TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Before the CIA, there was the Pond

実はいま集めた資料の大量処分を実行しているが、処分するに忍びないものを、取りあえず、置くだけでも置いておくことにする。興味ある方は、どうぞご自由にお使いください。一切口出しいたしません。
(そう言いながら手が勝手に動いて少し(↓)書いてしまいましたが...)

Before the CIA, there was the Pond
The Pond: Running Agents for State, War, and the CIA
'The Pond': US Spy Agency

Grombach_as_cadet_small_000.jpg
The head of the Pond , Col. John V. Grombach

Ruth Fischer, code-named "Alice Miller,"
wikipedia & Alice Miller:
Hanns Eisler :Ruth Fischerの弟
wikipedia & as a composer :
映画「夜と霧」主題歌 作曲家
東ドイツ国家 by Hanns Eisler :
0,,4965079_4,00
Hanns Eisler (left) is pictured with playwright Bertolt Brecht in c. 1932
・・・・・・・・・

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World War 2 Manchuria Battle 追記多数

World War 2 Manchuria Battle 1:
World War 2 Manchuria Battle 2 :
Manchuria Battleという言葉を初めて聞いた。Manchuria に限定して見る、という視点が新鮮だ。日本にとってあの地域はどんな意味をもっていたのか、新たに鮮明になるかもしれない。その国のあり方からして日本が恐れたのは、日本が仮想敵国としたのは、日露戦争から一貫して共産ロシアだった筈だ。国際関係が複雑に入り乱れて、その一貫した視点をいつの間にか失くしてしまっていたのではないだろうか?第2次世界大戦末期、終戦交渉をロシアに依頼しようとした事実は、既にスイスにいるダレスにも、ということは連合国全体に伝わっていた。ヤルタ会談に於いてソ連の対日参戦は決定していた。日本はその情報さえ取れずに、こともあろうにロシアに終戦交渉の仲介を本気で依頼していた、信じられない、このあたりは全く信じられないお馬鹿ぶりである。米国の政界がそうであったように、日本の中枢の中にも仮面を被ったロシアのスパイがたくさんいて「空気」そのものがマインドコントロールされていたのか、頭が動かないほど本来の意志の疎通が出来ないほど、御前会議に於いて思考も感情もコミュニケーションもなにもかも硬直していたのだろうか。まずこの不可解な一点を思い出した。
映画その(1)はとても長いがその(2)はわずかに残ったものを付け足しただけ、という感じで終わる。
内容を鵜呑みにしてはいけない。ソ連のPropaganda filmかとも思えるくらいの、そう来るのか、と驚くようなナレーションも多い。まだ全編を見終わってはいないが、そもそも終戦交渉を断るだけでなく、条約を一方的に破棄して疲弊した日本に踏み入り日本人を虐殺し領土を、そうだ、彼らの祖先のジンギスカンのようなやり方で蹂躙し奪い取った、あのロシアのまさに人道に反する侵略をそもそもBattleなどと呼べるのだろうか。(つづく)
注:20年位前の「Time」誌に面白い記事があった。表紙は右側に東洋人の顔、左側に西洋人の顔、左右から顔を中央に寄せて一つにするとエリツェンの顔になる、というもので、その号の特集は、ロシアがどのように形成されたかという建国史。簡潔に言うとロシアとはジンギスカンの末裔たちが築いた国家だ、と力説する、それなりの説得力のあるものだった。モスクワやキエフなどの都市の発達過程を通して、ロシアの文化的基礎はモンゴルの政治の上に発芽したという解説であった。「彼らの祖先のジンギスカン」と記述したのは、ふとそれを思い出したからだ。これは「Time」誌のトンデモ記事ではなく、おそらく学術的にも、主流ではないにしても受け入れられている筈だ。余談になるがその頃日本のジムで育った日本のジムに所属するロシア人のユーリ・アルバチャコフという強いboxerがいた。アジア系の「蒼き狼」を連想させる面構えで、それはTIME誌の説を充分に補足するものであった。

追記:2012年3月22日
見ていて胃が重くうんざりして眠くなり吐き気までしてきた。怒涛のような侵略である。繰り返し繰り返し陥落し敗退していく。なによりゲンナリしたのは、Manchuria Battleのタイトル通り、Battleとして詳細に解説されていくことだ。沖縄戦はある程度Filmも見てきたけれど、満州戦をこうしてBattleの視点で考えたことも見たこともない、ことに気づいた。コメント欄には「こうして戦い血を流して領土を獲得したのだ」というロシア人らしき書き込みもみえる。許容できる発言ではない。しかし「敗戦のドサクサに」と思ってきたことをもし連合国側がManchuria Battleと一致して認識している限り、そして白人連合が日露戦争を忌々しく思っている限り、交渉下手な日本政府が10000回交渉したところで北方領土は帰ってこないかもしれない。ソ連邦崩壊のあたりが、絶好の交渉チャンスだった、可能性として、あれをものにできなかった日本に、日本の歴史認識を堂々と言えない日本に、北方領土奪還能力がわずかでもあるのだろうか。満州国が本来は漢民族のもの、あるいは中華人民共和国のものだと勘違いしている日本の歴史家に、まっとうな歴史認識がこの先構築できるのだろうか。ポツダム宣言を受諾した以上満州国まで返還せよとは言えない。しかし、北方領土はどうなんだろう。歴史家も政治家も言論人も、何らかの返還の策を持っているのだろうか?

