TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Baker Street Spies in Wartime Washington

Book Discussion on The Irregulars : C-Span
yuudou (163x250)
The Irregulars: Baker Street Spies in Wartime Washington↓You Tube


長年に渡って良く研究しておられる方でも「何故日本は真珠湾に飛んだのだろうか」「どれほどの勝算があったのだろうか」とよくおっしゃる。そして研究しておられる方も全くしておられない方も「勝たない戦争はしてはならない」「戦争など、どんなことがあっても絶対にしてはならない」と口をそろえておっしゃる。挙句にだれが、もちろん(軍部の暴走ということになっているのだが)そういう方向に(戦争に)祖国を突入させたのか? 天皇陛下の御心を無視して、と。そして犯人探しを極悪人探しをすることだけが、半ば昭和史の研究テーマとなっている。違うとはおっしゃるまい。
開戦に到る過程にせよ、真珠湾の真実にせよ、充分資料は出揃っているにもかかわらず、間違を犯したと言う反省に立ち、罪悪感を伴ってしか、歴史を見ることが出来なくなっている。GHQやOSSによる日本占領計画や罪悪感の植え込み洗脳を、知る知らないに関わらずである。

さて、リスニングの苦手な方のために上の本の内容紹介をするに際して、選りすぐったリンクを貼ることにした。
Jonathan Yardley on 'The Irregulars'
The Irregulars: Roald Dahl and the British Spy Ring in Wartime Washington by Jennet Conant:
Amazomのコメント:良くまとまっている。
The Irregulars: Roald Dahl and the British Spy Ring in Wartime Washington
Henry Luce and British Intelligence
Jennet Conantの講演を聴いていてたくさんのことが繋がってきた。前々から怪しいと思っていたJournalistsの名前がたくさん出てきた。もうひとつはアメリカとドイツの戦前の経済交流(アメリカのrichな投資家たちはドイツの企業と深く繋がっていた。そのうち注目すべき企業名もスポンサー名も出せると思う)。モンロー主義ゆえに、ヨーロッパで何があろうと、富者も貧者もアメリカ人の大半はまさか祖国がヨーロッパの戦争に巻き込まれるとは、最後の最後まで思っていなかったと言う事実があるからだ。さらにJannet自身に関しても書いたものをみれば、今後調査の際に再浮上する可能性がある。一言で言うと私にとっては盛りだくさんの内容なので、久しぶりにTel Quel Japonに記事を持ってきた。

何故一冊の本とその著者の講演をここに取り上げたかというと、ルーズベルトの周りには、コミンテルンのスパイのような人物が数百人いたと言われてきたが、それだけでなくワシントンには友好国であるはずの英国のスパイもたくさん侵入していたこと、その事実をこの本によって明白にしたかった。Roald Dahl and the British Spy Ring in Wartime Washingtonの目的はアメリカを戦争に巻きみ英国を助けること。Roald Dahlがワシントンに来るのはPearl Harborの後だが、この組織自体はそもそもアメリカ参戦を呼び込むために、Pearl Harborへの誘導をルーズベルトやチャーチルと共に工作した可能性は高い。
Pearl Harborはアメリカが仕組んだことはCFRのBarbara WaltersTV番組で事実として報道していたが、それにはアメリカだけでなくイギリスも噛んでいたと言うことだ。よく聞けばわかると思うが、そこには勿論DonovanやWilliam Stephensonが、英国側からアメリカに登場して、諜報機関とはいかにあるべきかを最初に教えるのである。
もうお分かりだろう。英国はアメリカをその必要からスパイ目的のターゲットにし、その前段階として英米は日本を諜報活動のターゲットにしていたのだ。コミンテルンの陰謀だけではないと言うこと、それを明らかにするために今回はthe British Spy Ring in Wartime Washingtonを取り上げた。

つまり大日本帝国は、そもそも戦争意思を持って計画的に自ら進んで、真珠湾に飛んだわけではない、主体的にではなく客体的に(四面楚歌の状態で)そう動かざるを得なかったのである。この辺りのことは、ほとんど知られていないが、DonovanやWilliam Stephensonの研究を続けると、彼らが何をしたか、全容はもっと具体的に明らかになるだろう。
・・・・・・・・・・
このような()&()&()の記事を書いている最中にthe British Spy Ring in Wartime Washington に偶然に出くわした。(3)で紹介している本もJennet Conantの作品である。
DonovanやWilliam Stephensonを深く知るには広告とPropagandaとJournalism(Journalists)の歴史にもまた熟知している必要がある。

