TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

Black Dragon Societyの実力

black.jpg

予想を超える写真を見つけた。来日した黒龍会のエチオピア人メンバーたち。まだ確信は持てないが、以前にも書いた、人種差別撤廃条項に対して、日本に共鳴した黒人の存在と日本との友好関係に関する証拠写真と呼べるのではないだろうか? 黒龍会の役割は日本ではほぼ抹消されているが、そして外国でも歪曲されている場合がほとんどだが、写真や実写filmだけは、勝手な歴史の再構成を許さない。色は黒いが所作といい表情と言いその佇まいといい、完全に日本人の心を体現している。サムライを感じさせるエチオピア人たちに唖然としている!元サイト:Black Dragon Society

The reality, however, was that pro-Japan feelings among black workers as well as the black middle class had been building since the turn of the century, followingJapan’s celebrated victory over the Russian fleet. This mood was given greater impetus during the worst years of the Great Depression by the appearance in Detroit of a Japanese national known as Major Satokata Takahashi, who took command of an association known as The Development of Our Own.
Mr. Takahashi’s initial organizing activities in Detroit, Chicago and St. Louis, and the “ripple of efects” therefrom, led to the messianic expectation on the part of tens of thousands of African Americans throughout the midwest, the upper and lower Mississippi Delta, east–central Oklahoma and the New York-New Jersey region that Japan’s imperial army would free them from the ravages of American racism.

参照:Satokata Takahashi
参照:Pacific Movement of the Eastern World
ここでようやく上記の写真や上記の内容の概要がくっきりと判明する。日露戦争に勝ったこと、そして人種差別撤廃行動をBlack Dragon Societyが広範囲に実践したこと、それゆえにアジア人のみならずイスラム教徒も含めアフリカ・アメリカの黒人たちのハートを鷲掴みにしたこと、そして彼らに反逆の行動を促したこともわかる。現代日本人には想像も及ばない歴史の闇に揉み消されたBlack Dragon Societyの唖然とするほどの実力である。
こちらのRecent Workの4番目6番目をクリックすれば、さらに詳しい内容がわかる。

上の写真で日本人にも見える右端の青年がエチオピア皇帝の甥、アラヤ・アベベ公、彼は日本が気に入り日本人女性との結婚を希望、お相手は子爵令嬢黒田雅子さんと決まった。
参照:黒田雅子とアラヤの結婚話(1931):近年映画化の話もある。

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前にも出したが今再び
You Tube 人種差別撤廃に全力を注いだ戦前の日本:
パリ講和会議 & 人種的差別撤廃提案
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荒唐無稽の娯楽映画であるが、戦時中に黒龍会に関する映画がつくられていた。
恐れ慄いていたのだろうか。ホラー映画に分類されている。
Black Dragons (1942)

・・・・・2012年7月19日追記・・・・・
頭山満と玄洋社 6/9 のなかで、玄洋社とエチオピアの関係に触れている。アフガニスタンにもパイプがあった。他でも調べてみたが、モロッコとも政治思想的に交流していたようだ。時間があれば、具体的な資料を探してみたい。この伯壬旭と言う人は3/9では大川周明にも触れている。(注:東條の頭をパンパンパンと叩いた、と言っているが、filmで見る限りでは、ポンと手を乗せた、ようにしか見えない。「お前がしっかりせんからこんなことになったのだ」とポンとたたいた、と言う人もいる。「こんな裁判に本気でつきあう気かい?ばかばかしいねぇ」というのが、このシーンの私の字幕だ。追記:7月21日=ここで民権運動と言うのは尊王の流れを汲む、という大川周明の説の紹介がある。複雑化されるが非常に興味深い。)
Tel Quel japon過去記事、玄洋社員・名簿も参照されたし。

・・・・・追記:2012年8月19日・・・・・
田原総一朗「日本は侵略されたアジアを開放するために戦った」
田原総一朗を見直しました。最初から17分辺りまでを是非に。思考が柔軟だからこそ、独特の視点での転向が可能になった。この辺に踏み込む人は保守でもめったにいない。頭の中において漬物石の占める割合は、残念ながら保守の方が圧倒的に大きいということか?