以上は2012年3月22日記入
以下は2012年5月31日追記

A Conversation with Tsuyoshi Hasegawa:2/6/2006
カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校歴史学教授
Noted historian Tsuyoshi Hasegawa discusses his fascinating new book "Racing the Enemy: Stalin, Truman, and the Surrender of Japan" with Jack Talbot (Professor of History, UCSB). By fully integrating the three key actors in the story--the United States, the Soviet Union, and Japan--Hasegawa puts the last months of the war into international perspective.
ポツダム宣言受諾に関して日本側が出した条件は「天皇の地位保全や免責」の確約のみ、それを除けば無条件降伏は早くから申し出ていた。交渉がまとまらなかったのは、受諾しなかったというよりも、こちらからの受諾条件を拒否され続けたためでもある。内内的には約束があったにせよ確約のないまま、事実上日本をしてポツダム宣言受諾を決意せしめたものは何か。それは都市の爆撃となにより2度の原爆だと言われている。長谷川教授の主張のユニークな点は、それを8月9日の2度目の原爆よりも何よりも同日の中立条約を一方的に破棄したソ連の対日参戦のショックだったとしているところだ。そこで最後の思案の糸が、プツリと切れた。日本語でいうところのもう一つの意味の「バンザイ」である。ギリギリまで最後の最後までロシアを信頼しきっていて、仲介の交渉に命綱を託していたという主張である。木戸日記によると1944年1月からロシアを仲介とした終戦交渉は発想されている。なんと19ヵ月にわたる深い深い信頼である。私自身も上に「こともあろうにロシアに終戦交渉の仲介を本気で依頼していた、信じられない、このあたりは全く信じられないお馬鹿ぶりである。」と書いているが、果たしてどのような信頼を置いてどのような交渉をしていたのだろうか。何かを隠している。何かが隠されている。想像を絶する、馬鹿も休み休み言え、と言うほどの信じられない約束が、この一瞬破棄されたのだ。
実はこれに関して非常に納得できる「トンデモ情報」が無いわけではない。書く時が来たら書こうと思っている。

     cspanhasegawa.jpg
     C-Span Video 1時間21分 :今見つけたばかり。

・・・・・追記:2012年6月1日・・・・・
戦争末期のソ連への和平斡旋依頼
長谷川氏はロシア語ができる方のようだ。このリンクのペイジは、長谷川氏の発言内容にきわめて近い。この頁には、非常に興味深い内容の記事が20もある。そのすべてが貴くかつ重要である。

瑞西のダレスを通しての休戦交渉もあったのだが、ソ連に比べると国の気合の入れ方が違うのがばれてしまっていた。しかしこの時期の瑞西、ダレスのいた瑞西をもっと検証しなければならない。ありがたいサイトに出会った。
スイス和平工作の真実: 
希少価値のある日瑞関係の元ペイジ
非常に真摯につくられている、出会えたことに喜びと幸運と感謝を覚えさせてくれる瑞西関連に特化した有難いサイトだ。

・・・・・追記:2012年6月28日・・・・・
この頁の少し上、5月31日追記のところに「実はこれに関して非常に納得できる「トンデモ情報」が無いわけではない。書く時が来たら書こうと思っている」と書いた。これ、とは「こともあろうにロシアに終戦交渉の仲介を本気で依頼していた、信じられない、このあたりは全く信じられないお馬鹿ぶりである。」である。まだ「トンデモ情報」を書くべき時ではない。しかし、それの一歩手前の吃驚情報が、誰に吃驚されることもなく「正論」7月号P.88に登場したので、その「一歩手前情報」をここに記す。東京大学名誉教授の伊藤隆先生のご発言である。(まさか、吃驚しているのは私だけではあるまいと思って、この「追記」を今まで見送ってきたのだが)

伊藤隆名誉教授:...昭和20年の春以来、近衛文麿をソ連に派遣し、対米和平の仲介を依頼するという計画が浮上していました。終戦で幻に終わりましたが、4月5日にソ連が日ソ中立条約の不延長を通知してきた中でも準備が進められました。この計画にあわせて参謀本部幹部や関東軍参謀、海軍若手らが、いわゆる「改革官僚」らの協力で作った国家再建策草案には、スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました。ソ連、中国共産党のエージェント、シンパが軍指導部に潜り込み、日本の赤化を企画していたとしか思えません。...

どうして、この重要発言が聞き流され、大反響を呼ばないのか、不思議である。私が何故、この発言に耳を拡大させたかと言うと、これはいつか書く「トンデモ情報」から「トンデモ」を取り除くに充分なまえふり、になりえると思ったからである。
そしてこれはまた同時に、愚図愚図していた日本が、悩む間もなく両手を上げて「バンザイ」をしたのは、「なによりソ連の対日参戦のショックだった」という長谷川教授の上の論説をも、強力に裏付けることにもなる。自分たちが裏切られたことが原爆よりもショックだったのである。

・・・・・追記:2012年12月29日・・・・・
このペイジ、長くなりすぎてしまったが、もう一回だけ書き込んでおく。
実は今中央公論新社刊、長谷川毅著「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」2006年9月5日4版発行、という本を手に持っている。上の画像とC-SPAN videoが扱っている書物の日本語版である。日本の長引いた腑に落ないもたもた終戦交渉が非常に詳しく書かれている。ただ感想を書くには、後の注・参考文献の一覧を全部当たってからにしようと考えている。まだこの本自体パラパラとしか読んでいない。時間がないのだ、順番待ちの本が机の上に山積みで、今回この日本語版の本も後回しにすることに決めた。ただ興味のある方のために、中央公論新社から立派な日本語版の本が発売されていることだけは、お伝えしたいと思った。この本の扱っている時代を徹底的に検証する必要がある。この本は即ち読むべき価値がある。但し、読む場合は参考文献全部にも可能な限り目を通し、先入観を持たないで自分の頭でうんうん唸りながら、考えあぐねなければならない。今のところ日本人は何人も終戦に関するこのあたりのことは、表面をかすったワンパターンで済ませている。奇々怪々の事実がいっぱいなのに、匂いを嗅ごうとも顔を向けようとも、していない。

・・・・・この記事は2012年6月28日入稿の記事です・・・・・
・・・・・追記:2013年10月24日・・・・・
この記事は追記追記で長々となってしまった。その上に今回また追記。追記のため上に上げるが、それだけ重要なので我慢をお願いしたい。「Racing the Enemy」の長谷川毅氏への反論、Tsuyoshi Hasegawa vs Sadao Asada, その論争を少し見てみよう。日本の終戦に関わることだ。長いので考察は後回しにする。先読みしてください。
TSUYOSHI HASEGAWA vs. SADAO ASADA: Debating Hiroshima
The Atomic Bombs and the Soviet Invasion: What Drove Japan’s Decision to Surrender?
Racing the Enemy: A Critical Look
Sadao Asadaの見解 :麻田貞雄 wikipedia
Sadao Asadaを支持する見解
長谷川発言の前提となる日本内部のロシアに寄せる信頼、は驚くべきものがある。その点で、長谷川氏と上にも書いている伊藤隆氏の見解は重なる。そしてこれにVenona Fileがさらに重なって、終戦前の赤く染まった日本が見えてくるのだが。そしてそこにGHQの赤い人たちが加わって、一時日本は共産化される。ノーマンがしたことは牢獄にいた共産党員の釈放であった。このあたりまでは、左右両方の方に追認を得られるはずだ。問題は誰がとことんまでロシアを仲介とする和平交渉を牽引したのか。これに関しては共産党シンパまたはコミンテルンの人間が日本の中枢に驚くほど多くいたに違いない、というところまでしか、議論されてはいない。
Tel Quel Japonではロシアを仲介とする和平交渉を牽引した人物をある資料を通して突き止めた。もう少し検証してから記事にするつもりでいる。言わばその前提となる、和平交渉に関するこのペイジの上記の記事を、追認できる範囲まででいいので、読了読解しておいていただきたい。願わくば、長谷川氏や伊藤隆氏の見解に、感想、同意反論などをコメントして頂ければ、喜びとしたい。

