TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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拝借:John & Shige



参照: Tel Quel Japon その壱 & その弐
参照: 詩集「2N世代」 その壱: 

追記:2015年9月11日
参照:国際文化会館の歴史とJohn&Shige再確認

後はthe Institute of Pacific Relationsに於ける松本重治氏の立ち位置を調べる必要がある。1929年のこの京都の出会いも面白いがヨセミテの日本人の顔ぶれはもっと興味深い。
参照:NYTにでた松本重治の死亡記事
母は日本銀行を創設した松方正義の娘、妻は松方正義の孫、出自は寧ろ松方と認識したほうが良いだろう。JohnとShigeとの特別な接近がより容易く理解出来る。
参照:「Matsumoto Shigeharu: Bearing Witness」:Review
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松本重治氏の「上海時代」は現在入手不能などとネット上には書いてあるが、今Bruxellesの手の中に上中下三冊がある。
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松本重治: 資料追加( 2015年11月18日)
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追記:2015年9月12日
松本重治から話題がそれて、しかも長くなってしまうがIPRに関して少し触れておく。
The 3rd Pacific Conference [1929, October 28November 9, Kyoto, Japan]
ここで松岡洋右が「An Address on Manchuria: Its Past and Present」というテーマで演説をしている。
The 6th Pacific Conference [1936, August 1529, Yosemite, USA]
ここで尾崎秀美が「Recent Development in Sino-Japanese Relations」というテーマで発表している。
金井清が「The south Manchuria Railway Company’s Part in the Economic Development of Manchoukuo」というテーマで発表している。
戦後で見ると
The 11th Pacific Conference [1950, October 315, Lucknow, India]
ここで都留重人が「Japan’s Economy: Present and Future」というテーマで
丸山真男が「Nationalism in Post-war Japan」というテーマで登場している。
参照:元サイト
日本語の参照ペイジ:太平洋問題調査会関係資料 : 太平洋会議参加者名簿とデータ・ペーパー一覧
7番目のリンクをクリックするとその第五章に「日本人参加者名簿」がでてくる。名簿に出ていない事務方や事務方通訳などの名前はまた後ほど必要とあらば、追加したい。
参照:太平洋問題調査会wikipdia: くどいようだがわかりやすいまとめとして。
参照:さらに詳しい英語版 wikiedia:
参照 Tel Quel Japon 過去記事
IPRの正体に関して No.1 & No.2 & No.3 & No.4 

西尾先生の日録からも「松本重治」を探してみた
参照:松本重治について
参照:マスコミ人「松本重治氏」の疑惑的な証言

・・・・・・・追記:2015年10月17日・・・・・・・
西園寺公一に関するFilmを探していたのだが...
何のつもりで、この追記のリンクが入るのか、ご理解いただけないかもしれない。あちこちスコップでほりかえして、水脈を浮かび上がらせるには、大変な時間と肉体労働が必要だ。それまで地下のことは地上ではお見せ出来ない。自分でもどこまで根気が続くか確信は持てない。成果など期待せずに、ここはひとつアホになりきって、黙々と。地球の裏側まで突き抜けるくらいの覚悟で。

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落下傘部隊! 三好達治 戦争詩 2回目

「落下傘部隊!」

落下傘部隊!
落下傘部隊!
見よこの日忽然として碧落彼らの頭上に破れ
神州の精鋭随所に彼らの陣頭に下る
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
うべこそ九天の外より到れ 神州の精鋭
我ら天孫民族の裔の男の子ら
我ら天外の理想を負ひ
我ら亜細亜の支柱をささへ
東海の国を樹つ二千六百載
この役国運を一挙に賭す

↑(「落下傘部隊!」部分)
部分になったのは、どこをどう探しても、この作品の全体を入手することは、不可能だったからだ。

何のことかわからぬ人のために(前ペイジの真珠湾ほど有名ではないので)Tel Quel の過去記事を参照に出しておこう。
Tel Quel Japon 過去記事: 映画「空の神兵」
詩人 伊藤静雄も「つはものの祈」という作品に、パレンバン降下作戦を取り上げている。
↑「詩の読み方 小川和佑近現代詩史」より。