大東亜共栄圏今昔

完全な雑談をお許しいただきたい。2,3年前のお正月、体操の仲間たちと六社参りをしたときのこと。中に書き初めをさせてくれる神社があった。「家内安全」「立身出世」などの作品が見える。何を書いてもいいと言うので私も挑戦することにした。七曜会時代から思いつく理念は一つしかない。筆を執って書き始めた。「大東亜  」。人が周りに集まってきたので気づいたのだが、余白が一文字分足りない。何を書くのかと周りが緊張している。共栄圏が小さく貧相になっては困る。しばらく考えて「興隆」と付け加えた。神主さんが記名せよという。住所と実名を書いた後で、ふと思い出した。学生の頃右翼と見なされ脅迫されたことを。まして地元である。作品は神社で即展示される。剃刀の入った封筒が何通届くだろうか、などとぼんやり考える。「道路の角を曲がるときは気をつけよ」という忠告のような脅しを思い出す。あの暴力に満ちた時代が頭の中に蘇えってきた。今はもうそんな時代ではない。言論に於いては逆転している筈だ。そう思ってそう言い聞かせて次の神社に向かう。
家に帰る最後の角を曲がって直線に入ったころふと気づいた。「大東亜共栄圏」ではなく「大東亜興隆」と書いたことを。「大東亜興隆」は理念としては現在では「東アジア共同体」に直結する。しかも現実に於いては中国主導の共同体であり、その理論実態は中華大アジア主義ではなかったか。時代が変わり主役が入れ替わっているのだ。だとしたら、右翼から左翼と見なされ、日本刀でバッサリ。一瞬頭から血を流して倒れている自分の映像が見えた(想像力が有りすぎるのも困りものだ)ここで笑い出すあなた、あなたは脅迫の恐ろしさの体験がないから、そのようにこんな時に微笑んでいられるのですよ。一人で大多数を相手に、命を懸けた発言を、今まで一度もしてこなかったからですよ。長いものに巻かれ付和雷同し「和をもって貴しとなす」と唱えながら常に安全を確保出来る側についてきたから。「和」は「群」となり道義や論理を吹っ飛ばし問答無用に「弧」の抹殺に向かう、奔流化したベクトルとなるという物理をご存知ないからですよ。ごめんなさい。別に喧嘩を売っているつもりはありません。
実はある文章を読んで、数年前の六社参りの書き初めを思い出したのです。それはTel Quel Japon過去記事に2012年6月28日追記として引用している部分の、すぐ後の文章です。

彼らは戦後に進歩的、革新と言われるようになりますが、戦前は新体制派で「東亜新秩序」を叫んでいました。後にそれが大東亜共栄圏になるわけですが、アジアからアメリカを排除するという核心は現在の東アジア共同体構想にも通じます。非常に危険なことだと思いますね。( 伊藤隆東京大学名誉教授ご発言の続き P.89)

大東亜共栄圏と東アジア共同体を論しておられるわけですが、これでは両者が通じてしまいます。前者にはアメリカの排除がその核心としてはありません。これでは、大東亜共栄圏と言う理念は、軍指導部に潜り込んで日本の赤化を企図したソ連・中国共産党のエージェント、シンパの成果だという、おかしなことになってしまいます。(追記:7月16日:それとも大日本帝国にも現代の民主党同様pinkoたちがうじゃうじゃいたという説明としてここに大東亜共栄圏を付加されたのでしょうか?)東アジア共同体とリンクして現代の視点で考えればそうつながるかもしれませんが、あの戦前・戦時の理念は赤化を目的としたエージェントやシンパの構築しようとした理念とは全く別の流れ(たとえば玄洋社・黒龍会)を汲むものだと考えます。学問的認定として伊藤先生に反論する気は毛頭ありませんが、それでは大東亜共栄圏は否定すべきものとなり、それは同時に日本の戦争を過ちとみる論理に繋がってしまいます。学問的認定としては、それで問題がない、その通りなのかもしれませんが、手品のトリックに嵌ったように話が複雑になりました。伊藤先生の言に従ってわかりやすく言うと、書き初めに「大東亜共栄圏」ともし書いたとして、私を街角でナイフを持って待ち伏せる刺客は(単なる喩えですよ)左翼ではなくて右翼だということになりますね

