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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

米中日を影で操ったコミンテルンの日本壊滅

とりあえず資料として置いておく。
この辺はTel Quel Japonもかなり書き込んでいるが、新しい名前が登場した部分は、検証追記していこうと思っている。
by 江崎道朗
1.日本を泥沼に落とし込んだ米中ソ二つの反日ネットワーク
日本語 & English
2.米を巻き込んだコミンテルンの東亜赤化戦略
日本語 & English

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
THE JAPANESE VICTIMS OF STALINIST TERROR IN THE USSR TETSURO KATO (JAPAN)

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GHQ焚書図書開封 敗走千里

GHQ焚書図書開封 第30回ニコニコ動画(原宿)
第30回:匪賊になって生き延びた中国人逃亡兵
出演:西尾幹二 平成21年2月28日 放送:
今日はニコニコ動画がログインせずにすんなり見ることができた。
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ぼやきくっくり 敗走千里 読後感など
ぼやきくっくり 敗走千里 読後感など

西村幸祐氏 Talk-Show

14日の日曜日からTel Quel Japonにもブロともができた。velvet moonのchouchouさんからブロとも申請があり、FC2BLOGにはそう言う機能があることを初めて知った。

10月13日午后10時をとうに過ぎていた。13日は目を休めるためにもなんとなく時間の余裕があったのだが、気づくのが遅かった。その日大阪ではじめての西村幸祐氏のトークショーがあったのだ。ゲストの顔ぶれも大変豪華。今日は時間があったので行けたのに、残念、それで主催者のchouchouさんに吃驚・残念のメイルを出した。吃驚はなぜかというと、velvet moonは本来レコード・CDの通販ショップで、chouchouさんは映画や音楽に関するサイトやブログをたくさんされている。私Bruxellesも、初めてinternetでシャンソン歌手Barbaraのサイトを立ち上げた丸8年以上前から相互リンクをしていただき、コメントのやり取りも何度かしている。その前からchansonの関係でVelvet Moonは知っていたのだが。ただそのVelvet Moonがこう言うイヴェントを企画するとは、本当に驚きであった。
salondevelvet.jpg
切符は完売、salonは大盛況で、本当に良かった。Velvet Moonにとっても冒険だったに違いない。一癖も二癖もある平均的ではない音楽ファン映画ファンがたくさん詰めかけたことだろう。豪華ゲストの方々とどんなTalkが展開したのか、想像するだけで楽しい。異文化交流の感じ?さえする。参加された方の中にTel Quel Japonの読者がいるとは考えられないが、もしいらっしゃれば感想などのコメントで雰囲気を知らせていただけたら大変嬉しい。

私は西村幸祐氏をほとんど存じ上げないが、三田文学の編集をされていたとか。時代が合わないかもしれないが私には三田文学と三島由紀夫に深く関わりのある昔の友人がいる。狩野晃一という名前なのだが、ご存知ないだろうか?在学中の若き日に、三島の推薦で「新潮」で小説家デビューを果たしている。何年も前からそして多分現在もジュネーブ大学で日本文学を教えているはずだ。


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その関連というわけでもないが昨夜これを見た。
西尾幹二の世界 第三回 /西村幸祐放送局
西尾先生の普段見えない別の面がたくさん見えてきた。

今日現代詩手帖の年鑑詩人名簿作成のための住所確認通知が届いた。そこに「近況」という欄があって、返信を投函する前にその欄に「思考における詩性、論考における文化認知について興味がある」と無意識に書き込んでいた。今思うに、この「近況」は西村幸祐放送局の上の対談の影響をもろに受けている。単純にも番組を見て受けた印象そのままである。
番組は後ろに行けば行くほど具体的でわかりやすく、西尾氏の現在のテーマ、ご発言の根拠、興味をお持ちの課題、淡々とした対談なのに多くのことが明らかになる。ただ今回も私は主題とも本質とも全く関係のない些細なことに一番興味を覚えた。それは哲学と文学を論じておられる西尾氏の口から、音楽と美術における破壊が語られたことだ。五線譜や楽器を過去のものとした現代音楽や絵画から形や色による表現を捨象した抽象表現主義、軽く触れられただけであったが、非常に興味を覚えた。西尾先生の中でそれが歴史解釈おいて具体的にどう言う意味を持つと考えておられるのか、もう少し突っ込んで聞きたかったが、そうすると完全に話が明後日に行ってしまう危険があったかもしれない。(注:抽象表現主義にはこういう噂がある。簡単に言うとポロックやデ・クーニング等も文化的対ソ冷戦用にCIAが大金をかけて用意した「駒」に過ぎないという驚くべき話である。(追記)そう言えば戦後Artの中心はParisからNew Yorkに完全に移った。現代音楽・現代美術の名のもとにアメリカの独壇場となっている。それがCIAの戦略的投機の結果であるとしても強ち全否定はできない。ヨーロッパ文化はゆっくりと非現代、即ち過去に閉じられつつある。)

