TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

John Service by Lynne Joiner (1)

Lynne Joiner is the author of Honorable Survivor: Mao's China, McCarthy's America and the Persecution of John S. Service.
昨日の予告通りAmericans in China Mar 18, 2011というC-Spanの番組のクリックから始めた。Homer Leaから離れるのであそこで記事を終えたかったのだが、「第二次世界大戦の最中から誰も知らないけれどアメリカは毛沢東の共産中国とつながっていました」!!!が気になって仕方がなかった。それにいろんなことが、こう考えると明白になってくる。実際MaCarthyが多くの売国奴たちを摘発したではないか?自殺したものや共産圏に逃れた者も多い。それを知りながら、なぜこんなに驚いているのだろうか?冷戦を通して歴史を振り返ろうとするのはひとつの罠だろう。しかし何かが根底から崩れてゆく。眼精疲労による眠気もまだとれない。カイロ会談あたりまでは国民党に信をおいていたが、その直後くらいから明らかに中国共産党に乗り換えている。中国共産党が国民党に勝利したのはアメリカがバックについたからだ。なかなか理解しがたいことだが。国民党では日本に勝利できない。それに同盟国ロシアだって共産圏だ。当時のアメリカとすれば中国共産党に与することには何の躊躇も必要ない。目的は身の程知らずな強国大日本帝国を叩き潰し太平洋戦争に勝利することなのだから。
John Serviceとは、を簡単に言うとLynne Joiner自身もその言葉を使っているが、China Handsである。時と所を替え現代日本にもたくさんいらっしゃるChina Handsである。
John Service : wikipedia
Lynne JoinerはJohnとかJackとか言っていてどっちがどうなのかと迷ったが、wikipediaのおかげでJackが通称であることがわかった。Lynne JoinerはJackが2度嫌疑をかけられたと言っている。最初はThe Amerasia Affairで、これは「ルーズベルト秘録」に詳しく出ているしTel Quel Japonでも取り上げたはずだ。China HandsがFBIにしっぽを掴まれそうになった事件だ。大金持ちのcommunistがバックにいてうやむやに処置された。
Baidu IME_2012-10-6_11-34-6
もう一度はジョセフ・マッカーシーに糾弾されている。Lynne JoinerはJackと出会っていて友人関係に有り、彼はソビエトのスパイではない、国策に従って仕事として中国の正しい情報を報告していた、つまり共産党の方が国民党より信頼がおけると、従ってJackへの嫌疑は濡れ衣である、という立場をとっている。
Baidu IME_2012-10-6_11-39-55
ここまで来て「共産中国はアメリカがつくったーG・マーシャルの背信外交」と言うタイトルで成甲書房からJoe McCarthyの著作が翻訳出版されていて,Tel Quel Japonでもかつて取り上げたことを思い出した。では何故今回Lynne Joinerの発言を特別に取り上げたかといえば、彼女は「共産中国はアメリカがつくった」ということを肯定し、その上で否むしろそれを根拠としてJackの潔癖を主張している点にある。「第二次世界大戦の最中から誰も知らないけれどアメリカは毛沢東の共産中国とつながっていました」はJackがLynneに話した言葉なのだ。これが衝撃でなくてなんであろう。毛沢東シンパがJoe MacCarthyの告発を肯定しているのだ。最後に現代に視点をおいた鋭い当然の質問が来た。彼女はMacCarthyの再評価の動きやVenonaの新事実を認めた上で、あくまでもJackを庇う友情を辛うじて貫き通した。
Baidu IME_2012-10-6_11-45-57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参照:Honarable Survivor Official Site :
スポンサーサイト

John Service by Lynne Joiner (2)

China- US History from 1944-1972
The Inside Story of Richard Nixon's 1972 Journey to China
(結果として伏線と言えるかもしれないDixie Mission)
////////////////////////////
Lynne Joiner recounts the life of U.S. foreign service officer to China, John S. Service
John Service by Lynne Joiner mp3
John Service by Lynne Joiner site:
・・・・・・・・・・・・・・・
Dixie Mission:wikipedia
Lynne Joinerの話を何度も聞いてDixie Missionのことを調べると、たしかに前ペイジのLynne Joiner の主張、つまりJohn Serviceが潔癖である、嫌疑は濡れ衣であるという主張も理解できてきた。容共は国策なのだ。理解しがたいのは私が冷戦時代を生きたからだ。
Baidu IME_2012-10-6_11-21-57
Baidu IME_2012-10-6_11-19-29
↓On March 4, 1946, Mao Zedong hosts a welcome dinner for the US presidential envoy George C. Marshall in Yan'an.
dixie.jpg
日本を占領したあとは、中国支配を視野に入れていたのだろう。国民党と共産党の内戦を南北戦争のように把握して、Dixieの名前からも想像出来るように共産党を南軍、国民党を北軍と捉え戦勝国アメリカの力で和解させ、あるいはどちらに転んでも、アメリカに利が行くように天秤にかけているのかもしれない。否おそらくこの時すでにChina handsから集めた情報で蒋介石の切り捨てを決めていたのかもしれない。下はアメリカが中国の南北戦争を調停しているシーン。顔を見れば解説は不要だろう。写真はすでにアメリカによる蒋介石の生殺しを予感させる雰囲気がある。アメリカは共産主義を敵視などしていない。むしろFascism vs. Communismの図式から、親和容共に本心は傾いていたと思える。
Baidu IME_2012-10-6_11-31-0

参照:Dixie Mission Remembered in Beijing
the Dixie mission,の事実をこうして見て驚きませんか?Dixie Missionのwikipediaに「Later, other members, including Koji Ariyoshi, joined the mission.」と有り、日本人の名前が出てきます。収容所を出てアメリカ人の軍服を着た日系人です。何人かの名前を確認しています。Dixie Missionに参加した人たちで、彼らは戦後は通訳などとして日本に滞在しました。もっと驚くことがあります。ある著名な日本人が彼らのそばに来たり、毛沢東と親しげに会話したり、もちろんGeorge C. Marshallにも気心を通じています。彼の名前を後ほど追記します。もし想像できたらコメント欄に名前を当てずっぽうでもいいので入れてみてください。Tel Quel Japonにも2、3回名前が出ています。ヒントは、答えがわかれば、ああなるほど、その人物以外には考えられない、つまり、決して意外な人物ではありません。よく知られた人物なのですが、ほかのサイトであまり名前を見たことがありません。クイズ、チャレンジしてみてね。

追記:2012年10月8日:
がっかり、と言うか、残念というか、当然というか、コメント欄に名前の記入は得られなかった。Tel Quel Japonは掘り出し作業が高速で、研磨したり、整えたり、陳列してお見せして相手の手に乗せてプレゼントして、最終あなたの笑顔に行き着くまでの時間がない。掘り出し作業のあとは、せいぜい埃を払い洗浄しメモ程度を残し、そのまま其の辺に放置し、すぐに次の掘り出し作業にかかる。今回のDixie Missionにしても、放置したあとすでに何かに埋もれて実態が見えなくなっているのかもしれない。いつか誰かが拾ってその人が自分で研磨し得心し心から微笑むのを待つしかない。とにかく費やしても費やしても常に極端に時間が足りない。

追記(同日):「...Dixie Missionに参加した人たちで、彼らは戦後は通訳などとして日本に滞在しました。」と上に書いているが、彼らは通訳としてGHQに参加した人達だ。GHQとして来日した米人も(OSSが多い)どこかしらDixie Missionのために在中した米人(OSSが多い)と体質的に繋がっている。アメリカが態度を変えるのは、Lynne Joinerも言っているが、ソ連のスパイたちによって原爆製造情報が盗まれたことに気づいた後、また結果としてソ連が原爆実験をしてからだ。
marshall_mao.jpg
MacArthurが日本で東京裁判の準備をしたり民政局が新しい日本の改革に取り組んでいる頃、Marshallは上の写真のように丸腰でMAOと肩を並べて心を通わせたかのように共産軍兵士の中を歩いている(↑)ちょっと混乱する図であるが、占領軍が「解放軍」として獄中から共産主義者たちを釈放した事実を思えば、MarshallもMacArthurもその背後の指令の出処が一体であったことが分かる。このへんの事情の理解にはDixie Missionの研磨は不可欠である。
参照:Marshall Mission
参照:Marshall's Failure
参照:Truman Sends Wedemeyer to China 1947

追記(同日):Lynne Joiner はJohn Serviceを扱ったこの本の紹介で実はこれは恋愛物語でもあると言っていた。馬鹿馬鹿しいので無視したが、付け加える。
ValChaoInActingRole.jpg
Actress Val Chao met and fell in love with John Service in Chungking in 1944 and later became implicated in his loyalty case. 女優Val ChaoとJohn Serviceはひと目で恋に落ちて、後者は妻子に離婚を申し出た。「異国の女とは結婚できませんよ」と上司らに強く諫められ諦めたそうだ。しかしその後Val Chaoは米国に帰化している。そして家族ぐるみの交際としてずっと連絡を取り合っている。つまり悲劇的大恋愛の要素をLynne Joiner はこの物語に付け加えた、まるでスクープのように言っている。John ServiceはロシアのスパイとMacCarthyに突き上げられた時、実は、ロシア人の女スパイを身ごもらせたという容疑をかけられたらしい。Val ChaoはJohn Serviceが中国を去ってから確かに女の子を産んでいて、そのへんの話がこんがらがった容疑であったという。計算的にVal Chaoの女の子はJohn Serviceの子供ではありえず、またVal Chaoはロシアのスパイでもない。ということで、最終的には容疑は晴れた、つまり恋によって捏造された容疑が愛によって無実を証明された、とかなんとかという歴史恋愛実話だと解説・宣伝していた。なんとも思わなかったのだが、昨日Agnes Smedleyを調べていて、Smedleyは(中国人は朱徳だけだと思っていたが)毛沢東とも親密で、毛の2番目の妻と大喧嘩したというようなことが(実はもうひとりの若い女も絡んでいて毛の妻に髪の毛を引きちぎられていたが)出てきた。Smedleyのお相手は尾崎秀美も含めて、そして彼女のインド時代も含めるとすでに6~10人くらいの名前が確認されている。そしてTel Quel Japonにも書いたのはEvans Carlson だった。それで思い出した。共産中国に滞在し共産中国に入れ込んでいく米人男性は、気づかずではあると思うが、ほとんど専用の女に(この場合は慰安婦ではなく国家公務員?)ハメられている、もう少し柔らかく言うとハニートラップ、ということだ。(橋本龍太郎で有名になった言葉で、やはり中国女が失墜の原因でしたね)
参照:Tel Quel Japon過去記事:Evans Carlson & Guadalcanal
後ろから4分の一あたりの部分で、専用にあてがう女、に触れている。Val Chaoは農民労働者主体の共産軍の陣地にいる女優である。John Serviceが心情的に共産中国に肩入れするように「そこんとこよろしく」というMAOからの贈与品と見るほうが、一目惚れの大恋愛と見るより遥かに現実味がある。Lynne Joiner ほどの仕事人がこんな常識的古典的中国式謀略に何故着眼し得なかったのか、不思議でさえある。

