TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

堀 義人氏のtwitterから拾った最近二つの記事

堀 義人氏のtwitterから拾った最近二つの記事
報道1:従軍慰安婦問題、提訴者の韓国人女性「詐欺」で逮捕されていた!
報道2:広東の企業幹部が「尖閣諸島は日本領土」、中国版ツイッターで発言、人民日報記事など証拠挙げ、賛同広がる
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8月11日 堀義人 twitter より
...前にも書いたが、厳しさの反意語は優しさではなく、「ぬるさ」だ。優しさの反意語は、冷たさだ。子供達には、厳しく且つ優しく接したい...
いいことを言うお父さんだ!
私? 私は人にも自分にも「ぬるい」けれど同時に人にも自分にも「熱い」←「ぬるくて熱いなんて、矛盾してるじゃないか!」
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///////追記:2012年8月31日///////
上の報道2(5日ほど前の情報)のvideoを喜んで捜してみていた。そのvideoのひとつの中に、ティモシー・キーティング米太平洋軍司令官が以下のようなことを発言する字幕があった。司令官就任後初めて中国を訪れた際、中国海軍の少将楊毅(Yang Yi)が、「中国が空母を持ったあかつきには、ハワイから西の海域を中国、ハワイ以東をアメリカが管轄する形で、情報を共有しよう」と「提案」してきたので、建造費のみならず維持費も大変だし中国は空母を持つ必要などないと反論したという。ヒエー、早く言えば武力による米中の太平洋分割支配の提案ではないのか?この会話は2007年5月に中国でなされ、内容は2008年3月11日上院軍事委員会の公聴会におけるKeating氏の証言で明らかになった。以下の講演の33分から38分くらいの質疑応答から内容の大凡を察する事が出来る。(4年も前の古い話題なのだが、videoを探してみた。wmvファイルで見つけた。)
講演:A Combatant Commander's Perspective on the Asia-Pacific
年月日: July 16, 2008
場所: The Heritage Foundation's Allison Auditorium
講演者: Admiral Timothy J. Keating(Commander, U.S. Pacific Command)

こんなことで驚いてはいけない。もっと驚くペイジを見つけた。
中国に関しては中国脅威論と中国ヘタレ論とが入れ替わりに現れて、こちらの感覚も麻痺してきている。ここら辺でひとつ中国脅威論にリンクしておく。ご覧ください。ヒエー冷え!
中国 十年以内に日本を核攻撃

Hitoshi Tanaka : CFR

桜井よしこさんの12月20日付最新Blog記事を見ているとこう言う文章があった。
(For his part, Abe says he received no such report concerning any talk of compensation. If certain numbers were discussed, it must obviously have been at the level of Hitoshi Tanaka, then the chief of the Foreign Ministry’s Asia and Oceanic Affairs Bureau. Abe is indignant that Tanaka left no minutes of the proceedings of the preliminary negotiations leading up to the summit, calling his act unpardonable)
そこでこの人物もCFRに関係しているのではないかとふと思いチェックしてみた。
このペイジの一番したのリンクをクリックすると、ここに来る。この上から4番目のExpert EssaysのタイトルはJapan’s Foreign Policy and East Asian Regionalismで、筆者はHitoshi Tanaka and Adam P. LiffでLast Updated: January 14, 2010となっている。発見である。東京大学の大学院の学生でない限り、このひとのエッセイを読んだことがある人はおそらくひとにぎりいるかいないか、というところだろう。興味のある方は以下をクリックされよ。
East Asia Regionalism and Japan's Foreign Policy
こういう発想のもとに日本のアジア外交、特に対中韓外交が行われてきたことがよくわかる。それは過去の事実としてすべての人の知るところである。それにイライラしているのならば、当たり前のことであるがこの人と同じPositionに付くことによってしか、己がのぞむ政治力を行使できない、ということがわかった。仮に総理になっても不可能なのである。おそらくこの人物にはCFRからも日本の対アジア外交のSpecialistとして、金箔銀箔が付けられているのだろう。

//////////追記:2011年12月31日//////////

同じペイジに書くなとお叱りを受けるかもしれない。「正論」2月号で中西輝政氏が1990年の夏号のForeign Affairsに米人の学者と協力してJapan's Grand Strategyという論文を発表している、と書かれていた。Foreign Affairsは昔からCFRの機関紙である。早速探してみた。なかなか見つからなかった。今日内容の一部をみつけた。
Japan's Grand Strategy:summer 1990
20年以上前の論文に何故言及されたのか文脈を思い出せないが、1990年といえばベルリンの壁崩壊後であり、ソ連解体の前年である。

Before long, Mikhail Gorbachev may launch arms control initiatives aimed at Japanese and U.S. forces in the Pacific, perhaps even by opening negotiations on the return of Japan's Northern Territories.

日本は何故この好時期にちゃんとした”政治”が出来なかったのだろう?こんな希望が持てた時代だったのか、それとも「世界は腹黒い」ことを中西氏が忘れていらっしゃったのか、それとも日本人は無意識に憲法前文の甘い甘い期待的世界観にすでに洗脳されてしまっているのだろうか。
20数年前の論文を云々するのは間違っているとは思うが、私が残念に思うのは、北方領土に関してこの時期でさえ積極的にアクションを起こすのではなく、Gorbachevからのアクションを待つ、その発想の消極性にある。

///////追記:2012年1月12日///////
添谷芳秀・慶應大学教授 「日米中」 2010.3.4 日本記者クラブ
Yoshihide Soeya: CFR:
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大来佐武郎:wikipedia:
大来佐武郎 : Foreign Affaires :
大来佐武郎: Foreign Affaires :
・・・
セッションⅢ「将来へ向けて」/山本 正(CFR)
セッションⅢ「将来へ向けて」/黒川 清(CFR)
セッションⅢ「将来へ向けて」/渡辺 靖(CFR)
(7ヶ月振りに見たら、キレイさっぱりYou Tube3本とも削除されていた。名前だけでも確保できたので良しとしよう)

