TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

The Doolittle Raid 日本本土空爆

以下の記事はTel Quel Japon2009年2月22日のものです。The B-29's on their way to Saipan.
1945年3月のB29の空襲で祖母と父が大阪市内の家から焼け出された。最新のYouTubeの記録Film

B29-2B29爆撃機は特に初期の頃、充分テスト爆撃する時間的余裕がなかったため、構造上問題を抱えており、このように操縦不能から自ら墜落自爆することも多かった。
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アメリカ軍による最初の日本本土の空爆は、早くも1942年4月18日に始まった。
The Doolittle Tokyo Raidersと言われるPilotのひとり、Richard O.Joyce氏の子息が、資料満載のSiteを誇り高く公開しておられる。Clickして見ないわけにはいくまい。
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上の2枚の写真はあるアメリカ女性のサイトから許可を得て転載したものである。空爆による戦果は一般には(関係した軍人の家族を除けば)故意に過小評価されているという。非戦闘員や民家に対する空爆をできるだけ表面化させないためだ。
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Doolittle Raid on Japan, 18 April 1942
April 18, 1942 raid on Tokyo. Video
The Birth and Naval origins of the Raid on Japan
The Doolittle Raid : Eaglefield.netより
The Doolittle Raid Remembered:
Doolittle Raiders Official Site:
WW II : RARE COLOR FILM : B-25'S TAKE OFF FROM CARRIER (Doolittle Raid)

航空母艦Hornetから離陸するB-25爆撃機を見て、まず頭をかすめるのは、一体何機Hornet上に待機し、先頭の爆撃機の前にはどれくらいの離陸距離があったのかということ。そして搭載爆弾の総重量である。
1941年12月21日、真珠湾の2週間後に、Rooseveltの強い希望で日本本土空爆計画が具体的に動き出した。最初の案はCaptain Francis Loweから出た。1942年1月16日Captain Donald Duncanは飛行資料などを分析してB-25爆撃機と航空母艦Hornetを用いればこの作戦は可能だと報告した。1942年2月3日海上に於ける実験に成功。B-25は2000ポンドの爆弾を搭載して、燃料タンクを増設すれば2000マイルの飛行が可能で、しかも滑走距離はわずか500フィートで離陸可能という結論が出た。
Short Runwayのための離陸技術というものはある。それにしても500フィートとは。 再度filmを見て考えた。海上に於いてはエンジン出力のほとんどすべてを推力にまわすことができる。通常の離陸のように高度を獲得するため、揚力にパワーを消耗する必要が無いためだと思われる。

「Will」2009年2月号P.194に、1941年の3年後、B29が出現するまで、米軍の日本本土空爆は夢物語に過ぎない、と秦郁彦氏が書いておられる。「当時の米空軍には往復爆撃できる航続力を持つ爆撃機は存在しなかったから」という理由付けがある。秦氏はたとえば1942年4月18日のThe Doolittle Raidersの存在を失念されておられるのだろうか?
(追記:2009年2月22日)
秦氏、そして多くの日本人にはこの記事が頭にインプットされているのだろう。B29による帝都初空襲、1944年12月6日、を報じるアサヒグラフ
本土初空襲(ドゥリットル空襲)を詳しく検証するペイジにリンク。読み落としてはならないのは以下の部分だ。(「空母が爆撃機を搭載して日本本土を攻撃してくるとの思考を持ち合わせていなかった」)発案者のFrancis Loweの名が歴史に残るのもそのためだ。航空戦史におけるまさにコロンブスの卵だった。
また朝日、読売、毎日のこの報道の酷さはどうだ。戦後、時に冷静さを欠き感情に走るのは、責任転嫁と戦前の国家攻撃によってこそ自己釈明しえる、又は過去を隠蔽できると勘違いしているためだろう。
ただこのリンクペイジに明らかな間違いがひとつある。「奇襲に成功したドゥリットル隊は、ほとんど日本軍の反撃を受けることなく(当然損失もなく)、中国大陸に着陸する。」の部分だ。日本の捕虜になり、その後「民間人殺戮」のため日本で処刑されている米兵が数人いたはずだ。そして一人はロシアに着陸して捕虜になっている。中国大陸に着陸した者達だけが、厚遇され無事帰国し再度任務に着いている。参照:鳥飼研究室 真珠湾攻撃の報復

1944年終戦前だ。アメリカではこのThe Doolittle Raidersの映画が製作されている。タイトルはThirty Seconds Over Tokyoという。下線部をクリックして少し御覧下さい。すでに合衆国は戦勝気分だ。アメリカはいつ頃、その勝利を確信したのだろうか。1942年4月18日?あるいは1942年2月3日、実験成功の日なのか。

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追記:2009年3月21日
親善野球にきたスパイ事件
これがもし本当だとすると、真珠湾を遡ること7年も前から日本本土空襲計画があったということ?それとも野球と戦史は別物扱い?過剰反応は止めた方がいいかも。でもねぇ。
Morris "Moe" Berg: ありえる。(あると思います!)
BBC News : もう否定のしようがない。
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追記:2009年3月24日
大物スパイだったMorris "Moe" Berg
野球選手として東京に来た時は、まだ目立った活動はしていない。1942年引退しOSS(CIAの前身)に正式に採用された時に、以前自分が東京で撮影したmovieを提供した。それが早速Doolittleの東京空爆に活用されたわけだ。ドイツ原子爆弾開発チームの最高責任者となっていたWerner Heisenberg暗殺計画の一員としてWerner Heisenbergの近辺に接触、ドイツに於けるその実用化はまだまだ程遠いとBergの知識でBerg自身が学術的に判断し、その結果暗殺計画は破棄された、という事実がある。ソ連に於いてもスパイとして活躍している。ロシア語、ドイツ語そして日本語(7ヶ国語)まで完全にこなし、先端の原子物理学までドイツ語で理解できたとは、エリート集団のスパイの中にあっても超の付く優秀なアメリカ人スパイだったと言えるだろう。生涯独身、自伝も執筆していない。

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

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