OSS in China: Prelude to Cold War

Baidu IME_2012-11-13_23-27-25...Baidu IME_2012-11-13_23-26-36
U.S. Naval Academy professor Maochun Yu talked about his book, OSS in China: Prelude to Cold War, in which he examines the history of the Office of Strategic Services in China and its successes and failures.?This interview, which was recorded at the U.S. Naval Academy in Annapolis, Maryland, is part of Book TV College Series.
Maochun Yu, "OSS in China: Prelude to Cold War"
興味深い著作者interviewを見つけた。最初聴き始めたとき、語る視点がとても新鮮でこういう捉え方もあるのかと感心したが、聴き終わってみると、Interviewerの質問に具体的には何も答えていなかったではないかという感想を持った。新鮮というのはOSS in Chinaを今までは日本関連だけで捉えていたが、Maochun氏はヨーロッパ戦も含めて視野においているところ、がっかりしたのは先にも書いたが、複雑だ、というだけで具体的な内容も人名もなにも特定した話がなかったこと、肩透かしである。本を買えということだろうが、あまり期待はできそうにない。要点は書籍の販売ペイジの以下の要約に、煮詰まっているような気がする。

OSS's embryonic and symbiotic ties with the British also proved to be a major obstacle to conducting clandestine operations in China, as the newly formed organization struggled to establish its own independence and command integrity. Complicated espionage warfare among the Americans, the British, the Chinese nationalist, and the Chinese and Soviet communists contributed further to the intense and confusing environment.

そういえば「Donovan(William Joseph Donovan)はStephensonに教育されその指導のもとにOSSという組織を創設した」のだった。OSSはカナダ人が指導したイギリス製の組織だった。うっかり忘れるところだった。
(参照:Tel Quel Japon過去記事)& Intrepidの過去記事
・・・・・・・・・・

OSSの「日本計画」に話を戻すが、興味深い記事を見つけた。
この1942年6月「日本計画」立案を直接に担当したのは、誰であろうか
↑この部分に集中してお目通しいただきたい。興味深いというのはTel Quel Japonの過去記事と同じで、朝河貫一のOSS関与、及び戦後日本の占領政策関与に言及している点である。朝河貫一の周りの米人をもっと徹底的に調べれば「日本計画」の背景はもっと明快に立ち上がってくるだろう。また宿題が増えた。それにしてもOSSは最初は政府機関のそれぞれの部門にある既製の諜報機関から胡散臭い目で見られていて、時には対立していたようでもある。国家的にひとつのまとまった諜報機関として、CIAの前身になるまで成長しようとは、誰も想像できなかったようだ。国家的に諜報伝統のあるイギリスがアメリカに移植した組織で、ついでに親ソのピンコーたちが自由に出入りしてその巣をはっていた点までイギリスと同じになってしまった。そして日本はといえばCIAやKGBなどのような国家組織として集中・統合した諜報機関の必要に今に至るまで、思い至らないという有様だ。ないものは成長のしようもない。これはある意味「核兵器」がないのに匹敵するくらいに、国家としては致命的な病気である。死に至る病にさえなりうるほど、国を衰弱させる病気である。
最近Dixie Missionから始まって、日中友好の正体暴露、中国共産党の日本人洗脳の実態、野坂参三など反日活動に勤しんだ多くの革命派日本人工作員たち及び日本の中枢にいるその協力者たちの多くの実名、日本解放第二期工作要綱など次々と扱って、日本国の深刻な癌の罹患を実感している。恐れ入りました、中国様だ。戦後の日本をとことん骨抜きにしたあのOSSが、中国まで出かけて、中国共産党を相手にした場合は、初めからOSSの終焉に至るまで、結局は一勝もしなかったようにも思えるからだ。70年近くにわたり日本を手玉に取り続けた中国共産党の工作員の名前は、もっともっと深く広く具体的に炙り出さなくてはならない。これもまた宿題である。

「真実の」日中友好

報道の日中友好
・・・・・・・
結実した日中友好:
No.1 & No.2 & No.3 & No.4
・・・・・・・
推進した日中友好:
「南京大虐殺記念館は日本人が造った」: 田辺誠
 


///////////////
The Use and Abuse of the Past by Kideaki Kase:
Hideaki Kase & The Newsweek
video 1 & Video 2 & Video 3:
・・・・・・・・・・・・・・

通化事件はさほど知られていないためか余りにも反響がなさすぎた。ならば同じことを通州事件でこのYou Tubeに託して繰り返して発言しよう。
南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?1
南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?2

(2012年11月5日)
↑いやはや、リンクしたばかりなのに、早々と削除されてしまった。
「真実の」南京虐殺↓
南京大虐殺のモデル 通州事件 You Tube:

/////追記:2012年11月6日&7日/////
////////////////////////////////
The So-Called Nanking Massacre was a Fabrication:
「南京大虐殺」は捏造(ねつぞう)だった:
この内容をこそ映画化すべきだ。

再録:Tel Quel Japon過去記事:比較されよ
再録:Tel Quel Japon過去記事:比較されよ
日本会議ほどの大きな組織にはすでにスパイが入り込んでいる、か無自覚に反日的舵取りをしている人間が重要なポストに紛れ込んでいてもおかしくない。協力する立場をとって活動の有効性を(意図的にかあるいは無知ゆえにか)削ぎ落す輩だ。
参照:(究極の駄文)アメリカ人への手紙
・・・・・・・・・・・・・・・

【部分公開】「南京の真実」第一部 [桜H24/7/28]
映画のHPのinformationを見ると明らかにこの映画は再審「南京大虐殺」明成社刊と関連付けられていて特に竹本忠雄氏の序言が映画製作のコンセプトの骨格をなしていると思える。いずれにせよ、南京を扱うのに、能舞台を活用したのは、歴史を観念化してしまい大失敗である。しかもそのアイデアは三島の「憂国」のパクリだと断言できる。コンセプトから間違っている。
実際「憂国」を見た日本人はそう多くはないだろうし、海外でも特別な機会無くしては無理だろう。現代でも見ることは出来ないはずだ。しかし憂国を見たものならば、ピンとくるはずだ。これを読めばさらにピンと来るに違いない。これを加えればさらにピンとくる。パクリだというなら見せろと言われるかもしれない。お見せしよう。これは一般のサイトではなく、めったに普通では上映できないものを集めた特殊な好みの者たちだけの大切な大切な特別サイトである。
Yûkoku : Patriotism : Rite of Love & Death (1966):

人気絶頂の水島さんに楯突く気はさらさらない。実際行動できる人材は限られているから、水島さんに対する期待は大きい。水島さんはもっと優秀なブレーンを揃える必要がある、とだけ言っておく。映画の有効性、について考えているとき、たまたま同じような思いの人に出会った。この方も止むにやまれぬおもいから、敢えて憎まれ役を引き受けられたのだろう。
【映画:南京の真実】英霊の名誉は果たして回復したか?

つまり、この映画の構成は歴史評価の世界に於いて『反証の資料となるという意思』を
最初から放棄した脚本構成と演出となっているのだ。


日中友好を振り返る 追記:2016年4月3日

・・・・・・・・
並べてみる。
日本解放第二期工作要綱 & 環太平洋連帯の構想
・・・・・・・・
日中関係資料集
・・・・・・・・
oohira.jpg

トウ小平氏と大平正芳氏との対話
こうして「改革・開放」は始まった
鄧小平氏は日本をどう見ていたか
谷牧・元副総理に日本の旭日大綬章:谷牧氏は、若いころ、張学良将軍の下での共産党の地下党員であった。
大来佐武郎 & 有澤広巳 &...
鄧小平 中国副首相 1978.10.25 1時間
・・・・・・・・
三極委員会:田中均のVideo Interviewを見ることができる。
The Trilateral Commission by Prof. Antony C. Sutton
・・・・・・・・
・・・・・追記:2012年11月1日・・・・・
国家間の友好、国家間の国交正常化そのものは、全く否定すべき事柄ではない。それは時代の進むべき方向性である。しかし言葉に惑わされてはならない。解放=侵略、なのはご存知だろう。国交正常化は日本人から中国人への財と技術の垂れ流しであり、友好は諜報員の工作への好都合な場の提供と、日本人への自虐史観のバラ撒きである。

それにしても、こういう視点で日中友好を振り返ると、保守とはなんだったのか、と思う。こういう視点と言ってもまだ詳しくは書いていないので、おそらく意味不明かもしれない。とりあえず上の写真のおふたりの笑顔をご覧ください。まるで法事で久しぶりに兄弟がであったような信頼感と親密感が漂っている。感じませんか?

