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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

封印された国民への謝罪詔書草稿

昭和天皇 昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿
「深ク天下ニ愧(は)ヅ」
「昭和天皇国民への謝罪詔書草稿」四つの謎 に就いて
封印された詔書草稿を読み解く: 
殉国七士廟: 
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昭和天皇独白録 : 昭和天皇独白録
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過去記事のコメントで勇間氏が偽書だと判断された文章がこちらにありました。
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[文献紹介]『昭和天皇・マッカーサー会見』
参照1岩波 & 参照2Tel Quel Japon過去記事 :

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Allied Occupation of Japan


Allied Occupation of Japan by Eiji Takemae
book google & Amazom :
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inside-ghq-the-allied-occupation-of-japan-and-its-legacy.jpg

Inside GHQ: The Allied Occupation of Japan and Its Legacy
Review of Takamae Eiji's
Inside GHQ, the Allied Occupation of Japan and its Legacy

Reviewed by Lucian W. Pye
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竹前栄治: 占領研究40年 

日本軍の武装解除

DEMOBILIZATION AND DISARMAMENT OF THE JAPANESE ARMED FORCES

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Inserting America into Japanese History Woes 他

Inserting America into Japanese History Woes
元サイト

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南京陥落後に撮影された風景:
昭和13(1938)年公開、東宝文化映画部製作、記録映画「南京」
「100人斬り」裁判
元サイト

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実録 支那事変1/4 .
実録 支那事変 2/4 .
実録 支那事変 3/4 .
実録 支那事変4/4 .

Pearl Harbor からJapan's Postwar Imperial Democracy

Internetに長い時間を使えなくなった。
とにかく資料だけ、保存の意味でまず載せておく。それを時間のあるときに読んで、記事を書けるときに書く。そういうスタイルになる。保存が面倒な資料は半分以上捨てるが、捨てがたいものだけ取りあえずアドレスを掲載しておく。志ある方は、資料を先にご自由に使ってくださっても構わない。出来上がった記事をトラックバックででもお知らせいただければ、大変有難い。ご自由にと言った以上、仕上がり内容には関知しない。


In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor
Tojo ordered strike on Pearl Harbor according to Hirohito interview
The Showa Emperor and Japan's Postwar Imperial Democracy
Unconditional Surrender,Demobilization,and the Atomic Bomb
Winners in Peace

フランス三昧 篠沢秀夫著

フランス三昧 篠沢秀夫著 p.212~p.217
42.敗戦・占領の心の傷の処置はこれから
(打ち込みが苦手なので、極力そぎ落としての引用となります。省略を知りたい方は、実際の書物を手にされることをお勧めします)

...1940(昭和15)年5月から6月のナチス・ドイツの「電撃戦」に国土の北半分を制圧されて、第三共和国は、駐スペイン大使だったペタン元帥を呼び戻して首相とし、降伏した。...星五つのペタン元帥から見ればこのロンドンへ脱出した時点のド・ゴール将軍は、全軍への降伏命令の違反者となる。国民全員力を合わせて敵の支配に耐える、それがペタンの立場だった。...そして1944年9月、連合軍がパリに迫ると、ド・ゴールはパリ進撃をわずか一個師団だけのルクレール将軍の「自由フランス」軍に任せることを連合国最高司令官アイゼンハワーに要求。オーケーを取る。...ド・ゴール将軍は凱旋門からシャンゼリゼ大通りを群衆に囲まれて行進する。この瞬間「自由フランス」こそ正統なフランスであり、ずっとそうだったのだ、という神話が確立する。大芝居だ。...だが不幸にも、この神話の裏側で「フランス国家」関係者は売国奴となってしまい、多くの血が流された。「フランス国家」の首相ラヴァルは裁判により死刑になった。だが裁判なしで、リンチのように殺された人数は7万にのぼると、文壇の大御所でレジスタンスの文化面を支えたジャン・ポーランは1946年に書いている。モーラスはペタンと同じ終身禁固刑。...かくて「レジスタンスを行い、それを支援しつつ占領者と対決したフランス国民」という神話が生まれ、ド・ゴール系にせよ共産系にせよレジスタンス実行者は栄光に輝く。...フランスは二つの恐ろしい戦争から本当には回復していない。...いずれにせよフランスは、すべてが終わった時に内輪で殺し合いを始めた唯一の国である!...実情を知らず一方的な神話だけ聞かされて育つ戦後生まれの世代は、当初から傷つけられた心で育っているのだ。まさに日仏共通の問題ではないか。