・・・・・追記:2013年11月27日・・・・・
殺戮の草原――葛根廟事件の証言
ソ連軍兵士の強姦、殺戮、暴行、強奪

Bonner F. Fellers (2) 未完

General Bonner Fellers, the “hero” of the WWII drama “Emperor”?
'Emperor' review: Bad history lesson
参照:敗戦後の「国体」危機と宮中の対応:←お薦め
リンクとリンク参照では読書価値においてバランスがとれないが。
参照:天皇の国体護持活動ー終戦期
日本の資料だけでここまで切り込んだ文章は見たことがない。日本人が残しかつ用意した資料だけでは、論考は不可だと思っていたが、よくある無思考・ワンパターン保守の書く文章とは一線を画している。文字が小さいので、読了したわけではないので内容には具体的に触れないが、これくらいはざっと見ればわかる。
・・・・・
参照:近代日本人の肖像Teizaburo Sekiya
通り一遍だが写真があるのが良い。
・・・・・
参照:Brig. Gen. Bonner "Fighting Frank" Fellers and the "For America" group
Bonner Fellersは日本で考えられているより実はずっと大物で、かなりはば広く活動している。Allen Dulles, Willoughby等に、近似性があるように思う。
・・・・・・
駐エジプト武官時代のボナー・フェラーズ 井口 治夫
ボナー・フェラーズと戦略情報企画部 井口治夫
・・・・・

(つづく)

Bonner F. Fellers (1)

Bonner F. Fellers, Hirohito’s Guardian General
The Education Forum
After the war, Fellers played a major role in the occupation of Japan. He met with the major defendants of the Tokyo tribunal. According to historians Herbert Bix and John W. Dower, Fellers allowed them to coordinate their stories to exonerate Emperor Hirohito and all members of his family. [3][4] This was at the direction of MacArthur, now head of SCAP, who wanted no criminal prosecution of the Emperor and his family.
U. S. -Japan Relations, June 1945-June 1946
ハーン・マニアの情報将校ボナー・フェラーズ
 〇ボナー・フェラーズと河井道
 〇日本を救ったハーン
Bonner Fellers : You Tube
Bonner Fellers * Tokyp Tribunal
〇第二次世界大戦 心理戦-1 心理戦ー2

・・・・・追記:2012年9月2日・・・・・
Tel Quel Japon: 知られざる降伏条件 関連(2)
Bonner Fellers and U.S.-Japan Relations Jume 1945-June 1946 by Haruo Iguchi 論文:

・・・・・以上最終はは2012年9月2日です・・・・・
・・・・・追記:2013年11月26日・・・・・
直前にあるこの記事続きがどうやらこの記事

マッカーサーがアイゼンハワー統合参謀本部議長に宛てた極秘電報の内容を、内密で日本の宮内省高官に伝達。「天皇の戦争責任は形式的なもの。全責任は東条英機元首相らにかぶせる」とのマッカーサーの考えを日本側に伝え、戦犯を裁く東京裁判で天皇を訴追しないことを水面下で調整していた疑いがある。

スクープかというタイトル?の8月18日の記事。名古屋大大学院の井口治夫教授の手になり「来年春ごろ(出版)の見込み」とある。スクープとすれば「全責任は東条英機元首相らにかぶせる」の部分が目玉か?この記事を英訳してThe Japan Timesに掲載されたものがこちら。
Was Fellers friend of Japan or master manipulator?

he was said to have taken the risk of secretly disclosing MacArthur’s confidential message to the general steward of the then-Ministry of the Imperial Household.
In a message to Gen. Dwight Eisenhower, chief of staff of the U.S. Army, MacArthur wrote that the Emperor’s role in the war was only ceremonial and that Prime Minister Gen. Hideki Tojo and other political leaders would be held accountable for all war crimes.

Bonner Fellersが日本と内通していたような書き方だが、寺崎のいう「Bridge」の役割が彼らの使命なので、こっそり一方の動向をもう一方に知らせるのも仕事の範囲だろう。日本を愛したFellersという従来の見解を打ちやぶり「Fellersの正体見たり」というところがスクープなのかもしれない。がFellersの(役割と)正体は「昭和天皇独白録」P.206 & 207、「フェラーズ准将の米内大将に対する話」(21年3月6日)の中にも現れている。過去記事にはそれに該当する英文を出していないが、「昭和天皇独白録」の中でFellersは米内にこのように実は言っている。重要部分である

「自分は天皇崇拝者ではない。随て15年20年先、日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人としてどうなって居られようが、関心は持たない。しかし、連合軍の占領について、天皇が最善の協力者であることを認めておる。現状において占領が継続する間は、天皇制も引き続き存続すべきであると思う。


来春刊行予定とかのBonner Fellersに関する井口氏の著作の内容に関しては、論文紹介や新聞記事から想像する限りにおいては、すでにTel Quel Japon等のblogでBruxellesは書き尽くしている。資料を持っているからだ。井口氏がどんな方向でペンを取られるのか、味付け盛りつけまでは勝手に想像するわけにはいかない。Bonner Fellersに関しては他のところにこっそり置いているものもあれば、未だどこにも書いていない情報も抱え込んだままだ。開示の仕方を思案している。

・・・・・追記:2013年12月22日・・・・・
参照:4天皇の国体護持活動(1)終戦期
字が小さくてほとんど判別不能、拡大もできない。内容・判定は別にして日本で入手可能な資料をつかってここまで書けるのはすばらしい。まともに読めたら、資料そのものの目的の検証もできるのだが。
参照:「終戦のエンペラー」の神話と史実