第一次世界大戦は従来の芸術を荒廃させその価値観の秩序を破壊した。第二次世界大戦は従来の芸術の精神性や生命力を虐待死させた。付け加えるならばその間、言語哲学もまた言葉から意味を切り離し従来の言語機能(伝達性)を奪い、その有用性における尊厳を葬り去った。人々の生活は便利さのみを強調することによって回復、前進し続けているが、芸術や言語はさらなる荒廃、あるいは初源に戻ろうとするかのように地下掘りし、地球の反対側にまで飛び出そうとしているかのようだ。ほかのひとはどうかわからないが私にとってはこれは快感である。価値があろうとなかろうと、私はこの方向性を強く肯定したい。音楽から音符や五線譜を、絵画から形や色の復元を、そして言葉から意味とその伝達性を奪い捨象し崖っぷっちのギリギリまで行かせること、それを肯定したい。それはすでに科学が何度も乗り越えてきた行程である。あらゆる戦争が現代から見れば歴史の必然であるように、芸術や言語の正気と存在をかけたこの自爆の直前にまで至る過程もまた、歴史の必然と信じるからである。

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/////短詩集 「太古という未来」1987年刊 より/////
//////////実作年度 1966 年~ 1971 年////////////

〇 非武装の民崖を這う 意志の操に墜落する涼眼 (「殺人」より)
〇 ジャングルに臭う死闘民族の皮骨 列島の断層は 夏 (〃)
〇 アネクメーネ拡大した逆走者の実験 神の子はひとり (〃)

〇 不死鳥の伝説を飛ぶ北方領土の鳥たち 熱い振動で古書の岬を濾過していく (「あの風の墓地」より)

〇 地獄のマグマが発汗する時刻 腰振るくじらの大群がアリューシャン列島の虹を曲芸していく (「呼吸する塩」より)

〇 知るか? 環太平洋造山帯 駆け巡る湿風ルーレットに痙攣しつづけた巨大な一輪のひまわりを 風よ (「古代から吹く風」より)

〇 歩を加える白きハーモニーに大陸棚上の寺院が再生する 原子炉のある町 (「太古という未来」より)

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/詩集「2N世代」より「負けた国の子」又は「一行ニュース」/
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Agnes Smedley encore une fois

前のペイジでSmedleyのエピソードを書いたが出典を出しておく。
LONG MARCH

According the book Mao's Brothers and Sisters," Mao's second wife He Zichen became enraged with her husband's flirtation with an American journalist named Agnes Smedly and her beautiful Chinese translator Lily Wu. According to the book the two women "became the target of all the female comrades."...One night He reportedly burst in on Mao and Wu while they were talking about poetry and called Mao a "rotten egg" who "wants to usurp me with capitalist dances." She pulled Wu's hair "until her head started bleeding" and got into a fight with Smedly after calling her an "imperialist" who was "to blame for everything."(Heとあるがこれは”彼”ではなくて、Mao's second wife He Zichen のHeである。)


Tel Quel Japon過去記事、Homer Lea (2)に於いて、

中国が共産化するのをアメリカが防げなかった、と思っていたが違うのだろうか?Agnes SmedleyがMacCathyやWilloughbyに追求された際に米国マスコミや政界が一団となってSmedleyを庇った、あの謎が解けた。そう言えばSmedleyのあの堂々とした遺言、祖国を裏切っていないという確信がなければとても言えないセリフだ。