引用の引用も含む。追記するとこの42の出だしはこうである。

全面的敗戦。何年続くかわからない外国軍隊による全面占領。その経験はこころの傷である。それを正面から扱うか、誤魔化すか。ガーン。日仏共通の問題である。...

神話と言う言葉を使われているが、捏造である。何故これを引用したかと言えば、戦後歴史を捏造したのは日本だけではないということを記したかったのだ。同じ敗戦国として、フランスと日本は共通の体験をしているのだ。大戦終了後、戦勝国となったフランスは、大日本帝国もアメリカ合衆国も承認した「フランス国家」の4年間の祖国を占領下を過ごした人々ともども断罪したのである。極端な言い方をすれば、英雄と非国民に国民を分断したのである。

Libération de Paris août 1944
ダンスシーンのバックに流れるのは、1939年にヒットしたAlbert Préjeanの Dédé de Montmartre
Tel Quel Japon過去記事

第33SS武装擲弾兵師団
このwikipediaは読み物としても感動ものである。
the last fighters
honneur aux douzes de la 33 emme waffen ss charlemagne
Christian de La Mazière:wikipedia
Christian de La Mazière : Correspondances
そう言えばdalidaのこんな歌があった。歌詞和訳

La collaboration sous vichy - Documentaire (1/2)
La collaboration sous vichy - Documentaire (2/2)
Pétain :Pétainを通過して思考が半回転すると「戦争と国民」の関係理解が驚異的に深まる筈だ。
Maréchal nous voilà

詩集「2N世代」でMarcel Ophuls監督のdocumentary映画「The sorrow and the pity」を取り上げました。

・・・・・以上は2012年6月29日・・・・・
・・・・・追記:2013年6月11日・・・・・
「怒る者たちとは、怒りの矛先とは」などいろいろ考えさせられるので追記することにした。
「丸刈りにされた女たち」平稲晶子見つけた場所

Akihito, ou l'incarnation du Japon

Akihito, ou l'incarnation du Japon:
今日偶然このような記事を見つけた。以下の部分が気になった。

Il ira également en Chine en 1992, ce que n’avait fait aucun de ses 124 prédécesseurs. A cette occasion, il a exprimé clairement ses regrets pour les exactions commises par l’armée de son pays lors de l’occupation japonaise. Il en fera de même en Corée en 1996.