テーマ:日本を憂う - ジャンル:政治・経済

War, Journalism, and Propaganda

今日もまた連続ではなくて飛び入りだ。Tel Quel JaponではPropaganda>PR :Edward Barneysという項目をカテゴリーに設けて早くから戦争行為及び歴史解釈にPropagandaを持ち込んでいる。しかし常に誰からもどこからも反応がなく空振りに終わる。優れたPropagandaの研究家が出現して歴史解釈の魚の目・タコの目をスッキリ摘出していってもらいたい。私は戦時Propaganda研究はコミンテルンの役割の解明と同程度の重要さがあると思っている。歴史解釈にPropaganda研究を取り込む潮流の兆しだけでも、現れればと切に願っている。
今日はタイトルにもあるように非常に興味深い記事に出会った。タイトルはWar, Journalism, and Propaganda: An Analysis of Media Coverage of the Bosnian and Kosovo Conflicts と少し長い。日本に関係がないようだが、このなかの2つのチャプターにおいて、日本がやられたPropagandaが詳しく書かれている。日本人以外の人間がこれだけ戦争における日本及び日本人のPropaganda被害を日本の立場から克明に取り上げてくれたことはかつてない。2つのチャプターとは Concentration Camps in AmericaThe Archetypes of Propagandaであるので、この部分だけでもクリックしてお読みいただきたい。アメリカが日本人をどのように見ていたか、こうしてまとめて書かれると胃が痛くなるけれどもはっきりと思い当たるはずだ。
War, Journalism, and Propaganda

・・・・・追記:2013年11月27日・・・・・
参照:Tel Quel Japon過去記事:戦争広告代理店


MARIKO 柳田邦男 新潮社 (2)

P.123 昭和22年5月、奥村が天皇・マッカーサー会見の内容を新聞記者にしゃべりすぎたという理由で、免職になり、英成がその後任を務めるよう命じられた。(略)会見の内容は、形式的なあいさつに止まるものではなく、内外の情勢について、かなり率直な意見の交換が行われたものと見られていたが、その内容はほとんど公開されなかった。
(少しでも外部に漏らすと免職、になるような内容が話されていた)
P.124 英成は会見内容をメモにまとめて、宮内庁長官に報告していた。マッカーサー側は記録を残していないから、日本の戦後史の中で重要な意味を持つ天皇・マッカーサー会見の内容は、奥村や英成など御用掛の報告書でしか明らかにすることはできないが、宮内庁はその報告書をいまだ公表していない。
奥村一等書記官について
奥村勝蔵

・・・・・追記:2013年11月23日・・・・・
P.125 :英成がいつクエーカー教徒になったのか、グエンの記憶では、はっきりしない...もともと天皇の希望で皇太子殿下の家庭教師の選考が行われたとき、英成とグエンは、学習院長長山梨勝之進らとともに候補者の中からバイニング夫人を積極的に推薦したいきさつがあった
(戦後寺崎はクエーカー教徒に突然なっている。ちなみにグエンは一貫して長老教会派(プレスピテリアン)である。この急激な信仰は少し謎を含んでいる。
参照:クエーカー教徒 & 参照:クエーカー教徒フェラーズ
参照:クエーカー人脈と新渡戸稲造
ボナー・F・フェラーズ、寺崎英成、関屋貞三郎、バイニング夫人、等クエーカー教徒、ここに貞明皇太后、秩父宮勢津子妃殿下を含む資料もある。
その他:クエーカー人脈ー1クエーカー人脈ー2
・・・・・・・・・
P.60 来栖は、英成のルートとは別に、アメリカの有力財界人を通じて大統領に話を持って行く案も考え、三井物産ニューヨーク支店長宮崎清にその仲介(ルーズベルト親電)を依頼していた。当然来栖の工作は、陸海軍の武官には内密にされた。(少しペイジを戻って。来栖が寺崎に親電工作を依頼している記述部分。すでに11月の末または12月の初め)
p.61 ジョーンズ(スタンレー)博士がルーズベルトと密かに会談したのは12月3日だった...親電工作そのものは本省には内密のうちに進めていたものだから、報告するはずもない。
参照:日米交渉
野村も来栖も寺崎も含めて、在米大使館は、本省の指示とは全く別の行動をとっていて、これではまるで、米国専属の対日本工作機関のようだ。すでに彼らは日本政府とは心理的に決裂しているかに見える。この日米交渉を見ても、単なる米国の時間稼ぎに協力しているようにしか見えない。そして開戦の直前には、「ルーズベルト親電」というスタンドプレーに集中している。来栖は何のためにダブル大使として追加派遣されたのか、意味不明だ。しかし戦後の平和、平和の金科玉条のなかでは、彼らは勝者の側の人間となり、開戦前の逆臣行為は、むしろ平和主義者の戦争回避として賞賛される。平和主義者の戦争回避は結構なのだけれど、内容が内容だけに、ルーズベルト平和主義者アリバイ工作みえみえ、東京裁判でさえ、東條に一蹴された、内容はその程度なのだ。朝河の試案の方なら多少効果的だが、所詮朝河はルーズベルトではないのだから、ルーズベルトの署名も認可も得ることができなかった、ルーズベルトは開戦回避など端から願っていないのだから。
ところで来栖も寺崎もなぜルーズベルトに開戦回避意思などがあると、勝手に思い込んでいたのだろうか?むしろ戦争回避を徹底して望まれたのが天皇陛下だとして、ならば天皇陛下のお言葉をルーズベルトに届けるのが日本人大使の役割ではないのだろうか。開戦に暴走する血に飢えた悪の軍閥に苦しんでおられる天皇陛下をお助けする意味でも。同じ反政府工作をするなら、これならたとえ失敗しても敗戦後には「救国に奔走したもの」として正真正銘の名誉を獲得できただろう。またなによりルーズベルトにとっては真珠湾以上の大きなダメージになっただろう。
大使も大使館員も、自分が派遣されている国で、日頃接している交渉相手と「対峙する」能力がなかったのだろうか、自分のいる場所で周囲に大事にされたいという自己防衛本能からか、一般的に日本人には交渉相手ととことん対峙する、という能力がない。堤堯氏はこれを、丹羽字一郎氏も例に上げ「ミイラ取りがミイラになる」(月刊WILL100号記念特大号)と表現されている。公平を期して以下に参照を二つ付記する。
参照:真珠湾への7日間 外交官たちの苦闘
参照:寺崎太郎(寺崎英成兄)
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どこが究極の駄文なのか (7)