と書いているが、このへんのところも改めて説明しておく。
Agnes Smedley 1892-1950

It was part of an effort to silence such objective reporting on China that General MacArthur's headquarters in Tokyo released a fifty-four page spy report on a Soviet spy ring in Japan, naming Agnes as 'a Soviet spy ... still at large.' The source of this charge was the twenty year old files of the Imperial Japanese secret police! Agnes insisted that MacArthur was making an issue of the spy ring at that particular time because of the defeat of Chiang Kai-shek, and that his aim was to 'condition the American people into allowing him' more troops and money to build Japan into a mighty military base. (New York Times, February 1949) : 20年も前の日本の資料を見てSmedleyの存在を無名から有名に引き出したのは、来日してG2にいたWilloughbyである。WilloughbyがSorge事件を闇から引き出した際、おまけのように明るみに出たのがSmedleyの行動である。この文章の書き手は、MacArthurやWilloughbyが何故Smedleyに嫌疑をかけたかについて、二つの理由を推量しているが、どちらも飛躍しすぎて論理が通らず話にならない。Smedleyが米下院非米活動委員会から召喚を受けた翌年、おそらくその余波と思えるが滞米中だった石垣綾子夫妻にも海外追放(帰国命令)が出された。ついでに、Smedleyのあの堂々とした遺言、にも触れておきたい。以下の内容である。
'As my heart and spirit have found no rest in any other land on earth except China, I wish my ashes to lie with the Chinese Revolutionary dead.'
追記すれば、遺産は全て朱徳に捧げると付加されていた。


追記・参照:Agnes Smedley (1)

Smedley began a professional and romantic relationship with Richard Sorge, a Russian-born spy for the Soviets based in Shanghai. : Sorgeとも!

Before Sorge was executed in Tokyo for espionage in 1944, he wrote that his espionage activities were made possible only with Smedley's assistance. He referred to her, however, by a code name. : Sorge事件とSmedleyの関係。Sorgeが告ったとは、初めて聞く。

Smedley used her position to recommend that Stilwell secretly send a limited amount of U.S. military supplies to the Chinese Communists in the event that they could help the U.S. against a potential Japanese attack. Stilwell agreed to Smedley's request. : 中国共産軍への支援をこともあろうにStilwellに要請しStilwellも同意していた。日本人としては聞き捨てならない。Chiang Kai-shek, the leader of non-Communist Chinaは、もっと聞き捨てならないだろう。


追記・参照:Agnes Smedley (2):Agnes Smedley (3)
追記・参照:Agnes Smedley (4):
追記・参照: Smedleyとインド独立運動(5)