別冊正論Extra18,(国交前史)埋もれた資料が明かす巨大な対日工作、by 野村旗守、もすごい内容だ。少しだけ要約引用をしてみる。

P.67ー...そして次に思想工作の拠点として選ばれたのが50年10月に設立された日中友好協会だった。先のGHQ機密文書には(日中友好協会内の共産主義党派は駐日ソ連代表部を通じて、北京にあるアジア・太平洋労働会議の局と直接繋がっている)とある。ソビエトの党中央直属の党派が協会内にもあったということだ。
P.67&P.68ー1955年末に発足した「対日工作委員会」の主任は郭沫若、副主任は廖承志他2名、委員には雷任民対外貿易部長、呉茂孫外交学会秘書長、李徳全紅十字会長、などが顔を揃え、この時期の中国がいかに対日工作を重視していたかがわかる。55年頃から日中国交「回復」へ向けて段階的な構想を描いていた。郭沫若も廖承志も日本に留学したり日本で生まれ育ったりしている知日家であるが、ともに実は20年代から中国共産党の隠れ党員だった。廖承志は63年の設立時から83年に死去するまで、中国側の中日友好協会の会長を務めた。72年の日中国交正常化交渉では毛沢東や周恩来の通訳を努めたこともある。(こうして打ち込んでいくとキリがない。直に書物を読まれることをお薦めする。この本発売後1ヶ月半近く経っているのに、雑誌の広告があるだけで、誰もネットで触れていないのも、おかしな話だ。日中友好に心底入れ込んでしまっている日本人が非常に多いのだろう。一般の人たちは愛国や人道主義から絡み取られているので、生涯を賭けている人も多い。保守の大道を行くつもりの側の人たちに「問い」を突きつけることになる。別の観点から行くとズバリ「自民党とは何だったのか」の疑問にもなりえるからだ。Tel Quel Japonも今日は完全にシカトされている)


・・・・・追記:2012年11月2日・・・・・
並べてみる。
孫平化 : 日本解放第二期工作要綱 : 岡崎嘉平太

第1次日中民間貿易協定
高良とみ & 帆足計 & 宮腰喜助
〇LT貿易:廖承志(Liào Chéngzhì)& 高崎達之輔
○追記:2016年4月3日
2016年正論5月号(現在発売中)のなかに林千勝氏のー『風見章日記』で読む近衛内閣と大東亜戦争ーという記事が出ている。ご一読をお勧めしたい。風見章リンクはこの辺に貼っておきます。
ついでながら、牛場信彦、松本重治、笠信太郎、西園寺公一、尾崎秀美、各氏に関してもセットにしてさらなる論考の拡大を期待しているのですけどね。今までがあまりにも無さすぎた。


中日間の友好往来大事記
日中友好の歴史認識:創価大学文学部
中日間の大きな出来事の回顧
個人のBlogもいろいろあたってみたが、こういうトーン(創価大学文学部感想)に完全に染まっている。日中友好は土台自虐史観、罪悪感からすべてスタートしている。日中国交回復以前の前史からあたってみたが、大陸に残された捕虜や日本人住民の思想改造(特に中共軍に入って内戦を戦った日本兵や中国人に同化して何年か暮らした日本人の受けた思想改造の帰国後の完全払拭は不可能のようだ。日本よりも中共側の報道に信頼を寄せている者もいれば中国側の報道をばら撒いている日本人もいる)が日中友好の名のもとに延々と再生産されている。(対日担当者の中国人工作員の名前も重複して登場する)日本人の平和への希望やヒューマニズム、それに被さる強烈な自己批判は日本解放第二期工作要綱を完全に鵜呑みにさせている。中国人工作員が入らなくてもすでに自覚なく中国の工作員化している日本人は驚く程多い。特にここに出てくる日本人名は伊達や酔狂で記載されている訳ではない。

・・・・・追記:2012年11月5日・・・・・
日中記者交換協定
田川誠一と河野洋平  

日中友好の起源と正体 岡野と杉本の役割

通化事件 未完← Tel Quel Japon過去記事
(上の記事の中より) 通化事件 その5 
(注:岡野=野坂 杉本=前田)

中国共産党の根拠地延安 からは、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあり、当時「杉本一夫」の名で活動していた前田光繁 が政治委員 として派遣された...後日、日本人遺留民は通化劇場に集められ、前田光繁から「川内亮通化県副県長たちは満州国の幹部であったから処刑は仕方のないことであった」旨の説明がなされた...前日(情報漏洩) 2月2日 、正午過ぎに林少佐は蜂起の情報を前田光繁に電話で伝えた。前田は中国人政治委員の黄乃一を通じて航空総隊隊長の朱瑞(zh )に報告した。同じ頃、藤田大佐の作戦司令書を持った中華民国政府の工作員が2名逮捕されており、劉東元 中国共産党軍司令立会いの下で尋問が行われた。工作員は拷問を加えられても口を割らなかったが、日本語の司令書は前田によって直ちに翻訳され、夕刻には中国共産党軍は緊急配備に着手した。

通化事件検定:全7問中7問正解、そして全国1位でした!が、受験者も1人でした。この通化検定7問中に今回の中心人物が登場します。通化事件においては重要人物ということですね。
以上はまえ振り
////////////////////////////////////
////////////////////////////////////
以下は本内容
撫順の奇蹟を受け継ぐ会:
上のペイジを見て季刊「中帰連」のペイジを知った。
撫順の奇蹟を受け継ぐ会が紹介されていて、「過去を胸に刻み、これからの教訓とする。「前事不忘・後事之師」の中帰連の精神を受け継ぎ、反戦平和と日中友好に取り組む市民団体・受け継ぐ会にあなたも参加しませんか? 」と入会の呼びかけがある。
中国帰還者連絡会とは?をクリックする。
会員=中国を侵略して戦犯となり、中国の寛大政策により帰国したもの。となっている。中帰連は2002年、全国組織を解散し、その事業を「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に受け継いだ。とある。
まるで反日の砦、文章を読むと自虐史観の水源発見、という気分になる。マイク・ホンダやアイリス・チャンはこの組織から見るとヨチヨチ歩きの子供に見える。完璧な洗脳である。120%の洗脳である。日中友好の母心、のような力強く一貫した愛すら感じる。この人たちにとって日本は原罪そのものの国であり、毛沢東は慈愛に満ちたキリストに見えるのだろう。
彼らの体験を聞こう。
沢田次郎さんの話:「認罪」「思想改造」を認識した上で、教えられたStoryから逃れることが出来ないのだ。もう一人の話も聞こう
人間に戻った元将兵たちの声を聴け」 梶村太一郎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
GHQ焚書図書開封 敗走千里
間接的参照:Tel Quel japon過去記事
日本人洗脳工作
間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
通化事件 未完
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
直接的参照:
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連):
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人改造洗脳法詳細分析:反日の核構造
中国戦犯の「洗脳」について(1)
中国戦犯の「洗脳」について(2)
脱洗脳講座:田辺敏雄
/////////////////////////////////////
/////////////////////////////////////
以下はあと振り
中帰連 証言集会のペイジ

戦場の加害と抵抗 :証言者 前田光繁(元日本人反戦同盟員)
「兄弟たち、君らの真の敵はここにはいない」 ―― かつて日中戦争のさなか、中国の最前線で日本軍に向かって反戦を呼びかけた日本人たちの一群がありました。「売国奴」、「国賊」などと罵られながらも、どうして彼らが反戦運動に立ち上がっていったのか。日本人反戦同盟のたたかいは、これからの極北の時代にこそ輝きを増すでしょう。今回は、反戦同盟を立ち上げた一人、前田光繁さん(89歳)の体験を聞きます。

maeda.jpg
前田光繁検定前田光繁 wikipedia:

朱徳と行動を共にして戦闘に参加した後、1942年(昭和17年)に反戦活動のため延安に移動し、終戦まで同地にとどまった。終戦後満州に赴き、中国共産党および八路軍の活動に協力しながら、通化事件にも関与した。その後も八路軍のために活動を続け、1958年(昭和33年)に日本へ帰国した。帰国後は日中友好協会の理事を務めている[1](前田氏は立場的にほぼ野坂クローンとして通化事件に関わっている。決起した側ではない)

かつて八路軍に参加した旧日本軍兵士の座談会:
(2012年11月17日:追記)
小林寛澄氏 日本人の八路軍兵士(上)
元八路軍の日本人兵士「中日友好のため、百歳まで努力」
駐日中国大使館が中国人民抗日戦争勝利65周年座談会
「世界」2007年8月号
北京で再会した中日の「戦友」たち:既に息子の時代

光繁さんの息子の哲夫さんは言う。「当時の日本人は、誰も日本が負けるとは思っていなかった。そういう状況下にあっては、父の八路軍参加は尊敬するに値します」

////////////////////////////////////
////////////////////////////////////
以下余談
中国空軍創設につくした日本人教官
中共空軍創設秘話 その3
林弥一郎 wikipedia:

/////追記:2012年10月22日/////
参照:日本解放第二期工作要綱
参照:石平氏が激白!中国人が日本人大虐殺を計画!
参照:韓流研究室
/////追記:2012年10月30日/////
戦慄の「日本支配工作要領」ねずさんのひとりごと
荒んでいく世界
You Tube 田母神塾

・・・・・2013年5月5日・・・・・
「認罪~中国撫順戦犯管理所の6年」NHKハイビジョン特集

・・・・・2013年5月8日・・・・・
日本人中国抑留の記録8(戦犯裁判)
8をあげたがこれは日本の番組で1から9まである。今日本が制作したひどいひどい番組を1~9まで全部見終えた。心底鬼畜生と化しているのは番組制作者および関連者である。
兵隊の出兵とは、前にも書いたが、あの学徒出陣のように天皇陛下のために武士として命を捧げる、などという空想情緒に溺れるべきものではない。「海ゆかば」を歌って、命を捨てる場所を探しに行くことではない。繰り返す。戦争が過酷なのは、ひょっとしたら友達になれるかもしれない、憎んでもいない人をしかも多量に殺さなければならないことだ。敵国の国土を徹底的に荒廃させなければならないことだ。それが兵隊の仕事だ。日本兵の顔を見て欲しい。残忍な顔も卑屈な顔も一切ない、全員素晴らしい人間性に満ちた面構えである。それをジクジク「人道に反する罪?」などでいびり倒す、戦後何年も何年も捕虜の救出もしないで、彼らの苦しむ姿を晒しものにして悦に入る解説者、恥を知れ!吐き気がする!保阪正康はこの間まで正体ばれず保守の論壇で人気を博した昭和史研究家。そして姫田光義は、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあった杉本一夫こと前田光繁といつもセットで自虐史観洗脳工作を続けている、中央大学教授ではないか。どうしてこんな工作員が堂々と国営TVに出るのだろうか。また日経新聞もたくさんの日本人もグルである。参照:日経新聞 :
129570449938516204991_P1220209.jpg
・・・・・・
以下の文を読まれんことを願う。
参照:中国共産党の対日プロパガンダ戦術・戦略

DIXIE MISSION & SUSUMU OKANO

Dixie Mission Remembered in Beijing
ニクソンによる米中国交回復はDixie Mission抜きには考えられない。そして近未来の米中関係の暗示にもなる。今後アメリカの対中政策の裏の裏を読み取る際の参考になると判断して、このリンクをもう一度繰り返しておく。

...General Joseph W. Stilwell first suggested sending the mission and President Franklin D. Roosevelt approved it...

