TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

タイトルを付けてください

出陣学徒壮行会 昭和18年10月21日神宮外苑競技場
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめかへりみはせじ
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The Last Bomb - 1945 U.S. Army Air Forces Bombing Japan:
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The Atom Strikes - 1945 Atomic Weapons :
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Manchuria Battle (参照:追記:過去記事)
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Baidu IME_2013-9-29_9-49-55

終戦の詔勅 玉音放送 & 終戦の詔勅 文字版 :
終戦の詔勅刪修について
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焼き場に立つ少年 20111123_2275048.jpg
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昭和20年9月9日天皇陛下のお手紙
我が国人があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである
我が軍人は精神に重きをおきすぎて科学を忘れたことである

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SURRENDER OF JAPAN:
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OSSを牛のように反芻する

Great Spy Stories - The OSS (1/3)
Great Spy Stories - The OSS (2/3) .
Great Spy Stories - The OSS (3/3) .

OSS 11 films:

Partisans: War in the Balkans 1941 - 1945:
Beacons in the Night: With the OSS and Tito's Partisans in Wartime Yugoslavia:

・・・・・追記:2013年9月28日・・・・・
David Bruce
Spymaster General(今のところ)Donovan決定版
William Donovanの晩年について脳血管性認知症を患ったと書かれているがこういう具体的エピソードがここに書かかれていた。

He imagined he saw the Red Army coming over the 59th Street bridge, into Manhattan, and in one memorable last mission, fled the hospital, wandering down the street in his pajamas.



The OSS と Ho Chi Minh の連帯

57788.jpg
Ho with OSS June 1945 ↑
(2013年9月27日:追記)
The OSS と Ho Chi Minh の連帯 ???
やっと結論が出た。OSSが敵対していたのは共産主義ではない。あくまでもファシストの枢軸国。コミュニズムはファシズムに敵対するものとの認識から、OSSは思想上もコミュニズム、コミュニストに共感し共闘しようとしていたのだろう。Dixe Missionでは毛沢東と、Deer TeamではHo Chi Minhと...(つづく)
(2013年9月28日:追記)
Tel Quel Japon過去記事
OSS in China-1 & OSS in China-2 & OSS in China-3 :
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The OSS and Ho Chi Minh
Ho Chi Minh and the OSS
Vietnam: The OSS and Ho Chi Minh, 1945

吃驚PDF資料
Document : Ho Chi Minh
Guerrillas in the Mist: COMINT and the Formation and Evolution of the Viet Minh, 1941-45
The Deer Team
ヴェトナム独立宣言の世界史 : ヴェトナムとアメリカの独立宣言を結ぶ

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ベトナム戦争:ミナミの黒門市場の入り口付近の地下に昔「ENFANT アンファン」というJazz&Rockを聴かせる店があった。そこの椅子や床はBodySonicとか言って音を体感できるようになっていた。そこで脱走米兵と出会ったことを思い出した。時はバラバラで2、3人に出会った。言うまでもなくベトナム戦争脱走兵だ。日本にはきっちりとした組織があって(ベ平連)ことは失敗なく運ぶらしい。「これからどうするの?」と聞けば、「先はわからない。投獄されるので故郷には帰れない」という。共産主義者というより、戦争が嫌で脱走したような純朴なアメリカ兵である。ひとり熱心にLSD体験を語り一緒にやらないかと私にすすめた脱走兵がいた。「吸うとどうなるの?」「気がついたら電車の前に身を投げ出そうとしていた」「LSDって精神病の治療薬で、必要もないのに飲むから危ないことになるのよ」「もし、そうして死ねたら楽じゃないか」ー気の毒に「人を殺しにいけ」と祖国に言われてもう破れかぶれなのだろう。私はドミノ理論を語ったが脱走兵がうなづくわけがない。「アメリカ人だけれど、ベトナムとはなんの関係もない、そうだろう」と脱走兵に言われたら、言い返す術はない。「日本が巻き込まれたら、君はどう言う?」と言われ「ベトナム人をわざわざベトナムまで殺しに行く必要はないわね」と言った。
脱走兵に会ったことを今の今まで忘れていた。あの頃、ベトナム戦争が有り、学園紛争があり、ヌーベルヴァーグがあり、ヌーボーロマンがあり、LSDなどを使ったサイケデリックアートがあり、リトルマガジンがあり、ミニスカートがあり、ヒッピーがたくさんいて、内ゲバの殺し合いがあり、暗黒舞踏があり、「母親(アメリカ)殺し」がテーマの寺山の劇団が日本全国から家出少年少女を集めていた。新宿ではフーテンがシンナーを吸っていて、それでも風月堂に行くと必ず出会いが有り異界のように楽しかった。頭を垂れ暗い顔をして、加えて混沌とPanicの中にいたが、日本の輝く未来はすぐ目の前にあるかのように、信じていた。自分個人の未来が真っ暗でも、私は同世代とともに迎える日本の未来を夢見ることができた。だからアメリカ人の脱走兵など、やはり舞台の端役、あっという間にいなくなる通行人、あるいは小道具のひとつ位にしか認識できなかったのだと思う。

/////追記:2013年9月26日&27日/////
日本語訳付き ベトナム戦争
Second Indochina War-ep1/5 .
Second Indochina War-ep2/5 .
アメリカは日本本土への空爆と原爆で「味をしめた」としか思えない。
ドミノ理論など、どうでもいい。アメリカに同調して軍隊を送り殺戮・レイプに奔走した他国の軍隊は、反共のもとに結集した、意味不明の半狂軍である。
Second Indochina War-ep3/5
Second Indochina War-ep4/5 .
Second Indochina War-ep5/5 .

参照:Tel Quel Japon過去記事
The First Indochina War:
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Woodrow Wilson (1)

Woodrow Wilson: Biography
14箇条の平和原則:Woodrow Wilson これだけが有名
Woodrow Wilson: Wikipedia
Wilson's War Message to Congress:

・・・・・追記:2012年3月2日・・・・・
Woodrow Wilson

The Committee on Public Information was set up to influence public opinion in America. Established by Woodrow Wilson through Executive order 2594, April 13, 1917. The committee consisted of newspaper editor George Creel (Chairman) and Secretaries of: State (Robert Lansing), War (Newton D. Baker), and the Navy (Josephus Daniels) as ex officio members. Also involved were Edward Bernays, Carl Byoir, and Ivy Lee. The Committee on Public Information coordinated all government propaganda efforts and put in place a censorship code that was backed up by the Espionage Act of 1917.