/////追記:2012年8月29日/////
田中均氏について、その肩書きから少しヒントを探してみた。
日本を動かす人材を養成し、実際今もまだ日本を動かす中枢で活躍している。
東京大学公共政策大学院:Hitoshi Tanaka
日本総研 田中均
日本国際交流センター Hitoshi Tanaka
日本が、日本政府が、外務省が、等とぼんやりした集合に口角泡を飛ばしてみたところで、具体的には何も見えない。売国奴の呼び声高いひとりひとりにライトを当ててその背景を浮かび上がらせることができれば、その奥にありほとんど報道されない政府や外務省の実際の動きが見えてくるのではないかと思う。たとえば、松下政経塾など、外からのイメージと、実際の内部の蠢きとの乖離、ひとりのスパイが捕まって、少し具体的にチラとでも中に光が当たったではないか。
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PHP総研「繰り返される北朝鮮の挑発―周辺国はどう対応すべきか」 出演:田中 均(日本総研国際戦略研究所理事長),平岩俊司(関西学院大学教授),前田宏子(PHP総研主任研究員):見つけたけれど、正直言って途中で眠ってしまった。
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Part1 - Changing Balance of Power in Asia
(追記:8月30日:ひとり言:タイトルに惹かれて見ようと思ったのだけれど、パネリストの側に聞き手に対する緊迫感が全く感じられなくて、語る内容も教科書的で出だしから気がそがれた。顔ばかりに意識が行く。Robert Luke氏はSarkozyの親戚に見えるし、Philip Bowring氏にいたっては、どうしてもJohn Cageに見えてしまう。それでJohn Cageのことばかりあれこれ思い出してしまう。Merce Cunninghamはどこにいるのか、気になったりして、頭は時代を逆流する。堀氏は昔夏期集中講座を午前と午後に分かれてペアーで担当した相棒の桐野先生を思い出させる。この人いったい誰?)
Part2 - Changing Balance of Power in Asia
(追記:8月30日:ひとり言:最初にG1 summit云々の発語があり、?と思った。G1 summit。グロービス経営大学院って何?グロービス経営大学院。Yoshito Horiって?Yoshito Hori.
Robert Luke氏もPhilip Bowring氏も、勿論チェックを入れたが、昨晩は堀義人氏とその活動の調査に追われてあっという間に午前零時を回ってしまった。日本も捨てたものではないと充分思える時代の要求に応え得る若き行動的実業家であった。グロービス経営大学院のコンセプトはおそらくハーバードのノウハウの移植版だと思うのだが、この「ぬるい」日本に本当に経営大学院を設立して実際に多くの人を集め動かし若い才能を育成しているということは、驚嘆に値する。ディズニーランドでもそうだったが、コンセプトを動かすソフトの使用料たるや非常に高額で、もし堀氏が着眼や運営のソフトをゼロから開発されたのなら、このアジア型経営大学院設立運営パッケージ・ソフトは発展途上国の起業家育成価値に相応する価格で販売ができるはずだ。教育し起業家を育てることができれば、それぞれの国が分にあった負担を背負い、振り回されることなく協力し合い自らの足で立ち上がることができたら、日本が力もないのに気概だけで突っ走って打ち立てようとした大アジア主義、ひょっとしたら真に平等な大東亜共栄圏が平和理に実現するかもしれない。教育には未来に希望を抱かせそれを現実化する機能がある。それが経営に特化し起業家を育てるものなら、日本を含めアジア諸国は根底から、武力に頼らずに植民地人の深い歴史的刷り込みから脱却出来るかもしれない。)
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田中均 日本総合研究所国際戦略研究所理事長 2012.2.24
田中均氏 TPPを語る CFR節炸裂ーわかるかなあ?
音声明瞭、講演技術も驚く程高い。発話は表現力、演技力を伴って説得性も強い。但し聞くということは、受動的にフムフムと単に聞くことではない。話す相手の視座を砂の中や雲の中から探り出し掴み取ることだ。自分自身のpositionも結果として明確化出来るはずだ。独自の意見も論理もその過程で醸造される。聞く力は(読み込む力同様)書く前提としても非常に重要である。高めるために、勿論訓練が必要だ。
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松本氏と西山氏 & Walter Nichols氏

『秘密のファイル-CIAの対日工作』を読んだ松本道弘氏の衝撃?
「秘密のファイル CIAの対日工作」から考える戦後史(1)
秘密のファイル CIAの対日工作」から考える戦後史(2)
松本道弘氏blogより ↓
2008年10月20日 CIAの対日工作:
2008年10月21日「同時通訳者は透明人間ですよ」
2008年10月22日 アメリカという蛇に睨まれた蛙
2008年10月23日 西山名人カマキリ説もこの辺りから…
(西山氏はこの通訳者として有名
2008年10月24日 天国が一転して地獄の刑務所に変わる
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参照:Sen Nishiyama

Since his interest was aroused in improving understanding between the two countries, he accepted an offer of employment with the U.S. Department of State. "I began as interpreter-translator with the United States Information Service(USIS), Tokyo, in 1951," Sen said.
(Bruxelles注 : 隠すようなことではない)

USISと西山千氏のことを調べようとして大変興味深い資料に出会い、読んでいるうちにそれが、97ペイジに及ぶことに気づいた。27ペイジで首と腰が痛くなってきた。そこでfile化してこのペイジに載せようとしたのだけれど、容量overでFC2blogに収納不可となった。そうこうしているうちに元の資料もアドレスも無くしてしまった。辛うじてメモ帳に取っておいたUSISと西山氏の関わりが見える部分を以下に引用する。
...At any rate, just before I was to go home, I guess in about March of 1952, a man named Sen Nishiyama showed up in my office. I had never met him before, and of course you know who Sen Nishiyama was--is.
Q: Oh, yes. He was probably the most valuable so-called local employee USIS had.
NICHOLS: Well, Sen said he was approaching me on behalf of a man named Sax Bradford, who was recruiting people with some experience in Japan, and preferably some knowledge of the language, for an organization known as USIA [U.S. Information Service] that he would be setting up in the Embassy in Tokyo as soon as the Occupation ended. When I asked why he had come to see me, he said, "Well, we figured you had the background--born in Japan and so forth--so naturally we've been checking you out, especially with the many Japanese, including government officials, with whom you've been working, and you came off looking very good. So, here I am." Well, as you don't have to guess, I was very happy to hear that, and said I'd definitely be interested and get a much fuller briefing on the kind of work I might be doing, since I was concerned about possible specialized qualifications that might be required.
Q: Didn't you get to meet Sax Bradford?
NICHOLS: Oh, of course. Sen arranged a meeting with him for me, and it turned out to be one of the most curious recruiting sessions I've ever experienced. Sax told me they had already decided they wanted me to join his staff, and he asked me to submit an application. But he then promptly warned me of all the downside aspects of working for the State Department, especially in USIS...  
(WALTER NICHOLS Interviewed by G. Lewis Schmidt)
インタビューされているWALTER NICHOLS氏は何代にもわたって日本に関わりの深い非常に興味深い人物である。しかし「CIAの対日工作」に関しては既に何度か取り上げているので、今回は一旦破棄した資料を検証するのは控える。他にも検証を必要とする順番待ちの資料がかなり圧迫感を持って積み上げられている現状を鑑み...