参照426283.jpg

/////////////////////////////////////////
/////////////////////////////////////////
RARE EXPERIENCE FOR FIVE NISEI IN WW II. DIXIE MISSION BROUGHT NISEI IN HISTORIC ASSOCIATION WITH RANKING CHINESE COMMUNIST LEADERS IN CAVES OF YAN’AN, CHINA.
by JAPANESE AMERICAN VETERANS ASSOCIATION:

There were about 150 of them(=the prisoners) assigned as students of the Farmers and Peasants School, where they were under indoctrination to become communists, or members of the Emancipation League, which created propaganda material targeted at Japanese troops in China. The Nisei had unimpeded access to the prisoners, who provided valuable intelligence. They(the Nisei) also worked with Susumu Okano, known in Japan as Sanzo Nozaka, head of the Japan Communist Party who escaped from Japan in the early 1930’s to the Soviet Union and finally to China. Nozaka was responsible for the POWs

According to Roger Ariyoshi of Honolulu, Hawaii, his father, Koji, said he held extensive meetings with Nozaka at his cave, located about four miles from the Observer Group, to obtain Nozaka’s insights on American propaganda leaflets and material that were used against the Japanese troops. Also, Ariyoshi’s instructions were to evaluate the effectiveness of Nozaka’s propaganda efforts.

The following year he(Nomura) was assigned to Japan, where he served in the Occupation for five years as a translator. During this time, he and a group of Nisei met with Nozaka at a Japanese teahouse. “It was an opportunity for reunion with an old friend,”

Following his graduation, he(Ariyoshi) joined the Office of War Information, led a 10-man psywar team to New Delhi, India. In June 1944, he was deployed to Burma, where he was picked to serve on the Dixie Mission

he(Uesato) was sent to Japan for Occupation duty, where he would serve from 1946 - 1947. One day, Uesato visited the Japan Communist Party headquarters in Tokyo for a cordial surprise reunion with Nozaka.



日本人洗脳工作&SUSUMU OKANO (2) 2016年3月4月追記多数

米戦時情報局が見た中国共産党の日本人洗脳工作

日本軍の特攻や玉砕に大きな被害を受け、その対策を心理戦争の面から講じようとしていたアメリカ軍とくにOWIは、延安で中国共産党軍とくに八路軍が多くの日本兵捕虜を獲得し、日本労農学校で反戦教育を施し、その卒業生の日本人民解放連盟への組織化によって日本軍へのプロパガンダ工作をシステマティックに実施しているのに驚いた。

そして1944年の現在は岡野の提唱した日本人民解放連盟中国ばかりか日本でも反戦活動を行う準備を進めている第四段階である。

「戦陣訓」のしばりによって、日本兵捕虜には敗戦協力しか帰国の途はないことに八路軍は気づいた。そこで敵軍工作部は反軍国主義、さらには社会主義思想注入のための再教育を捕虜に受けさせる。さらに思想改造をしたかれら捕虜を前線に送り込み始めた。

OWIや国務省のジョン・エマーソンらは、延安で設立され、多数の日本兵捕虜の再教育を行っている日本労農学校に注目した。『延安リポート』で48ページに及ぶ長文のリポート第45号「日本労農学校(一つの研究)」はOWIのコージ・アリヨシの授業参観や取材に基づく労作である。

学校では、岡野校長は批判と自己批判を学生の進歩に不可欠なものと信じている。彼によれば、それは深く染み付いた古い思考を脱ぎ捨て、新しい生活様式を受け入れるのに役立つ。

網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された岡田文吉(延安名、沢田淳)という日本共産党員がいる...岡田は「延安入りを敢行した際にも、特に軍部に顔の利く、河本大作氏の庇護をうけて(!これで歴史解釈は大きく変わる)、その目的を達した」という(川口忠篤『日僑秘録』太陽少年社):(参照:暴かれていた河本大作の嘘

1945年末にも予定される連合軍上陸に解放連盟は八路軍とともに上陸し、連携した宣伝・宣撫の戦術、戦略を練っていたことに注目したい。第44号「華北日本人民反戦同盟第一回大会 日本兵士代表の諸決定」は反戦同盟の上に意識の高い者を集めた共産主義者同盟であることを示している。毛沢東が絶好機の到来があれば、解放連盟の共産主義者同盟員を第5列に仕立て、八路軍による日本占領の戦略を念頭に入れていたとも考えられる

岡野は毛の指示を受け、労農学校で集団批判や監視活動を実行した。重慶には鹿地亘や青山和夫のような日本人亡命者が捕虜を指導したし、国民党軍は彼らの協力を歓迎した...日本人捕虜がいる世界の戦域において延安のみで、「社会主義的非戦思想の教育ないし洗脳」(『日本兵捕虜は何をしゃべったか』)が行われた。:(Bruxelles注:Brain Wash=洗脳とMind Controleは別行為をさす。Brain Wash=洗脳という語は中国共産党にその語源を発する、ということを思い出した。)

延安を訪れる連合国側のジャーナリストやアメリカ軍の将校に対し、共産党色を隠し、穏健な民主主義者のポーズを取った。こうした手法が5年後の毛沢東の中国支配の道をひらいた。(SnowもSmedley等もまんまと騙された)

占領期日本では戦時期に洗脳された捕虜や知識人が道具として利用された。その後は工作を受けた一部の日本の政治家やジャーナリストが彼らに代わった。


参照:山本武利 20世紀メディア研究所代表

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
戦争とインテリジェンス:山本武利
山本武利氏は戦争とインテリジェンスのおそらく日本最高の専門家。日本人のこれまでの戦争理解が観念的すぎる(悪く言えば現実無知である)ことがよくわかる。
//////////////////////////////
//////////////////////////////

追記:2012年11月4日 平成の日常から HP紹介
国民全体に浸透しおそらく100年は続くだろう日本人洗脳
後世普通の人が当たり前のように口にするWGIPの一例と、体験者が記録した詩歌 = 短歌反論の反論 < 元ペイジ

・・・・・追記:2016年3月18日・・・・・
20世紀メディア研究所代表 山本武利氏への参照リンクがまたしても切断されていた
補うために以下のYou Tubeを代用として追加することにしました。
山本武利氏 2013.12.9 日本記者クラブ講演
(参照追記:2016年3月27日:GHQの検閲 ←→しばやんの記事

参照必見資料:China195612PowCampDocumentaryFilm
洗脳教育中抵抗を試みた日本兵は発狂したり自殺したりした。台本を棒読みしたり丸暗記丸出しの場面もある。参考にMKウルトラに関しても当たってみられると良い。

Bruxelles-try.png
中共の捕虜洗脳を元に贖罪意識を植え付けたGHQ
GHQ工作 贖罪意識植え付け 中共の日本捕虜「洗脳」が原点 英公文書館所蔵の秘密文書で判明 
日本軍は中国で何をしたのか?1 :
日本軍は中国で何をしたのか?2 :
リアル南京市民の証言!
慰安婦に出会った女性の貴重な証言
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
今後利用できそうなその他の追記 
大切で重要なとりおき用に 資料の宝庫
Oral History Interview with John S. Service
Tel Quel Japon関連過去記事
John Service by Lynne Joiner (1)
John Service by Lynne Joiner (2)
DIXIE MISSION & SUSUMU OKANO
OSS in China: Prelude to Cold War
・・・・・・・・・・・・・・・・・
////////////////////////
追記:2016年3月19日
今、西尾先生の日録にこのペイジが紹介されているので、このペイジに追記します。
◎「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について
インタビューリスト 山下正男氏 全19回:
全部が必読でしょうが、とりあえずこのかたのインタビューを。時間の無い方はとりあえず一回分でも。先入観を持たないでお読みください。
wikipediaには「ソ連軍の満州侵入後も中国で生活していた」と書かれている河本大作氏の「その後」はこの山下正男氏のインタビューのなかで具体的に同じ体験者として、登場しごく普通に語られている。
・・・・・・
上の内容から派生して
張作霖事件の犯人は河本大作・大佐ではなかった
名分話 第64回 ものがたる(23)
////////////////////////
追記:2016年4月3日
補足(18) 野坂参三の研究
ミーハー的なガセネタのひとつかもしれませんが、野坂に関して。野坂には日本人にひとり、お友達がいて、そのひとはTV番組を持っている大変有名な芸能人なのですって。しかも日本人なら誰でも知っている超有名なそのひとのTV番組に、呼ばれて出演したことがあるのですって?今調べてみたら、wikipediaにも書いてあるので、間違いなくTV出演しています。なぜそんな長寿番組の司会者と野坂参三はお友達たりえたのか?不思議ですね。その時代はまだ野坂は戦後日本社会再建の英雄?だったのでしょうね?アメリカで共産党員だった、石垣綾子もその昔はお昼のワイドショーの人気コメンテーターでしたし、同じくノーマンの恩師の羽仁五郎もTVでは引っ張りだこ、その弟子が花柳幻舟、家元を切りつけて、逮捕され消えてしまいましたが、人気者でした。野坂は晩年は別にして、安心して日本の中枢にいた時代があったということでしょう。ひとつ写真を追加しておきます。
野坂は戦後日本を守るためにこうしてこの時期毛沢東の隣にいた、という見解もありえるかも。白州次郎にはGHQと戦う根性があったという逸話や、また逆転して瀬島龍三がソ連のスパイだったという見解もあるのですから。野坂には4重スパイ説もあるのですが、最後のひとつはどの国のスパイかわかりますか?
maookano.jpg