・・・・・2013年9月18日・・・・・
本来は2011年の記事ですが、必要有り、上にあげます。
Tel Quel Japon 関連過去記事
Edward Bernays (1)
Committee on Public Information
Edward M. House
Edward Bernays (4):
FRB & CFR & (日銀・日本国)
Paris Peace Conference - 1919 前編

・・・・・2013年9月19日・・・・・
時間がないが重要なので手持ちの参考資料を並べておく。
Edward Mandell House had this to say to Woodrow Wilson regarding Social Security
Social Security but for whose Societyということか?
Edward Bernays and the Art of Public Relations
大衆心理操作、PR,プロパガンダ、mind control,全ては実は、フロイトの精神分析から発して、フロイトの甥のEdward Bernayが実用化させたものである、ここをまず知ること。Edward Bernayはパリ講和会議にWoodrow Wilsonのブレインとして参加している。同じく大衆心理操作専門家のIvy Leeもパリ講和会議に出席している。Ivy Leeに関してはこちらを参照。
参照:Ivy LeeとJohn D. Rockefeller の関係
Ivy Lee, John D. Rockefeller, and the Ludlow Massacre
Ivy LeeはJohn D. Rockefellerのイメージを180度作り変えた。
psywar - Howard Zin about Ludlow Massacre

・・・・・2013年9月18日の記事を都合により上にあげます・・・・・
・・・・・2013年9月23日:追記・・・・・
昨日昔父がデザインした本箱を覗いてみると昨年買った「嘘だらけの日米近現代史」倉山満著が目に入ってきた。帯を見ると「ご存知ですか?リンカーンは極悪人、ウィルソンは狂人、ルーズベルトはスパイ、クリントンは破壊者etc.」とある。なかなか面白そうな帯だ。中を見るとP.61、ウィルソンの任期は1913年から2期8年ですが、最初の7年間は人格異常者として、最後の一年間は精神障害者として大統領の仕事をしました、とある。filmでは脳梗塞の後遺症と言っていたが、顔つきは最後激変している。精神障害者と言ってもいいような表情になっていて、大統領の仕事をしたのは実質的に妻であって、Wilsonはほとんど廃人で、それを隠し通したとfilmでも言っていた。人格異常者の最初の7年間は、口では理想を語りやることは想像を絶する。「自分をキリストと勘違いしていて」というのは言い過ぎだが、神を身近に引き寄せていたことは確かだ。何事も神に導かれていると確信していたようだ。他のペイジにも既に書いたが、焚書もしているし、侵略もしているし、なにより戦争も引き起こし、第一次世界大戦にも参戦している。この辺を私は現実離れした人格で、取り巻きに操られている、と判断しているのだが。女性には情熱的で、男性的な魅力もあるが、なにしろ作られたロボット大統領である、というのが私の見解である。以前ルシタニア号事件を調べた時に、政治素人のWilsonをほとんど無視して、政治家や金融家・銀行や大会社・大企業や思想家や心理学者やたくさん名前が出てきたの覚えている。これが第一次世界大戦へのアメリカ参戦を誘導する事件となるのだが、本当にたくさんの利害関係が絡んでいて、Wilsonの存在感をほとんど感じなかった。大日本帝国と日本郵船もそうだが、大型船舶・大型客船というのは今では考えられないくらいに国策と密着していて、金融界・財界と政界の癒着の象徴のようなものではなかったかと思う。飛行機はまだ小さくて乗客や、貿易品や軍事物資の輸送手段にはなりえなかった。この時代背景を考えなければ、客船沈没の真の重大さはわからないと思う。

A Revised History of the Shandong Question 山東問題見直し

Woodrow Wilsonを調べている過程でこんなものを見つけた。
Wilson and China:
A Revised History of the Shandong Question
by Bruce A. Elleman
9780765610508.gif
Reviewed by Roger Chapman
非常に面白い。この本のAMAZONのペイジ
Roger Chapmanの書評から少し引用する。
Later, China claimed it signed the secret treaties with Japan while under duress (p. 44). The evidence shows, however, that China "gladly agreed" to the secret agreements (p. 27), pleased to receive the infrastructure improvements (such as the railroad line and mining technology). But China's real self-betrayal came after the war when it insisted on receiving back Shandong from Germany and not Japan, a ridiculous demand that would force Japan into a humiliating position that the circumstances did not warrant (pp. 46-48)...
The letter blamed Wilson for allowing imperialists to continue their exploitation of China (p. 128). This letter, argues Elleman, contributed to the Shandong myth, its perception that Wilson had betrayed China, and it helped convince the U.S. Senate to reject America's joining the League of Nations...
この前半を読み始めたときは吃驚したが、思い出した、最近読んだ西尾幹二著GHQ焚書開封8「日米百年戦争」第6章第7章にこの辺のことが書いてあった。小見出しで言うとそれぞれ「二十一ヶ条」真の要求は四項目で、極めて妥当な申し出だった、米支以外の国々は日本の「山東問題」に理解を示していた、となっていた。日本史を学校で勉強した人には想像もつかないような事実が書かれていた。偶然だがBruce A. Ellemanのテーマも同じである。上の表紙の顔はWilsonと顧維鈞だと思われる。顧維鈞は代表する政府からほとんど事実関係を知らされることなくParisに来ていて(Bruceの見解)、米国の代表団の指示に従って発言していたと思われる(日米百年戦争の見解)。顧維鈞については前から気になっていて、いつか日を改めて書くつもりでいる。引用の後半部はWilsonも困惑する言いがかりで、顧維鈞の態度にWilsonは実際そう感じたかもしれない。これは私の私見であるがこの頃のWilsonは多くの同行した取り巻きの傀儡であり、ほとんど指揮力はなく「なぜそんなことを自分が言われなければならないか」全く困惑したことだろう。

同じくする見解はないかと探していたら、こういうものを見つけた。
歴史に学ぶ対外広報の重要性-第一次世界大戦後の山東問題を事例として by 庄司 潤一郎
この文章には直ぐに賛同される方も多いのではないかと思われる。

ただTel Quel Japonでいろんな本を紹介したからといって、長年教科書や専門家、研究家が書いた内容を一気に否定できるわけではない。たとえば下に紹介する二つの文章、(Bruce A. Ellemanの著作や焚書開封8を読まなければ)、これから先もこういう見解で固まったままの人のほうが圧倒的に大多数を占め続けるだろう。
庄司 潤一郎の文章は日本語で内容的にも非常にわかりやすいので、面白半分にでもクリックして見てください。↑
固まったままの人たちの文章↓
1.寺島実郎pdf
2.パリ講和会議と日米中関係、山東問題を中心に:PDF 大阪大学

・・・追記:2013年9月22日・・・
今日改めて2.大阪大学のPDFを全文読んだ。内容的には全部書かれていた。ただ論調があきらかにWilson寄り、即ち極端な中国寄り、国際社会からの日本排除意思が透けて見える。内容的にはなぜそうなったか、山東問題でWilsonがなぜ敗北したか、そのあたりは、以下のようにしっかりと書き込まれている。ご存知でない方も多いと思うのでその部分を引用する。