・・・・・・・・・追記:2015年11月28日・・・・・・・・・
この本の表紙↑に出ているのは、主人公のRoald Dahlである。wikipeiaで見ると、当然のことだが、スパイ活動には、一切触れられてはいない。それだけでもJennet Conantの仕事の価値が理解できると思う。DonovanやWilliam Stephensonにまつわるイギリス人スパイたちの米国に於ける活動を様々な資料を使って炙り出し、興味深い本に纏め上げたのは彼女の功績である。
Roald Dahlが原作者である映画「Charlie and the Chocolate Factory」の一部をYou Tubeで、興味のある方はご覧ください。こんな作品を生み出せる能力があるということは、Jennet Conantの言うようにRoald Dahlはきっと魅力的な人物だったのでしょうね。
尾崎やゾルゲのようにコミンテルンのスパイで祖国を敗戦に誘導する裏切り者と、Roald Dahlのように祖国の勝利のために自分の才能を(彼の場合はその美貌?と社交性を)縦横無尽に発揮する、祖国の英雄、とでは同じスパイでも雲泥の差が有りますけどね。この辺の区別だけはしっかりとおさえておきましょうね。同じイギリスのスパイでもケンブリッジ・ファイブと、全く違うところですね。

・・・・・・・・・追記:2015年11月29日・・・・・・・・・
Jennet Conantの祖父James Bryant Conantを紹介しておきます。↓

以下の一行は少し上のリンク「祖父James Bryant Conant」より抜粋。
Conant served on the Interim Committee that made the decision to use the atomic bomb against Japanese cities without providing warning.

参照:Development of the OSRD
上記リンクから一行引用。
Much of the NDRC's work was completed under strict secrecy, but Roosevelt's decision gave the United States an 18-month head start for employing science in the war effort (see: Report of the National Defense Research Committee for the First Year of Operation, June 1940 - June 1941).
重要なので参照として追加した。この辺のリンクを次々と辿っていくと、Jennet Conantが入手したであろう資料がわんさかと出てくる。DonovanからFDRへ、のタイプ風メモ等々がいくつも出てきて、ついに体力的、時間的な限界が来てしまった。興味のある方はご自分で上のリンクを辿られるとよい。松岡が日米了解案を握りつぶしたから、日米開戦を回避できなかった、といまだに思っている優等生の方達は、腰を抜かして石仏の角で頭を強打して卒倒されませんように。Roosevelt's decision gave the United States an 18-month head start...

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八月の石にすがりて 伊藤静雄 戦争詩 (3)

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木陰をつくれ。
われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。

昭和11年 1936年9月 「文藝懇話会」9月号初出
「詩集夏花」 昭和15年3月刊 収録

雑誌「文藝懇話会」は、一種の政府外郭団体として、昭和9年1月に内務官僚である元警保局長松本学が提唱し、菊池寛・直木三十五の文壇の重鎮の協力を得て作られた官民合同の文化団体文藝懇話会から、11年1月に創刊された雑誌である。政府支援の文藝・思想をコントロールする柔構造の政策であった。
その創刊号の「宣言」には「文藝懇話会は、思想団体でもなければ、社交倶楽部でもない。忠実且つ熱心に、日本帝国の文化を文藝方面から進めていかうとする一団体である」とうたっている・・・。
・・・
2・26事件を契機に、時代は急速に右傾化していく。2年前からその発刊を準備されていた「文藝懇話会」が、このクーデターの年に創刊されていることを、昭和文学史の上からやはり注目せねばなるまい。その第一巻第九号にあたる9月号は室生犀星の編集で、同誌最初の詩の特集号であった。・・・
「八月の石にすがりて」はこの号の巻頭詩であった。
・・・
作者としての詩人伊藤静雄の意思に全く関わらぬところで、昭和十年代の文学的ナショナリズムを担う詩として、広く時代の詩的共感を得たことは確かであろう。
・・・
この生活の次元から静雄の人と文学が語られることは少なく、多くの場合、昭和十年代という時代の思想としてのナショナリズムに於いて、その文学が裁断され、あるいは賞賛されてきたことは、静雄の文学の不幸といわねばなるまい。
(以上、「詩の読み方」小川和佑近現代史 笠間書院刊 P.152~P.163より抜粋)

「八月の石にすがりて」も有名な詩なので、ネット上にもかなり紹介されている。が、現在、初出誌「文藝懇話会」に触れたものも、時代背景として昭和11年に触れたものも他には見当たらない。
太平洋戦争を日本史の視点に限定してみる場合、やはり2・26はゾルゲ事件同様決して軽視してはならぬものだろう。
////////////////

私の祖母は「忠臣蔵と2・26は毎年やってくる」とTVをみながら言っていたが、邦楽と古典と相撲と日本史が好きな平均的日本人は、そして右傾向が多少ある日本人はたいていこの両方が好きである。何故なのかはわからない。好きならば、もっと突き詰めればよいと思うのだが、あまり何も考えない。もはや映画やTVの題材でしかない。
私にとっては、2・26とそれが起こった昭和11年(1936年)は、祖父がなくなった年だと記憶されている。
「2・26について詳しく知りたいから、新聞を取り残しておいて欲しい」と病床の祖父が祖母に言ったらしい。そしてそれを読まないまま祖父は亡くなった。その記憶があるから祖父がなくなったのは昭和11年だ、ということだけは私の知るところである。昭和11年はどんな流れの中の一年であったのか、そして「新聞を取り置きしておいて欲しい」と言った祖父の心情を時々想像してみる。
満州やシナにおける日本に不吉なものを感じていたのか、あるいは日米関係の心配をすでにしていたのか?
祖父はハイスクールから大学まで、ほとんどの教育をアメリカで受けてきている。おまけに仕事は貿易、対米貿易である。
この辺のことをすでに知っていて、遠くない将来の日米決戦を予感していたのではないか、そんな気がする。激突すれば、米国に12年間も留学して学んだことは、個人史のなかの大きなマイナスにしかならない。活躍の場も無くなってしまう。既に喘息は悪化、体力もなくしている。仕事も行き詰っている。とりおきしていた新聞を読まずに亡くなったのは、すでに状況的に心情的に、そんな新聞を読む気力もなくしていたのではなかったか。祖父の亡くなったのは1936年の4月11日だし、まさか原爆やB29の空襲による丸焼けや日本の敗戦の夏まで予想していたとは思えないが、結局新聞を読まなかったということは、生きる体力も気力もすでに失せていたと確信する。人が病に倒れ、死んでゆくとは、そういうことなのだと思う。