戦後天皇制とSUSUMU OKANO (3)

戦後天皇制をめぐる毛沢東、野坂参三、蒋介石:
野坂が昭和天皇を救った?
・・・・・・・・・・・・・・
ブラック・プロパガンダ 謀略のラジオ
ー中国戦線のブラック・ラジオー
特に「五 アップル・プロジェクト-延安でのOSS工作と野坂参三」以下を慎重に読むと、野坂とOSSの関係、戦後日本における野坂の影響力等について理解が得られる。また追加検証の必要も認められる。

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
Obituary: Sanzo Nosaka

・・・・・追記:2012年11月16日・・・・・
いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の一›東京裁判と講和条約第11条について

、昭和19年に延安にゐた野坂参三がアメリカ政府から延安に派遣された使節団(ディキシー・ミッション)と接触し、「われわれは天皇打倒のスローガンを回避する」と申し入れ、これがアメリカ本国に伝達されてゐた。野坂は、モスクワのコミンテルン勤務から延安に移動した後のことであり、この方針はソ連の方針であつて、野坂はそれを単に伝達したに過ぎない。なぜ、ソ連がその参戦前から、来るべき我が国の敗戦後に天皇不訴追方針を決めてゐたかといふと、それは野坂の意見が採用されたからである。野坂の意見は、根強い天皇崇拝意識下の我が国において、天皇の処罰(処刑)と天皇制の廃止を求める運動を展開することは大衆から完全に遊離してしまひ革命が遠のく結果となつてしまふとの現状分析と、天皇個人の退位と天皇制の廃止とを区別し、天皇制廃止への第一歩として天皇の退位を求めていくといふ運動を展開するものであつた。イタリアでは、昭和19年6月に、国王の退位、皇太子の即位、王制の廃止による共和制の樹立といふプロセスを経たことが野坂の主張のヒントとなつたのである。

野坂が延安で接触したアメリカの使節団のメンバーの多くはいはゆる「中国派」で容共勢力であり、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主党政権が容共的体質であつたことの証左でもある。ちなみに、昭和20年7月23日付でOWI(戦時情報局)日本部長のジョン・フィールズが野坂に感謝状を送つてゐることが公開文書から明らかになつた。このことは、日本共産党が主張するやうに、野坂が二重スパイであつたとする根拠にもなり得るのだが、むしろ、東西冷戦構造の始まりにおいて、米ソが天皇不訴追といふ共通した結論を同床異夢として抱いてゐたと言へるのであり、「ヤルタ密約」に野坂が関与してゐたのではないかと推測させる事実である。さうであればこそ、日本共産党がマッカーサー率ゐるGHQを「解放軍万歳」して占領を受け入れたことの説明がつく。



・・・・・追記:2013年7月3日・・・・・
戦後天皇制と野坂参三:陰謀論が絡んで:
誰も取り上げない、それに反比例してよく聞く話。また
ー明治政府は英国つまりユダヤ王ロスチャイルドが投資して作った政府であるー。これも反比例して、よく聞く話。取りあえず興味深い話として頭の片隅に入れておこう。
この記事に繋がっている?:明治維新
・・・・・・・・・・
日本共産党と野坂参三
論客の誰ひとり野坂参三を語ろうとしない、書こうとしない、「なんでだろーなんでだろーなんでだろー」
第90回帝國議会 : 野坂参三vs吉田茂:
昭和天皇の戦争責任問題と東京裁判←重要
戦後、「象徴」として天皇の地位が確保された背後には、「東京裁判」を正当なものとして位置付けた昭和天皇自身の判断が隠されているのである。(東京裁判の否定を口先だけで言っている保守は目や耳を所持しているのだろうか?それより、東京裁判の否定を「口にさえしない」真正保守の面々はのっぺらぼう(人間もどき)なのだろうか?それとも東京裁判の否定は天皇制の否定に繋がるとでも思い込んでいるのだろうか?なるほど、隅から隅までズズイーっとワンパターンな人たちだ。)

日本国憲法&SUSUMU OKANO (4)

日本国憲法・オカノススム起源論 Part 1:
日本国憲法・オカノススム起源論 Part 2
日本国憲法オカノススム起源論

//////////
『延安報告』の意義と憲法 : 山極晃の著書を中心として
山極晃「ポツダム宣言の草案について」
ドン・ブラウンと昭和の日本 (1) (2) (3)座談会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
MISとして占領下の日本に駐在した二世の体験談を聞く
///////////

・・・・・追記:2012年11月16日・・・・・
戦後天皇制とSUSUMU OKANO (3)に追記リンクした文章の筆者、がチャンネル桜、日本国憲法大討論に登場。
1/3【討論!】どうする日本国憲法!?連続大討論Part1
(追記)11月17日、今日Part1 2/3を見た。南出氏より「野坂参三が日本国憲法成立時にその法的不備を突いた」との発言があったが「野坂はどうでもいい」と水島さんに一蹴された。当時野坂参三の共産党のみがマッカーサー憲法反対を叫んだ事実は、多くの謎の解明に役立つと思うのだが。改憲のための方法論を討論のテーマだとすれば、2/3では現場から当然の如く現実論が出て、いつもと同じで進展はなかった。出演者の希望的最終結論は初めから完全に一致していて、討論にはならなかった。反対意見の現実的圧倒的圧力を前に侃侃諤々と応戦してこそ、スパーリング効果が期待できるし、いつか粉砕OKできる体力も実力もつくというものだ。
敵対する者たちの反応、実力、実績、現実の圧倒的連合総力、作戦&工作&最終計画、を多様な角度から予測・分析することを一時も忘れてはならない。(敵をしっかりと見据え緊張して敵に対峙することなく)最終目的を完全に同じくするワンパターンの者たちが、内向きに集まって自分たちの正しさを確認しあい気勢を上げ「なんとかなりそうだ」と甘い安らぎを得て気分良くなる集会を一般に「居酒屋の宴会」と言う。
(追記:11月18日)敵は敵のあらゆる動向を常に観察し敵は敵の敵の弱点解析に勤しんでいる。悪酔いして感情的になったり、周りの声が耳に入りづらくなっている人物はおそらくデーター集積され、必要とならば工作員がアプローチするターゲットにもなるだろう。万一具体的進展のある討論の場合は、結実する100歩も前に先手を打たれる可能性がある。とは言え私とて「居酒屋の宴会」が嫌いなわけではない。学校教育で洗脳され自虐史観のハリボテと化している歴史逃避・政治無知の日本人には、確実な覚醒チャンスを与える貴重で多大な有効性を持つ、ということも否定できないからだ。決してチャンネル桜の討論番組そのものを否定する者ではない。
(追記:2012年11月21日)今日Part1 3/3を見た。1/3とはうって変わり、各参加者の発言からそれぞれ独自の視点及びそれぞれ専門分野の熟慮・熱意も伝わってきた。根底は「居酒屋の宴会」であったが、現実遊離の強引発言は誰の口からもでなかった。「憲法改正」は左翼もアメリカも実は望んでいて、馬のように走り出すとゴールでうっちゃりをくらう事(改悪の可能性)への警戒発言も出て、3/3は「有意義な討論であった」。
(追記:11月18日)今Part2, 1/3,3/3を見た。左右に分かれて反対意見の人たちが姿を見せた。俄然面白くなっている。Part1の1/3 2/3だけを見て「討論として成り立っていない」と書いたことをPart2に関しては訂正しなくてはならない。チャンネル桜、面白い!ただ姿を見せる反対意見の人たちの意見は、「姿を見せない」工作員につながる人たちの究極の考えとは、全く次元が違うことだけは忘れないでおきたい。
(追記)2012年11月18日
日本国憲法前文:Tel Quel Japon過去記事:
Letter from Kenneth Colegrove to President Harry S. Truman, dated July 29, 1946:
Baidu IME_2012-11-18_19-57-33
↑をクリック:共産党のリーダー野坂は、遺憾ながら、現在日本で「知」にかけては最も突出した男である。共産党は背後でソビエトロシアと繋がっているので、この党は今後日本の政治状況を複雑化させ続けることだろう。という内容を、ColegroveはTrumanへの連絡に付け加えている。
参照:KENNETH W. COLEGROVE (1886-1975) PAPERS
参照:1942年6月米国「日本プラン」と象徴天皇制
Kenneth Colegroveに触れた部分の拡大引用
・・・・・・・・
Kenneth Colegroveを調べる過程で、物凄く興味深い論文を見つけた。価値ある研究だと思う。
これはIPR関連やアメリカの親ソ派、親中派、つまり共産主義のスパイをテーマにした場合再度活用できる貴重な資料だ。ここに追記しておく。日本占領政策にも関連することは言うまでもない。
アメリカ”赤狩り”時代の極東問題専門家(上)
アメリカ”赤狩り”時代の極東問題専門家(下)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SUSUMU OKANO (5) 未完