日本全権団が山東問題をめぐって、米・英・仏・伊各国に自らの主張を支持するよう働きかけたのに対して、英・仏両国は戦中日本と結んだ密約もあって、支持の意を伝えたが、アメリカの対応だけは違っていた。アメリカ代表団はすでに4月10日の時点で、山東権益の中国への直接返還を主張する方針で、コンセンサスを得ていたのである50)。しかし、 1915年の日中条約を前提として日中間で交わされた、 1918年9月の山東関係交換公文の中に、中国側が「欣然として同意」するという一句があったことと、北京政府がすでに鉄道建設借款の前賃金として日本政府から二千万円を受け取っていたことが、条約開示によって明らかになっていた。これは中国全権団の主張を無力化させる致命傷となっただけではなく、アメリカの中国への支持をも大きく揺らがせる障害物となり、これまで日本に大きなプレッシャを与えつづけた「米中協調」の足並みも崩れ始めた。中国への山東権益直接返還の実現がますます困難となっていくなかで、ウィルソン大統領が受け入れたのは、ランシングから提言された山東権益に対する五大国共同管理案であった。すなわち、 「米英仏伊日からなる五大国は直ちに共同委員会を組織し、放棄された領土の処分を遅滞なく決定する」という項目を講和条約に書きいれ、山東権益の処置をもこの五大国共同委員会に委ねるという提案であった。そして、ランシングはさっそく4月15日の米英仏伊日五カ国外相会議の席で、上述の共同管理案を提唱したが、腸洲湾は植民地ではなく、租借地であるという牧野の反論に遭い、不発に終わった。(略)一方、日本国内では、山東問題が未解決のまま日時を経過していることに焦りが徐々に募り、政府の政策は講和会議前にもまして強硬となっていった。(略)したがって、日本政府からは、 「青島還付問題に付ては支那側の運動よりて直接独逸より還付を受けんとの主張或は多数とならんとするの虞あるに因り同島は我武力によりて占領し、又日支条約は支那が参戦巳前に締結したるものなるに因り絶対に我主張を貫徹せしめざるべからず、万一多数を容れざる場合には連盟条約に調印せずして訓令を乞うべしと強固たる訓令を我全権に送付する事となし直に発送の手続きをなせり」と、全権団に山東問題に関する厳重な訓令が送付された。
(Bruxelles注:日本側の論理も明快であり、日本側の態度もWilsonの偽善的態度に篭絡されてはいない。正しく読めばWilsonの日本排除およびここで中国を手懐けておこうというアメリカ製のNew World Orderの意図が明らかに見える筈なのだが。Wilsonの引きがあるとは言え顧維鈞もよく頑張る、ただ母国が母国なので論理が常に破綻するのは実に気の毒だ。)


顧維鈞で辛うじて繋がっているだけで,少し話が逸れます
You Tube 必見 World Charter Signed (1945)
上の話は第一次世界大戦のあとのパリ講和会議でのこと。国際連盟に関連している。
上のYou Tubeは第二次世界大戦の最中のサンフランシスコ。国際平和を希求す国際組織、国際連合憲章の調印式の報道filmである。最初にサインするのは「一番最初に枢軸国から侵略を受けてきたChina」そのChinaを代表して顧維鈞が登場している。二番目に登場するのは、二番目に枢軸国から侵略を受けた?ロシアのAndrei A. Gromyko、下にその写真を出した。
29-l.jpg
上のYou Tube: サンフランシスコに到着したトルーマンが勝利のパレードを行い、熱狂的な歓迎を受けているシーンがある。この時日本軍はまだ戦闘中、国土は空爆を受けて荒廃し国民は生きるか死ぬかの瀬戸際、しかも米軍の本土上陸に怯えている。1945年6月26日、勝利を祝い永遠の国際平和を誓って彼らは国連憲章にサインしている。指折り数えていただきたい。パレードで勝利に酔いしれ、また永遠の国際平和を誓ったトルーマンが、その一ヶ月以上後に、勝利には全く「不必要だった二つの原爆」を日本国に投下しているのです!国連を軸としてOne Worldの世界平和を目指す政党・政治家・官僚は日本にも非常に多いと思いますが、国連は昔も今もかつて枢軸国であった日本を敵視しているのです。顧維鈞がサインする時filmにかぶさる言葉に耳を傾けてください。戦勝国でもないChina代表に真っ先にサインさせるのは、日本を貶めるためのPropaganda、演出なのですよ!日本国民にはこの瞬間のmind controlが延々と今に至るまで続いていて解けないのです。二度と過ちを云々の石碑が広島にある限り、国連軍の平和使命をアホの小学生のように信じ続ける限り、Remember Pearl HarborがSloganとして機能する限り、永遠に。
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パリ講和会議には近衛文麿も、中野正剛も、FRDも参加していたのですね。

NSAの巨大監視プログラムについて

NSAの巨大監視プログラムについて
報道かあるのに話題にならない不・思・議
エドワード・スノーデン

なぜこれに突き当たったかというと、この辺りから。
1917年のスパイ活動法
Wilsonの自伝filmを見ていたら焚書のようなシーンが出てきて驚いた。Woodrow Wilsonを調べていたらこういうものが出てきた。
Trading with the Enemy Act of 1917
Unit 4 WWI Espionage Acts
U.S. Espionage Act, 15 June 1917:
Social Studies Project on The Espionage and Sedition acts
That time that Glenn Beck was right

結論はゆっくり出すとして、帰ってきてからこれでも見よう。
Eugene V. Debs - C-SPAN: The Contenders
レッテルを貼られたらお仕舞い。監獄行きかもしれない。えぇ!Blogだけで?
いちゃもんやインネンは何にでもつけられる。

(つづく)

CLARE BOOTHE LUCE

Baidu IME_2013-9-18_11-48-6

CLARE BOOTHE LUCE
紹介ー1 & 紹介ー2 & 紹介ー3

Tel Quel Japonには既に登場している。
過去記事:Allen Dulles 4: Mary Bancroft
(Clare Boothe LuceはAllen Dullesの愛人であった)
過去記事:田中上奏文(4)Homer Lea
(Homer Leaを最初に書物で紹介したのはClare Boothe Luce,このClare Boothe LuceにHomer Leaの存在を教えたのは、あのCharles Willoughbyだった)

Clare Boothe LuceがHomer Leaについて書いた本について
The Valor of Homer Lea

ClareはあのHenry Luceの妻であるが、彼女の人生においてそれだけが突出しているわけではない。歴史解釈における彼女の役割は多肢に渡るので、手作業で少しづつ掘り起こしていくしかない。たとえばBernard Baruchも彼女にぞっこんだったらしい。Clare Luceから掘り起こすか、Bernard Baruchから探索するか。男女の関係は思想の共有とは別次元にあるので、無理に繋げようとして混沌に紛れ込む可能性が大きい。いずれにせよ慎重にしなければと思っている。慎重にするしかない。   

・・・・・追記:2013年9月19日・・・・・
Bernard Mannes Baruch
この人もWilsonのお供でパリ講和会議に出席していますね。

・・・・・追記:2013年9月24日・・・・・

原爆と国連

Why Hiroshima Was Destroyed
The Detailed History Of An Infamous Era
By Eustace C. Mullins
抜粋:A UNITED NATIONS PROJECTより(抜粋だけでなく本当は全部お読みいただきたい)
In May of 1945, the architects of postwar strategy, or, as they liked to call themselves, the "Masters of the Universe", gathered in San Francisco at the plush Palace Hotel to write the Charter for the United Nations. Several of the principals retired for a private meeting in the exclusive Garden Room. The head of the United States delegation had called this secret meeting with his top aide, Alger Hiss, representing the president of the United States and the Soviet KGB; John Foster Dulles, of the Wall Street law firm of Sullivan and Cromwell, whose mentor, William Nelson Cromwell, had been called a "professional revolutionary" on the floor of Congress; and W. Averill Harriman, plenipotentiary extraordinary, who had spent the last two years in Moscow directing Stalin's war for survival. These four men represented the awesome power of the American Republic in world affairs, yet of the four, only Secretary of State Edward Stettinius Jr., had a position authorized by the Constitution. Stettinius called the meeting to order to discuss an urgent matter; the Japanese were already privately suing for peace, which presented a grave crisis. The atomic bomb would not be ready for several more months. "We have already lost Germany," Stettinius said. "If Japan bows out, we will not have a live population on which to test the bomb."