追記:(97ペイジの最初の資料を見つけた← 興味のある方のためにリンクしておく。txtファイルで縦にも長いが横にも長い。このままでは読みにくいだろう)
追記:上でinterviewerになっているG. LEWIS SCHMIDT 氏がこちらではAllen Hansen氏にinterviewされている
追記:WILLIAM E. HUTCHINSON :Interviewed by Jack O'Brien
追記:CLIFF FORSTER: Interviewed by G. Lewis Schmidt
ざっと読んでいると日本へのダラスにおけるKennedyの生中継が話題になっていてる部分があった。家に既にTVはあったが見た記憶はない。以下の引用によるとあらかじめKennedy大統領から日本国民に向けたメッセージが録音されていて、米政府内部でそれをそのまま流すか取りやめるかで応酬があったようだ。USIAとしては大イベント企画で初の海外生放送、それが世紀のショッキングニュースになってしまった思い出を語っている。その部分のみ以下に引用。

Q: We lost the president from the nation, and we lost Murrow from USIA.
Impact Of Kennedy's Pre-Recorded Televised Message To Japan As First US Satellite Beamed To Japan Passed Over That Country Aired Just After Assassination
FORSTER: It was a double blow, which I shall certainly never forget. One other event at the time involved the White House and since it was rather historical and so little is known about it, I should like to mention it here. We were told by NASA that they were going to be putting up this relay satellite--I think it was Relay 2--that would be going in the direction of Japan on a westerly course. The plan was to launch it from the Mojave Desert. We suddenly had the idea that it would be great if we could get President Kennedy to address the people of Japan as the satellite moved over Japan for the first time, and then to have a special program, arranged by USIS with three national networks, to follow in behind the President's message. The White House bought the idea right away.
I remember the President was in New York giving a speech at the Waldorf Astoria and Don Wilson told me to call Pierre Salinger to give it the go-ahead. We immediately prepared the message for the president, which we delivered to him the following week at the White House. Actually, he had prepared his own very personal message and really didn't need our draft. It was a beautiful message to the people of Japan written in a warm, informal style. What happened subsequently was that the relay satellite went up within minutes as I recall after the president had been shot. There were then some anxious moments with someone at COMSAT who was involved with the satellite launch that day. Whoever it was, there was this bureaucratic response of, "Well, we're not going to be able to use that footage because the president has just been shot." I was infuriated about this and went charging in to see Ken Bunce and I said, "Look, Ken, they can't do this. This is the president's message to the Japanese people when he was still very much alive. He's still alive according to news reports. We can't assume that this is the end until there is confirmation." Ken was in touch right away with Don Wilson and in very short order we were able to get it back on the relay to Japan.
Q: Who read the speech?
FORSTER: The president did. The president had prepared the speech prior to the launching of the relay.
Q: Did Johnson read the speech that Kennedy had written?
FORSTER: No, no, because Kennedy had been on camera at the White House the previous week and it was ready to go before the assassination. Then whether it was NASA or COMSAT, I don't exactly remember, but the response was "We're not going to be able to use that. The president has just been shot." We argued very strongly that it should be used, and it was used.
The impact of that speech, followed by the NHK use of live coverage on the relay satellite of the assassination and that terrible weekend in Washington, was very great in Japan and reached viewers just as they were getting up that morning. When the relay satellite first came over, the Japanese were getting the president live and listening to his message to them. By the time the relay was around again, they were getting the reports of his death. The NHK correspondent in Washington called us early in the morning to see if it would be possible to use the satellite just to send all the weekend coverage. To this day when you talk to our Japanese friends like Sen Nishiyama and others, they describe the tremendous impact of that event which has never been forgotten by those who viewed it at the time.


単発で見つけているが、どうやらこれは占領軍がいなくなってOSSも解散したあとの、冷戦時に於けるアメリカの対日工作の公開可能内部資料に突き当たっているようだ。
これらの資料の大元はこちら。名前がわかれば、interviewを発見できる。
Browse by Author
以下の下線をクリックしても似たような大元資料にたどり着ける。
ADST Oral interview
Country reader series
U.S. Diplomacy

/////追記:2012年8月28日/////
参照:ケネディ暗殺と宇宙中継:(団塊の世代一代記)Akimasa.Net

...実はこの1回目の実験では、あらかじめ録画してあったケネディ大統領から日本へのメッセージが送られるはずであった。しかし、大統領はこの時すでに暗殺されていた。実験開始直前の5時14分、NASAからの宇宙無電で、「実験は予定通り行うが、大統領が映っている分の放送は取りやめる」という連絡が入っていた...


FORSTERのインタビューでは、以下のようになっていて矛盾する。この部分の事実確認をするうちに気づいた。

Then whether it was NASA or COMSAT, I don't exactly remember, but the response was "We're not going to be able to use that. The president has just been shot." We argued very strongly that it should be used, and it was used.


今朝ぼんやりと考えた。
Actually, he had prepared his own very personal message and really didn't need our draft. It was a beautiful message to the people of Japan written in a warm, informal style.
この時期日本はアメリカにとって、桐壺帝が桐壺の更衣に示すような強い好意の対象であったに違いない。大統領直筆の日本国民に対するあたたかいメッセージを大統領自らの声を宇宙電波に乗せて届けようという、世紀の大イヴェントである。大統領が暗殺されたからといって、砂漠だけを映しては努力が水に流れる大きな企画折れであろう。企画し準備したUSISの本人が使用した、放送したと言っている。流さなかったとしたら、大きな国策の転換である。
「悲劇のために放送は中止になった」で済ませてはいけない。あらかじめ録音されていたものである。亡くなったので、放送企画が実行不能になったわけではない。放送してマイナスになったり何か不都合を生じる内容でもない。この企画を取りやめる必要は全くないのだ。
Kennedyのメッセージ内容をどうしても知りたくなって、探している間に、実は上のインタビューとは逆に日本ではあらかじめ準備されたkennedy大統領の声は届けられなかったということを知った。メッセージは亡くなれば亡くなったでその報道価値は100倍にも1000倍にもなったはずだ。その時は砂漠だけとして、その後のニュースでは、日本国民に繰り返し繰り返し、放送され届けられたのだろうか?
「悲劇のために放送は中止になった」と知りながら、そして大統領メッセージの存在を知りながら、その内容を日本国民にもしその後も一切報道していないとしたら、日本のjournalismは死んでいる。アメリカが許可しないのだとしたら、先にも書いたが激しい内部抗争の結果としての「国策の転換」を嗅ぎつけるべきだ。分析し報道すべきではないか?

When the relay satellite first came over, the Japanese were getting the president live and listening to his message to them. By the time the relay was around again, they were getting the reports of his death.


これは直接法であり仮定法でも条件法でもない。この矛盾は日米関係という政治にもまたKennedy暗殺にもどこかで関わってくるのではないだろうか?
良質な報道は常に「矛盾」に対する「何故」からスタートする。一国の報道レベルはその「何故」を感知する嗅覚の優劣にかかっている。

たかじんの...2012.8.19 (1)

たかじんのそこまで言って委員会2012.8.19(1)
31分30秒過ぎから32分の間
竹田恒泰氏の声なのに津川氏が言ったような編集になっている。
この間のカットがあったということか?
竹田氏の面白話を津川氏がどう受けたのか、興味のあるところだ。

・・・・・追記:2012年8月30日・・・・・
竹田恒泰 wikipedia
環境問題・憲法学・孝明天皇などについて研究をしている。
の一行がある。これは決して面白発言ではなく、彼の研究分野なのだ、ということは、何か語りたいことがあるのかもしれない。マイケル・ジャクソンやマリリン・モンローの暗殺についての話題の最中に竹田宮の口から孝明天皇の話が出たということなのだから。
勿論いろんな資料は入ってきている。この問題は明治天皇の出自や、明治維新に関する、全く新しいもろもろの解釈にも繋がってくる。明治維新の解明(百花繚乱)を中心において、第二次世界大戦を論じようとするものまである。明治維新遂行派の人々の出自を問い、そこから平成の政治の混沌を説明しようというものも出てきている。