これはもう史実となっている?具体的に何に該当するか調べてみた。
日本の戦争謝罪発言一覧
〇1984年9月6日 - 昭和天皇。 「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。」[4]
大韓民国全斗煥大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(昭和59年9月6日) 1984年←これは昭和天皇。
1990年5月24日 - 今上天皇。 「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。」[7]
大韓民国盧泰愚大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(平成2年5月24日)1990年←これは今上天皇。
1998年10月8日 - 今上天皇。「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」
大韓民国金大中大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(平成10年10月8日)1998年←これは今上天皇
Political Apologies: Chronological List.
〇September 7, 1984: Alluding to World War II, Japanese Emperor Hirohito tells the visiting South Korean President that "it is regrettable that there was an unfortunate period in this century."
〇May 27, 1990: South Korean leader Roh Tae Woo accepts Japanese Emperor Akihito¹s words of regret for the occupation of Korea from 1910 to 1945.
October 23, 1992: During a royal visit to China, Japanese Emperor Akihito expresses his sorrow for Japan¹s wartime abuses.
○April 22, 1998: South Korean President Kim Dae Woo announces that the South Korean government will end its efforts to gain official compensation from the Japanese government for "comfort women" but will still seek an official apology and will not prevent individuals from seeking compensation.
○April 27, 1998: A Japanese court dismisses claims from Korean "comfort women" for an official apology and compensation, saying that even though the women had suffered greatly, the Japanese government was under no legal obligation to provide either an apology or compensation.
○May, 1998: Japanese Emperor Akihito apologizes to Britain for World War II.
○October, 1998: Japanese Prime Minister Keizo Obuchi gives visiting South Korean President Kim Dae Jung a written statement saying that Japan "expressed deep remorse and extended a heartfelt apology" for inflicting "heavy damage and pain" on Koreans.
○August 31, 1999: The Tokyo High Court upholds a lower court¹s ruling rejecting demands from 369 South Koreans for an official government apology and compensation. (Cf. April 27, 1998 court case.)
○September 16, 2000: Fifteen women announce plans for a class-action lawsuit against Japan for being forced into brothels in World War II.
○September 27, 2001: The leaders of the Myoshin-ji sect of Zen Buddhism apologize in Japan for their religion¹s past ties to militarism. The leaders acknowledge that their apology is largely motivated by Brian Victoria¹s 1997 book "Zen at War," which details the relationship between Zen leaders and the Japanese military in World War II.
あれあれと思うことがあったので無関係なことまで書き出してしまった。たとえば今上陛下が第二次世界大戦に関してイギリスに謝罪したとは、どういうことなのだろう?また禅宗の一派が「戦争における禅」という本を読んで、「禅と軍国主義」のかかわり合いを謝罪している。文頭の今日見つけた文によると1992年10月23日、中国訪問の際今上天皇が中国で謝罪されている。これは●Political Apologies: Chronological Listの記事に符合するものがある。1996年10月の韓国への謝罪は明らかに1998年の間違いで(訂正しておいた)これは●日本の戦争謝罪発言一覧に符合するものがある。
●日本の戦争謝罪発言一覧だけの資料なら今上天皇は宮中晩餐会で2度謝罪されている。これは確認がいるが中国訪問においても一度。●Political Apologies: Chronological Listのほうの資料からは日本の政治家の謝罪はあまりに多すぎて一切省いた。また世界中の謝罪が集まっていて選別に時間がかかった。1990年5月24日の謝罪はPolitical Apologies: Chronological Listでは謝罪したという表現ではなく同5月27日にRoh Tae Woo大統領が陛下の謝罪を受け入れたとなっている。大韓民国盧泰愚大統領の答辞を読むと、そこが大事だということがわかる。「われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。」となっていて、現在とは全くトーンが違う。先の大戦は自存自衛のため、とかアジア解放のためとか、内々の議論は活発だが、如何せん、世界の共通認識として海外メディアのベイシックスタンスとして、日本国の天皇陛下の言質をしっかりと取られてしまっている。かつ保守の最大グループや保守政党の共通認識も天皇陛下のお言葉に従っている。さあ、どうする? 保守は日本国内で先の大戦の歴史を検証し正しいと思える歴史認識を声をからして主張してきたつもりだが、日本の国営放送や左傾メディアも含め、海外のメディアには全く届いていない。海外メディアどころか、日本の教科書さえ思い通りにはならない。日本を動かす保守政党、大企業、官僚たちは、手ごわいものには歯向かえないと、大体上の記事のようなあたりで、とっくの昔にこっそり「お手打ち」しているのかもしれない。声は届かないとは思うが「行く末を考えれば、それは決して賢明な方法ではない」とだけ、言っておきたい。付加するが上の記事は日本の皇室を紹介するもので、どこから見ても皇室を愚弄する類のものではない。