ネルーとスメドレー、そして28年にスメドレーがチャットと別れてから中国に渡り毛沢東・周恩来・朱徳とガンジー・ネルーをつないだのは、スメドレーとチャットであった。



・・・・・追記:2012年10月10日・・・・・
上の引用で思い出したことがある。5,6年前だったか、ガンジーから、天皇陛下だったか、東条英機宛だったか、日本国民あてだったか忘れたが、「中国侵略をやめなさい。戦争をやめなさい」という手紙が書かれ出されたその内容を見たことがある。ガンジーってこんなことを考えていたのかと、びっくりして、それで記事にしようとしたのだけれど、ガンジーはヒトラーやルーズベルトにも、個人的に反戦の手紙を書いていて、単なる手紙魔だと判断して、記事にしなかったように思う(探してみたが記事にはしていないようだった)。スメドレーは7,8年間インドの独立運動家と事実上の婚姻関係に有り、虐げられた者のために戦ったのだが、インド社会の男尊女卑をいやほど体験して、結局離婚、その後紆余曲折を経て、日本に侵略されている中国(彼女の目にはそう映ったようだ)人民のために戦うと方向チェンジした。国民党の腐敗をみて、急激に中国共産党にのめり込んでいく。(ただ、コミンテルンのスパイだったという情報もある)延安での彼女は人生のピークで、後にMAOの中華人民共和国が成立したときは自分自身の国のように狂喜したのではないだろうか。ひとつの謎は、ロシアのスパイと判明しそうになったとき、何故イギリスに逃亡したのだろうか、毛や周のそして自分の国に行かなかったのだろうか?(灰と骨を中国の大地に埋めて欲しいと遺言しながら。)
話を戻す。上の引用で、中国とインドの接近はスメドレーとチャットの働きであると出ている。事実としたら凄い発見である。なぜなら日本人なら唖然とする以下の記事を見つけた。日本は孫文支援やインド独立支援をかなりな自己犠牲を払って行ったはずであるが、その間中国とインドは、日本をスポンサーとしながらも両国で理解を深めて急接近、(日本を帝国主義国家と認識し)たがいの独立まで両国のみで手を携えた、という、完全に日本はインドの独立の蚊帳の外、の記事である。こういう視点は私は初めて目にする。
参照:INDIA AND CHINA
インドと中国を結びつけたスメドレーの役割を考えると、そしてこの記事を読むと、ガンジーの間抜けなお説教の手紙が、俄然強い真実味を帯びてくる。この記事を読む限り、インドは親日、などと日本人が勝手に思っているだけなのでは、と思えてくる。そしてスメドレーの日本に与えた影響が2倍にも3倍にも膨らんでくる。ガンジーは中国に心を寄せ、日本を誤解し、結果日本に対し非常に辛辣である。
昨夜執念でガンジーが書いた手紙の中から、日本人の皆々様へ、というものを探し出した。左の83番目をクリックして拡大すると内容が読める。これがガンジーの日本に対する目線である。
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読みやすいようにファイルにしました。ガンジーから日本の皆さまへ。確かにSmedleyが書いたとしてもおかしくない内容である。首から上がSmedleyであるガンジーが目に浮かぶ。

Homer Lea (2)

Baidu IME_2012-10-5_11-24-46
Homer Lea: Author of The Valor of Ignorance
左側のPDFをクリックして「保存」すると398ペイジ(一冊分丸々?)読むことができる。以前のtxtよりも読みやすい。私も少し目を通したが、近未来小説の類ではないし、Homer Lea自身も何か今まで誤解していたような気がしてきた。アメリカよりも日本で大ベストセラーになったらしいが、確かに日本人が読むべき書物だったような気がする。ただ時代に先駆けしすぎていたので、冷静な視点で受け止められ理解されなかったのではないかと思う。一冊全部読了された方のご意見をぜひお聞きしたい。
History Net ComでHomer Lea: Author of The Valor of Ignoranceを見つけた。よくまとまっていて概要がよく見えてきた。

Sensing that his life was threatened, he fled to Japan, where he met the leading figure in China's budding republican movement, Sun Yat-sen.(彼は日本にも来ていて孫文とは日本で出会っている)

Back home, Lea saw his book The Day of the Saxon published. Reviews were poor, and only 7,000 copies were sold; however, one of those to obtain a copy was Karl Haushofer, who consulted with Adolf Hitler when the latter was writing Mein Kampf, a work that encapsulated all of Homer Lea's warnings on the Teutonic obsession with racial purity.(驚いた。あのKarl HaushoferがHomer Leaの本を読んでいた。Mein KampfはHaushoferの思想をHessが書いたものだという説もあるがHomer Leaも味付け程度に入っているのかもしれない。Homer LeaとHaushoferは地政学の研究者として共通した深い鋭い視点があったかもしれない。)

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8163802.jpg
Homer Leaに関してもっと知りたくて探していたら上ような本を見つけた。
Homer Lea: American Soldier of Fortune by Lawrence Kaplan
Homer Leaのことがかなり詳しく書かれている。赤ん坊の時に使用人の手から落とされて脊髄を損傷したのがひょっとしたら肉体的奇形の原因かもしれない。それでも彼は軍隊に異様な関心を示す。ロートレックなら画家なのでその奇形身体は才能に直接の影響を与えないが、Homer Leaの場合は軍隊で軍事に関わろうというのだから、多くの嘲笑を受けたことだろう。しかし天才とは不運を跳ね飛ばすものだとつくづく感心した。前回取り上げた時はHomer Leaの映画云々の話が上がっていたが、その後どうなったのだろう。Homer Leaは時として諸葛孔明や耶律楚材を思い出させ、さらにHaushoferが認めたとなれば、私Bruxellesも上映話を無視するわけにもいかなくなった。
この本に関する書評Stephen's review というものがあったので加えておく。

The research is impressive to say the least and author Kaplan apparently is now a speech consultant for President Obama on his trips to China. (またも吃驚。この本の著者Lawrence KaplanはObama大統領が中国を訪問する際のスピーチ・コンサルタントなのだそうだ!これはまずい。これは危険だ!