国連憲章を書くために1945年4月から6月にサンフランシスコに集まった人たちは、何の目的で何を相談して何を決めたのか。原爆と国連を考える糧として参考にしてください。↑ ↓
参照:Tel Quel Japon 過去記事
The United Nations  & ○The United Nations

この写真を見れば、国際平和のための国際組織である国際連合が、どのようにして生まれ、そして現在のような国連が形作られているかがよくわかる。この連続写真は何を意味するか?
国連は日独を永遠の敗戦国にするための組織である
クリックすると写真が拡大します ↑↑↑↑↑

Baidu IME_2013-9-17_15-15-21
日本の国土はB29によってすでに荒廃し、国民は空腹に苦しみ、空襲に怯えた。政府はソビエトによる和平仲介交渉にのぞみの全てかけて、スターリンに近衛との会談を申し入れる、それ以外に何の案も思い浮かばない。断られてオロオロするばかり。そこへ2発の原爆が落とされる。
それにしても、のんびりと余裕に満ちたまるで重役会議のような各国代表者たちのご様子。
日本の敗戦、日本の戦後は、ポツダムやヤルタで話し合われたわけでもないようだ。連続写真をよく見ると1941年12月の真珠湾攻撃よりも遥か前に、連合国は勝利の先取りをしていたことがわかる。そしてまた最後の写真が含み持つ意味も読み取る必要がある。国連における日本の地位、価値、立場、

追記:2013年9月18日
潘基文を支持し潘基文に仕えた日本人
赤阪清隆 前国連広報担当事務次長 :
明石康氏もそうだが、国連で活躍する日本人は、独特の顔つきをしている。国連に限定せず、国際機関でと拡大すれば、大雑把な特徴がつかめるだろう。

追記:2013年9月19日・・・・・
戦争のはじめから終わりまでを全く別の目で見るために。
不必要だった二つの原爆
国連憲章はいつ頃から議論されたのか、国連憲章は誰の手によって書かれたのか。国際連合は懐妊期から何を目指していたのか、何を目的の完遂としているのか。彼らの究極の理想世界に、これからの未来に、日本国および日本人はどんな位置をしめるのか、果たして存在するのか?
不必要だった大空襲 : (元ペイジTel Quel Japon過去記事):

小学生になるかならぬかの頃、私は宝塚歌劇団に入団したいと、それくらいしか何も考えていなかった。そのころ祖母がPrince of WalesがどうのFranklin D. RooseveltがどうのWinston Churchillがどうのと話しかけてきたが、全く何のことかチンプンカンプンだった。おそらくこのこと日本の中枢は反ソ親ソというより、むしろ反アングロサクソン、親アングロサクソン、に分かれていたのではないか?この写真を見て思う。共産政権の恐怖政治など、誰一人認識してはいなかっただろう、、この時点でも、そして終戦の時点でも)だったのだろう、祖母が言おうとしたのは。これをアングロサクソンの横暴と言わずになんと言おう。すでに日本に対する充分な挑発行為である。これが国連憲章構想の受胎期の正体である。

西尾幹二著「日米百年戦争」GHQ焚書図書開封8の最終章の一番最後の項目の小見出しもこうなっている。「ユナイテッド・ネーションズを国連と訳した外務省の愚」ー国連と訳した時点で日本の外務省は国連の出先機関になってしまっているのかもしれない。そう考えると外務省のこれまでの動きがスッキリと見えてくるではないか。

Woodrow Wilson (2)

以前に使ったリンクをもう一度
Woodrow Wilson:
ここから引用しながらゆっくりと読んでいく。これまでの(繰り返し)まとめになるかもしれない。

まずは名前から
1-Paul Warburg
Paul Warburg's Crusade to Establish a Central Bank in the United States
2-Nelson W. Aldrich
The Secret of Oz - The Federal Reserve (Bill Still)


2013年9月12日13日 日記風メモ

なんだか頭がすっきりしないのだけれど、メモしておこう。
午前中は肺がん・結核検診に市役所に行くことにした。そこでは体脂肪や筋肉の測定も出来るそうだ。時間が来るまでベッドでじっとしてラジオのスイッチを入れた。NHKだったらしくドイツ語講座が聞こえてきた。なんとHoushoferの息子で最後に処刑されたAlbrechtの話をしているので吃驚仰天。ベルリン中央駅付近で殺害されたとき遺体のそばに血に染まった詩篇があったそうだ。鎌倉の大仏のことが歌われている。午前中スレスレに駅前の内科にも行って健康診断、その帰りにNHKドイツ語のテクストを買ってきた。Albrechtはヒットラー暗殺未遂事件に関わって政治犯収容所に収容されていたのだが、このテクストによると父親の方も例のヘスの事件のあと、信用をなくしていたようだ。父親の方は戦後直ぐに妻とともに自殺、資料によると切腹した、と書いてあるものまである。
Karl Haushoferに関して:TQJ過去記事
買ってきたNHKテクスト9月号の最後の放送はHelmut Schmidtについて。元首相である。2010年10月20日、ベルリン日独センター設立25周年祝賀会での基調講演の一部がテクストとなっている。こんなことを言っているので、またもや吃驚。
「幾度となく繰り返される靖国神社参拝は、日本の外の世界に対して、第二次世界大戦に責任がある軍の指導者に対する尊敬と崇拝の念を伝えているかのような印象を与えます。これに対して、多くの韓国・朝鮮人や多くの中国人が強い不快感を示すことを、不思議に思ってはなりません」講演のタイトルは「日本、ドイツ、そして近隣諸国」。元西ドイツの首相が2010年の日独センター記念祝賀会で、何を言うのか。また何故こんなものがNHKドイツ語講座のテクストに取り上げられるのか?講師は筑波大学の相澤啓一氏とボン大学のReinhard Zollner氏。「シリーズを終えるにあたって」で相澤氏はこう書いておられる。
「ちなみにツェルナー氏と私の共同作業は、番組終了後も続きます。新たに設立した日独韓共同大学院「TEACH」がそれで、この修士課程では、三ヵ国の学生たちが三大学を巡り歩いて共同研究し、デュアルデグリーを取得することになっています」ー日独韓共同大学院?独韓が寄ってたかって日本にドイツと同じ罪悪感を植え付ける目的の三ヵ国共同研究?歴史解釈の統一のため?Helmut Schmidtの講演をテクストにして?相澤氏とReinhard Zollner氏がまたもやコンビを組んで?日独韓共同大学院?
同テクスト9月5日はRichard Sorge。ゾルゲが記者として「フランクフルト新聞」に書いた1940年11月13日の記事「大転換ー三国同盟による日本の外交政策の転換」。ー今後日本は、イギリス及びアメリカ合衆国との対立を深めるのである、と締めくくっている。なんのことはない尾崎と共謀して北進を南進に変えてロシアを救った、スパイとしての手柄話を記事にしているだけである。相澤氏の解説にはSorgeが日本に与えた究極のとも言える打撃に関しては、発言もないし、そもそもそういう視点もない。