・・・・・追記:2012年8月31日・・・・・
明治維新と平成の政治の真ん中に第二次世界大戦の新解釈が入る、延々と繋がっている。即ち徳川、サムライ管理社会、武士道を切り捨て御免したところから、近代日本は国際社会に歩を進めやがて弱肉強食の白人覇権世界のなかで餌食になっていく、そして今もなっているというストーリーである。どこが新しいかというと、徳川の武家社会を支配層から落として開国し新体制を整えた新国家日本が、巻き込まれて戦争を繰り返し、やがて天晴れな徹底的敗戦を迎える。その歴史を振り返る際に、精神のよりどころとして武士道を持ち出す「奇怪さ」にうっすらとではあるが、この説は気づかせる点である。
サムライNipponの呼称や武士道の精神に喜びを持って共感しない日本人はおそらくいないだろう。その時私たちは過去の一部をそうすることによってクローゼットの中にしまい込めるからだ。(つづく)

参照:極めて教科書的な日本史:日本の歴史物語

大東亜戦争肯定論

ひとつ前の記事のなかの 反日と自虐史観の生成過程について:←Bruxellesが付けたタイトル
なぜfeedbackがないかと考えて、タイトル自体に興味がないのではないかと思い至った。
自虐史観の生成?過程?という感じで、feedback以前にクリックがほとんどなされていないのだと思う。

ちょっと引き返すことにした。ちょうどいいYou Tubeを見つけた。
少し古いので、ほとんど期待せずに見たのだけれど、これが素晴らしい。拍手パチパチもので、最近の窒息気味のものよりよほどいい。40歳以前のお若い方々には特にお薦めいたします。ツノ銀中飛車というところ、でしょうか?

討論!大東亜戦争肯定論[桜 H21/8/14]
大東亜戦争肯定論-1
大東亜戦争肯定論-2
大東亜戦争肯定論-3
大東亜戦争肯定論-4

反日と自虐史観の生成過程について

反日と自虐史観の生成過程について:←Bruxellesが付けたタイトル
暑いので省エネ、というわけではないが、今回も他人様の論考をお借りした。上のリンクは「KNブログ:現代史についての雑文その17」というもので、やはり典拠となる資料の明示もなく、書き手の正体も不明、書き手とのコンタクトも不能、という極めていかがわしい記事なのであるが、独自性、説得力、論理の切れがビシバシと決まる快感は堪らない。どこかで聞いたワンパターンの丸写し展開はほとんどなく、気に触る論理的矛盾もない。快刀乱麻を断つがごとき推論はBruxellesをして炎天下を宅配人として走らせるに充分な魅力がある。内容は勿論タイトル通り「反日と自虐史観の生成過程について」、字が小さいので拡大してじっくりとお読みください。理不尽に対し責任感と義務感を持ってきっちりと怒る、堂々とした日本人・日本国再生のためのウルトラ理論武装!

追記:2012年8月14日
このペイジに関しては下半分の記事にこそ、熱く注目を呼びかけているのであるが、今のところメイルでfeedbackをたった一人から頂いただけで、あとは全員パス・スルー,何の反応もない。文字が小さい、文章が長い、おそらく意表を付くので頭に入り難い(理解困難)、など興味を削ぐ要素が多いせいかもしれない。「堂々とした日本人・日本国再生のためのウルトラ理論武装!」などと恥を忍んで本の広告のような文章を書いているBruxellesの気持ちも少しはご推察願いたい。「極めていかがわしい記事」と書いてはおりますが「充分に魅力的な」文章であります。しかも書店に行き購入する必要もなくクリック一つで目の前に現れます。

追記:2012年8月16日
「いかがわしい記事」が祟ったのか未だにほとんどクリックがない。タイミング的に重要なので、ほんの少し引用します。「理不尽に対して責任感と義務感を持ってきっちりと怒る」ための引用。

...そのようにして、韓国においてはむしろ日韓国交成立前よりも日韓国交成立後のほうが反日政策は強化されるようになり、日本側が謝罪したり贖罪したりすればするほど、そのたびに反日傾向を強めていくようになりました。日本人にはこの犯罪者心理の機微がよく分からないので、さすがに最近では、なんて無礼な連中だと言って怒る人達もいるようですが、こういう韓国のような相手には、日本に対する精神的負い目を解消してあげるように、一度手酷い目にあわせてあげるのが一番です。そうすれば彼らも楽になって悪事に走るまで追い詰められなくなります...

追記:2012年8月18日
内容の並列(意識の分散)を避けるために、オリンピックに関する(怒の欠落)2件についての記事を削除しました。開会式の日本選手団退出誘導と柔道の海老沼選手に対する再三にわたる不正判定に対する日本人の(怒)の欠如について、国民特性としての離人症を疑う、という内容でした。

社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画

田中英道先生(東北大学名誉教授)3時間
社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画
スタジオ日本・特別報道番組 第4弾
日本会議福岡 第8回 追悼・感謝 英霊顕彰
(福岡支部は日本会議の中でどのような
positionなのだろうか?石井公一郎氏のお父上
石井光次郎氏の郷里である、ことをふと思いだした。
それぞれの支部は其々に特徴が異なるのだろうか)
県民の集い(平成24年8月5日開催)
・・・・・
一般的な保守のかたはこの3時間を大変価値あるものだと思われるだろう。少なくとも田中英道先生に対する評価は間違いなく高騰するに違いない。大受けすることをたくさん話された。
OSSに関しても日本改造計画に関しても具体的な話はなく、言葉の紹介程度に終わった。あの本を改めてお薦めしなくてはならない。残念なことに、やはり予想通りあまり売れていなかった。
受け手の嗜好を考慮して、わかりやすく、テーマを薄めてぼかし此処彼処で別話に拡散した内容であった。(ミスタイプではない)
Tel Quel Japonとしてはこの講演に関して今回はノーコメントとする。(この講演よりはるかに詳細に既に何度も取り上げている)
・・・・・
参照:野坂参三 Tel Quel Japon過去記事
No.1 & No.2 & No.3 :
・・・・・
前ペイジの対ソ終戦交渉という井戸掘り、に於いて、コミンテルンのエージェントと思しき発言をする日本国幹部たちの存在をあまりに多く知ったので、OSSやルーズベルト政権にも同じような種類の人間がうじゃうじゃいたと、いまさら思い出しても、私に於いては、最初の驚きはすっかり薄められてしまった。終戦に至る交渉時にうじゃうじゃいたということは、開戦回避の交渉時にも尾崎やゾルゲはひとりや二人じゃなかったに違いない、と思うと気が重い。覚えていらっしゃるだろうか。Tel Quel Japon過去記事における以下の部分

ウォーカー長官のハル宛のメモには「松岡は罷免されることを恐れて不本意ながら諒解案による交渉に同意したが、まもなく失脚しよう。また野村が中立条約を提示したら、ハルに拒否してくれという希望を野村から申し入れてきた」と記してある。(”Foreign Relations Far East". vol.Ⅳ p.180) (「日本外交史ー23 日米交渉 P.116)


電球にパッとスイッチが入るように、突然此の辺りのことを思い出した。過去記事全体を再読いただければ、スイッチの比喩がご理解いただけると思う。

・・・・・追記:2012年8月10日・・・・・
一番上のおよそ3時間のfilmの最後の最後2時間58分前後から福岡の産経新聞の報道の話が入る。
私Bruxellesはこの話を聞いて村上龍の小説「半島を出よ」を突然思い出した。(特に福岡県人で)まだ未読の方は下をクリックして、せめてアウトラインに触れていただきたい。
No.1 &  No.2 & No.3 & No.4  & No.5 :

・・・・・追記:2012年8月14日・・・・・
戦後日本は隠れマルクス主義によってつくられた
こちらの10分弱の田中先生のお話は文頭の3時間よりもはるかに濃厚でストレートである。勿論田中先生の評価は3時間の後の方が急上昇するであろうが、重要性の圧縮という点ではこの10分弱のお話に如くものぞなし、である。
ただ真ん中のあたりにリンクしている過去記事、対ソ終戦交渉という井戸掘りを参照すると「戦後日本は隠れマルクス主義によってつくられた」だけでなく「戦前・戦中・終戦時日本も隠れマルクス主義者によって動かされていた」となるのであるが...いかがでしょうか?