前に紹介したLynne Joinerのこの本の74ペイジを切り抜いた。下の画像ファイルをクリックすると拡大します。
延安の諜報員訓練所で野坂参三がホーチミンらアジアの革命家たちと共に1943年まで訓練を受けたことがわかる。しかもその訓練所はロシアとの協力機関であった。共産革命のためのスパイ訓練を受けた者たちを満州、朝鮮、日本に送り込むプロジェクトの工作名をAppleという。その責任者が野坂参三であった。日本人が住み暮らす満州、朝鮮、日本に共産党の訓練された工作員を送り込むことの対価、つまり工作費として野坂参三は40万ドル受け取っている。OSSから資金が出ている。OSSには共産スパイがうじゃうじゃいたと言われるが、OSSの「日本計画」はこういった共産革命の力を借り、またその目的達成に力を貸した事実も明らかになる。野坂は戦後、資金の出処であるGHQ(USA)により身を近づけたことを批判されモスクワに呼び出される。そして満州、朝鮮が事実として日本の手を離れて、そのあと朝鮮戦争が始まり、GHQも逆コースをとる。しかし戦前の延安のこの知られざる秘密工作員学校は戦後のアジアにおける共産化や、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争のincubatorとなった現実を、見落としてはならない。これを見落とさないためには我々日本人はこの角度からのもう一つ別の視点を持つ必要がある。それは何かというと「(red terrorに)後に気づき大いに悔やんだ」あのマッカーサーの全亜細亜をひと括りにする視点である。(日本は米国の足元に同化されていて彼の眼前に対峙する亜細亜にはむしろ日本はない)ただ彼は米国が共産主義者たちの戦略に利用され犠牲を顧みず共闘したことをこの時大いに悔やむのであるが、寄ってたかってまるでリンチのように資源のない日本という国を徹底破壊したことを、反省しているわけでも、「気の毒な日本の過去の真珠湾奇襲に」米人として何らかの理解を示しているわけでも全くない。蛇足であるが重要なので誤解の無いようにこの点を敢えて付記しておく。

Baidu IME_2012-11-9_11-59-23

/////追記:2012年11月10日/////
OSSの対日本心理作戦詳細:1941ー1945
OSS心理作戦元頁 & OSS心理作戦HP
驚きの内容なのだが、今となっては特にこれが気になる=You Tube
このホワイト・プロパガンダの提案には思わず笑ってしまう。狸が「田の怪」から来ているとは知らなかった。いろいろ勉強になる。(Suggestions for Leaflets or a Booklet on "A New Japanese Mythology," June 17, 1944 より)

/////追記:2012年11月10日/////
参照:アップル・プロジェクト--延安でのOSS工作と野坂参三
/////////////////////////////

SUSUMU OKANO (6)

とりあえずリンクのみ。
野坂参三の「戦後日本革命の綱領討議資料」の公開にあたって
とりたてて新しくはないが。野坂と行動を共にする山田一郎があの通化の山田一郎なのだろうか?あちらの身元は割れた。とすればこちらは、誰かの偽名か?あるいは、同一人物の転向か?まさか。
日中戦争期における中国共産党の敵軍工作訓練隊

Alfred Thayer Mahan

Alfred Thayer Mahan: Bio
Alfred Thayer Mahan - Wiki Article
私の父はアマチュアの海軍研究家であった。私がまだ小学生の時に若くして癌で亡くなった。大人の会話はまだできない。悲しいことに海軍及び軍事に関して私の知識はゼロである。一度だけ沖に停泊中の、米軍に接収されていた日本の軍艦に父と一緒に乗り込んだ記憶がある。乗り込む時セーラー服を着た若い米兵たちが笑顔で手を振って迎えてくれた。それと18年前母を送り出す時、父の模型ケイスから父が図面からおこした手製のビスマルクを取り出しお棺に入れた。
私には何の知識もないのが情けない。Alfred Thayer Mahan、イロハのイで抑えておかなければならない筈のAlfred Thayer Mahanを今頃取り上げることが、恥ずかしい。遠い昔の世界史上の海戦の流れが見えてきたような気がする。あれはこうで、これはああだったのかと、なぜそうしたのかという理由が一気に見えてきたような気がする。

ふとしたことから日本人の軍事専門家、Toshi Yoshihara,という人を見つけた。漢字では吉原恒淑氏。
JAPANESE MARITIME THOUGHT: IF NOT MAHAN, WHO?
Dr. Toshi Yoshihara visited the JMSDF Staff College
↑去年日本の海上自衛隊に招かれた時の写真もある。

CHINA'S MILITARYという一時間強の番組を見ていた。理解するには軍事に関する知識が必要で、確信がつかめないまま見ているとYoshihara氏の口からMAHANの名が何度か飛び出した。このペイジを書くきっかけである。
これは中国の軍事力をテーマにした"China Since Tiananmen: Power, Party, and Society,"というイベントの4番目の討論である。(何度も出てくるPLAは中国解放軍)2009年5月26日、少し古い放送であるが、全部で5つの番組からなり、「天安門以降の解放軍、共産党、中国人民社会」を軍事専門家たちが分析する、という構成になっている。
中国軍分析にかけては日本国内にも優秀な研究者がたくさんいらっしゃるのでお任せするとして、今日はAlfred Thayer Mahanという人物をここに紹介するに止める。父と同じ、日本中に沢山おられるアマチュアの熱心な海軍研究家達にこのペイジを捧げたい。

          9781591143901.jpg
Toshi Yoshihara氏の著作の中から一冊だけ選んでついでに紹介しておきます。

・・・・・追記:2012年11月15日・・・・・
The Japanese Archipelago through Chinese Eyes
Russia Plays Both Sides Against the Middle on Senkaku Islands
PLA Personnel Shifts Highlight Intelligence’s Growing Military Role

米軍に沖縄から出て行け、と言っている間はいいけれど、米軍の方が「出て行く」といったら、どうする?軍事を考えないで、情緒や感覚や心情でものを言うと鳩山氏のように「無知でした」と言う羽目になる。それとも、その時こそ、憲法改正、真の独立の絶好のチャンスだ!って、あなた思うの?
Toshi Yoshihara氏のお話を聞いていると、「出て行かないで」という方向に傾いてくる。沖縄を絶対取られない、っていう自信があれば別だけど。情緒や感覚や心情で防衛できる?戦争できる?戦争して勝てる?

盧溝橋事件のさらなる真実

日中戦争に関する理解は、こんなところなのだろうか?
盧溝橋事件 中国共産党陰謀説
柳条湖事件と盧溝橋事件の比喩性
だとすると日本が一番もたついているのではないだろうか?これも、誰かの何かの意図がありかもしれない。

今日以下を読んで吃驚した。中国人の人名を漢字にできないので、しかも地名もピンと来ないので、詳しくは書けないのだが、中国人又は日本人の顔をした共産党員(コミンテルンの小使いさんたち)が、支那軍にも日本軍にもたくさんいたようだ。日本にはこの時点では戦争拡大の意思は全くない。日本では砕氷船理論をお伽話のように扱っているが、真実はそこにあることがいずれわかるだろう。秦氏の研究は日本人悪人説を軽減する努力として評価されているが、上の二つのリンクと以下のリンクを比較すると、他国ではすでに明らかな歴史的真実を曖昧のままに止めようとする努力が一生懸命になされているようにも思える。
中国人名や地名に関しては、毛沢東時代を含め20年間中国に暮らし中国語の方がより完璧な知り合いが近所にいるので、暇なときに確認を取るつもりだ。ただこの辺はあまり興味がないのでずっと後になるかもしれない。しかし工作員の人名を引っ張り出すことは重要だと思う。
Marco Polo Bridge Incident:

すでに日本人の中にも以下のような理解もあるようで安心した。しかるにNHKや朝日新聞、何より教科書がまだとてもそこまで追いついていない。というより、洗脳解除を阻止している。中国行き旅行者が増える分だけ毎年日本人の被洗脳者が量産される。南京にしろ慰安婦にしろそれが反日政治工作の一環だということを暴き出す、これが一番手っ取り早い反日洗脳・自虐史観解除対策だと思う。この辺に関しては「あったとかなかったとか、強制だとか強制でないとか」いつまでもウダウダ検証し続けている場合ではない。相手の心情を配慮していつまでも「騙し」を教科書に書き続けることはないのだ。
盧溝橋事件と南京事件

通化事件 追記4

通化事件:wikipedia
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷:ねずさんのひとりごと

もう30年以上前に福井先輩から通州事件については聞いていたけれど通化事件は初めて知った。Dixie Missionは中国共産党の何を見ていたのだ!日本人民解放連盟を調べていてこの事件に突き当たった。

通化事件Wikipedia参考文献の一番上に「 医師・紙田治一の記録」というものがある。今日はもう遅いので明日に読もうと思っている。もしや、と思ったがやはりそうであった。紙田治一の生涯 [記録]に親子の写真が出ている。現在は画家となっている紙田彰処女詩集「魔の満月」(書肆山田刊)を持って詩壇にデビューした頃、詩人として出会っている。つまり自らキーボードをたたいて体験者として通化事件の記録を残した紙田治一氏は私の古い友人の父親であった。