今年の2月3月に長々と書いていた「どこが究極の駄文なのか」は(6)で脱線して(6-10)まで書いたので、今回の(7)で16稿目となる。振り返ってみると、出さなかった記事が二つ、番号なし、下書きのまま残っていた。時間がないので、それらは振り返らないことにする。脱線したまま終わりにする訳にはいかないので、今回(7)をもって(終)としたい。あまりにも当たり前のことで、書く気がしなかったのだが、ほかの記事を書いていてその当たり前のことに触れている自分に気づいて、これはむしろTel Quel Japonに書くべきだと考え直して、今日こちらに移動することにした。そこに「当たり前」のことをさらに追記して、今日の最終稿を仕上げるつもりだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Fellersも寺崎もOSSの「日本計画」もGHQの内部もその占領政策も全く何も知らない無知丸出しの保守の御大が究極の駄文を書いている。よりによっていわゆる南京虐殺への反撃本にである。
どこが(究極の駄文)なのか?&どこが(究極の駄文)なのか?:
ー「あらゆる敗北の君主と同様にヒロヒトも命乞いに来たとばかり思いこんで」ー
君主であるならどんな敗北の君主でもまず「命乞い」などしない。ましてあれだけ勇壮で壮絶な武士の名に恥じぬ戦いをした大日本帝国の、君主である。すでに前提からして駄文なのだ。「命乞いに来る」とマッカーサーが思っていたという根拠も資料もまるでないし、特攻の大日本帝国、その国体をなす天皇陛下にむしろ畏敬の念を持って戦いていただろうと推し量るのが、日本人の常識ではないだろうか。処刑された戦犯の中で誰かひとりでも「命乞いをしたか!」の話だ。竹本某自身の「マッカーサーがそう思う」という前提推測自体が卑しく常道を逸しているのだ。しかも天皇の利用は長年の研究結果としてGHQの切り札的占領作戦である。保守の絶大な尊敬を受けているこの御大はそれさえ知らない
ー「元帥はこの言葉を忘れかねた」ー
こういう作家の視点で、作り話を書く癖がこの御大にはある。ノストラダムス本では途中で自分が預言者ノストラダムスに変身してしまう御仁である。未発行の原本を翻訳書として、好き放題に書いて平然としているお方である。
ー「南京」とは一つの殺人事件だったと見立てて」ー
反撃本にもかかわらず歴史的証拠で正面から反撃することはできないのか?「殺人事件と見立てて日本を被告席に座らせる」?反撃に値するまともな知識のある人間の着眼ではない
今日偶然見つけたのだが、この駄文の筆者には、以下の文の学習をお願いしたい。この辺の歴史入門から、口を開く前にまずは歴史検証の初歩的視野を身につけていただきたい。
The Fateful Year 1898: The United States Becomes an Imperial Power
・・・・・・・・・・・・
追記:2013年11月9日
ー「朕の忠良なる国民に代わって朕を罰せよ」と。ー
この発言は歴史的に確定されているわけではない。証拠がないのだ。天皇陛下御自身「そのことについては言わない」と会談の内容に関して、決して明らかにしない、と断言されている。それをあたかも事実のようにこの文章の核と持ってくる神経は、どうなんだろう。頭の空っぽが透けて見える。これでは文章全体が破綻するしかない。子供の時から「お話じいさん」になりたかった人だから、あることないこと、空想したい気持ちはわからないでもないが、こういった資質の人物は、重要な歴史を知ったかぶりして語るべきではない。
ー「朕の忠良なる国民に代わって朕を罰せよ」と。ー
これに感動した保守の方が多くいらっしゃるのはよく知っている。しかし申し訳ないが、この場面では全く驚くに値しない極めて普通のセリフではないだろうか。どこの国の敗戦の君主ならこれ以外のことをいうのだろう。となりのおじさんでも、このシチュエーションで国家を代表してマッカーサーに会いに行ったら、そして謁見を許されたら、これくらいは言うだろう。しかもこの部分竹本某氏の筆になるとご発言の中に「罰されるべきは国民」が当然の前提として含まれるようで(当時の議論の沸点、最大の懸念は天皇自身の処刑である)、間が抜けているだけでなく、自虐史観丸出しの不愉快なものとなっている。近所の主婦に最近大衆演劇にはまっている人がいるが、その人の話から判断するにマッカーサーがここで感動したとして「世界最高のジェントルマンを見た」というセリフが続くとしたら、大衆演劇の次元のお話になってしまう。でないとしたら喜劇だ。このセリフもそうだが、マッカーサーが天皇の堂々とした立派な態度に感動したなどと言う資料もどこにもなく、このような日本の「お話じいさん」の類の方の創作の中にしか存在しない。出だしの「王殺し、ここに来たれり」から作り話なのだが、これで感動するようなら、人生全て口先だけ、になってしまう。歴史は検証の上に立脚するものでなければならず、この方のように空想を振り回して妄想に入ると、読む人をいい気持ちにしてファンを獲得することは出来るかもしれないが、歴史に於ける創作は所詮捏造そのものにしかならない。これが日記にでも書かれたものなら、あるいは映画のシーンなら、何も言う必要はないが、南京大虐殺を検証し否定するために日本会議が総力を挙げて国際社会に是非を問うたバイリンガル本に付されたとされる文章であるのでそうはいかない。究極の駄文と呼ぶ所以である。