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もうクタクタだったがLawrence Kaplanとはどんな人物かなにか手がかりはないかと探してみた。
Americans in China Mar 18, 2011というC-Spanの番組をやっと見つけた。
Lynne Joiner is the author of Honorable Survivor: Mao's China, McCarthy's America and the Persecution of John S. Service. Lawrence Kaplan is the author of, Homer Lea: American Soldier of Fortune.
勢い込んで見始めたのだが、Lawrence Kaplanの話の途中からどうやらウトウトしてしまったようだ。気がつくとLynne Joinerさんの声が聞こえる。耳を覚醒させるとこんな言葉が聞き取れた。
第二次世界大戦の最中から誰も知らないけれどアメリカは毛沢東の共産中国とつながっていました」!!!
中国が共産化するのをアメリカが防げなかった、と思っていたが違うのだろうか?Agnes SmedleyがMacCathyやWilloughbyに追求された際に米国マスコミや政界が一団となってSmedleyを庇った、あの謎が解けた。そう言えばSmedleyのあの堂々とした遺言、祖国を裏切っていないという確信がなければとても言えないセリフだ。否、何かを書く前にLynne Joinerという人物を調べてからにしなければならない。今日は吃驚が多くて疲れた。あしたはC-Spanのクリックからやり直しだ。もし回復出来ていればの話だけれど...

Jacob Schiff 未完

ーーschiff.jpg
August 16, 1918 Jacob Schiff in a boardroom
Description: Jews of the U.S. who have distributed twelve million dollars of the relief moneys raised by American Jewry since the beginning of WWI. Jacob Schiff, philanthropist, international banker and one of the founders of the American Jewish Historical Society, appears in the lower right corner.

Jacob Schiff:wikipedia
Jacob Schiff – Portrait of a Leader
Jewish "software" versus Japanese "hardware":

In March, Jacob Schiff and his wife visited Japan. Emperor Meiji hosted them at a luncheon at the imperial palace, and conferred upon Schiff the Order of the Rising Sun, having earlier awarded him the Order of the Sacred Treasure. He was the first foreigner to be awarded the Order of the Rising Sun.

Jacob Schiff & The Order of the Rising Sun
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Part 1 - Jacob Schiff, a Jewish Philanthropist
Part 2 - Jacob Schiff, a Jewish Philanthropist
Part 3 - Jacob Schiff, a Jewish Philanthropist
Part 4 - Jacob Schiff, a Jewish Philanthropist
Part 5 - Jacob Schiff, a Jewish Philanthropist
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Uroko Part 3
Eldridge & Co.: Marilyn Nissenson
The Descendants of Jacob Schiff