・・・・・追記:2012年7月16日・・・・・
このwikipediaアジア主義に伊藤先生と同じ意見がでている。大東亜共栄圏が伊藤先生の様な認識に行き着くには、大日本帝国がソ連や中国共産党のエージェントによって、真っ赤に染まっていて「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました」というのが大日本帝国の実態であるという驚愕前提が、必要だと思うのですが。そうでもなくて当たり前に、大東亜共栄圏は侵略主義の根本理念のように断定されているのでしょうか?いったいいつから?東京裁判の直後からですか?右派の伊藤先生が大東亜共栄圏は東アジア共同体に繋がる、とすんなりと発言されることが、信じられません。いやその、少なくとも大東亜共栄圏今昔、と区別する必要があるのではないかと?正論7月号のこの対談のテーマは「日本自衛戦争論」、つまりそのためには大東亜共栄圏は赤のエージェントの側の押入れに終い込まなければなければならない、と言うことなのでしょうか?
参照:「正論」7月号でこの辺の確認をお願いします。少なくともTel Quel Japon過去記事のクリックと今回の引用の参照をお願いします。
参照:You Tube 拡大する勢力圏と大東亜共栄の夢 :
(勝っている間だけの理念と言うこと?でしょうか)
参照:興亜論の歴史
参照:Bookreview-1:素晴らしいbookreviewなのだが、おかしな一行がある。

そのアジア主義という理念を理解できない軍部、官僚によって大東亜共栄圏構想とアジア主義は混同され、帝国主義者、国家主義者としてアジア主義者は歴史の彼方に葬り去られてしまった。

混同され?とあるが、同一視されてきたのではなかったか?いつの間に分けられて、いつの間に大東亜共栄圏は、ロシアや中国共産党のスパイの用意した理念だとすり替えられたのだろうか?そしていつから大東亜共栄圏は東アジア共同体と根底でリンクするとみなされるようになったのだろうか?よく考えるとわかってきた。無自覚のまま自虐史観に絡み取られた保守の99.99%の逃げの一手、お決まりの松岡(東條、近衛文麿)極悪人説で、なんとか東京裁判を乗り切ろうというワンパターン思考が未だに論壇の核をなしているのだ。彼らは大東亜共栄圏を松岡にリンクさせている。罪悪のすべてを押し付けて松岡を葬るには、大東亜共栄圏も(日本の侵略主義理念として)帝国政府とは隔離し遠くへ押しやらなければならない。この推論が正しいかどうかは伊藤先生にお聞きすればすぐにわかるだろう。先の戦争と敗戦に関して、誰が一番絞首刑に値しますか?と問えば、99.99%の従来の保守と同様に「三国同盟の松岡」とおっしゃるだろう。
・・・・・追記:2012年7月17日・・・・・
You Tubeで渡辺昇一氏と伊藤隆氏の対談を見た。すると予想通り「マッカッカに染まった数年がある」「宗教と同じで、そこから抜け出るのは簡単なことではなかった」と発言されていた。どうして抜け出ることができたかに関しては「多くの資料、文献にあったって、ようやくおかしいと気づいた」と。染まる、という宗教次元の洗脳は主婦の敦子カロー氏であろうと、東京大学の伊藤隆先生であろうと、そう簡単に解けるものではない。お二人とも溶解困難さを口にしておられる。伊藤先生は、今まで軍閥云々で日本の軍部に戦争責任を押し付けていたものを、帝国中枢の中の、赤いエージェントやシンパに置き換えられた、資料を読んでそういう風に転向された、と思って間違いないだろう。pinkoたちがうじゃうじゃしていたことは間違いないと思う。半分以上が尾崎秀美もどきだった、というご意見なのだろう。VENONA資料公開が進んで、悪の根源が移行したのだ。数年前までごく普通の記事で戦争の悪は「軍閥」だと定説化していた。保守に於いてでもである。ただそういうコンセンサスがあるだけで、軍閥とは誰と誰をさすのか、そもそも軍閥の実態など日本にはない。それと同じで赤のスパイは誰を指すのか、その指摘も具体的にはされていない。東京裁判があった以上悪人を出さなければ、捏造しなければ、あるいは天皇を差し出さなければ、西洋の神が日本を許さない、そういう血栓が保守の日本人にはあるのだろう。靖国分祀や原爆容認や、謝罪外交が真右の時代から延々と続いているのを見てもそれは明らかである。
結論を言おう。WGIPを脱却出来さえすれば、大東亜共栄圏は昔のままの神聖さを伴って理念として復活できるだろうということだ。ただ伊藤先生は名誉だけでなく実質的にも素晴らしい学問的研究をされ実績も積み上げられてきた東京大学名誉教授である。だからもし、伊藤先生が具体的に、そのエージェントたちの名前を証拠と共にあげられたら、そこで一気に歴史は明らかになり、その時は私も真っ赤に染まった「大東亜共栄圏」の理念を足蹴にしどぶ川に捨てる覚悟はある。そこに松岡の、近衛の、東條の名前があろうとなかろうとである。
(やはり同じように左翼体験を通過され後に転向された中西輝政氏が初めてVenona文書に触れられたころ、悪の根源を「軍閥」から「コミンテルンのエージェント」に移行された時期があった。その際pinkoと指摘されたのは、近衛であり、松岡であった。勿論今はそういった保守の足枷からは当然のごとく脱出しておられる。)