第一回の会談の際、天皇陛下を正面でお迎えしたBonner Fellersが、天皇をお見送りするために一緒に出てきたマッカーサーと二言三言言葉を交わした記録がある。マッカーサーが会談や天皇陛下のご様子に関して感想を述べている。Bonner Fellersの自筆記録である。MacArthurが占領統治に天皇を利用したこと、またそのために部下のBonner Fellersが天皇免責のために大活躍したこと、最近日本でも知られることとなっている。占領期の天皇利用はOSSの「日本計画」の骨子をなす部分であり、Bonner Fellersは本来OSSの諜報専門部員でもあった。GHQに於いては、最高司令官直属の軍事秘書の地位にあり、国際検察局のキーナンや参謀部のウィロビーよりも上位である。感動するとか恋をするとかという話ではなくMacArthurもFellersも日本占領統治という困難な仕事に全力で取り組んだ、しかも例外的に大成功した、それだけの話である。Bonner Fellersの自筆資料だけでなく、GHQの統治資料、及びそれに関する様々な解釈、論述など、今持っている資料を順次開示していくつもりでいる。
口出しするつもりはないので、ご自身の論考にとことんご自由にお使いください。公開された資料は誰か個人のものでは決してないからです。

・・・・・追記:2013年11月12日・・・・・
Report by Colonel Bonner Fellers on the Emperor’s Visit, Sept. 28
The Emperor's abject humiliation hurts me.
He feels he is liable to lose his neck.
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
Emperor Hirohito on Localized Aggression in China
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
What a Difference Half a Century Makes
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
The role of antimilitarism in postwar Japanese political legitimacy
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
書評 『昭和天皇・マッカーサー会見』
考証 昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
International Military Tribunal for the Far East
・・・・・追記:2013年11月14日・・・・・
The Tokyo War Crimes Trial : A Digital Exhibition
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・・・・・追記:2013年11月15日・・・・・
今日コメントを頂いたので少し本文で触れてみます。戦後70年近く、おそらく今後も70年近くいわゆる保守の信じる歴史というものは、以下に明記されていると思います。
文章A:昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」
痛々しいほど気持ちは分かるのですが、祈るような希望、そうであってほしい願望・推量・伝聞に満ちています。この中で客観的に日米両側に記録として残されているのは、この中のこの部分です。
「マッカーサーは感激しつつこういった。『……天皇は、困惑した様子だったが、言葉を選んでしっかりと話をした』。『天皇は処刑を恐れているのですよ』と私がいうと、マッカーサーは答えた。『そうだな。彼は覚悟ができている。首が飛んでも仕方がないと考えているようだ』」(升味準之助『昭和天皇とその時代』)
この資料は11月12日のリンク、リンク集の先頭においているものにも記述されています。Bonner Fellersが家族に宛てた手紙(一次資料)に記されています。天皇陛下をお見送りした直後の会話です。これでわかるように第一回会見の双方の最大の懸案・課題は天皇の処刑です。天皇陛下もFellersもMacArthurも、相手の出方を待っている状態で、従ってこの会話が真っ先になされた、と見ていいでしょう。特攻隊員をやっつけたい、それだけは回避したい、などという気持ちは誰の頭の片隅にもありません。

この文章Aにあるように「初めに敬愛ありきとでもいうべき鋳型が出来たことにより」ではなく「初めに敬愛ありき」鋳型を保守が必死に構築したのです。そして近似値100%の保守がその鋳型を懸命に抱きしめています。「天皇は握手が終ると、開戦通告の前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、東条のトリックにかけられたからである」という発言まで文章Aにはあります。いくらなんでもこれはまずいのです。また8月29日の木戸日記に「戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして...」とありますが、この時点で複数のものが戦争責任者であり、自分はその中に入らないと天皇陛下がそれを前提として話されるのも、何かを事前に知っておられたかのようで、実に不自然です。また8月29日の時点で「戦争責任者」という言葉を天皇陛下が発せられるもの、奇妙なことです。自分をないがしろにして軍部が独走して邪悪な戦争を引き起こしたと、すでにこの時点で信じきってそう考えておられたのなら、話は別です。同じく木戸日記九月十二日、「久邇宮首相が、連合国の追及に先立って、戦争犯罪人を日本側で自主的に処罰する方針を」というのも残酷な話で「戦争犯罪人」を特定はしていないにしても日本側で勝手に特定して差し出し、マッカーサーのご機嫌を取ろうとしている皇族がおられたということになります。保守が抱きかかえているこの鋳型にはこのようにボロボロときつねのしっぽが見え隠れしているのです。しかもその狐のしっぽが、目に鱗が張り付いている保守には、うさぎの脚に見えるらしく、後生大事にふところ深く心臓付近にしまいこんでいます。天皇陛下とマッカーサーの間に敵対よりもむしろ友好と信頼と尊敬が芽生えたという、この手の文章は、つまるところ、保守が嫌がる、自虐史観や占領憲法や、日本国の米国属州化、原子爆弾被害の容認、日本帝国主義者の侵略戦争史観の拡大等を永遠化してしまうのです。文章Aを信じる信じないはご自由ですが、バランスを取るために文章Bを置きますので、こちらもご覧ください。おすすめした「考証 昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見」はあまりに長いので読めない、という方のためにそれを極端に短くしたようなものだといってもいいでしょう。
文章B:「終戦のエンペラー」の神話と史実
文章Aと文章Bの支持者を考えると全体的に99:1くらいの割合だと思いますが、文章Aは始めから終わりまで鋳型構築のための繰り返し暗示戦法のかなり洗脳的な文章だと思います。文章Bには苦しい言い逃れや単なる推論はすくなく文章Aに比べれば圧倒的に論証性が高いと言わざるを得ません。次に文章Bの内容を裏付ける資料を置きます。英語の読める方はご自由にご解読ください。これで全容が明らかになるはずです。読みたくない方には無理強いどころか、決してお勧めしません。探究心の全くない思考停止した居酒屋宴会保守や、ワンパターン保守には、たとえ読んでもこの資料価値がわかるわけもなく、猫に小判だからです。
参照:Saving The Throne :

MARIKO 柳田邦男 新潮社

MARIKO 柳田邦男 新潮社 昭和55年7月5日 発行
25刷 昭和56年9月25日

その頃私は3Fの英会話学校で仕事をしていた。親しい友達が遠くに去っていくことが決まっていて、その人は私の授業が終わるのを2Fの書店で待つことが多くなった。その人が平積みにされた新刊本の前で立ち止まった。「何を見ているの? あの本ね、大ベストセラみたいね。興味あるの?あの本に」「タイトルみて。」「あの本、読みたいの?買いたいの?」「タイトルみて(微笑)!」「タイトルだけで買いたいの(微笑)?」そんな会話をした。私の興味は他にあったが、そんな記憶のせいでよく覚えている。この本は飛ぶように売れていた。今その本を手にしている。
期待しないで読み始めたが、非常に貴重な本だと気づく。ところどころメモしながら読んでみようと思う。