/////////追記:2012年10月3日&4日///////
前のペイジのTakahashi Korekiyo & the Rothschildsについて考えていて、ふと考えが揺れた点があったので忘れないうちに書き留めておく。
1.日露戦争の軍事費を賄うためなら、年代が2,3年後ろにずれ過ぎているのではないか、と不思議に思うのだけれど、どうなんだろう、素朴な疑問である。
2. 前の記事でいみじくも「上客」という言葉を使った。必ずしも上の記事のように明治天皇自らがご家族ご親戚御一行の大所帯の皆々様を宮中にお迎えしておもてなしの宴を開き、繰り返し勲章を授与し代々恩にきなければならないほど、果たして一方的な友好的救済行為であったのだろうか?簡単に言うと日本は軍隊を出せ、国際資本家たちは資金を出す、そしてロシア帝国をやっつけよう、というビジネスライクな利害の共有ではなかったか?
3.巨額の金銭を貸した方は回収のために借り手の成功を必死に願うものだ。従って日本は資金を得ただけでなく、強力な味方を得たのだ。そこにこそこの交渉の意味がある。では銀行家たちのほうには、それに匹敵する、つまりビジネス上の利益をはるかに超えるplusが存在したのだろうか。単なる先の見えない賭けだけで、こんな話をまとめようとする訳がない。彼らの弱点はなんだったのか?それは日本が国家であり、彼らには国がなかったことであろう。国家という主体がなければ、戦争が出来ないのだ。彼らも話をまとめようと必死だった。
4.面白い記事を発見した。出処がわかりにくい。
 その壱 英語 & 日本語 : その弐 英語 & 日本語 
何日もかけて出処を調べたがShillony,Ben-AmiのThe Jews and the Japanese: The successful Outsidersを要約した書評のようなものではないかと思う。これを読むとユダヤ人の資本家たちと日本国民が何故お互いに引き寄せられたのか納得できる。ある意味恐れられ、嫌われ差別されていて、世界を支配する帝国主義国家から決して対等な人種とは見なされていなかったOutsidersだったという共通する不満があったのだ。ユダヤ人と日本人との歴史的関係が非常に良く書けているので4っもリンクを貼ってみた。
5.講和条約の仲介にユダヤ人のTheodore Rooseveltが登場するのも、単なる偶然ではない。彼らにしてみれば帝政ロシアをギャフンと言わせればいいのであって、日本が国力をつけて借金の金利を堂々と値切ってきたり、国際的に力を認められ世界支配を目指す列強の仲間に加わるなど、とんでもない話である。おとなしく全てを国に殉ずる日本人が日比谷焼打事件を起こした気持ちはよく理解できる。歴史書はいろいろ理由をつけて無理に納得させようとしているが、日本国がユダヤ人たちにいい気になるでないとほっぺたを抓られたのだ。当の政治家は丸め込まれても抓られても嵌められても一向に痛みを感じないというのも日本人の常である。ただ様々に差別を受けている国々から思いのほか絶賛されて、結果として所謂列強国には放置できない敵対国の烙印を押されてしまう、(表面上はいざ知らず)いち早く態度を硬直させるのがTheodore Rooseveltとアメリカ合衆国である。
(追記:2012年10月5日)そしてこの時期敵対国の烙印を人々に押させた人物を思い出した。このあたりを日米衝突の出発点とみなすとすれば、そこで忘れてはならない人物がこの小さな男である。

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Jacob Schiff Manchurian Railways

Portsmouth Peace Treaty

「日露戦争」と「日米対立」と「日中戦争」の舞台裏
Portsmouth Peace Treaty NEGOTIATIONS
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 & No.6 :
Portsmouth Peace Treaty  LEGACY
No.1 & No.2 & No.3 & No.4

日露戦争 〜前編〜 you tube 日露戦争 〜後編〜
お薦め アルゼンチン人が記録した日本海海戦
No.1 & No.2 & No.3 & No.4
 

Marcus Samuel 未完

Marcus Samuel:Wikipedia
Marcus Samuel: Focus on the Samuel family:
ロイヤル・ダッチ・シェル: ウィキペディア
Shell HistoryRoyal Dutch Shell

He supported Japan in Japanese-Sino War (1894-95) in collecting and transporting of military materials and food for soldiers. When the Japanese government changed silver standard system to gold standard in 1897, he helped the government sell Japanese bonds. He was awarded a decoration by the Emperor.

イギリスのユダヤ人 マーカス・サミュエルと日本
「ロイヤル・ダッチ・シェル」誕生秘話

Takahashi Korekiyo & the Rothschilds 

-------Baidu IME_2012-9-29_21-24-23-------

Takahashi Korekiyo, the Rothschilds and the Russo-Japanese War, 1904-1907
日露戦争の軍資金をユダヤ財閥に引き受けてもらった話は有名だが、これだけユダヤ金融資本家のOne World陰謀説が出てきている昨今、このあたりもこの視点で一応検証しておく必要がある。いままであまりどの視点からも問題にならなかったが、ロシア革命の軍資金、ナチスの軍資金あたりはいつかクリアーしなければならない。慎重を期して本日は資料をupするにとどめる。解きほぐすその都度追記していくつもりでいる。
クリックして現れる貴重な写真は1905年12月、帰国を前に、高橋是清を主賓とした、London Savoy Hotelにおけるお別れパーティーを撮影したもの。主催はParr's BankとHSBC。世界を動かす大金融資本家たちに囲まれて、威風堂々、内面的にも外面的にも一歩も引けを取らない高橋是清である。他にも貴重な写真がいくつかある。
ロスチャイルドが表面に登場するのは、日露戦争日本勝利後なので、この写真も日露戦争勝利後の撮影である。大金持ちの銀行家たちにとっても、戦勝国日本が既に上客となったことが、このPartyからわかる。大きな意味が読み取れる実に貴重な写真である。