対ソ終戦交渉という井戸掘り

1)対ソ終戦交渉という井戸掘り

A)前々から納得できなかった対ソ終戦交渉。「正論」7月号の伊藤隆名誉教授のこの発言部分で、まず驚いた。
伊藤隆名誉教授(「正論」2012年7月号P.88 ):

...昭和20年の春以来、近衛文麿をソ連に派遣し、対米和平の仲介を依頼するという計画が浮上していました。終戦で幻に終わりましたが、4月5日にソ連が日ソ中立条約の不延長を通知してきた中でも準備が進められました。この計画にあわせて参謀本部幹部や関東軍参謀、海軍若手らが、いわゆる「改革官僚」らの協力で作った国家再建策草案には、スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました。ソ連、中国共産党のエージェント、シンパが軍指導部に潜り込み、日本の赤化を企画していたとしか思えません。...

これは対談の中の発言なのだが、対談相手の方々は、蚊に刺されたような反応もなく完全無視であった。ちょっとぐらい吃驚してもいいのではないかと。官僚や軍部指導部がルーズベルト政権以上に真っ赤っかだったという発言なのだが、完全無視。
B)そのあと偶然こういうものを見つけた。大森勝久 2012年4月30

...(ソ連に中立態度を維持させるために、日本がソ連に譲歩すべき条件は)「必要なる条件はことごとくこれを停止し、譲歩し、開放し、断念するにやぶさかであってはいけない。換言すれば、「ソ」側の言いなり放題になって眼をつぶる。日清戦争後における遼東半島を還付した悲壮なる決心に立ちかえったならば、今日日本が満州や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨て、日清戦争前の態勢に立ち還り、明治御維新を昭和の御維新によって再建するの覚悟をもって、あくまで日「ソ」戦を回避し、対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない」(『終戦工作の記録(下)』61頁から64頁参照)...

すでに両記事は前記事でも紹介済みである。ただこれでは、日本軍は見事な戦いをしたなどというのは、表面の見える部分だけで、国家としては戦意もなくただただソ連というDV貫一に女々しくすがりつくパーのお宮ではないか。「戦前の社会主義国家「日本」は、左右の左翼が侵略支配した反日国家であったのだ」と吃驚するしかない結論なのに、「死刑囚の言うことなんか気にしなくていい」という反応を除けば、Tel Quel Japonの読者の反応も皆無であった。内容的にはa)=b)である。前からこの内容を知っていたわけではあるまい。戦前の日本がソ連のスパイに乗っ取られていたとか、反日国家だったとか、皆が納得しているわけでもあるまい。
C)そこで今日は対ソ終戦交渉、戦前戦中からの日本の対ソ認識についての論文を探すことにした。
戦争終結をめぐる日本の戦略―対ソ工作を中心として
by 庄司 潤一郎
この論文は資料としてprint outして何度もお読みいただきたい。スパイがうじゃうじゃとか、反日国家だったとかの視点はさすがに無いが、内容的には(日本の対ソ認識がいかにボロボロであるかという点に関しては)a)=b)=c)である。伊藤・大森説には間違いがないのである。
庄司氏は外務省のこんなお仕事もされているが、対ソ終戦資料制作には影響はないだろう。
情報量が全く違うのでインターネットを有する21世紀の人間が70年近く前の「戦争終結をめぐる日本の戦略」に関してどうこう言うのは単なる酸素の無駄である。しかし、しかし、何度も繰り返し読んだ後でいうのだが、これだけ圧倒的なロシアに対する激しい幻想と思い入れを持ちながら、共産主義者でない、人物像は考えにくい。親近感、恋心、信頼感、尊敬、どれにも当てはまらないが、全てに当てはまるとも言える確かな感情が思考力に浸透して作戦を攪乱している。庄司氏は立場上筆を抑えておられるが、比べた場合伊藤・大森氏の推量に軍配をあげてもいいように思う。ということはつまり、ここをもっと掘ればもっといろんな、それこそ想像を絶するような”事実”が形象のない水のようにドット溢れてくるのではないかと思う。それこそどこまで行っても「トンデモ」でしかありえないような「トンデモ説」などとかが...

2)学者は言えない「トンデモ説」学者は言えない「ことだらけ」

対ソ終戦交渉「トンデモ説」の紛失
に関するTel Quel Japon 内部事情
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B: あのね、天皇をソ連に移すというトンデモ説、あれはあなたに教えてもらったのかしらん?
A: いや、私ではありません
B: 今探しても見つからなくて困っています。アメリカが本土上陸して大虐殺をするから 日本が占領した外地を全部ソ連に差し出して天皇も、満州あたりに逃げるという交渉条件。
A: 天皇の「国外」避難は、空前絶後の構想ですね。
B: もしあなただったらもう一度アドレスのメイルいただけませんか?ソ連に抑留させたのはつまりは逃げてく天皇を守る兵隊として。
A: 陸軍には「ソ連の抑留政策に呼応する動き」があったということですか?
A: 瀬島龍三が敗戦間際に満洲に飛び、シベリア抑留について疑惑を持たれている。という話がにわかに現実性を帯びますね。まあ妄想をたくましくしても?という恐れはありますが。
B: 最終的にソ連がせめて来るまでずっとこの作戦に希望をかけていたという話。トンデモ説なんですけど伊藤隆氏の説を取ると、かなり説得力を持つのではと。シベリアに抑留された人たちは誰にどのように騙されたのでしょうか?騙されたのであって、武力による強制連行ではなかったみたいですし。「赤い月」のお父さんは年齢をオーバーしているにもかかわらず日本男児の使命感に燃えて自ら手を挙げて、大陸にとどまりました。その時そこに大義があったのではないかと。そういう話が強く残っていて、まだその交渉条件を信じている日本人幹部によってあるいはコミンテルンの日本人スパイによって騙されたのではないかと。
B: 勿論天皇の希望で、「行きたくない」という希望で最終的には没になるけど。
A: 昭和天皇が「行きたくない」と本当に言ったとしたら、「行ってみてはどうか?」という工作があったことになりますね。
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受信箱には見つからなかったが、送信箱の中にそれらしきものを昨日見つけた。こういう馬鹿馬鹿しいものは取り置きに値しないと判断し、アドレスを破棄したようだ。それが結果として「紛失」となった。参照アドレスは取り置きよりも破棄するモノの方が圧倒的に多い。身体や思考の身動きを軽快にするために毎日思い切った情報の選別そしてそのあとの「断捨離」を実行している。にもかかわらずあまりの強烈な「トンデモ」振りに、無意識に記憶の方に残ってしまった。
送信箱から探し出した自分のそれらしき返信メイルを以下に記す。