P.51 野村は松岡の訓電のうちアメリカ側の感情を刺激する恐れのあるものについては、伝達を控えたり、一部を削除して伝えたりし、さらにアメリカ側からのステートメントについても、しばしば手許に控えおいたために、松岡を激怒させた。
:このあたりは私がマジックからとった情報と完全に一致する。野村は職務違反である。野村はルーズベルトと個人的に親しく、あちら側についていたのだろう。野村の辞表願い(職場放棄)も書かれている。この本では、戦争回避派、尾崎秀美が戦後そう呼ばれている、いわゆる非戦派と同じ範疇なのがわかる。どちらが良い悪いはこの際控えるが、開戦時に反戦主義者が公然と居て、しかも戦後彼らは讃えられ賞賛される側に回ったことも確かである。この本のMARIKOは寺崎の娘で、宣戦布告が遅れた原因と一説に言われている大使館の「送別会」は、寺崎の送別会であることがわかる。だいたい交換船で帰国した人間はほとんどが共産主義者か親米派であるが、これを読むと大使館の人間はほとんど全部、反戦主義者ということになっている。遅れて持って行って、ハルやルーズベルトが激怒するのも、全部出来レースかもしれない。どうでもいいことかもしれないが、MARIKOの名付け親は重光葵である。近年山本五十六についても新解釈が出てきているが、この本でも山本五十六は、むしろ米国寄りの人物である。私の祖父も2・26の少しあとに亡くなったが、日米開戦は極端に嫌ったはずで生きていれば親米の非戦派だっただろうから、だからどうだと言うつもりはない。この本はMARIKOのBiographyのような本なので、読んでいてこの一家に情が移っていくのも当然で、そのへんのことをなるべく割り引いて客観的に記述しようとは思っている。書き出しは、オヤッと思ったところに限定する。判断は控える。

P.71 「大統領が天皇陛下に送った親電のことだけれど、あの親電のために僕が何をしたか、日本の外務省や軍部にはもうわかっているかもしれない。もしわかっていたら、僕たち家族の命はないものと思わなければならない」
:寺崎が妻グエンに言うセリフである。親電とはこのような性格のものだったのだろうか。つまり「ルーズベルトは平和主義者だという、工作」か。親電の関係者はたくさんいる。Tel Quel Japonでも既に何人か関係者の名前を上げている。これは在米の日本人から提案したことで、米人の策略ではない。そんなことで戦争が回避できると思っていたのか、米国に魂を売った日本人が「ルーズベルトにへつらうために考え出したことか」なんとも言えない。東京裁判でも問題視されたが、東條が取り合わなかったので、助かった。実際ほとんど何の意味もないないようであった。Tel Quel Japonでは既に内容も紹介済。朝河だけでなく、寺崎も、親電には深く関わったということは、事実と見ていいだろう。

・・・・・追記:2013年11月10日・・・・・
この本の内容にもぴったり一致する。この論考も素晴らしいと思う。
ルーズベルトから天皇への親書、生成過程 杉原誠四郎
何故これ(Tel Quel Japn過去記事より)を探し出したかといえば、あの電報を差し止めたのは瀬島龍三だとか、あの電報がもっと早く天皇陛下に届いていれば、真珠湾はなかった、とかいう「お話じいさん二世」のような人たちの文章をネット上で見たからである。元は産経の記事らしいが、そこから派生した無茶苦茶なBlog記事が多い。瀬島憎しとしておけば、ワンパターン保守が飛びつくのはよくわかるが、電報そのものの生成課程に触れもみで「電報を差し止めたのは瀬島らしい」という情報だけで歴史原稿を一本仕上げるのは、紙芝居じいさん、と言わざるを得ない。何故ならこれでは「ルーズベルトがチャーチルと苦労して仕組んだ日本の真珠湾攻撃」に関して端から無知、そしてその無知の露呈と言わざるを得ないからだ。すでに資料は山のようにある。あのBarbara Waltersでさえ米国内番組で認めていたではないか。日本人でありながら米製Propaganda「Remember Pearl Harbor」に与しようという保守の人間はそろそろ首でもくくって退場したほうが良い。それが嫌なら今日の一番上のリンクをクリックされたし。全部解説されている。
ちょっと探して見つかった関連過去記事だけを取りあえず出しておく。探せば、10や20どころではない。
参照:開戦神話 井口武夫著 中央文庫
参照:沈黙のファイル 共同通信社社会部編
参照:朝河貫一とOSSの日本計画
参照:日米交換船 未完

(つづく)

放送のお知らせ & 放送 そして追記

Tel Quel Japonが放送のお知らせを出すことは珍しい。しかもNHKの「クローズアップ現代」の放送予告。以下が入手した放送予告案内、そのまま記します。
11月5日(火曜日)夜7時30分~7時56分
NHK総合「クローズアップ現代」においてNPO法人インテリジェンス研究所と早稲田大学20世紀メディア研究所が全面協力した番組が放送されます
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/
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Bruxelles邸ではTV視聴不可能なので、ご覧になられた方は、感想などをお寄せください。
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世界中で、政府の要人や市民の電話盗聴を行っていた疑惑が連日報じられているアメリカ。およそ70年前、終戦直後に大規模な電話盗聴や郵便検閲を、日本でも行っていた事実を伝える資料が、今年、憲政資料館で見つかった。

電話盗聴や郵便検閲に関してはその時代を生きてきた人々から話は充分聞いている。GHQの監視下に置かれていたものだから仕方がないと考えてきた。しかしGHQの日本統治は日本側の日本政府の協力がなければありえない。新憲法をはじめとして、WGIPも含め、GHQの新日本創造はあくまでも日本中枢との二人三脚であったと知るべきである。隠蔽するためにGHQ焚書の中に日本人自らが嬉々として紛れ込ませた「日本の戦争の正当性を充分に立証できる資料」も多くあるに違いない、とは前から考えてきた。日本人に焚書されたのは、特に時代を先読みできた日本人の素晴らしい頭脳であった筈だ。
一例:GHQ焚書 白鳥敏夫 by 西尾幹二
ワンパターン保守の中ではこの人は松岡洋右同様、憎悪の対象とされている。

