TEL QUEL JAPON

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The Final Secret of Pearl Harbor

The Final Secret of Pearl Harbor
Tel Quel Japon過去記事で真珠湾関連の本を何冊か紹介しているが、本当はこれ一冊で充分だとも思っている。
The Final Secret of Pearl Harbor: The Washington Contribution to the Japanese Attack (1954)、著者はRobert A.Theobald、訳者は中野五郎氏である。邦題を「真珠湾の審判」と言う。発行は株式会社大日本雄弁会講談社、発行日は昭和29年8月15日、定価は180円。帯の背中には「真珠湾奇襲は米国の書いた筋書きだった」とある。この本はある方に提供していただいた資料であるが、実はもう一冊所持している。こちらは昭和58年4月20日、株式会社講談社発行、定価850円で伊藤桂一氏の新版解説が付加されている。
最初の日本版は「出版社のThe Devin-Adair Companyから訳者の許に直送された原著の改訂版に拠り」と訳者あとがきにあるように、原著と訳書のタイムラグは極めて少ないと思われる。
訳者の中野五郎氏は東京帝国大学法学部政治科卒業、朝日新聞社記者として在職18年、元ニューヨーク特派員、戦時中交換船にて(1942年、昭和17年、野村、来栖両大使一行と共に)米国より帰国。その後同社研究室勤務、米国問題の調査研究に当たる。昭和23年秋退社。その後第二次世界大戦の調査、研究、執筆に専心され著訳書多数。訳者はしがき、と東京上目黒にて、昭和29年8月という訳者あとがきがあるのは言うまでも無い。
訳者はしがき、の次には元米国太平洋艦隊司令長官キンメル元海軍大将の序文と元連合国南太平洋艦隊司令長官、元米国第三艦隊司令長官ハルゼー海軍元帥の序文がある。その後に真珠湾攻撃当時米国太平洋艦隊駆逐艦部隊司令官であった、著者Robert A. Theobald氏の言葉がつづく。日本でではない。米国での出版である。相当の非難を覚悟した上での執筆であったと思われる。まず最初に事件を陳述し、次に証拠資料を並べてこれを討議するという、法廷で事件を検討する時の運び方を用いたと書かれている。
参照1(要約) :
参照2(全文) :全文を読める
参照3(読者感想) :興味深い 
参照4(IHR) :
参照5(Robert B.Stinnett: Interview :2005-01-29 mp3) :
参照6(FDR Sacandal) :あっと驚くこと間違いなし 
参照7(Communism at Pearl Harbor)当然Whiteが登場する。
参照8(Roosevelt関連本&リンク) : 
参照9(anti war com) : 
・・・・・・・・・
この書物の中から一箇所だけ引用したい部分がある。以下はO'Donnell記者が、1951年5月17日の the New York Daily News に発表した記事からの引用である。

"When the spy's confession was sent here, somebody in the Pentagon deleted from the original the damning statement by Sorge that he had informed the Kremlin in October, 1941, that the Japs intended to attack Pearl Harbor within 60 days and that he had received thanks for his report and the notice that Washington — Roosevelt, Marshall, Adm. Stark, et al — had been advised of the Japanese intentions. There is no record that this information was acknowledged here. But the (Japanese) police documents make it clear that Stalin & Co. had this accurate information and passed it back to us in return for our information about the impending attack by Germany on Russia."

その前にこの記事に関して、Robert A. Theobald氏の以下の記述がある。

On May 17, 1951, the New York Daily News and many other papers, to which the column is syndicated, carried a feature article by its Washington reporter, Mr. John O'Donnell, which told of various Far Eastern police and intelligence reports which were then reposing under close guard on Capitol Hill in Washington. Among these documents were the Japanese secret police reports which were surrendered to General MacArthur in Tokyo in September, 1945, and the confession of the famous Russian spy, Dr. Richard Sorge, who had organized and directed the operations of a widespread spy ring in Japan, until his arrest by the Japanese on October 18, 1941.

ゾルゲは1942年(昭和17年)の初めに死刑にされる前に、自身のスパイ活動の実情を物語る32,000語の告白文を書き上げて日本警察に渡した。(日本でゾルゲを取り調べた吉川光貞検事が下院非米活動調査委員会に於いて1951年8月9日(木曜日)証言している資料を私は以前に読んだ。その時に知って驚いたのだが、Sorgeの調書は、確かにここにあるようにSorge自身がタイプしたと証言されていた)O'Donnell記者はアメリカに渡ってから削除された、Sorgeに関する部分を削除前に読んで記事を書いたのだった。日本が60日以内に真珠湾(Bruxelles注:真珠湾と言う言葉が本当にあったかどうかでこのゾルゲ情報の価値は決定する。もし無かったのなら、記録から削除する必要など無い、という見解も成り立つ)を攻撃するとの内容が、Sorgeからクレムリンに、そしてクレムリンからルーズベルトに伝わっていた!と言うのがO'Donnell記者の記事だ。(詳しくは「真珠湾の審判」第七章)そして真上の引用の後に訳者注として、1951年8月、元マッカーサー総司令部諜報部長チャールス・ウィロビー陸軍少佐が米国上院の国内治安分科委員会に出席しゾルゲに関する記録書類を提出した上で、ゾルゲのスパイ活動の目的は日本を駆り立て太平洋戦争に突入させることであったと重大証言をして注目されたとある。(Bruxelles 注:Charles A. Willoughby氏も証言は下院非米活動調査委員会に於いてであり日時は1951年8月22,23日:証言内容はこちらの最初から4分の1辺りから現れる)
O'Donnell記者の記事を引用したが、ゾルゲと真珠湾に関してのこの部分は勿論メインではない。ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたと言う主題からすれば、末節のひとつの(検証の価値が充分ある)異論だ。他の部分は既に他の書籍で知っているので、心底驚いたこの本のこの部分をちょっと取上げてみた。(ゾルゲのゾルゲ自身の調書を読んでも、日本の公安は、こんなことはあり得なかった筈だと、気にも留めなかったのだろう。真珠湾が筒抜けだったことさへ、1954年までは、ほとんど気付いていなかったのではないだろうか。(もっとも戦後60年以上経った今でも気付いていない人もいるようだが)邦訳初版本の帯に元連合艦隊司令長官小沢治三郎氏が言葉を寄せておられる。-真珠湾奇襲が、米国の策謀だと言う話は初耳だが(以下省略)ー半世紀以上も前のことだ、不思議ではない。

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

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