コメント有難うございます。なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです、まあね。
革新官僚と大政翼賛会のマルクス主義派知識人は、反米軍事同盟の証しとして、天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた。彼等の目的は、日本をソ連軍の支配下に置き、日本を共産主義化する事であった。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。日本を侵略戦争に追い込んだ革新官僚は、戦争責任を昭和天皇と軍部に押し付け、民主的保守派として戦後日本の中枢を支配した。新たな、平和国家日本の始まりである。
このあたりは、おネンネ保守派は、びっくり仰天でしょうね。天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていたは新鮮度は高いですが、言ったもん勝ち、みたいな感じで、出典がない。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。これもねえ、非常に面白いけど、説明資料もないし、具体的人名もないので、架空ということになってしまう。
本人も、自分は見解もないし、資料提供もできない、単なる年表の丸写し、みたいなことも言っているので。
2012年4月15日 日曜日 午後3:20


Tel Quel Japon過去記事の中の2012年5月31日追記によると仕舞い込まれた無意識の記憶の底から「トンデモ説」がpop upしたのはカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の長谷川教授の説に出会った時が最初だったようだ。まだ「トンデモ」過ぎて書けないと言っている。そのあと伊藤隆東大名誉教授の発言、そして大森氏の文章と各々が相互に接続強化されていくのだが、まだ「トンデモ」を書く決心はついていない。決心がついたのは今日論文資料としてリンクした庄司 潤一郎氏のC)対ソ工作を中心としてをprint outし繰り返し読んでからだ。ここには人物名が初めて登場し具体的に発言し行動する様が描き出されている。庄司氏の論考に沿った発言や動きをそのまま受け入れるのではなく、ここまで来ると人物の表情や吹き出しのセリフ、割付けまで、独自のネイム作りが自然に出来るようになる、つまりほぼ事実として受け止めた上での独自解釈が可能になるということだ。勿論事実ではない。掘り当てた、形象のない溢れ出た水に過ぎない。実行に移されなかった工作・作戦であるので、事実などそもそも存在しないのである。各自独自の解釈を試みその後独自の「トンデモ」度判定をされてはいかがでしょうか。
さてこのあと、紛失したアドレスを探し出して、最初に激しく拒否したそもそもの「トンデモ説」を登場させなければ話を終えることは出来ないだろう。「検索の方法を教えてください」という問が時々Tel Quel Japonに届く。検索は誰がしても同じ。コツは何時間も何日も何週間も見つかるまで粘る根性と気力の保持、それだけだ。しかし今回この状態からどのように「紛失したアドレス」を探すか、そのテクニックを開示すれば、ひょっとして役に立つかもしれない。
参照:最初に見たトンデモ説
日付が合わないが、その後日付の更新があったのだろう。上の私の送信メイルの下線を入れた引用部が、そっくりこのなかに登場するので、私が「なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです」と書いているのがこれと同一だということがわかる。
どうやって破棄し「紛失した」ものを見つけたか、もうお分かりかもしれないが最後に説明しておく。メイルのなかに引用があったので、その一部を使った。具体的に言えば「天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた」をそのまま検索boxに入れ、あとは「検索」をクリックすれば、探していたものが一発で一番上に現れた。

(追記-1)本人が年表に基づいて書いていると言っている、云々とメイルに書いていたので、そのあたりを再確認してみた。参照はこちら
(追記-2)一番上のメイルのやり取りに書いている「天皇の行きたくない」発言、当時破棄する前に全部読み込んだので全体のどこかに出ていたのだろうが、今回は見つけることが出来なかった。ひょっとしたら似たようなテーマを検索で探して、別のところで確認したのかもしれない。実行されなかったplanなので(発言はあったとしても)「行きたくない」発言で取りやめになったというより、追い詰められた状況からむしろ計画自体が立ちいかなくなったと考える方が自然だろう。

放置した二つの謎 その後

最近の記事で深く考えずに放置した二つの疑問がある。
1)Tel Quel japon過去記事
 OSS & William Donovan 未完:記事の後半に追記している中西輝政氏の「民族の栄光」としての戦争、に関して、「昭和18年からの2年間を「日本の最良のとき(ファイネスト・アワーズ)」と断言するのはあまりにも嗜好の独善的陶酔に浸りすぎてはいないか」「後に生まれた後続の者が体験しないあの2年間を「日本の最良の時」などと、どうして言えるのだろうか?」
2)Tel Quel Japon過去記事
  World War 2 Manchuria Battle :ここで「どうして、この重要発言が聞き流され、大反響を呼ばないのか、不思議である。」と疑問を呈している。さらに
  Tel Quel japon過去記事
  大東亜共栄圏今昔:「やはり身体には転向者の血栓が張り付いていて、大東亜戦争と表裏一体の大東亜共栄圏構想を、恥じておられてどうしても肯定できずに、ソ連や中国共産党のスパイ大作戦のバックボーン思想にくっ付けて挙句に癌のように右派として祖国から切り取ってごみ箱行きとされた。何でもない問題のように見えて、これは大きな根本的問題である」と追い討ちをかけて問題を提議している。こちらは伊藤隆教授のご発言に関して。
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1)の正論2012年新年号の中西輝政氏の記事に関して共感する真正保守からの声は聞いたが、net上で話題になったことはない。ところが偶然とんでもないタイトルに出会った。
a)侵略国家ロシアの工作員・中西輝政京大教授
元記事はこちらのようだ。
A)「中西輝政」論文の本当の執筆者はロシアKGB(SVR)である:

これは、大東亜戦争1937年から1945年,を最大限に美化して、反米民族派を生み出し強化していくことを狙う、KGB(SVR)と中西氏による思想工作、情報戦である(とあるから、私の方向とはまるで違う。) 『正論』12月号、1月号の前記「中西論文」は、既に公けになっているゾルゲや尾崎秀実や、このグループの一員である西園寺公一らを批判するが、最大の大物・近衛文麿の正体を隠したのである(と書いてあるが、前から言うように中西氏は数年前までは近衛スパイ説を取られていたから、この筆者の推量はお門違いだ。ただ、日本人が地獄を見た昭和18年からの2年間をファイネスト・アワーズなどという発言は、即ち戦争の本質を叙情で解説しようとすることは、入院を必要とするほどの末期的な狂信ぶりだ、と言わざるを得ない。この幼稚さ、正気の欠損がどれだけ日本人の覚醒を妨げてきたか、妨げているか、少なくとも一度は思考を振り当てていただきたい。文芸評論ではないのだ。1)の謎に関してはこれをもってTel Quelの結論としたい。)