・・・・・2012年7月18日・・・・・
上に引用している浦辺 登氏のbookreview,素晴らしいのだけれど、引用部はやはりおかしい。「アジア主義者は帝国主義者、国家主義者として歴史の彼方に葬り去られてしまった」の部分は正しいがそれは「そのアジア主義という理念を理解できない軍部、官僚によって」ではないしまして「大東亜共栄圏構想とアジア主義は混同され」たのでもない。アジア主義は大日本帝国国家理念の「大東亜共栄圏」構想の影の生みの親と目され、大日本帝国国家理念の「大東亜共栄圏」構想処刑の際、徹底したアジア主義狩りが行われた、というのが正しいと思う。
伊藤隆先生のご発言を再度読んで、長年の私の大東亜共栄圏認識が間違っていたのではないかと、ふと自信が揺らいだ。wikipediaで大東亜戦争を調べてみた。ここに私の認識通りの大東亜共栄圏が書いてあったのでほっとした。

「大東亜戦争」の呼称に否定的な立場からは、「大東亜戦争」の使用を主張する側が右派勢力を中心に大東亜戦争の思想背景でもある大東亜共栄圏の理念を揚げ、「戦争は解放戦争だった」「良い面もあった」といった見解を示す者が多いこと、またこのことから「大東亜戦争」の使用が「戦争賛美」「復古的国粋主義を煽る」「中韓を初めとしたアジア諸国への侵略に対する反省が乏しい」ことを表しているとして、使用に反対する意見も根強い。


「右派の伊藤先生が大東亜共栄圏は東アジア共同体に繋がる、とすんなりと発言されることが、信じられません」という先の私の大疑問もおわかりいただけると思う。はっきり言うと伊藤先生は大東亜共栄圏をその辺の帝国主義思想と同一視され、やはり身体には転向者の血栓が張り付いていて、大東亜戦争と表裏一体の大東亜共栄圏構想を、恥じておられてどうしても肯定できずに、ソ連や中国共産党のスパイ大作戦のバックボーン思想にくっ付けて挙句に癌のように右派として祖国から切り取ってごみ箱行きとされた。何でもない問題のように見えて、これは大きな根本的問題である。大東亜共栄圏を両手で高々と胴上げできない以上、右派であろうと極右であろうと右翼テロリストであろうと、自虐史観の拘束から自らを解き放つことはできないということだ。ついでに言っておくと右派同士が呼称にこだわり、やれ大東亜戦争だ、やれ太平洋戦争だとやりあうのは、(大東亜共栄圏を肯定出来ない)臆病者が肝心の議論の次元をずらして、明後日の土俵で睨み合っているようにしか見えない。

Das Dritte Reich-7

2011年4月29日の入稿
ーKarl Haushofer and his role on Eurasia allianceー
WORLD WAR 2 THE LAST SECRETS OF THE AXIS PART 1
WORLD WAR 2 THE LAST SECRETS OF THE AXIS PART 2
こういう視点もありなのか?という思いがする。トゥーレ協会と黒龍会の秘密結社的類似性など考えたこともなかった。日本を理解していたKarl Haushoferがナチの組織的理論づけをした?と?日独同盟の精神的生みの親?黒龍会とはそんな大げさな組織?びっくりの話が続く。秘密結社?
関連する人物・組織
Karl Haushofer
The Kokuryu-kai
THE ORDER OF THE GREEN DRAGONS