追記:2012年10月12日
通化事件:英文資料を読むより10倍の時間と100倍の疲労を感じ、何度も何度も休憩を入れながらフラフラになってようやく読み終えた。思考がいろんな方向に結びつき、過去の情報と繋がり、閃いては消え、立ち止まっては、頭を休め「読み」に戻る、また途中何度も投げ出したくなったことも事実である。古い友人の父親が書き残したものでなければ、途中で「読み」を放棄していたかもしれない。いろんな思考が立ち上がり浮遊し、途中で時間を奪った。心と頭が疲れた切った。これを読んで、疲労困憊しない日本人はいないだろう。知識があればあるほど独自の判断を入れたくなる。そして現場にいなかった者として、いくら考えても深く考えても、それは「独断」を免れない。判断は論理を必要とするが、今は疲れて論理が動かない。かすかに感情的思考がただ残るのみである。所謂感想である。
感想1:南京虐殺と、慰安婦問題に類似したものがセットで出てくる。これらは、通化事件からパクった転用ではないか。つまり、自分たちのしたことを、立場を逆転させてあれらを捏造したのではないか。だからありありと、目の前に展開するように語れるのだ。そっくりすぎる。つまり通化事件が、南京や慰安婦の種、になっているのではないかということ。
感想2:これを水島さんにぜひ映画にしていただきたい。このインパクトなら南京のPropagandaを押し返せる。私は過去記事で水島さんの映画のコンセプトを2度否定している。過去記事1過去記事2。早い話が南京のPropagandaを打ち崩すための映画に「南京の真実」などという勘違いするようなタイトルを付けること自体が最悪である。「7人の死刑囚」などというコンセプトも否定すべきことをはっきり否定するものではない。死刑囚という前提を持ってきて、どうして否定できるんですか。 「通化事件」だったら、南京の虐殺というのは、なかったとかあったとか言ってるけれど、本当はこれだったのかと、たいていの人は思うでしょう。慰安婦もしかり。嘘よりも事実が強いに決まっているのです。事実を見せれば、パクリがわかる。
感想3:満州国成立前から満州には漢人が多くいた(焚書図書開封7)らしいけれども、文章の中で満州族を漢民族のように勘違いしている記述が2度あったのが気になった。(引用:だが、第二の悲劇は日本人よりも、むしろ満人……今は中国人となった漢民族の上に、より多くの試練を下すものであった。)満州人は本来女真族の筈で、五族協和で満漢が出てくるのは満州族は漢民族ではないということなのだから。
感想4:この資料は元共同通信社記者、社会部長・山田一郎氏の著「通化幾山河」(『秘録大東亜戦史』満州篇下巻、富士書苑、昭和28年)を基本的に参考にした。ーとありましたが、本当に山田一郎なる人がいたのかどうか、身分を隠した、いかにも偽名のような名前。幾山河にしても瀬島龍三回想録と同じタイトルで、内容と合わないように思うのです。なぜそう思うかといえば、「このとき、山田一郎著「通化幾山河」について事実に相当違いがあるという多数の意見が出され」という筆者の発言もあるので、この点は見落としてはならないのではないかと。所々に日本軍の悪や平和主義が匂うところも、少し気になる。この程度のマイナス史観は「言挙げ」の松原久子氏にもあるものなので、気にする方がおかしいが。パースペクティブをもって書くためにはこの本を参考にせざるを得なかったこともよくわかる。山田一郎氏に関してはあとで調べれなんとかわかるだろう。
感想5:映画にする場合は、紙田氏の視点、つまり蜂起自体が仕組まれた工作にハメられたものであるという見方で描くのがベストだと思う。(引用1:略称「日解連」と呼ばれるこの団体は、北支山西省延安の日本人政治学校で岡野進(野坂参三)から共産主義教育を受けたといわれる杉野一夫(杉本一郎)という人物の指導の下に、中共軍の日本人に対する意志伝達の下請け機関として生まれたものであった。引用2:岡野進(後の日本共産党の野坂参三氏)が作ったという大会運営方式で議事が進んでいった。)通化事件には明らかに岡野(野坂)の影がある。ひとつ前の記事にNozaka was responsible for the POWsと書いた。野坂は延安で日本人捕虜の思想改造を担当していた。その完成したものが通化に来て全てを動かしている。野坂と一番頻繁に接していたAriyoshiはOWIのPropaganda心理作戦の専門要員である。仕組まれた工作の必要がなければ、延安から共産党員化した日本人が送り込まれる必要はない。(参照)野坂が教育したPOWsは全てが農村出身者か無産階級者であった、で?と思ったが、共産化しやすそうな人間を選んで命を維持させ(他を殺戮することで、彼らはすでに選抜された者なのだ)彼らを優遇し、完璧な党員に仕立て上げたものと思われる。通化事件加害者の中には中国共産党に加わった旧日本軍人が多くいた。実際彼らは満人や国民党兵や多くの日本人住民を虐殺した。戦後「中国で女を強姦したとか、中国人を多数虐殺した」とか歴史の証言者として語る日本人の多くは、中国共産党員になっていた日本人だとすると、すべての説明がつく。事実彼らはそうしたのであり、それを証言するのも彼らが宿題として持ち帰った任務なのだ。いずれにせよ通化事件は引っ張り出して公にし拡散しなければならない。いろんな不可解な謎の解明に繋がるはずだ。
感想6: この通化事件を読んで一番思うことは、ねずさんのひとりごとのタイトルにあるように「国を失うことの過酷」に尽きる。国を失えばこうなるのだと、読んで鮮明に感じ取っていただきたい。本来人間存在は国家とかくも直接に一体化しているものなのだ。私が一番それを感じたのは以下の部分だ。(引用:「紅軍進駐万歳!」と赤い字で大書したアーチである。楊旧通化省長以下の日満要人が駅頭に出迎えた。手に手に赤い小旗を持って。)国を失くすということをこれほど痛感させるシーンはない。否応なく奴隷化しなければならない被占領者の悲哀であり屈辱である。たとえハメられたとは言え、決起した日本人たちを誇りに思う。日本は占領期間があったとは言え、国土が残り国民も日本人であり続けた。しかし満州国は消え、その国民も泡のように消えた。「国を失うことの過酷」をシミュレーションでもいいから体験することは、今の日本人の意識に大きな変革をもたらすだろう。そう願いたい。
追記:2012年10月28日
感想7紙田治一氏遺稿のこの部分、永久陣地「光建設」の計画は、どのような作戦と連動していたのだろうか?敗戦を目前にして、日本本土が占領された場合、ここで踏ん張るという発想は地政学的にも有り得る。永久陣地という呼称も「光建設」という計画名も非常に説明的でわかりやすい。それは着々と準備されていたのだ。御前会議で敗戦が決まった時点で、計画は突如破棄・忘却されたのだろう。敗戦後関東軍が引き上げたとは言え、共産中国は余力が出来次第、やはり不気味な「永久陣地」をたたきつぶそうと、計画的に延安から前田光繁をはじめとして、骨の髄まで共産化した工作員を送り込んだと解釈できる。

追記:2012年10月17日
通化事件 その1 & その2 & その3 & その4
通化事件に巻き込まれた流転の王妃
追記:2012年10月19日
通化事件 その5 &
・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記・参照 2012年10月29日
年表 日中戦争以後詳細
戦中・戦後を中国で生きた日本人について
Interview List 必読
岡野進の残留日本兵改造
例:11.日本人民解放連盟の出現
例:7.解放連盟の学習会
例:11.牡丹江
例:4.敗戦後の満州
例:28.和平会談決裂
例:29.残留日本軍の終焉
米澤泰英 新刊案内

暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
長谷川毅著:Tel Quel Japon過去記事
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・追記:2012年11月8日・・・・・
無理だと半分諦めていた書物を入手した。大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、というものだ。謹呈 中東和英の署名と印鑑がある。この人は執筆者のひとりだ。その裏には寄贈者 川北哲殿、という記述もある。お借りした先は、和歌山県立図書館。貴重な写真、イラスト、略図などもある。人が借りて読んだ痕跡は全くない。何故この本を入手したかといえば、山田一郎氏の「通化幾山河」が収録されているからだ。全部で18あり「通化幾山河」は7番目にある。軍人であろうと民間人であろうと、満州に暮らし引き上げてきた親族のいらっしゃる方には、興味深い書物になるのではないかと思う。文字を介してであれども「現地に飛ぶ」体験が視点が必要だと思うからだ。「大事に扱ってください」と図書館員からの伝達があった。言われなくても、撫でるように大切に扱うつもりだ。皆さんにもそうして欲しい。
・・・・・追記:2012年11月10日・・・・・
この文章のなかに以下の部分があるのでピックアップしておく。よくある名前なので何とも言えないが野坂と行動を共にする山田一郎なる人物(おそらく仮名)が登場する。野坂同様大抵が別名を持っているので紛らわしい。

四六年五月二十三日付の東京のCICが野坂の帰国日程をまとめたものがあるにはある(26)。しかしそれは一月十二日に福岡、一月十三日に東京に着いたといったソウル以降の記録が新しいだけである。釜山から福岡までに同船した者には森健、山田一郎、梅田照文のほかに佐藤タケオという人物がおり、さらに野坂よりも数日前に釜山から福岡に着いた岡田文吉が、彼と東京まで同行したとある。

ついでながらこの岡田文吉はTel Quel Japon過去記事に登場する延安名、沢田淳なる人物で、網走刑務所にいる日本共産党幹部徳田球一から延安の岡野に密使として派遣された男である。ご記憶あるだろう。あの河本大作の力を借りて日本から延安入りする日本共産党員である。
探してみるとこの文章に「通化幾山河」を書いた山田一郎氏が登場する。松本重治にイメージが重なる人物のようだ。ひょっとしてこの山田一郎氏と同一人物なのだろうか?

・・・・・追記:2012年11月23日・・・・・
大東亜戦史7満州編(下)、富士書苑 昭和49年2月5日9版発行、を読んで暗澹たる気持ちになった。整えたインフラ、武器、軍人、そこに暮らした日本人、日本の敗戦は、すべての投げ捨てのような気がする。武装解除の命令の前に、熟慮すべきことがあったのではないのか。せめてこの本を紹介しておきたい。
   9784769827191.jpg
参照:菊千代さん: 参照:鉄太郎さん

詩と思想 40周年 詩は政治的現実の下僕か

懐かしきアウトローたち:

西尾幹二先生の『GHQ焚書図書開封 7』を拝読して感想を書いた。どの箇所とは詳しく書かないが「あの部分はまずいのではないですか。ああいう発想はアウトローの発想です」と本文とは全く関係のないところで反応してしまった。「多分昔、詩や小説を書いておられたからではないでしょうか。文学は基本的にアウトローの世界だと思います」と書送ったら、西尾先生からしばらく経ってお返事がきて「アウトローへの傾斜」を指摘した部分を面白く感じたと書かれていた。
私が青春を過ごした1970年前後は、文学に無関係でもアウトローこそが主流で、それは精神的だったり政治的だったり生活的だったり文学的だったり、アウトローが充満し支配する、と言ってもいいような時代だった。西尾先生の場合「自由」肯定だったので明らかに精神的アウトローであったが、そこに書かれた自由は国家の管理の締め付けからの「自由」でもあり政治的アウトローとも受け止められる可能性を孕んでいた。しかも西尾先生はそこをかなり強調して書いておられた。私はそのお気持ちは充分わかるし自分も共感するが故に、わざわざ書くのはまずいでしょう、と思ったのだった。