2)の伊藤隆教授のご発言に関して。ここで大森勝久氏の文章に話を戻す。もう少し読み進むと、「左の左翼」と「右の左翼」という言葉が登場する。さらに進むと「革新勢力が唱えた「反共」は、祖国と天皇制をめぐっての対立からであり、それ以外では、既にみたごとく、革新勢力自身も(民族)共産主義であったのだ」に出くわす。そして「大東亜戦争を主導したのは、スターリンと密通していた近衛文麿を筆頭とする左の左翼であった」と、これは新しくもない。さらに進む。「日本が「ハル・ノート」を拒絶したのは、日本が左右の左翼によって侵略支配されて、「天皇制」社会主義国という「左翼反日国家」に革命されてしまっていたからだ。自由主義国家・資本主義国家である敵国の米国の要求だから、拒絶しただけである」これは新しい。そして最後の部分ではあっと驚く。「それは、鈴木首相が「構成員会議」で意見の一致をみたとして、「ソ連に貢ぐものとして挙げた領土」を見れば明らかだろう。さらに近衛文麿は「特使」として、「白紙」状態でモスクワへ行って、スターリンと交渉することになっていた。近衛が、種村大佐が『今後の対「ソ」施策に対する意見』で述べていた、南樺太、台湾、琉球、北千島、朝鮮、もちろん満州、内蒙古、支那、仏領インドシナ、蘭領インドシナなど全てをソ連に貢ぐつもりでいたことは明白である」!!!途中がもたついて複雑怪奇だったが、要約すると2)の伊藤隆氏のご発言とぴったりと重なる、ではないか。
さてこの、大森勝久氏であるが、死刑確定囚なのだそうだ。そして伊藤隆氏と同じく現在は転向者、愛国右派である。終戦に関する伊藤氏の説も開戦に関する大森氏の説も、もし万一事実認定あるいは証拠提出があれば、歴史は大きく書き換えられるだろう。しかしその方向では誰も望むまいからその可能性はほとんどない。見直しに十分な証拠自体もないだろう。その上いまや東京裁判が国体を支えている構図さえうすら見えるからなおさらである。結果が同じ東京裁判を2度繰り返しても意味がない。
・・・・・・・
私見を述べると、ハルノートをみて青天の霹靂だと驚いてみせ、開戦やむ無しとしたことに関して私は前からそれをその人物の演技だと考えている。それから一年半以上も終戦の仲介を本気でロシアに委ねていた事実に関して、日毎に疑問が膨れ上がっていたが、彼らの説を取ると、面白いほどにすんなり納得できる。そろそろ前から伏せていると公言している「トンデモ説」を公開してもいい時期かもしれない。また蛇足であるがTel Quel Japon過去記事にも出てくる佐藤尚武駐ソ大使のこともついでに思い出した。個人攻撃をするつもりはないが実に奇妙だ。その奇妙さは伊藤・大森説をふりかけると、手品のようにたちまちに疑問は氷解する。
最後に転向者大森勝久氏の転向記を出しておこう。

国民の一部分が、左翼思想に洗脳されていくのを防止するための思想的、理論的な活動はほとんどされてきていない。保守派自身がそういう思想と理論をちゃんと持ち得ていないのである。左翼思想を明確に否定しえないということは、保守思想自身の未熟さの現われである。


血栓のある転向者にこう言われるのは情けない。次回はその保守思想の未熟さについて、行きがかり上、多少検証してみることにする。
(追記:ほかの記事が割り込みそうなので、次回というわけにはいかなくなった。そのうちに、と訂正しておこう)
・・・・・重要緊急追記:2012年8月22日↓・・・・・
保守としての体をなしていなかった戦後日本の保守論壇by聯合艦隊


・・・・・追記:2012年8月5日・・・・・
対ソ終戦工作に関して、面白いblog pageを見つけた。字が小さく文が長いので、読むのに大変苦労した。しかし実は何度も繰り返して読んだのは、ここで話題にしている対ソ終戦工作に於ける、日本がソ連に申し出た条件の異様さが(伊藤氏大森氏とほぼ同様)繰り返されていたからだ。対ソ終戦交渉は想像を絶する異様さだったことは、間違いないだろう。他にこれ以外の説がないのだから。ただこのKNブログには、伊藤氏のような日本に巣食ったコミンテルンのスパイたちや、大森氏の「日本が左右の左翼によって既に侵略・革命されていた」というような、興味深い説は、どちらも誕生遥か前の状態で、欠損している。繰り返して読んでもう一つ気になったのは、噛み砕いて優しくバランスよく書かれているが、視点が小説家の所謂神の視点であり、天皇やスターリンやルーズベルトの気持ちや考えまで独善的に余すところなく書ききってあり、創作臭、作家臭が強く立ち昇ったことだ。推論大いに結構だが、歴史上の主人公の心や頭の中にまで立ち入ってそれらを勝手に操っては、もはや小説と成り果ててしまい、興味が削がれる。クリックされる方はその点をお忘れなく。

・・・・・追記:2012年8月6日・・・・・
このペイジ、大変入り組んでいてあちこちに飛んでみたりしていますが、後への繋がりを考え、現時点でまとめると、対ソ終戦交渉に関しては、伊藤説大森説などが内容的には一番有力だということに行き着くと思います。日本国側交渉者たちは、ソ連シンパ、天皇制社会主義者たちで満ち満ちていて、「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想を持っていた。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加えるつもりだった」ということになると思います。何のために、ここまで譲歩するのか。終戦交渉に関して日本が頑なに譲らなかったことは、一つしかありません。

カイロ宣言の頃から...そして戦後

暑中お見舞い申し上げます
この暑いのに、相変わらず曲がりくねって入り込んだテーマばかり書いていては、無作法というものだ。という訳で今日は馴染みがありスッキリとわかりやすい必須テーマを選びました。ご覧ください。

高山正之 戦後の在日蛮行原因を語る
my近代史より

Tel Quel Japon過去記事(再審「南京大虐殺」明成社刊)の「近所の図書館で」に出てくる「従軍慰安婦」の脚本化のための覚書、の中にもそう言えば「カイロ宣言」(朝鮮が奴隷扱いを受けているので日本から独立させる)が出てきたなと思い出し、今回のタイトルにしました。

前記事に引用しているNKブログより、以上の問題を非常にわかりやすく扱っている「現代史についての雑文その16 ドイツと日本2」をリンクします。

...「日本政府による酷い差別政策から米軍によって解放された可哀そうな人達」というわけです。可哀そうな人達なのですから優遇してあげないといけませんし、もう日本人によって朝鮮人が奴隷化されないように米軍が守ってあげないといけないのです。つまり日本人よりも朝鮮人(ついでに台湾人も)を優遇する方針を打ち出したのでした。そして日本軍閥政府がいかに残酷に朝鮮人を差別してきたかをしつこくプロパガンダで流して、軍閥政府の悪辣さを訴えました...朝鮮人のほうでも戦勝国であるアメリカが後ろ楯についてくれたということで調子に乗って、戦勝国民と自称して無法なことをやり出す輩も出てきて、米軍はこれを取り締まろうとしなかったので日本政府も遠慮して朝鮮人の無法行為は野放しになり、ますます日本人の反感は大きくなり、米軍や政府にはなかなか逆らえないので、朝鮮人への嫌悪感情ばかりが膨れ上がっていくことになりました。これによって、むしろ戦後になってから在日朝鮮人差別が激しくなっていったのです...(これも長い文章ですが真ん中以降から、このテーマに入っていきます。南京大虐殺や従軍慰安婦の問題の生成過程とその目的と原因、などがわかりやすく書かれていると思います)