保守の怒り(2) 靖国神社

滅多に主張しないTel Quel Japonがかつて、「緊急提案ー天皇陛下の靖国参拝の復活」をかつて主張したことがある。
参照:Tel Quel Japon過去記事
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P.237~「靖国神社危うし」より抜粋
平田:...靖国神社への天皇の行幸と総理大臣の参拝とは全く質の違ったものです...靖国神社をこのような存在としてありつづけさせることが、天皇の統治なのであり、それを可能とする処置を執るのが政府の政治責任です...
西尾:...天皇が少なくとも参拝なさらなければだめです。
平田:...今まであった行幸がなくなるのは、靖国神社を疚しい存在にするように思えてなりません。
西尾:...過去の天皇参拝が有り、いまそれが停止されたままでいくと、靖国には天皇が政治的否定評価を下しているようにみられかねません。
西尾:...とにかくアーリントン墓地に日本の総理大臣はお参りしていますよね。アメリカ大統領、オバマさんに靖国に参拝してもらいたいですね。
平田:その通りです。
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私は靖国神社に参拝したとき遊就館の一言メッセージに西尾先生と同じことを書き込んできた。ずいぶん昔だ。日本の総理は他国の戦没者たちに花束を捧げる。外国の大統領たちはなぜ来ないのか。国際平和云々を言うなら、それが前提とならなければならない。
日本の総理大臣たちはそれを主張できないばかりか、自身の8月15日の参拝さえビビっている。人気取りのパフォーマンスさえできない。勿論、日本の総理が参拝するしないなどは、本質に関わる問題ではない。ただ行かないよりは行くほうが当然なだけだ。保守も政治家も右派のマスコミも、毎年やっきになって本質のすり替えを声高に演出している。毎年そんな「亡国丸出し」を見るのは、悲しいことだ。
一体いつになったらこの提案が実を結ぶのだろうか。おそらくあれが取り除かれる日が来たら、解決するだろうと確信する。このふたつはリンクしている筈だ。一方が解決したら、もう一方も解決する。根が同じ、繋がっている。「あれって、何?」って?Tel Quel Japon過去記事のこのペイジにある石碑が、皆様よくご存知の「あれ」ですよ。

・・・・・追記:2013年5月24日・・・・・
もう一つ靖国問題と切り離せない課題が一つある。Tel Quel Japon過去記事で少しだけ取り上げている例のメモである。保守の顔面に飛んでくるスピード球、確かに多くの保守が力を合わせて打ち返したが、それがスタンドに入ったとお互いを褒め称え合うのは、保守の仲間内だけの反論のための反論、筋の通る反論は一切なされていない。ファウルボールを反撃ホームラン扱いしているだけである。実際に取りやめておられる+「これが私の心だ」まずこの整合性をどう打ち崩すかが重要である。今上天皇の行幸が当たり前のように始まれば、こんな問題は議論する必要さえなくなる。今のまま見て見ぬふりをし続けていると、この問題は「我々はわれわれを縛るそういうものを幾重にも背負っている」そのひとつであり続ける。即ち「日本を脅かして押さえ込む時に、アメリカが使えるひとつの手段にもなる」問題なのだ。アメリカだけではない+全ての反日国の隠し凶器であり続ける。この点、充分心しておきたい。こう書いてもおそらく意味不明とは思うが、「もうこの時期に来た」のだから、隠蔽や捏造をやめて正面から「戦後レジームからの脱却」に血を流してでも取り組もうよ、というのが平田氏のこの本のメイン発言ではないかと、私は思っている。
・・・・・追記:2013年5月30日・・・・・
平田:...P.184 靖国神社の英霊には、自分の奥さんも子供も人生もなかったのではないですか。家族もやりたいことも、それら一切を捨てて、祖国のためにーそれを一言で表現すると「天皇陛下万歳」ー敵に殺されたのではないですか。あの戦争は天皇と国民が一体となって遂行した筈です。あえて言いますが、このままでは「かくばかり情けなき皇室になりたれば捧げし人のただに惜しまる」になってしまいます...
西尾:...P.240 これは国家に対する忠誠だったのですよ。
平田:そうです。それは天皇個人じゃないですから。
西尾:天皇という個人じゃないんですよ。日本の国家と歴史、それを・・・。
平田:天皇陛下万歳という言葉で表現したわけですから。
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平田:...P.249.一方で筑波(藤麿)宮司の昭和40年(1965)に、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する」と称する鎮霊社をつくっています。馬鹿にするにも程がある...
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西尾:...P.250あなたが左翼ならね。戦略としてね。
平田:そうしてあそこを殉国人民霊廟にするんです。政教分離をいいたてて鳥居もとっちゃうんです。...天皇が戦没者から切り離され、慰霊を奪われるとそれは共和制に行き着くのです。...必ず天皇と靖国神社は、密接に結びついていなければいけない...