・・・・・追記:2013年9月13日・・・・・
なんだか頭がすっきりしないのだけれど、続きをメモしておこう。
市役所に出かけてみると、要件も聞かれないまま、こちらへどうぞと案内される。デスクに座っている人が問診票に記入せよという。早速吃驚したのだが、その人の日本語が完全におかしい。いつぞやのキムさんの日本語は完璧だったのだが、この人は成人してから日本に来たのだろう。「日本語の発音が妙ですね」といつもなら言うところだが、雰囲気が違う。似たような人が周りにいくらもいるような、多勢に無勢の感じがした。それにいきなりそういうことを言うのも礼儀に反している。受付の順番が回ってくるまで一時間以上かかるだろうということで、会場をうろつくことにした。「10月のwalkingに参加しませんか」と声をかけられた。まだ子供なので名札を見ると〇〇国際大学学生とある。「〇〇国際大学って、聞いたことないけど、どんな大学なの。〇〇女子学園の関連?」そうですという返事。10年くらい前にできたという話。「どうしてそこの大学に進学したの?偏差値が極端に低いから?あぁ、失礼しました」昔長い間予備校の講師をしていたので、ついつい口が滑ってしまった。偏差値が最低線に近いという記憶が、口から先に出てしまった。感じのいい子だったので、気を悪くせずに返事をしてくれた。「前の大学と違うのは、うちの大学は中国や韓国の人をたくさん受け入れて、日本人の私たちと共に学ぶ、という新しい大学なんです」「えぇ!じゃ、東アジアの人が人種の偏見を超えて集まって共に学ぶので、国際という名前が追加されたの?」「そうです」「この市の大学じゃないのに、職員でもないのに、どうしてここに居るの?このwalkingの企画が隣接する各市の連合企画なの?」その国際大学の国際というところで、この企画にこの大学が一枚かんでいるということなのだろう。「あなた今日の交通費は?」「自腹です。大学の取り組みで私たちは学生ですから」「授業の一環みたいなものなのね」ますますわからない。そこへ小太りの中年の「おばはん」という感じの人が割り込んできた。「walkingに参加しませんか?」「あなたは××課の職員のかたですか?」「そうです。今日この場で、参加申し込みができます。新しい企画なんです」さっきの学生とこの市職員のおばちゃんが、なぜ同じことを言うのか、よくわからない。健康walkに「アジアはひとつ」のコンセプトを加えた、あたらしいprojectなのだろうか?わからないままにあることを思い出した。今月号の広報は表紙をめくると最初の2ペイジが例のSafe Community認証の特大記事だった。審査員講評も出ていて審査員三人の顔写真も大きく出ている。韓国、台湾、中国からの三人。「Safe Community Networkのmemberの一員たる資格がある」と高い評価を頂いたと。今後の活動についての要望まで書かれていた。そんなことを思い出してか、また口が滑ってしまった。「この企画は、××課のSafe Communityと関係あります?その活動の一環?」「うーん、そういうようなもんですね」と。そこへ目のつり上がった異様な雰囲気のとても日本人には見えない女性が、ツッツと割り込んできて、こちらを睨みつけた。なんだか自分がウイグル人になったような気がして凍りついてしまった。その人は何かたくさん言いたそうなのだが、言葉が出ないでイラついている、そんな感じだ。どこから来たのか、とにかく日本人でこんな顔のひとは見たことがない。直感としては文革時代の紅衛兵の一番怖い奴。後ずさりしてその場を逃げた。
審査の時だけ審査員が来るのではなく、監視員あるいは指導員として、市の行政の中に臨時職員あるいは、project推進員として何人かが既に入り込んでいるのかもしれない。去年とは会場全体の雰囲気も全く違う。韓国、台湾、中国の人に、なぜ日本の市の行政が管理・監督・指導・評価されなければならないのだろうか?
偏差値の極端に低い大学は、日本国が特別奨学金を出して呼び込む多数の留学生を、引き受けることによって辛うじて生き延びているという噂をかなり昔に聞いたことがある。政治家が絡み資本家が絡み、政策が絡み、そこに魚とりの網のようにSafe Community & Safe Schoolが絡み、最後には「世界平和のために国境をなくそう」というImagine思考が強力なヌーヴェルヴァーグになっていくのではないか?日本は波に呑まれて吸収消滅される(国境が消される)国のひとつと密かに計画されているのではないか。その際真っ先に国際標準化されるのは、ズバリ、歴史認識の国際統一化だろう。

・・・・・追記:2013年9月13日・・・・・
なんだか頭がすっきりしないのだけれど、さらにメモを続けよう。
話変わって。コメントは入れていないが、西尾先生のBlogの真夏の夜の自由談話(1)と(2)をかなり前に見て聞いた。途中で、この書物やvideoの対象読者、対象視聴者はどのような層なのかと何度か考え込んだ。そして肝心なことを最後の最後に思い出した。これは安倍総理への期待、安倍政権の課題、安倍政権への要求だったのだと思い出した。安倍総理に本を手にとって読んだり、Blog画面をクリックしたりしていただかなければ、真の目的は達せられない。是非読んでもらい見てもらい聞いてもらい理解してもらわなければ、これが私の感想だ。それでも何か別の感想をコメント欄に書こうなどと思いながら、頭がすっきりしない日々が続いた。
あるとき、もう何日も前なのだが、古本市場で弘兼憲史氏の「加治隆介の議 14」を見つけて買った。発行は1997年2月7日、でかなり古い。加治は官房長官や外務政務次官を務めたことのある休職中の大物政治家である。浪人中の今だからこそ、というわけで韓国に行く。犬料理を食べたり、街の一杯飲み屋で、日本人というだけで、ビールを引っ掛けられたり、同行の男性秘書がハニートラップにはめられたり、加治自身も北朝鮮のスパイに付け狙われたり、かなり面白い。ハニートラップの女がバレたあと青酸化合物のカプセルをのみ血を吐いて死ぬ場面もスリルがある。南北には北が掘った南侵トンネルが20ほど有り、まだ4つしか見つかっていないらしい。一番のクライマックスは加治自身が北朝鮮のスパイたちに拉致されてあわや南侵トンネルから北に連れ去られる、その場面だろう。最後の章には竹島について韓国の専門家と加治が議論する場面が出てくる。これはなかなかのものだった。最後の最後の場面では加治が韓国のヘリコプターで竹島に上陸する。漫画であるので竹島の様子が視覚的によく描き込んで有り、読者も竹島に空から上陸した気分になれる。視覚的といえば、前半には板門店の描写と軍事境界線の詳しい説明もある。古い本なのに本当によく描かれ、また説明されている。問題はただひとつ、加治の歴史認識なのだ。「韓国との問題は過去の日本の戦争責任のこともあって非常にデリケートです」などと出だしから言っている。ビールをぶっかけられた時にも加治は「ま、それだけ日本人がこの国でおかした過去が重いということなんだろうな」などと言っている。また竹島に関しては一番最後のシーンで「竹島は両国にとって喉に刺さった小骨。取らないで放って置くのが一番いいという考え方もあることは否めない」という加地または弘兼の意見が出てくる。
結局何を思ったかといえば、政治家、すなわち安倍晋三氏もこの主人公と同じような心境・歴史認識なのではないかと、そう思ったのだ。前回はBUSHに日本の過去を詫びたし、近隣諸国の感情を察して靖国にも行かない。歴史認識に関しては、西尾先生の真夏の夜の自由談話(1)(2)を聞く、前段階にも前前段階にも達しておられないのではないかと、思ったのだ。福井雄三氏のご母堂のようにスッキリと把握できるには、それなりの論理や知識の蓄積が充分になければならない。少なくとも「真夏の夜の・・・」に関しては、安倍総理は何周遅れというより、全く違うトラックを走っているランナーのように見えるのだ。仮にクリックして見られたとしても、なんのこと?何の話?何が言いたいの?という声しか聞こえてこないような気がする。竹島に関してはレクチャーを受けておられると思うので、加治同様の議論はできるだろうと期待できる。が歴史認識においても加治同様。論壇と政界では、着眼から、論理から、展開から何から何まで違うような気がする。早い話が、日韓問題にしろ歴史認識にしろ1997年のこの本の発行年から、全く一歩も前進していない。何ひとつ解決されていない。論壇では目からウロコの斬新な着眼が現れ続けているが、政界では、どれだけ挑発されても「放って置くのが一番いい」が延々と続いている。このままでは、捏造のままの歴史認識が世界統一されるだろう。そしてその時から急速に日本は国境をなくして行くだろう。
なんだか気分がすっきりしない。頭と気分をスッキリさせてくれるような痛快な反論を期待している。