参照:人物探訪:高橋是清 ~ 日露戦争を支えた外債募集

シフは米国のユダヤ人の会長であり、ロシア政府に対して憤慨していた。そのロシアに戦いを挑んだ日本の兵は訓練が行き 届いて強いということを知り、これを財政的に助けて、よしんば日本が勝利を得なくとも、ロシアの政変にでもつながれば、ユダヤ同胞はその虐政から救われるだろう、と考えたのであった。(←とあるが、銀行家がそんな発想で動くわけがない。)

参照:日露戦争 wikipedia
参照:日露戦争にヤコブ・シフ(その陰にロスチャイルド)有り
(注:最後に出てくる、ジョージ・ケナン(1)&(2)は血脈は繋がるがよく知られている封じ込めのこちらのジョージ・ケナンではないので、混同しないように。)
参照:日本支配の構造6 戦争と金貸し~日露戦争
参照:Japan, the United States, and the Road to World War II in the Pacific by Richard J. Smethurst

(追記:2012年9月30日:Lincolnの探求にかまけて放置していたRichard J. Smethurstのこの文章↑をカラーペン片手に今日読んでみた。日本は何故戦争をしたのか、をかなり独自の視点で高橋是清をメインに置いて、バランスよく論じていた。日本の教科書にも日本人の今まで書いた文章にも見られないほど、日本の国家的心情をよく調べ分析していると思う。タイトルにあるように日本だけでなくアメリカの動きもよく捉えていてよく見えてきた。明治、大正、昭和と時代は流れるわけだが、気がつくと年号を見ながら祖父や祖母のその時の年齢を無意識に計算していた。祖父や祖母がそのころ何を考えながらどんな気持ちで人生を送っていたかを、いろいろ想像していた。祖父は「後で読みたいから226の新聞を取っておいて」と言って死んだと祖母に聞いたから、多分1936年の春に亡くなったのだろう。アメリカに12年間留学していた祖父は、日米が戦うことがないように祈るような気持ちでいたか、日米開戦を予感して自分の生きる場がもはや無くなると絶望していたのか、226事件は病んだ体に支障をきたすほどのショックだったに違いない。日露戦争に勝ったとき祖母は日本はどんなに高揚したことだろう。大阪に開通した最初の電車に乗車したとか、宝塚歌劇の初演の日に温泉・お弁当付きで(小林一三に)招待されたとも言っていた。早川徳次その人が出資のお礼に持ってきたという国産第一号の鉱石ラジオで、大阪ではじめてのラジオ放送を親戚の家で聞いたとも言っていた。B29に丸焼けにされ着の身着のままで親戚の家に身を寄せた話も聞いたが、国力を増して文明化していく日本で楽しい体験もたくさんしたのだろう。水道、ガス、電話、蓄音機、エレベーターそして映画・観劇・ファッションなどの娯楽を含め所謂文化的生活の楽しさを早くから知っていた人だったと思う。
最近再び日米開戦に関して考察しているが、端緒はJohn Hayの門戸開放宣言あたりにまで遡ることができると思う。深く隠された原因は人種差別である。追記の最初にLincolnにかまけていると書いたが、Lincolnは根っからの人種差別主義者であることがわかってきた。その16代大統領Lincolnを奴隷解放で神格化したのが、他でもないJohn Hayだ、ということもわかってきた。John Hayは自由平等の理念をかざせば、反対や非難を躱せるだけでなく、賞賛と正義を引き寄せ歴史に勝利を残せることを知ったのだ。随分後にJohn Hayが国務長官になった時に、アメリカの対外政策を180度転換させるJohn Hayの3原則の通牒を行った。武器を使うと怒りを買い反撃されるが、門戸開放・機会均等・ 領土保全の理念の前には、論理的な敵対者はヒューマニズムや民主主義の見地から、あからさまな異論は挟めなくなる、そのことをJohn Hayはかなり古い体験から知り抜いていたのだ。意表をつくこの政策はもっと評価されていいと思う。25代大統領William McKinleyがなしたことを考えれば、彼の下にもし国務長官John Hayがいなかったとしたら、おそらく若きアメリカは国際的非難の前に大きくそのイメージを損ね、その後の外交にも躓いてひっくり返ったゴキブリのように足をバタバタさせる羽目に陥ったかもしれない。
LincolnとJohn Hayの父子のように深い関係は、Lincolnの妻が長男に精神病院に強制入院させられるあたりを調べていて偶然に見つけた。John HayはWhite Houseに住み、眠れぬ夜などLincolnが彼の部屋にやってきて夜が明けるまでひとつのベッドの上で語り明かしたことが幾夜もあったようだ。)
Bruxellesが最近書いたLincolnに関する記事
別室の上映会 (29) Abraham Lincoln
別室の上映会 (30) Steven Spielberg's Lincoln 
John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay
Lincoln UNMASKED by Thomas DiLorenzo