私事だが、6月から湯治のために北白川に通っている(ホルミシス治療)。お湯がぬるいので、長時間を要する。退屈するほど湯の中ではすることが無い。それで呼吸鍛錬のために時々歌を歌っている。毎回繰り返して歌うのがこの「空の神兵」である。高木東六作曲なのは石井好子氏から伺っている。

三好達治は学校の教科書にも登場する有名な詩人なので、さすがにネット上にも参照すべきペイジが多い。
三好達治に関する参照ペイジ
その(1) & その(2) & その(3) :

取り上げた詩作品に関して、私見を全く述べていないが、「政治と文学」に関してTel Quel Japonの過去記事をある種の見解として出しておきたい。小川和佑先生もこの対談に強く共感してくださっていた。この時代の意見としては「詩と思想」の読者からは、酷くバッシングを受けたが...。

探していた「政治と文学」に関する座談会のペイジはこちらだったが、
Tel Quel Japon過去記事でそれに触れている部分、そしてさらに展開している部分はこちらだった。
過去記事「詩と思想 40周年 詩は政治的現実の下僕か」 ←参照

「ハワイ爆撃行」 (詩人) 田中克己

「ハワイ爆撃行」 田中克己

宛然一個の驕慢児
力を恃みて非理を唱導し
物に倚りて正義を圧服せんと欲す
空しく蒐め得たり艦と機と砲と
海外に盤踞して神州を呑むと想へり
一億国民みな切歯せしが
聖詔 既に下りて秋霜より烈し
時は維れ昭和十六年十二月八日
颶風未だ収まらず全天闇(くら)し
母艦々上 司令 命を伝へ
言々壮んにして復た厳を極む
紅顔の健児 目眦(もくし)裂け
吾が生は皇国に享く 死は布哇(ハワイ)
醜敵を屠り得て鴻恩に報ぜんと
挙手して機に上ればまた後顧せず
爆音轟々 敵空を圧し
金鯱(きんこ)一たび巨鯨に臨むと見しが
須臾に摧破し去る巨大艦
雲煙散じ去つて再(ま)た影を見ず
真珠湾頭 星条旗低し
捷報連(しき)りに故国に到り
山川歓呼して草木揺(ゆら)ぐ
盟邦また瞠目し 醜小狼狽す
吾れ国史の此の瞬間に生きたるを喜び
仰いで霊峰富士を望み見るに
暗雲一拭されて皓として白し

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昭和16年12月日本讀賣新聞           
昭和17年5月 所載詩集『神軍』
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引用元ペイジ
↑紹介する本とは内容的には無関係のサイト
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詩集より一編の詩を引用掲載しているだけなので、歴史検証サイトとしてのTel Quel Japonにふさわしくないかもしれない。そう判断した場合は、後日他の文学関連のBlogに移行させるかも知れない。

実は「詩の読み方」 小川和佑現代詩史 (風間書院刊)というタイトルの新刊本を小川氏の奥様からお送りいただいた。この本の中でこの詩作品に出会った。編集は御子息の小川靖彦氏、お父上と同じく、国文学者の道を歩まれておられる方のようだ。編者あとがきに「亡父生誕85年の日に」とあるように、お父上の評論家としての仕事の全容を収集整理し、斬新に編集の手を加え、一周忌を記念してご子息が一冊の本として世に問われたもののようだ。
小川和佑氏に関して、Tel Quel Japonでは過去に2度関連記事を書いている。参照として、以下にリンクを貼っておく。
問うべき戦後とはなにか
江藤淳の「閉ざされた言語空間」は1982年、「帰ろう愛の天使達」は1975年出版、すでにGHQの占領政策としての罪悪感の植え込みを指摘している。四城亜儀あっぱれと自画自賛したいところだが、出版よりさらに数年前の執筆時から、そんなことは誰でも知っていると思っていた。
「唱歌・賛美歌・軍歌の始源」 小川和佑著

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