・・・・・2013年9月14日・・・・・
なんだか頭がすっきりしない。それでも調べ物をしていたらこんなものを見つけた。
形成過程、形成目的が「南京」や「慰安婦」とソックリ。3本目の矢、当たっていたらこうなっていただろう
Baidu IME_2013-9-14_12-2-9
日本軍がヴェトナム人200万人を餓死させたという「200万人餓死事件」。全部読んでみて頂戴。捏造過程がよくわかる。「放って置くのが一番いい」ではなく、即時総攻撃して一気に化けの皮を剥がす。嘘を暴く。そういう国であって初めて他国の尊敬を得ることができる。そう思われませんか?

・・・・・追記:2013年9月16日・・・・・
9月13日の記事に「加治隆介の議 14」にある加治のセリフなどを出している。昨日うろうろしていたら、偶然見つけた記事が、なんだか加治の見識と似ているなという感触を得た。その記事はこちら。
East Asia Regionalism and Japan's Foreign Policy
東アジアでの日本の義務ばかりが書かれていた。政策の根本は国益であることを全く知らずに、国連を最終的な世界政府にしようとでも思っているような、高校生論文だと思った。大学入試や国連職員採用論文試験ならこれは間違いなく模範解答になるのだろう。しかしこれでは日本はいつまでたっても豊かな国にはなれない。しかも恐喝される負の立場をずっと維持していくつもりのようだ。筆者はあの有名な田中均氏、CFRで発表されている。
忘れていたがTel Quel JaponではCFRと田中均氏について既に記事を書いていた。あまりいろいろ書きすぎたので、焦点がぼやけてしまっているようだ。今回もそうだが、前回もPDFのままなので、何人くらいがクリックされたかわからない。wordのfileに変えてもみたが、このままの方が読みやすいので、読む意志のお持ちの方はpdfで開くようにクリックしてください。今回読んだ記事と同じものがTel Quel Japonの過去記事のなかにもあったということは私自身前回pdfを開けて読まなかったということになる。おそらくCFRから田中氏の論文を探し出すだけで精一杯だったのだろう。過去記事はCFRに関わりを持つ日本人を探し出すだすのが目的だったようだ。
Tel Quel Japon過去記事:Hitoshi Tanaka & CFR
この過去記事の最後にあるのがこれ
田中均 日本総合研究所国際戦略研究所理事長 2012.2.24 :
田中均氏 TPPを語る:どんなことを語ったのでしょう?

First Indochina War

First Indochina War-1
First Indochina War-2
First Indochina War-3
First Indochina War-4
First Indochina War-5
どういう視点で見るべきなのか混乱した。ベトナムにおけるフランス軍というのはとても微妙だ。なぜ南北に分離したかはたやすく理解できた。ベトミンは素晴らしく格好良い。大きな白人を捕虜にするシーンは日本軍を彷彿させた。でもミーハーの視点だけでこの戦いを見るわけにはいかない。
Tel Quel Japonの過去記事を思い出した。
野坂参三をホーチミンに重ねると敗戦前の和平交渉、過去記事でケチョンケチョンに貶した和平交渉のもうひとつの別の姿が見えてくる。祖国の滅亡を見るくらいなら、いっそのこと、という考えは、あり得る。ベトミン以上に日本軍なら戦えた。勝てた。白人を追い出せた。但し日本本土は、負けたものとして。しかしいつかいずれ奪還できよう。野坂を庇うようにこう考えるのはホーチミン側に、気づかずに視点を寄せてしまっているのだろうか?
ちょっと資料を忘れてしまったが私の記憶には、Dixie Missionや共産中国、つまり毛沢東、周恩来、そして野坂参三らの、作戦会議、軍事訓練の場に、ホーチミンの名前と姿を、みたような気がする。こんなところにホーチミンが来ていたのかと思った記憶がある。ARIYOSHI, Dixie Missionで中国共産軍の指導にやってきた心理作戦の専門家、日系米人のARIYOSHI,が延安でホーチミンと親しくしていなかったか?もうひとつ、Dixie MissionのAriyoshiは戦後そのままGHQの一員として日本に来てGHQの建物の中で、確か野坂参三と再会するのだ。(←この辺はあやふやな記憶だけで書いています。)
ホーチミンも、共産主義を、ファシズムあるいは帝国主義と対立するものと誤認していたのだろう。ソ連と与せば独立が叶うと考えていたのだろう。それに賭ける以外に、ほかには白人の支配から逃れる術はないと、考えていたのだろう。シアヌークも同じようなものなのだが、カンボジアとベトナムを同時に一気に考えるのは混乱を増すばかりなのでやめよう。ソ連と組んで平和(終戦)を達成しよう等と夢のようなことを考えていた日本の中枢に多くいた和平派も含めて、誰が何をどのように考えていたか、考えるとせっかく仕立てた洋服の糸を全部解かなければならないような気持ちになる。糸を解くのではなく、小野洋子のcut peaceのように、いきなり洋服にハサミを入れたくなってきた。