論証というより、筆者の推論には違いないのですが、保守でない人たちがいつも言うお決まりのセリフが与太話として余りにも見事に切り出されているので、技ありの推理だと言わざるを得ません。ここです↓

「戦前の日本には民主主義などは存在せず、国民国家などではなく、天皇絶対主義専制国家であった。軍閥が世界征服を妄想する神道カルトの教義を狂信して政府を乗っ取って侵略戦争へと突き進んでいった。天皇を絶対神と同一視する狂信者である軍閥勢力が神道を政治的に利用して国民を洗脳した。朝鮮も台湾も満州も軍閥が世界征服計画の一環として不正な手段で強奪した領土で、本来の所有者へ返却しなければならない。軍閥は情報を操作し暴力で脅して日本国民を騙して戦争に駆り立ててたくさんの日本人を殺した悪辣な連中である。軍閥は朝鮮人差別を扇動し、奴隷化して滅ぼそうとした。軍閥は言論弾圧のために治安維持法を作り、無実の罪で多くの人を投獄して殺害したが、特に激しく弾圧を受けたのは共産党で、共産党は軍閥の抑圧に耐え続けた。戦勝国は日本軍閥のアジア侵略戦争に立ち向かった正義の勢力で、日本国民は戦勝国によって軍閥の悪政から解放された。日本は軍閥の起こした戦争によってアジア諸国に多大な迷惑をかけた。軍閥復活阻止のために日本は軍事力を持つべきではない。これからの日本は軍閥の支配を脱してアメリカの与えてくれた民主主義を育てていかねばならない」(この軍閥というGHQの造語の非体性・非在性については文章前半で見事に活写されています)


省エネ、というわけではないが他人様の文章を進行役に酷使してしまった。この辺はTel Quel Japonの中心テーマではないので、過去記事も以下の一つしか思い出せない。重要であることに変わりはない。
Tel Quel Japon過去記事:日本が韓国(中国)の植民地
この(緊急)暑中見舞いがどうかストレートにあなたのハートに届きますように!

南京の日本軍・南京の日本人


Communist Party in USA

Communist Party USA, "History's Challenge," Part 1
Communist Party USA, "History's Challenge," Part 2
Communist Party USA: "History's Challenge" Part 3
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 1
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 2
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 3
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 4
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 5
Communist Party USA - Our World in Depth - Part 6
Gus Hall (1910-2000)
Article & Wikipedia:
Gus Hall (1910 - 2000 R.I.P) April 1985 58.45min
C-span Gus Hall Memorial Service Nov 19,Nov 2000 :

アメリカをアメリカとひとまとめに見る人は流石に少なくなった。それでも共和党のアメリカ、民主党のアメリカという区別がやっと付き始めたばかりだ。Venona以来 コミンテルンつまりアメリカ共産党が、日本の開戦誘導及び終戦交渉及び戦後の日本社会の方向付に大きく関与したことが明らかになってきている。にもかかわらずアメリカ共産党に対するメスはほとんどふるわれていない。開戦のずっと以前から日本を戦争に誘導し、敗戦のずっと以前から戦後の日本計画を練に練っていたのが、コミンテルンのアメリカ共産党であることがわかってきているのに、アメリカ共産党自体はほとんど日本においては解明されていない。アメリカ共産党は全く別物の扱いで、歴史の影に隠れてきている。さらに冷戦時代には当然のことのようにアメリカ共産党の役割はほとんど形さえ見えない、まるで首を引っ込めて嵐の通過をじっと見つめていたようにlow profileである。しかし冷戦後はこれから先は違ってくるはずだ。Fascismと対峙し続けたCommunism made in U.S.A.として名目的ではなくても実質的Communismをglobal化の推進力として堂々と拡大させていくだろう。Capitalismが瀕死の状態を迎えつつある今なら、Communismという邪魔くさい名前さえ破棄すれば、政策のメインをコントロールすることも、人心を捉えることも可能である。今日は入門の入門として上にリンクを貼ってみた。

追記(2012年8月3日)
参照:Tel Quel Japon 独自調査過去記事
Communism in U.S.A.:
Elizabeth Bentley -資料室
Alger Hiss (2) UN Charter
日米諒解案 (3) 未完
Herbert Norman

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「正論」9月号、終戦特集、67年目の夏 コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項 by 江崎道朗は、今まで長い間ニューディーラー達とかフランクフルター達と呼ばれてきた日本国憲法制定に関わった人たちをコミンテルンの名に置き換え、いわゆる女系天皇を可能とする憲法解釈を生んだ張本人として、ソ連のスパイThoman Bissonの名を中央に持ってきた。もしビッソンの介入がなければ、新皇室典範も憲法と同様の最高法規であり「皇位継承は男系男子による」という原則も最高法規となっていたはずなのだ、とタイトル通りテーマを絞っている。そして「占領下でありながら当時の日本政府がGHQ、そしてBissonらと果敢に戦った歴史」が具体的に書かれている。日本国憲法制定に関してはTel Quel Japonも何度か書いてきたが、このような限定視点やBissonを中心に持ってきたことはない。テーマに興味のある方はご一読をお勧めします。
参照:日本国憲法の誕生 論点
参照:secret July 28,1943
参照:GHQ草案と日本政府の対応:
参照:SWNCC228 7 January 1946

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「正論」9月号の上記の記事に目を止めたのは、執筆者江崎道朗氏の日本会議専任研究員という肩書きにも原因があります。今までも当然見ていたのでしょうが、最近ちょっとした理由があってこの日本会議という組織の大きさと宗教性に注目していました。
参照:日本会議とは No.1 & No.2 :
政治家と宗教団体がこれだけ多く結集する巨大保守組織、綺羅星のごとき人物の名も見えますが、統一教会絡みの良くない噂もちらほら。専任研究員が存在する組織とは迂闊にも知りませんでした。細部を問うと意見はバラバラでしょうが、保守、という立ち位置と方向性は共通なのでしょう。ただこの15年間、日本社会が東京裁判史観を打ち崩したとか、日本人からほんのひと皮でも自虐史観・へりくだり意識・先の戦争に対する罪悪感、つまりWGIPによる洗脳から垢落としが出来たかと言うと、真逆、つまりこの15年間ますます日本はアメリカの属国と化し、中韓の日本人洗脳による侵略が、もうとどまるところを知らず、というほど進行しています。何故でしょう?政治家や宗教団体など日常的現実に根ざしてるがゆえに、現状肯定の安心感、言い換えると危機感の欠如が今ひとつ(動かす力)のない原因ではないでしょうか。細部が問えない、自ら詳細なfeedbackができない組織は、光が入らないので光合成ができない、???ケチばかり付けるなって?。いえいえ、そんなつもりは。その証拠に、明日は日本会議国際広報委員会の出版物の紹介を致します。

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