アジア主義の革命と戦争
追記:2012年7月10日:アジア主義の革命と戦争より
なるほどと思える部分のみ厳選選択、以下抜粋引用してみた。

一つは,西欧列強の支配に対する解放のためのアジア連帯の思想としての顔であり,もう一つは,日本の帝国主義的なアジア侵略のイデオロギー的先兵の顔である...日本の行為が侵略だったとすれば,アメリカを中心とする連合国の対日作戦の展開は,侵略者日本からのアジアの解放なのだろうか...アメリカは,自分たちの植民地における利権回復を意図していたということである。つまり,彼らのいう民主主義や自由には,アジアは含まれていない...アジア主義の総本山ともいうべき玄洋社は,周知のように福岡士族を中心にしている。士族であるアジア主義者にとって,アジアとは,反欧米の平民であり,彼らが指導する対象たる大衆だったのである...アジア主義の出発点は,それまでの封建的秩序から近代的な国家意識に目覚めた日本の,アジアの現実に対する認識にあったことは言うまでもない...その中で内田が強調していることは,帝政ロシアの中国侵略に対する抵抗,清朝の腐敗した指導者の親ロシア政策に対する抵抗,中国の政治的・社会的変革の推進,日本と中国の連盟の四点だった。内田の認識するところでは,日本のみで帝政ロシアと対抗するのは難しく,さりとて清朝はあてには出来なかった。そこで内田は,中国の改革派に期待を寄せることになる...それによれば「今回の革命動乱に至ては義和団のごとく,一時突発的の乱に非ずして永久的継続の性質を帯びる国民的革命」にほかならず,「支那の革命は第二十世紀に於ける世界変局の最も大なるものなり。第十八世紀に於ける仏国の革命が欧州大陸の変局を促したると等しく,支那の革命は亜細亜諸邦の変局を促し,其結果,世界機運の消長に影響すること少小ならざるべし...内田は,医療チームを編成して中国に派遣し,革命派の負傷兵の看護活動を行わせ,また革命への干渉のための出兵の気配を見せていた重臣や軍部に対して,彼が関与した浪人会,有隣会,善隣同志会などの組織を通じて出兵反対運動を展開し,さらには革命派のための武器供給にさえ奔走しているのである。にもかかわらず,後に孫文が記した中国革命を支援した日本の志士の中に内田や黒龍会の人々の名前はなかった...近代国家として自己を確立した日本にとって,アジアは,反欧米のアジアとして独立した日本によって啓蒙されるべき前近代的未開に等しかったことは「支那の救済」を言う内田の中国観においても明らかである。そのような日本の主観が可能なのは,日本こそが唯一の独立アジアであり,独立アジアの「祖国」という観念があったからである...内田によれば日本は「君子民族」であり,「世界文明の上に貢献すべき」ものである「大洋的天然の宗教」と「智仁勇の人道」が備わっていたが,それをもって「二十世紀の世界を改造して,完備満圓なる世界となし,更に狭量なる人種上の黄白的区別を打壊して,兵気を日月の光に消散せしめば,吾人が先王建国の精神は,於是事実上,世界を征服せるなり,天下を統一せるなり」と言う...アジアとはまず,アジア独立の前衛党である日本に指導される大衆であり,そしてその運動は,日本を独立アジアの「祖国」とするコミンテルンのような拡大路線となる。コミンテルンのいうインターナショナルが,社会主義の「祖国」ソ連を中心とした世界の衛星国化とすれば,日本の第二次世界大戦期の大東亜共栄圏構想に至るまでのアジア共栄の思想は,日本版のアジア・インターナショナルと言えるだろう...しかしこの構造は,ある意味では啓蒙として始まる近代においては普遍的とも言えるものであり,それを批判し,超えていく思想は。まだ現れていない。 (論旨をわかりやすくするために「日本はドイツ的な反欧米的(対欧米独立的)近代として,独立アジアである自己を形成したのである」と言うあたりの説明を敢えて外している。従ってDas Dritte Reich-7としてはいささか場違いな長い引用になったが、結局は日独の共振性を説明するために、黒龍会及び玄洋社にサーチライトを当てたに過ぎない。今後はさらにもっと強力な照明をあてなければ目的は達成できない。参照 : 内田良平 参照 : 消された玄洋社 )