・・・・・追記:2012年9月25日・・・・・
最初に断っておいたほうがいいかもしれない。所謂ユダヤ人の陰謀論に与するつもりはない。歴史とはある民族が筋書きを書いてそのように運ぶほど単純なものではない。単純明快化したい気持ちはわかるが、頭が疲れすぎたからといって、苦し紛れに麻薬に手を出してはいけない。
ユダヤ人は金融に携わっている人間が多いから、うわべそのように見えるだけだ。ただ小戦争から大戦争までその必要条件は、軍資金+武器・武力+軍事力・軍人であるからして、国際金融資本家や武器製造業者や軍閥や軍幹部の指揮者らを戦争に飢えた吸血鬼のように見てしまう傾向が生じる。彼らは需要に対して職種として供給しているだけなのだ。しかし資本主義の究極の形として時折、需要のないところに需要を掘り起こして、タイミングを見計らって供給するという商いがある。これが誤解?の原因となることもある。
今回日露戦争における国際金融資本家たちの対日協力を扱うことになるが、そこに善悪の視点を介入させるつもりはない。日本の識者や政治家のなかには、ユダヤ陰謀論を単純に唱える人も少しいるようだが、彼らは日露戦争の軍資金をどのように理解しているのだろうか。これは明治から現代に至るまでの皇室と実は直結する話なのだ。戦時中のヨーロッパのユダヤ人救出も実は国策でありそれは、天皇家のこの時の感謝の気持ちから出発している。ご存知の方も多いだろう。甘いものは別腹、のごとく、日露戦争のユダヤ人の外債引受は別腹、というわけにもいくまい。繰り返すが歴史は単純ではない。「ユダヤ人の金貸し野郎」などという言葉を吐いた時点で、その人間は「軍閥がエゴをふくらませて日本を戦争に巻き込み破滅させた」などという日教組の社会科の教師と同じくらいパープリンだと自ら実証してしまうことにもなりかねない。
だからといって、戦史の分析に裏で蠢く金融の動きを無視してはいけない。本来ならば銀行発達史、金融史、金融史上の人物史あたりから手をつけなければならないのだろうが、考えただけで酸欠でヘタってしまいそうになる。
この前、Lincolnの暗殺にさえある特定の銀行家名が出てきた。Lincolnの暗殺に関しては以前から金融資本家連合の仕業だという話は囁かれてきた(これにはある程度納得のいく根拠もある)。ある人の発言だけなので実証不可なのだが、特定人物の名前が飛び出すのは、極めて稀なことだ。本人は合衆国でも有名でなく日本では完全に無名であるとおもわれるが、息子が歴史上の(日本では無名かもしれないが)超大物なのだ。父親とLincoln暗殺の関係が実証不可のままでも、この親子をさらに調べてもしこの話が興味深いと判定できれば、近々に記事にするかもしれない。