私は70年安保の世代で、その渦の中で、逆回りし続けて生きたのだが、接触する周りの大多数と敵対していた訳ではない。こちらも「自己批判」する代わりにこちらの「思想の自由」も当然認めさせていたし、認められていた。勿論議論した場合1対多数で常にやり込められていたが「あなたたちは鬱積した敗戦の抑圧の反動としての一種の敗戦ヒステリーなのだ」とやり返した。が誰も耳を貸さなかったのは言うまでもない。
時代はまだ以下のような人たちに牛耳られていたのだ。
詩集「2N世代」過去記事:
平和問題談話会と戦後知識人
私は詩や小説を書いていたので、つまり言葉で語ることで、理解しあえると信じてもいたのでかなり彼らの話も聞いた。暴れまくって逮捕され釈放された後にも何年も公安にマークされていた過激派活動家の友人もいた。彼の方から近づいてきて最初に言った言葉はこうだ、「あのね、右も左もぐるっと一回りすれば、結局は同じなんだよ」彼はイデオロギーの縛りのない、普通の会話が欲しかったのだろう。私はあの時代に対してあの激しい運動は、大きく言えば外国支配や海外からの罵りに対するある種のレジスタンスだったのではないかと、いう気がしてきている。三島もそう思ったからこそ、ウイスキーの瓶を下げて東大全共闘に会いに行ったのだろう。(勿論、スパイとして教育され放たれた者や、職業としての活動家はこの限りではない。また洗脳され利害と二人歩きし始めた政治家や宗教家、又は無思想のしかし脳みそまるまる犯された平和教信者もこの限りではない。)
詩集「2N世代」過去記事:
Linda Hoaglund : Movie ANPO
私はその頃神戸の文学界に所属していた。ある日田中角栄のブレーンをしているという元会員が現れ、私を会員制の秘密倶楽部に誘い出し「あの会長は労働運動のリーダーだったのに、レッドパージの時に会員の名簿を当局に売った、その罪滅ぼしにいまは、あんな文学会などに熱を入れているんだ」と告げ口した。会長は、思想性が足りないとか政治性に間違いがあるとか強く非難され反発を受けていた私の作品の全てを掲載してくれていた。
私は東京の詩の会合にも出ていて、シベリア抑留の石原吉郎にも何度か会っている。敗戦のドサクサにどんな取引があったのかは、私の大きなテーマだ。木戸日記などを参考にすると、終戦交渉に際して聖戦を信じて戦い続けている兵隊や外地で生活する日本人たちへの配慮や眼差しが国家として完全欠落している。武器解除を命じるなら、交渉による国民の安全と、生命と帰国路の確保は必須だ。どうすれば国民被害を最小限にする終戦を迎えることができるかを、国家として呻吟した気配は全くない。
詩集「2N世代」過去記事:
詩人・石原吉郎 シベリア抑留

通化事件で偶然再会した紙田彰氏と最近久々に電話で会話した。どちらの家で最初に出会ったのか、あまりに昔で記憶も薄らいでいたが、お互い記憶を確かめ合い、かつて共有した時間と今をつなげ新しい場を再び獲得することができた。彼もまた懐かしきアウトローである。若き日詩人を志したと言われる西尾先生が、アウトロー的発言をされたのも、今になればよくわかる。「柔軟性を失くした価値体系の縛りを、一顧だにしない」というのが西尾先生のアウトロー性である。Artや文学に関わる者のアウトロー性とは、思想性や政治性とは一切無関係で、簡潔に言うと「縛りに盲従しない」というひとことに尽きる。「私も共感しますが、それを書くとまずいのではないですか」という私の感想こそ、まさに文学的アウトローが対峙しなければならない悪、最悪なのである。繰り返す。検証も論考もなく、古びた価値体系の縛りに盲従すること、良いも悪いも初めから決まっていることのように思考を端折ること、それらに抜刀して挑む者こそが、ここで言うアウトローである。ああいう感想を書いた私は思想における詩性を、老いて失ってしまっていたのだ。(←習性となった自己批判)

もうすっかり忘れていたが、昔、文学を政治の手段とする左翼詩人たちに囲まれて、ある雑誌の座談会で孤軍奮闘したことがある。今朝目があいた時に突然思い出した。その雑誌は1972年創刊で、その号もまだホヤホヤで1972年以内のものだ。テーマは「今、詩に何が出来るか?」、つまり角材を持って闘争している学生たちに対して、詩人は自分の無力さに苦悩しないか?というテーマである。後で噂を聞くと私が時代を闊歩する左翼詩人にコテンパンにやっつけられたという人もいれば、短詩型詩人たちからは、認知度を高めたとしてかなりの支持も得た。文学的アウトローとして「価値体系の縛りに盲従する輩」を相手に孤軍奮闘する自分の姿をここに転記しようと朝から40年近い前の雑誌を探し始めたのだが、その号はどうしても見つからない。出版社の土曜美術社は、今日Netで調べると、かつては「活動家集団思想運動」機関誌『社会評論』の版元でもあった、と書いてあるではないか。私の記憶では詩に理解のある長野県の資産家がスポンサーだと聞いていたのだが。「詩学」よりも思想性が強かった?何も知らない私は、初めから標的だったのかもしれない。そういう感じは全く受けなかったが。私が知らなかったというより、相手が私を知らなかったのだろう。そう言えば、後に、書いていた連載を突然打ち切られたことがあった。私が場違いとわかったのかもしれない。雑誌は見つからなかったが、その座談会についてほんの少し触れた、私の後日記のDiaryがある。それにリンクを貼っておく。そこに若い私がいる。お目通しいただければ幸いである。
Avec Gribouille :そのほかの日々(1)
座談会の司会は村岡空氏であったのを思い出した。お坊さんなのだがお寺ではなく、都営団地に住んでいて、密教の研究家であるという情報をGribouilleから得ていた。数年ののに村岡氏から来阪するので会いたい、という連絡があった。其の辺に触れた日記も付け足しておく。
村岡空:そのほかの日々(2)

/////追記:2012年10月23日/////
参照:40年前、1972年の出来事
300px-Nixon_Mao_1972-02-29.png.....389213.jpg
参照:沖縄祖国復帰40年と沖縄の課題
一番最初の話題に注目!日中国交回復を期に「中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よ」という田中角栄の指示があったと!大変な発言だ、これは。

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
今日書店で購入した別冊「正論」EXTRA18は発売から40日近くも経っていた。立ち読みして興味をもって購入したのだが、帰宅して読んで、吃驚した。近年読んだすべての雑誌のどの記事よりも驚嘆した。上の記事は「詩と思想」の座談会の年1972年、40周年関連でたまたま日中国交正常化を思い出し、何故日米が突然共産中国に叩頭したのか不思議に思って上の二枚の写真を掲載してみたのだが、この「叩頭」という直感は当たっていたようだ。日中国交正常化はマスコミが挙って大絶賛してきたが、これこそが売国のクライマックスだということがわかった。
(割り込み追記:2012年11月1日 別冊正論Extra18,江崎道朗氏の文章「東アジア冷戦の真実 最大の標的は日本」には、日中米それぞれのこの時期の唐突に思える国交回復の背景と思惑が詳しく解説されている。これは説得力のある総括的なひとつの意味づけであった。これもご一読をお薦めしたい)

上にも「日中国交回復を期に中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よという田中角栄の指示」を書いているがこれが実に詳しく書かれている。注目の記事はP.74~P.92までの座談会で、長くてとても引用できないが、その部分だけをとりあえず引用する。

大平は田中内閣の外相当時、田中角栄と協力して外務省、内調、公調、警察庁、防衛庁の全ての情報担当機関の責任者に「中国を刺激するような情報活動を禁ずる」と指示している。警察庁はその指示を受けて、中国共産党が日本に対して長年続けてきた革命工作やスパイ活動の調査を停止している。内調、外務省なども同様である。(P.86)

また以下はP.80の一部要約である。

満州国総理・張景恵の一人息子張紹紀は日本にいる間、東条英機首相が身元保証人になっていたので、憲兵も外事も特高も手を出せなかったが共産党の秘密党員だった。戦後は撫順の戦犯管理所の責任者になって、かつて戦友だったはずの「戦犯」である日本人に、自分はかなり前から共産党の秘密党員だったことをカミングアウトしている。この張紹紀の満州時代の学友が孫平化で、この男が戦後の日中友好活動の中国側の代表的人物で、田中角栄の訪中の実務を共産中国側で担当した。20歳そこそこで満州国の国民として日本に留学し、日本でマルクス主義の文献を読み共産党の秘密党員になっていた。日本経済新聞「私の履歴書」に自分で書いている戦前から孫平化は一貫して対日地下活動をしている。ところが東工大は彼に名誉卒業証書を与え、宮澤内閣も平成五年に勲一等瑞宝章を与えている。(注:こういう具体的な内容が延々と続く。できれば実際の記事を読まれることをお薦めしたい。)

田中角栄に関してはもう一点、P.84&P.85から日中借款のリベートについて要約。

中国の対日工作資金がどのように日本人に渡されるか。例えば鄧小平から三百億円が田中角栄に三千億円借款の上乗せリベートとして渡される場合、の方法が具体的に説明されている。このような日中借款のリベートは大規模な国際汚職である。(注:これが日中国交回復の正体である。田中角栄が国内政治工作に派閥の部下たちにポンポンと多額の金銭を「よっしゃ、よっしゃ」と渡した話は有名だが、その出処がやっとわかった。土建屋だけでそれだけ儲かる訳がない。ロッキード事件は明らかに不正の感覚が麻痺した結果だろう)

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
田中角栄に関してP.89よりもうひとつ要約追記

日中国交樹立に際して周恩来は「朝日新聞と結託して自民党の中で一番腐敗した、一番汚い政治家をトップに座らせる...外交音痴の田中角栄に大平をくっつけて大平に外交問題を全部コントロールさせる。その田中・大平コンビを、朝日新聞の広岡和夫社長と周恩来が支援することで田中角栄内閣を誕生させる」と構想していた...朝日新聞に関しては、西園寺公一の息子一晃が入社した年に(1971年)、本多勝一の「中国の旅」の連載が始まっている。ちなみに父親の西園寺公一はゾルゲ事件に連座し、戦後は北京に住み日中国交正常化を推し進めた人物である。(これだけでも日中国交正常化とはなんだったのかが、よく分かるはずだ。)

.......chuquyentainga03.jpg

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。