・・・・・追記:2012年7月12日・・・・・

...アジアの独立化=日本化のための啓蒙戦争だったと言えよう。と同時に戦争という総動員状況においては,資源という「軍資金」の確保が不可欠となる...日本からすれば,反欧米的独立のための長期戦向けの陣地確保と,石油をはじめとする資源等の「軍資金」調達作戦だったと言えるだろう。(前回この引用を外したが、戦争をふりかえる場合、ここに目を伏せると誤魔化しになる。どんな大義名分の戦争でも軍資金の調達と陣地確保は必然である。アジア解放の絶対必要条件である。それに触れない戦争論も平和論もまやかしでしかない。トナカイだけでなく袋の中身がなければ(追記:そして煙突からの家宅侵入を外しては)サンタクロースにさえなれないのだ。当たり前のことだ。堂々と肯定的に論じる覚醒した精神力をご準備いただきたい。戦争であろうと、商行為であろうと、それらは作戦の要であり、最重要手段である。ビビるような輩には戦史をかたる資格も国民たる資格もない。Tel Quel Japonは今後それらも頭を上げて明らかにしていくつもりである。)

・・・・・追記:2012年7月5日・・・・・
Ahnenerbe: The Origins Of The Aryan Race
Part1 & Part2 & Part3 & Part4 & Part5 :
filmがあるから信じてもらえるかもしれないけれど、文字に書くだけでは、本気に取り合ってもらえなかったと思うNazisの実態。上の1~5はまだ耳には入っていたかもしれないけれど、下の1~3となると、雑誌「ムー」の世界に入り込む。しかしやはりこれも一つのNazisの実態と取り敢えず把握したほうがよい。外からの(笑い)で終えれば内部の突き動かすような信仰の力は見えない。(過去記事とダブるリンクがあるかもしれない)
Ahnenerbe, Vril, Thule, german girls mediums
The VRIL Society
The Third Reich, The Vril & Gizeh Intelligence
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緑龍会について:参照
Seven years in Tibet:


テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

Das Dritte Reich-3 未完

The Bormann Organization: MP3-1 & MP3-2 :
The Bormann Brotherhood by William Stevenson :
Martin Bormann : Nazi in Exile by Paul Manning:
Martin Bormann Nazi in Exile for printimg 8 chapters:
Part Three- Martin Bormann:
(Critical Mass by Carter P.Hydrick 1998)
bormann.jpg
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追記:2012年3月28日
こういう日本語がないペイジは日本では無視されるので、Bormannとは離れますが、日本語リンクを追記します。
本来はペイジを新しくすべき重要内容ではありますが、今後のイントロとして少しだけ。Das Dritte Reichは調べれば非常にオカルト的に、実利的というより精神世界的に国家の一体化、国家の興隆に邁進している実態が見えてきます。ホロコーストをはじめオカルト国家の視点に立たなければ決して理解できないのがDas Dritte Reichだと考えています。
ヒトラー vs R・シュタイナー
アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”
ナチスとチベットとグルジェフ
ナチスとチベットの妖しい関係
一般のヨーロッパ人がHirohito、Kamikazeしか知らないように、一般の日本人はナチスに関してヒトラー、ホロコーストしか知らないのが実情。Tel Quel Japonでは実態を検証するためにナチスのオカルト性を追求していきたいと思っています。
The Occult History of the Third Reich:

・・・・・追記:2012年4月4日・・・・・
Nazis: The Occult Conspiracy(1998)
-Full Length Documentary
Nazis: The Occult Conspiracy, directed by Tracy Atkinson and Joan Baran, narrated by Malcolm McDowell, is an English language 1998 Discovery Channel documentary regarding Nazi occultism.

・・・・・追記:2012年4月9日・・・・・
Deanna Spingola and Veronica Clark -
Critically Examining Hitler,
the Nazis and Events Which Led to World War 2
Deanna Spingola, Veronica Clark -
Freemasonry, Communism, Hitler
and the Reichstag Fire
Deanna Spingola and Gerhard Strauch -
How Adolf Hitler Consolidated Power
and launched his Social Revolution

・・・・・追記:2012年4月22日・・・・・
 Karl Haushofer - Occult History Thitd Reich - Peter Crawford
Karl Ernst Haushofer

Haushofer was received by the Japanese Emperor and got to know many important people in politics and armed forces(...)
From 1911 – 1913 Haushofer would work on his doctorate of philosophy from Munich University for a thesis on Japan entitled: Reflections on Greater Japan's Military Strength, World Position, and Future(...)
During the pre-war years Haushofer was instrumental in linking Japan to the axis powers, acting in accordance with the theories of his book "Geopolitics of the Pacific Ocean"(...)
On the night of March 10–11, 1946 he and his wife committed suicide in a secluded hollow on their Hartschimmelhof estate at Pähl/Ammersee(...)