参照:日本とベトナムの関係:東京義塾:
参照:東遊運動:日本に学ぼうとしたベトナム

Paris Peace Conference - 1919 前編

Paris Peace Conference - 1919
パリ講和会議:wikipedia

ヴェルサイユ条約: wikipedia

The League of Nations: Wilson's League for Peace :
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Woodrow Wilson Part 1 of 2
(9月20日:映画としてもわかりやすく出来ている。今日で2回目。人の人生というものを考えてしまった。前編は第一次世界大戦が始まり、妻Ellenが死ぬところで終わる。Wilsonにこれを乗り切る健康、能力、体力、そしてなにより頭の回転、気力があるとは思えない。しかしこの一年後に再婚して、再起するのだった。続きは明日見よう)
Woodrow Wilson Part 2 of 2
(9月21日:今日で2回目。高血圧からついに脳梗塞に倒れた。パリ講和会議は栄光と挫折の両方。パリには2度行っている。1回目は人生の栄光の極み。2回目は、奈落の底。Mendel Houseとの決裂が大きな原因の一つ。新大陸のアメリカからヨーロッパの都パリに行って、New World Orderを構築しようというのだから、そして世界中からの期待を一心に受けてのパリ講和条約。大衆のこころは掴んだようだが、ヨーロッパの伝統と歴史の重みを前に、このひとりのアメリカ人の理想は打ち砕かれたということだろう。それにしても参戦を決意するあたりから、アメリカ兵をヨーロッパの戦争に送り出すまで、やっていることは平和の提案者というよりもファシストそのもの。ドイツと戦うためにドイツ語の本を焚書、ベートーベンの演奏まで禁止。反戦を口にした人を逮捕、戦争にブレーキをかけるような演説をしようものなら、10年間の投獄。(最近似たような話を聞いたような気がする?)。神の代理人のように振舞う独善的な人は何をするかわからない。そしてこういう意味不明の発作的狂乱者には、ノーベル平和賞が送られるのですよね。それにしてもアメリカが不参加ですからWilsonの顔は丸つぶれ、でもノーベル平和賞。脳梗塞の原因はこの辺ですね。Wilsonが演説がうまいのは、子供の頃失読症だったから。失読症という病名もなかった頃だから、大変だったでしょうね、いろいろと。)
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The Federal Reserve Act signed by Woodrow Wilsonの陰にEdward M. House(下)
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The Creature From Jekyll Island (by G. Edward Griffin)
The Start of The Federal Reserve
Woodrow Wilson And Federal Reserve History

1913, President Wilson signed the Federal Reserve Act

Who Was Edward M. House?

In this capacity, House quickly developed an extraordinarily intimate relationship with the president(Wilson) as political advisor, personal confidant, and frequent social companion. He(House) engaged actively in the extended politicking that ultimately led to passage of the Federal Reserve Act

Like Wilson, House “believe that the war had been imposed on the peoples of Europe by the monarchies and their aristocracies” (150), and therefore both men maintained that a postwar settlement should include, among other things, the destruction of the German and Austro-Hungarian empires and the creation of a number of new, democratic states in central Europe. To fill in the details of this vision, Wilson asked House to assemble a group of experts. The resulting project was known as the Inquiry(Bruxelles注:このthe Inquiryがウィルソンの14カ条を考案しただけでなく国際連盟の概要を作り上げた。また左をクリックすればわかるように、FRBとセットで論じられる後のCFRはこのthe Inquiryを母体として生まれている) and the plan it(=The Inquiry) created became the basis for Wilson’s Fourteen Points and for his principal proposals at the Versailles conference.

Edward Mandel House, Wilson's controller

House was the conduit for the Rothschilds orders for the establishment of the Federal Reserve Banks, although the United States Constitution prohibited a Central Bank.(Bruxelles注:要約するとthe RothschildsがHouseを介してWoodrow WilsonにFRBを誕生させたという説である)

Edward House Spartacus Education

House was a member of the USA's delegation to the Paris Peace Conference of 1919 and helped draw up the covenant of the League of Nations.(Bruxelles注:ここが一番見落として欲しくないところ。Edward Houseはパリ講和会議に出席している。


ごくごく大雑把に言って、パリ講和会議、ベルサイユ条約、「十四か条の平和原則」、国際連盟、そして今回加えるに、FRB承認、といえばWoodrow Wilsonを誰もが思い起こすだろう。しかしこの全てにおいて実際に頭を絞り体を動かしたのはWilsonのアルターエゴだといわれるEdward House大佐だということを、この際しっかりインプットしておいてください。歴史解釈が倍くらい複雑になり混乱しますが、いつまでも歴史の上っ面だけ学習しても、表面の綺麗事しか見えてきません。今回前編としましたが、次回Paris Peace Conference後編は、やはりWilsonに同行した人物に焦点を当てて、Paris Peace Conferenceが歴史に持つ、全く別の意義を掘削しようと思います。岩盤が広大で頑強で、しかも手掘り、なかなか歯が立たずに往生しています。
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House helped Woodrow Wilson draw up the covenant of the League of Nations
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Wilson asked House to assemble a group of experts. The resulting project was known as the Inquiry + The British Branch became the Royal Institute of International Affairs, and the American branch became the Council on Foreign Relations.
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//////////追記:2013年9月10日//////////
陰謀論はこの辺を完全に押さえてから-基礎編
SECRETS OF THE FEDERAL RESERVE
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Unsafe Warning!アダルト危険サイト(2)

比較的最近の記事にこういうのがある。
前々から納得できなかった対ソ終戦交渉
そのなかにこういう過去記事を置いている。
社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画
その8月14日の追記に、「戦後日本は隠れマルクス主義によってつくられた」という田中先生のDIVEOを置いている。これは素晴らしいDVDなので、是非クリックしてください

ある方から連絡がありこれをクリックしたところ、スパイウェア感染の警告が出たとのことでした。早速Daily Motionを消し、同内容のYou Tubeに張り替えました。ですから現在は安心してください。
今朝その方から詳しいメイルが入り、「スパイウェア感染の警告」が出てからPCの具合が悪くなっているとのことでした。そして「私がテルケルの初回訪問者だったら、二度と訪れないでしょう。」と書いてありました。さらにグーグルがテルケル記事内のURLに「ウィルス汚染警告」を発したのは、あながちウソではなかったようです。一度、総チェックしてみて下さい。と書かれていました。ひょっとしたら同じような体験をされた方もいらっしゃるかもしれません。申し上げにくいですが、この方はまんまと「Tel Quel Japonの記事を人の目に触れさせないようにする」妨害者の策略に嵌められたのだと思います。「あながちウソではなかったようです」と思われたからです。繰り返しますが、これは妨害ペイジなのです。まずこのペイジに出ているのは「ウィルス汚染警告」ではなく「アダルトサイト危険警告」です。根も葉もない妨害警告で明らかなウソ記事なのです。この方がおっしゃるように「誰かがイヤガラセにウィルスをくっつけた」ことは間違いありませんが、ウィルスはDaily Motionの動画に付けられたのであり、Tel Quel Japonに付けられたものではありません。いつ頃誰によってウィルスが貼り付けられたかはわかりませんが、リンク当時はきれいな動画だったに違いありません。今回は同じ動画がYou Tubeにあったので、Daily MotionからYou Tubeに移動させて、それで解決です。このような体験で「私がテルケルの初回訪問者だったら、二度と訪れないでしょう。」というふうにはどうか考えないでください。「ウィルス汚染警告」が出てもたいていの場合はあなたのPCがブロックしている筈です。もちろんこちらも、Tel Quel Japon自身に感染がないか日頃からスキャンを怠らないようにするつもりです。
もしこの方のような経験をされた場合は、どうかお知らせください。いずれにせよ被害が広がらないように、すぐに対策を立て、即解決したいと思っています。
最後にもう一度繰り返します。ここで紹介しているサイトは、Tel Quel Japonの記事を人の目に触れさせないようにする、それ以外の内容も機能も目的も存在理由も、何もありません。それゆえに妨害サイトなのです。それと外国からTel Quel Japonにアプローチする際、アドレスが機能しなかったり、Tel Quel Japonが検索そのものにかからなかったりする場合を妨害行為だと認識しています。「そこにあるのに無き物としてしまう」これはきつい妨害行為なのです。Tel Quelが以前敗北宣言をしたのは、そのターゲットにされていることが発覚したからです。そのことと、Tel Quelがウイルスに感染しているとか、Tel Quelにアプローチするとウイルスに感染するとかということとは全く次元の違うことです。心配ご無用。Pressaboutに警告記事が出たからといって、その記事が正しいわけでも、Tel Quelのウイルス感染をそれが警告しているわけでも、またTel Quelがウイルスに感染しているわけでもありません。

