参照:西尾幹二のインターネット日録
Tel Quel Japonが再生される場所
・・・・・追記:2014年9月17日・・・・・
「Tel Quel Japonの全記事が救済されて保存されることになりました」というこの記事は5月末頃に早々と掲載してしまいました。その後、全記事の保存、Tel Quel Japon 受け入れサイトの構築、そして「西尾幹二のインターネット日録」へのリンクによる接続など、「西尾幹二のインターネット日録」のスタッフのT氏の無償のご好意により進められてまいりました。
現在なお移行途上ではありますが、「西尾幹二のインターネット日録」の右側、御著作の紹介とアーカイブにはさまれた、ブログロールに、(移転作業中)TEL QUEL JAPON 保存館、が登場しましたのでお知らせいたします。
移行はTel Quel Japon以外にあとふたつ, (別タイトルの)Tel Quel JaponのUndercover Blogsが予定されています。この膨大な作業をお引き受けくださり、現在は手作業で記事の移行に取り組んでくださっているT氏に、心より御礼申し上げます。記事数、記事の中の参考資料へのリンク数など、膨大なため、T氏におかけするご負担は想像を絶しますが、現時点ではTel Quel JaponもBruxellesも消え行く運命とはいえ、未だ命を存えていますので、しかも、すでに保存そのものは完了していますので、万一FC2サービス終了後も、Tel Quel Japon消滅の不安に脅かされることもないものと考えております。
明日18日、5度目の入院、手術を含め3度目の抗がん剤治療のため病院に向かいます。TEL QUEL JAPON 保存館の登場をお知らせすると共に、一手に膨大な作業を引き受けてくださっているT氏に、本日改めて心よりの感謝を捧げます。
/////////////////////////
Blog Topをkeepするために可能な場合は適時更新日を変更します。したがって更新日時と記事の内容が連動しない場合がありますが、どうかお許しくださいませ。
・・・・・最新追記:2015年9月30日・・・・・
Tel Quel Japonは今回西尾幹二先生の日録に、直接リンクしていただけることになりました。そしてBruxelles昇天の後は、Blog管理人の「奥様」ことH氏に、(Bruxelles死後の)Blog管理もお願いできることになりましたので、報告させていただきます。Blogリンクはすでに完了していて、「西尾幹二のインターネット日録」の右カラム、カレンダーの下の、西尾幹二全集表紙写真の下に、重要サイト「Tel Quel Japon]として、生命の場を与えられました。西尾幹二先生及び日録関係者の方々に、心より御礼申し上げます。Tel Quel Japonは個人Blogですので、Bruxellesの命尽きた場合、生命(所有者)無くネット上をさまようことになります。しかし管理も引き受けていただけるということは、単にTel Quel Japonのお墓を「日録」に置いていただけるということではなく、全文の記事生命そのものを引き取り、引き受けていただけることだと理解しています。自分の死後の生命をも約束されたように安心し、嬉しさで一杯です。管理を引き受けてくださる「奥様」に改めて心からの感謝を捧げます。
力まず、怯えず、絶望せず、安心し、肩の力を抜いて、命尽きるまでTel Quel Japonの運営・記事入稿に励むことを皆様にお約束いたします。 Bruxelles記 2015年9月30日
スポンサーサイト