・・・・・追記:2012年4月25日・・・・・
The Haushofer Connection & The Hess Connection:
The Thule Connection > The Vril Society
The Chamberlain Connection Wagner and Hitler: 

/////追記:2012年7月11日/////
Karl Haushofer and the Black Dragon Society:
The Third Reich and Japan:
Occult History of the Third Reich :

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玄洋社員・名簿

向陽社
前列左から三人目が頭山満、後列右から四人目は内田良平

玄洋社員の伝記集 Ⅰ:
玄洋社員の伝記集 Ⅱ:
玄洋社員の伝記集 Ⅲ:

以上の元ペイジ:玄洋社員・名簿

Albrecht Haushofer及びthe Moabite Sonnetsの検証途中で上の資料を偶然に見つけたのでペイジをつくってみた。Albrecht Haushoferは最後はHitler暗殺に関与したとの罪で処刑されるのだが、父親のKarl Haushoferはドイツ敗戦後、罪は問われなかったが(学者であるので当然だ)日本式武士道にのっとって切腹したと言われている。
the Moabite Sonnetsの資料あさりの途中で以下のような記事にも出会ったので、ついでにリンクしておく。いつか参考になるだろう。
幕末西洋行と中国見聞

Rudolf Hess: Churchill悪玉論(1)

まず紹介から始めた方がいいかもしれない。非常に奇奇怪怪の話なのだ。諸説が入り乱れている。
参照1:Rudolf Hess - Casualty Of Conscience
参照2:Rudolf Hess 24分12秒 スペイン語
参照3:Rudolf Hess : ドイツ語(8分の1) :No.2
参照4:Rudolf Hess Flight
参照5:Nuremberg に於けるHessの資料のあるペイジ
参照6:こういうややこしい資料もある。(Hessの飛来・拘束を最大限に有効利用しようと言うRooseveltからChurchillへの電報!) & その元サイト
参照71991年6月8日のThe New York Timesの記事。一番新しい資料に基づく。ここまで整理されると非常にわかりやすい。イギリスによるHessに関する完全な資料の公開は2017年まで待たねばならない。イギリスもソ連も公開したくない情報がまだまだあるらしい。
参照8:参照7に登場する、こちらもまた優秀なソ連のスパイKim Philby。Kim Philbyに関する資料を昨日偶然に発見したのでここに追加しておく。Sorge同様こちらも切手になっている。
参照9:Rudolf Hess Tribute:YouTube
参照10:Rudolf Hess In Memoriam :You Tube
参照11:Rudolf Hess:You Tube
参照12:息子Wolf Rudiger Hessによる詳しい資料父の無念を訴える息子
参照13:The mystery of Hess
参照14:The Legacy of Rudolf Hess
参照15:Tel Quel Japon 過去記事:
参照16:ルドルフ・ヘス 日本語解説:
替え玉説は今では否定されている。暗殺説はほぼ間違いないと判断していいだろう。46年も刑務所に拘束され続けた93歳の老人を、今更暗殺する必要は無かろうと思われるかもしれないが世界情勢も変り、実はやっと出獄が決定されていたのだ。
1941年5月10日、Messerschmitt Bf110(写真は同型機)の操縦桿を握り単独で英国との和平交渉に飛び立ったRudolf Hessが、どんな約束に基づいて何を夢見ていたかを語れば、不都合を生じる国々があったと言うことだ。私はRudolf Hessの勇気とPilotとしての技量に敬意を表したい。Rudolf Hessに罠を仕掛け、国内の反戦論者をあぶり出し追い詰めた作戦の背後にChurchillの姿が見える。Rooseveltの、Stalinの姿が見える(参照6、参照7、参照8)。一切の武器を持たず和平の書を携えただけの使者を、直ちに拘束し犯罪者として46年間も自由を奪いつづけ、挙句に暗殺してしまう連合国側の(もしあればその)良心に質問の矢を放ちたい。2017年になれば、すべてが明らかになる筈だ。故に今はこれ以上の感情的発言は慎み控えなければなるまい。

2009年12月10日:追記
資料になりそうなものをとりあえずリンクしておきます。
Rudolf Hess 1:Rudolf Hess 2:Rudolf Hess 3:
Rudolf Hess 4:Rudolf Hess 5:Rudolf Hess6:

以上の記事の入稿は2009年3月19日
以下の文の追記は2011年7月23日
昨日の夕刊でみたが、こんなことをしているようでは、ドイツ人もいつまでたっても、先入観というカビの生えたワンパターン思考しかできないだろうと、うんざりした記事
Rudolf Hessはドイツがまだ牙をむいていない時代に、和平の書を携えて単身自ら飛行機を操縦して、英国と話し合おうとした、勇気ある平和の使者なのだ。ニュースにはルドルフ・ヘスの実態はなく、ヒットラーの腹心としか書かれていない。ルドルフ・ヘスは二人いるので、しっかり書かないと、何者なのかすらもわからない。ルドルフ・ヘスの常識を逸脱した長期間の拘留の解明をすることは、ドイツにとっては名誉回復の一つの切り札になるかもしれないのに。墓を撤去とは、名誉回復をしなければならない人の墓を撤去するとは。なんたること!
参照:Meta Cafe: News

追記:2011年7月30日
Did Hitler Give the Ok for Hess' Mission to England?

追記:2012年7月5日
このペイジ長くなってしまったが、追記することにした。
Rudolf Hess: His Last Words
Hessは頭がおかしくなっていたとか、替え玉だとか言われるが、これを聞けば、信念の強さに感動する。これは間違いなくHessだ。

KarlHaushofer_RudolfHess.jpg
Karl Haushoferを調べていて、このHessの行動の裏の概要が鮮明になってきた。Ken Ishiguroの「日の名残り」ではないが、対独に関して柔軟な姿勢を持つ英独協調派の人物が何人もいて、チャーチルを通さなければ、戦争を回避できる勢力が英国に存在したことがわかる。Hessの単独飛行にはHaushofer及びその息子が関与していて、かなりな人脈が動いて、決してそれがHessの狂気を伴う単独行動ではなかったことがわかる。Hessの行動がここまで解明されていることを知らなかった。Karl Haushofer : Rudolf Hess 

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

Das Dritte Reich-6

Karl Haushoferは過去記事でも取り上げたが
日本との関係に於いてはキーパーソンとも思えるので
今一度:Hitler's Mentors > Karl Haushofer :
Haushofer toured the Far East, learning of east Asian philisophies and political ideology. These countries included India, Tibet, and Japan. Haushofer also stoked interest among other Nazi leaders, such as Heinrich Himmler, in Japanese ideologies. He eventualy became a rabid Japanophile, partisan of a military alliance with Japan...Haushofer made the acquaintance of Japanese politicians and may have helped to create the Germano-Japanese alliance during the war. After Hitler came to power in 1933, Professor Haushofer was instrumental in developing Germany's alliance with Japan. Most of the meetings between high ranking Japanese officials and Nazi leaders took place at Haushofer's home near Munich. He saw Japan as the brother nation to Germany.
この辺は前にも書いたが、今回驚いたのは以下の部分だ
He even developped some friendship with Richard Sorge, the German-born journalist who became the most successful Soviet spy in Tokyo in the 30s and early 40s and in 1941 told Stalin that Hitler was going to invade Russia. Letters of introduction he gave to Sorge in the mid-30s helped his protégé to establish fruitful contacts with the military attaché to Japan
who became German ambassador in 1938.
OttがSorgeを無条件に(妻まで寝取られて)信頼したのはSorgeがHaushoferの紹介状を持っていたから、だとすれば無理もない。朝日新聞の中野五郎も情報の交換を平気でしていたくらいだから、朝飯会の面々も大部分はSorgeを信頼しすぎていたのだろう。一部の共犯者を除いては。それとも米国政府同様、日本もすでにスパイまみれだったのだろうか。今のように?

・・・・・・日本とドイツとTibet 共振したもの・・・・・・・
BBC.The Lost World Of Tibet
中国侵略前のTobet ↑
Tibetan Book of The Dead 解説

The Nazi Connection with Tibet
Ex-spy, 84, publishes Tibet memoirs:
1939 Japanese expedition to Tibet:
1938–1939 German expedition to Tibet:
Hitlers Search For The Holy Grail :
Hitler's Escape :
Hitler's Death The Final Report:
"Secret Tibet" (1943) :
戦間期ドイツの選民意識:
「レーベンスボルン」:
・・・・・・ヒントを含んでいる資料を取り敢えず置いておく・・・・・・

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