決定!東京オリンピック 再び!

TOKYO2020 FINAL Presentation FILM

TOKYO2020国際招致PRフィルム

東京2020国際招致PRフィルム


前々から納得できなかった対ソ終戦交渉

正論10月号、産経新聞編集委員 岡部伸氏による『日本を赤化寸前に追い込んだ「敗戦革命」工作』のご一読をおすすめしたい。前々から納得できなかった対ソ終戦交渉、の決定打といっていいだろう。文章は「思わず腰を抜かしてしまった」から始まる。トータルな解説を付した説得力のある論文だと思う。資料の発見は解説がないと意味がない。全体的に個々の内容も矛盾なく説明されているが、読者は各々が自分の視点で解読しながら読んでいくほうがいいだろう。事実があぶりだされていく様が見えるはずだ。決定打、と書いたがTel Quel Japonが今までブツクサ言ってきた方向の(判定に一部違いはあるが)最先端だといえる。
和平交渉派とは、敗戦に等しい貢ぎ物をソ連に差し出し、共産中国とともにスターリンの配下にはいり、徹底抗戦してアングロサクソン資本主義国との戦いに勝機を見出そうとしたもの、に過ぎない。状況的に和平交渉派などというものは存在し得ない、言葉遣いそのものが、嘘に満ち満ちていることがわかる。日本をソ連に売り渡すことを和平交渉だなどと、お笑い種だ。ただこの先、もっと多くをひとりひとり具体的に名前を特定していけば、歴史は転覆し混乱することだろう。いつものことだがこれ以上の真実の追求を日本人は望まないだろう。望ませないだろう。

Tel Quel Japon関連過去記事を下に挙げる。
対ソ終戦交渉という井戸掘り

その他の関連過去記事ー古い順番に
近衛文麿再考 & 中野五郎注目 未完
近衛がコミンテルンのスパイだなんてとんでもない話だ
World War 2 Manchuria Battle 追記多数

ギリギリまで最後の最後までロシアを信頼しきっていて、仲介の交渉に命綱を託していたという主張である。木戸日記によると1944年1月からロシアを仲介とした終戦交渉は発想されている。なんと19ヵ月にわたる深い深い信頼である。

カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校歴史学長谷川毅教授のC-Spanの講演を見たが大した内容ではない。誰の筆かはわからないが、こちらのほうがむしろ詳しい。
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#1
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#2
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#3
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#4
放置した二つの謎 その後

日本国側交渉者たちは、ソ連シンパ、天皇制社会主義者たちで満ち満ちていて、「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想を持っていた。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加えるつもりだった」

社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画

終戦に至る交渉時にうじゃうじゃいたということは、開戦回避の交渉時にも尾崎やゾルゲはひとりや二人じゃなかったに違いない、と思うと気が重い。

戦後天皇制とSUSUMU OKANO (3)

野坂が延安で接触したアメリカの使節団のメンバーの多くはいはゆる「中国派」で容共勢力であり、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主党政権が容共的体質であつたことの証左でもある。ちなみに、昭和20年7月23日付でOWI(戦時情報局)日本部長のジョン・フィールズが野坂に感謝状を送つてゐることが公開文書から明らかになつた。(略)日本共産党がマッカーサー率ゐるGHQを「解放軍万歳」して占領を受け入れたことの説明がつく。


参照:再度参照としてこの論文を挙げておく

・・・・・追記:2013年9月6日・・・・・
岡部氏の原稿を目が悪いので拡大コピーして何度も読んだ。ひとつ明らかになったことに今朝気づいた。野坂参三は四重スパイだったと言われるが、野坂参三の真の役割がようやく見えてきた。米中ソ日全部の中枢に当たり前のようにくいこんでいるのは、その四カ国の中枢に野坂参三を受け入れる体制があったということだ。野坂参三は日本のスパイだったということに???だったのだが、やはり日本国の指示に従って動いていたのは確かなのだ。わかりにくいかもしれないが、日本国は近衛が上奏文で指摘したような国家だった、そこを押さえないと野坂参三(SUSUMU OKANO)は永遠にわからないだろう。
参照:
軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿

砕氷船のテーゼ=ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。

↑引用元ペイジ:
アメリカのルーズベルト政権に垣間見えるコミンテルンの影
・・・・・・・・
60年代の中頃から70年代の中頃までお昼のワイドショーという類の番組が大人気で、うっすらとした記憶なのだがコメンテーターとして、ハーバード・ノーマンの師だった、羽仁五郎、アグネス・スメドレーとコンタクトのあった石垣綾子らが出ていて人気者だったのを覚えている。石垣綾子がコメンテーターなのだから当時の世論では尾崎秀美は軍閥が引き起こそうとする邪悪な戦争を命を投げ捨ててやめさせようとした平和主義者ということになっていたのだろう。その後篠田映画監督は本木雅弘を尾崎秀美役に仕立てたゾルゲ絶賛映画を撮っている。グループサウンズの少し前に流行した歌声喫茶ではロシア民謡しか歌われなかったし、毎年5月1日のメーデーはここが日本か、と思うほど大盛り上りだった。第二次世界大戦はスターリンの一人勝ちと言われるようになったが、ソ連=平和というイメージプロパガンダ戦においては、たしかに一人勝ちしたのである。日本映画である氷雪の門が日本において36年間もオクラ入りしなければならなかった事実も思い出そう。野坂参三が洗脳の完了した(捕虜だった)旧日本兵を数百名引き連れて凱旋帰国したことも思い出そう。少なくとも終戦時もその後も日本はそういう国だった。
参照:Fascism vs Communismの誤思考(1)

・・・・・追記:2013年10月14日・・・・・
産経新聞に掲載された岡部伸記者の記事

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