全くなされていないではないか。事実この文書が信憑性を獲得するのは、後々の現実によってであった。
「やっぱり日本人はそんな悪ではない、証明出来てよかった」と日本人がホッとしている場合ではない。既に日本人にさえ刷り込まれ繰り返し利用される「日本帝国主義者・悪魔の片割れ」のイメージを払拭する国を挙げての徹底的な努力こそが必要なのだ。

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田中上奏文に関しては、いつかは検証の対象にしなければならないと思っていた。偽文だとしてもこれほど歴史の流れを変え後々の世までひとつの国にマイナスのイメージを押し付けた文書は例を見ない。上にアドレスを置いたこの文章の最後に平成11年9月7日産経新聞朝刊の前田徹氏の記名記事が出ている。「ルーズベルト秘録」の取材班キャップをされた方だ。記事の結論はこうだ。(GPUが25年に日本外務省のスパイを通じて何らかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文は、盗み出した文書を土台に27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している)
「盗み出した文書」の存在は確認されたようだが「仕立て上げた」部分が全く証明されていない。
今日珍しく長々と、文章の打ち込みをしているのは、実はこの前ふりを書かなければ提出し辛い資料を発見したからだ。前田氏の記事はロマーシュタイン氏からの間接取材になっている。私はここでトロツキーの遺稿とされている取材元を入手しそれを読んだ。日米対立を操作する目的で工作した、とも偽造文書だともかかれていない。ニュアンスが随分違っている。(つづく)

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上の文は2009年5月10日の文章をBlog Topに移動したものです。

追記:2010年2月23日
田中上奏文(1)をBlog Topに再度移動したため、田中上奏文(2)と離れてしまった。そのため田中上奏文(2)の前半に紹介した「Leon Trotsky : The “Tanaka Memorial”」をここにもリンクしておきます。詳しくは田中上奏文(2)を御覧下さい。

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追記:2010年2月20日
まるで捏造された田中上奏文を連想させるような、フランスの歴史教科書
現代でもまだフランスの歴史教科書に過去の日本人はこの歌詞のように、このポスターのように、捏造されている。国家として抗議すべきではないだろうか。
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追記:2010年2月23日
参照: フランスの学校教育における「日本」
これを読めば2月20日に紹介した歴史教科書が突出して悪意とペテンに充ちていることが分かる。出典の確認作業をもししていれば、いくらフランス人でも、明らかに捏造に気づき掲載を控える筈の、代物だからだ。(日本人が聴いたことも無い歌詞、見たことも無いポスターをして、日本の学校で歌われた、当時の日本人を鼓舞したとして、現代フランスのテクストに載せる、これほどのペテンがあるだろうか!)

さらなる追記:フランスの歴史教科書に関してある程度のことが判明した。上のリンクの記事にコメントとして後に判明したことを書き込んだので、今一度クリックしてお読みいただきたい。これで謎が解けたと思っている。
日本について本を書いたこの頭の軽いJean Lequiller氏が東京日仏学館の館長だったのは、個人的にとても残念だ。私がその昔に初めてフランス語を学んだのは、同系列の関西日仏学館であったし、その関西日仏学館の(L’inauguration le 27 mai 1936)から50年経った1986年5月には当学館において関西日仏学館50周年記念大Partyを友人のアメリカ人Curtisと二人で企画・準備した、貴重で楽しくまた苦い忘れられない思い出があるからだ。日仏学館にはある種の言ってみれば二重の愛情があるからだ。ただ何故苦い、かといえば、パーティー当日車で京都に向かう途中、事故を起こし、大腿骨複雑骨折、左膝の皿の粉砕骨折、胸部圧迫呼吸困難、さらに頭部の皮膚が7針分割れて血まみれになるという散々な目にあったからだ。Jean Lequiller氏のせいで、こんなことまで生々しく思い出してしまった!

テーマ:大日本帝国 - ジャンル:政治・経済

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