GHQは徹底して事実を秘匿し、検閲に関わった多くの日本人たちも、“敵国”へ協力していた負い目から、そうした体験はほとんど語られず“同胞監視”の真相は闇に包まれてきた。今回取材班は、発見された名簿を元に当事者の証言を収集。見えてきたのは、アメリカの秘密機関による諜報活動の実像と、検閲を手がけた人たちの苦渋の決断、戦後70年近く背負ってきた苦悩だった。

クローズアップ現代がどのような視点で報道するかは知る由もないが、視聴に際し重要事実を慎重に純粋にピックアップされんことを願っている。資料は、バカやハサミと同じで、使いよう、つまり何が引き出され、どう展開されてゆくのかを、鋭い視線で見破らなければならない。末端の人の「苦悩」に、売国奴の言葉をかぶせるのではなく、何のためにその「苦悩」が必要とされたのが、その苦悩はGHQ支配下で、どのような国益を日本にもたらすつもり(非実現の過去)だったのか、熟考していただきたい。たとえばGHQの下僕になることがよき日本人として再生するための一番の近道、だったとか。だとしたらそういう「空気を読んだ」ことの苦悩であろう。そのような空気はどんな成分から出来上がっていたのだろうか。

////////以下は未検証・紹介のみ///////

20世紀メディア研究所 山本武利氏談
占領期のメディア統制と戦後日本
米戦時情報局が見た中国共産党の日本人洗脳工作:

GHQ占領政策としてのマスコミ規制考

GHQの秘密機関CCD(Civil Censorship Division)
これで検索してみたら以下の本とその内容の一部が出てきた
Baidu IME_2013-11-4_12-18-43
この本はすでに過去記事で紹介済みのものだ。
Allied Occupation of Japan

・・・・・追記:2013年11月6日・・・・・
自身見ていないのでなんとも書けないが、一週間ほどしたら、「さわり」くらいは見ることができるだろう。それまでこの記事を引っ込めようと思ったが、上に紹介しているInside GHQの中を少し覗いてみることができたので少しだけ追記して残すことにした。すでによく知られている内容が大部分だったが、どうやら敗戦を決断する過程で、徹底抗戦派(戦闘継続派)と敗戦選択派(国体保持のみを条件とする敗北容認派)の対立があり、戦況の変化と共に次第に見解や立場を変えている様子がわかる。当然のことだ。心は早くから悲鳴を上げているが、立場上おいそれとは敗北容認などできるわけがない。はじめから敗戦選択派がいたとすれば、そもそも開戦そのものにいたらなかったわけなのだから。天皇陛下の大日本帝国に命を捧げてきた民草が、そして部下にも家族にもそれを強いてきた者が、しかも天皇陛下の御前で自ら大日本帝国の敗北を選択・主張できるわけがないではないか。後世の日本人から見れば終戦交渉の開始も1、2年遅いし、決断に至るまでの優柔不断は目も当てられない。が、その場にいない者にそれを非難する資格はない。
INSIDE GHQ-1(Yoshida Shigeru, China hand) & INSIDE GHQ-2(Yoshida anti-War group) & INSIDE GHQ-3
INSIDE GHQ-4(which=Konoe's Memorial to the Throne ,Yoshida had helped draft) & INSIDE GHQ-5 (one more military gain) & INSIDE GHQ-6(one last victory, a decisive blow)

/////////追記:11月6日 午後11時49分//////////

クローズアップ現代:2013年11月5日 放送
放送内容 文章 & 放送内容 Film
私的感想だが「何が何のために収集されたのかに関して」内容が浅い。むしろこちらのカスタマーレヴューを全部読むほうが遥かに興味深い。閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
どなたかが書いておられたが「戦後67年、講和条約発効による独立達成後62年、GHQのせいにしても意味がなく(知ることは重要であるが)すべては日本国民自身の問題である。」ということだろう。言語空間を閉ざしているのはGHQの後釜になった日本政府かもしれない。空気の入れ替えなどする術もない。全部開けたら腐敗臭とカビと黴菌で即死するかもしれない。
・・・・・追記:2013年11月8日・・・・・
早い話が、「氷雪の門」は何故36年間もオクラ入りされなければならなかったのか?毎年のように「人間の条件」がTV放映され続けるのはなぜなのか?という事だ。
話がそれるが「氷雪の門」を見て感動した、ロシアは許せないと叫んでいる戦争で母を亡くした人に、Tel Quel Japonの「氷雪の門」の記事を見せた。後で感想を聞くと「何故もっと日本のことをよく書けないのか」と怒りをぶちまけられた。「エェー?」と吃驚仰天したが「どの辺が許せないのですか」と聞いてみた。黒澤や篠田の日本映画にケチがついていると言いたかったのだろうか?やや間があって「樺太なんかとってない。はじめから日本のものだ」と大層な剣幕だ。「そこに書いているように、1905年のポーツマス講和条約によって、樺太島の南半分が日本領土になったんですよ。その前に、ほら、千島樺太交換条約があって、」「ようわからんけど、もうちょっと日本のことをよく書かけるでしょう」???「♫カラフトとられてお気の毒♫」に意味不明の罪悪感を感じてしまったのだろう。日本が勝って万歳をしたり、戦闘行為をしたり、厳かに南京入城したり、領土を拡大して提灯行列をしたりすると、何か非難されているように感じ、「まずい」と困惑する人が、特に無知な愛国者に多い。日本人が殺されたり強姦されたり、爆撃されたり、領土を奪われたり、敗北して頭を垂れたり、そういうシーンを見るとやっと強い立場に立てたと思い、安堵して興奮したりスッキリ快感を感じるような類の人たちだ。骨髄に達した自虐史観が日本人からまっとうな知力・思考力を奪っている。あなたも最低一度はこの手の愛国者にあったことがあるはずだと思うのですが、いかがでしょうか?
参照・必読:日本の戦争 日本人の戦争

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もう済んだことだが、この文のタイトルの&のあとにGHQ云々と入れたら、そのあとでどういうわけか、全く突然アクセス解析のすべての数値がゼロになった。いろいろチェックしてみたが原因が分からず、最後はとうとうFC2さんに中に入って修正してもらった。「クローズアップ現代」ではないけれど、ある種の単語に、何か検閲が反応しているようだ。思いすごしならいいのだけれど。

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