・・・・・・・・・追記:2013年6月5日・・・・・・・・
「正論」2013年7月号に石原慎太郎氏が上記の内容に近いことを書いておられた。文章も論理的で力強くさすがは元作家、「暴走老人」の欠片も見受けられず、80歳の年齢も全く感じさせない。
靖国問題も従軍慰安婦問題と同じで、保守のあいだでは、「内内では既に決着済み」、しかし現実的には前にも書いたがリングの中で長々と伸びているのは、所謂保守の方なのだ。
以下にリンクを貼る。このあたりの議論で「既に決着済み」と言うこと自体が、保守の無気力・無能力・非現実的独善を露呈している。いえいえ、別に喧嘩を売っているわけではございません。
靖国神社・故筑波宮司:「天皇参拝」配慮し合祀避ける
原始人の日記・ぼやき・独り言
A級戦犯の靖国神社への合祀考
「富田メモ」工作員はどうやら左翼ではなさそうですね。真正保守?えっ?そもそも工作員ではない?

・・・・・追記:2013年6月6日・・・・・
少し話題が逸れますが、以前から頭にインプットされていた泉水隆一監督のお手紙をここに出してみますので、よければお目通しください。
参照:泉水隆一監督のお手紙 : 参照:映画「凛として愛」

本来は、この映画は「日本を変える」「日本の正しい近代史を描き、英霊の汚辱を晴らしたい」という意向を強く主張された花田権宮司の意向に従って、制作がスタートしています。しかし、どういう悪霊が動き回ったのか、花田権宮司は、制作途中で担当を外され、新たな人事異動で現在の首脳陣が形成されました。 それから英霊の真実を伝えようとする「凛として愛」に徐々に圧力がかかりだしました。(...)敵は左翼ではなく、まさに本能寺にあったのです。 獅子身中の虫という言葉が私の胸の中で煮え繰り返っています。


・・・・・追記:2013年6月7日・・・・・
古いけれども、面白いものを発見。これが安倍政権に引き継がれた、自民党及び所謂保守の公式見解。天皇陛下のお考えとも一致している。一致しているから保守政権と胸を張るのだろう。我々一般人保守がこれが真正保守の考え、と信じていることとは大きな乖離がある。左翼が暇になるはずだ。これじゃ出る幕がないのだろう。
靖国神社参拝に関する政府の基本的立場

A級戦犯のために参拝しているのではなく、また、日本が極東国際軍事裁判の結果を受け入れていることを明言している。総理はまた、我が国が、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことを認め、「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻」むべきことや、「世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意」であることを、繰り返し表明している。(...)日本は、この歴史的転換点にあって、東アジアの未来のため、建設的に貢献していく決意であり、そのため、中国・韓国を含め、アジア近隣諸国との友好協力関係を極めて重視している...(安倍政権のやることなすこと、パーフェクトにこの立場で一貫して邁進している。保守論壇及び保守雑誌も98%以上が未だに安倍晋三にハートマークだ。海外のマスコミ報道や国営放送NHKも日本政府の下僕に徹しているだけではないか?それから民間で南京や慰安婦プロパガンダと戦っていると、本来は外務省の仕事だ、と指摘する人がいて、その指摘に感銘を受ける人さえ見かけるが、彼らは外務省の実態を知らないお花畑に過ぎない。その人たちは思考・発想次元から、改めたほうがいいのではないだろうか。外務省はこのように堂々と立場を表明し、外務省は外務省の仕事をしているからだ。国民の敵か味方かは別として)