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

John & Shige 付録的追記

直前の記事が長くなりすぎたので、話題が転換するところで、分割しました。

・・・・・・・追記:2015年10月17日・・・・・・・
西園寺公一に関するFilmを探していたのだが...
何のつもりで、この追記のリンクが入るのか、ご理解いただけないかもしれない。あちこちスコップでほりかえして、水脈を浮かび上がらせるには、大変な時間と肉体労働が必要だ。それまで地下のことは地上ではお見せ出来ない。自分でもどこまで根気が続くか確信は持てない。成果など期待せずに、ここはひとつアホになりきって、黙々と。地球の裏側まで突き抜けるくらいの覚悟で。

・・・・・・・追記:2015年10月18日・・・・・・・
昨日のリンクに、追記しようと思う。

誰?それ?
どこの国の人なの?
毛沢東? 
※毛沢東だって、死んでもそういう発想は出来ないと思うし、、、
(もう死んでるけど)
その人、もし今生きてる人だとしたら
現代の今生きてる日本人が全員総懺悔して、一億総奴隷になって叩頭しながら贖罪として一生働き続けろ、って言ってるみたいね? えぇ! 実際そう言ってるの? 言ってない?どっちよ。 活躍?
どこの国のひとなのか?どんな出自の人なのか知りたいわ。we と themから察するに日本人みたいだけど。


追記1:※に関しては?の方々は
正論 平成27年5月号の福井義高氏の文章をお読みください。 
詳しく書かれているので、?は氷解すると思います。
これは連載の「上」で6月号の「中」の最後の方にはこうもかかれています。
「そのことを素直に認め公言していた毛沢東のひそみに倣い、安部晋三首相も戦後70年談話で、中華人民共和国建国に対する日本の多大なる貢献にさらりと言及するというのはどうだろう。」
さらりと書いておられます。半分は軽口でしょうが、歴史戦とは本来そういう視点で思考すべきものだと思います。否、歴史戦であれ、政治戦であれ。(参照:香港返還時のチャールズ皇太子の演説

追記2:
西尾先生が日録のコメント欄に対して、みずから「ありがとう」のコメントを入れておられます。引用します。
(1)結局アメリカの桎梏から逃れられないということです。(2)米中が手を組んで日本を抑えにかかる恐ろしいことがいつか起こるかもしれません。
(1)は大多数の保守が「安倍さんよくやった百点満点」をする際にあげている根拠のひとつです。しかし昨日出したリンクの引用部分、あれは中国に対する叩頭です。「アメリカの桎梏」ではかえって説明がつきません。
話変わりますが、昔の友人が「日中米関係、つねに日本だけが蚊帳の外、なんて書いてる人がいますよ」とメイルをくれました。彼女は理解できず「なんのこっちゃ」という寧ろ抗議であったのでしょう。それで自分の書いたこの記事を思い出しました。
その部分を引用します。
「追記:2015年6月7日(日)
日中米関係、つねに日本だけが蚊帳の外 
当然今も。日本には見えない米中関係を考察せよ。
イデオロギーで国家が敵対すると考えるのは
日本人特有の弱点かもしれない。」
西尾先生の(2)を目にしたときに、はっとして自分の書いた記事の上の「」の部分を思い出したのです。
(2)米中が手を組んで日本を抑えにかかる恐ろしいことがいつか起こるかもしれません。←ここが重要
つまり、「イデオロギーで国家が敵対すると考えるのは日本人特有の弱点かもしれない。」ということです。
「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて」の部分は中国に対する牽制だ、などと誤読・捻じ曲げ評価されているようですが、この部分こそ、国際政治感覚の100年100周遅れたダサい腹話術人形の正体が露呈されている部分なのです。

あなたもスコップを持って、地面を一箇所でも掘り起こしてみてください。
参考資料、とりあえずは2015年「正論、5,6,7月号」連載の福井義高氏の文章と「正論」9月号の江崎道朗氏の文章で、いかがでしょうか?ゆっくりとお読みになることをお勧めしますが、ゆっくりの時間が無いかたがたは、福井義高氏があげておられる「主な参照文献」に直に当たられるほうが最短時間で最長距離を自分の頭を使って閃きを感じながら、掘り起こし作業の多少の効率化を図れるかもしれません。

追記:2015年11月18日
都合により日付のみ更新しました。

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