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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

映画「空の神兵」

映画「空の神兵」 & wikipedia :

「空の神兵」高木東六 :
空の神兵(字幕付) 歌:
「空の神兵」You Tube :
インドネシア パレンバン奇襲 落下傘部隊 :
神兵降下 陸海軍落下傘部隊 第19面 :
トランペットで聴く♪空の神兵♪ :
空の神兵 ペギー葉山 :



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Japon : les ombres du passé : France5

前回の番組はFrance2,今回の番組はFrance5。今回のタイトルはJapon : les ombres du passé 。2006年の番組。前回よりこちらの方が古い。以下は前ふりです。

放送日時はこちらです。
ここの2番目に「フランスの日本のドキュメンタリー」として紹介されています。
これは番組のほんの一部
仏メディアが誤った日本報道 大使館が抗議
より詳しい2ch : もうひとつ2ch : こういう展開
意見もいろいろ 日本語 : 意見もいろいろ フランス語

Genre : Documentaire
Réalisation : Anthony Dufour Mathias Lavergne
Production : Hikari Productions
Diffusion : Durée : 52mn Année : 2006

フランス語がわからなくても、ずばり全部現代日本を扱っている番組で顔なじみの日本人著名人の日本語も聞こえます。内容は日本人はすでに知っていることなので理解は簡単。
これは見て良かったのか、見なかった方がよかったのか?
フランス人に見せてよかったのか、見せないほうが良かったのか?
抗議するならどこへ何をするべきだったのか?
あなた自身はどう思うのか、ご意見をお待ちします。
2006年の放送ですが、今の問題と何も変わりません。結局は、ここからどのような現代日本が読み取れるか、見る方たちの洞察力に期待したいと思います。全部見てもわずか50分です。
放送局、制作者、政府の抗議者、登場するさまざまな日本人、その対応も含めて、テーマはいくつもある筈です。
御高説をお待ちしております。

Japon : les ombres du passé (part1):
Japon : les ombres du passé (part2):
Japon : les ombres du passé (part3):
Japon : les ombres du passé (part4):
Japon : les ombres du passé (part5):

後ふり追記:
«Le Japon souffre d'une grave maladie nationale»
Chine-Japon: la mémoire armée
これらLiberationの記事↑が放送の根底にあるような気がする。
仏紙ルモンド報ず & 英紙タイムズ報ず
4つの記事は全部2006年8月16日付け これに下の事実を組み合わせる。
韓国の教育テレビがフランスの制作会社(Hikari Production?)に依頼
8月14日の番組の中の一部にて放送(韓国教育テレビ)
8月18日のフランス公営放送にて(完全版?)ドキュメンタリーとして再放送
9月1日の韓国教育テレビがフランス版を緊急編成した上で再々放送
加藤周一講演会
丸山眞男の「古層論」と加藤周一の「土着世界観」:
タイトルの番組は「最近の日本の急激な右翼傾向を案ずる」と言う紹介で、案ずる側の日本人も当然様々に登場する、その人たちの左翼思想を構築し支え意図的にかどうかは知らないが、完全にマインドコントロールしているのが、これら日本の人気思想家及びその周辺の知識人たちの意見ではないだろうか。たとえば、大江健三郎、たとえば、中野好夫、たとえば...
少なくともLiberationの2006年8月16日の加藤周一のinterviewを読めば、彼が日本人学者としてこの放送にLiberationともども肯定的権威を与えていることは間違いない。そのように読めないだろうか?中国、韓国は言うに及ばず、アメリカ、フランス、ドイツを含め、海外で反日活動があるときは、反日現地人と、それと繋がる自虐史観の権化のような日本人の姿が、必ずあるのは非常に残念なことだ。問題の根っこはここにある。

・・・・・追記:2012年6月18日・・・・・
Tel Quel Japon過去記事から引用の引用↓
私は左翼の議論も、いわゆる保守の議論も、どちらも容認できない。自分の動機の善をひけらかす言動は、生命力の衰退の現れです。これを乗り切るには、自分たちの歴史を知るということ、自分たちの歴史を肯定し、決して悪びれないということ、これが肝心だと、私は思っております。(P.113)
これはYou Tubeに出た新しい西尾先生の焚書図書開封
ここに著者自らが自書を朗読されている部分がある。上のTel Quel Japon過去記事に引用した部分と完全に重なる。今回はその中から特にP.113からの引用部分を強調したい。上の太字部分である。
たとえば、この番組にしても捏造歪曲部分は当然強く抗議すべきであるが、番組のテーマである(日本右傾化)に関する報道にまで、何もビビることはない。むしろ、いまならたとえば尖閣上陸に同行させて撮影させ、海外に日本の主張をもっともっと届けるべきだ。史実を世界に発信する会、の論文はこういう海外の番組を通して拡散させるべきだ。そういう意味でFrance5のこの番組はいいヒントを与えてくれた。
また自分たちの歴史を知るということも重要で、その上で肯定するならば、こんな写真にビビることなど全くない。日本でなされた原爆の開発事実だって、公にすればいい。戦争に勝とうと努力すること、どこの国も即ち武器を使って人を殺し、相手の国土を破壊する、戦争はその上に陰謀謀略が加わり、さらにマインドコントロールによる感情構築、思想形成まで用いられる。日本人は戦争において、やられた部分を知らな過ぎる。戦争の本質を知らな過ぎる。
彼らはこんな番組で、日本人をへこませるつもりだろうが、自分たちの歴史を肯定し、決して悪びれないならば、目を覆うべきところなどどこにもない。あるのは、捏造歪曲のある解釈・解説部分である。これを火の玉のようになって怒れ、と言いたいところだが、その根っこには、常に他国に媚を売る権威に満ちた勘違い日本人が存在するのだ。いままで、手紙や電話や新聞を使った抗議もいつも空振りに終わってきたのはそのためだ。日本政府はフランスでの番組の放映に中止圧力を一か月以上前からかけていたという話がだ、結局は放映されてしまう。残るのは日本が圧力をかけたという事実?だけだ。こうして番組の正当性の強調、日本側からの表現の弾圧、というもうひとつの印象操作まで、出来上がってしまうのだ。

・・・・・追記:2012年6月19日・・・・・
天安門事件から20年、という2009年のフランスの番組
結局日本では、天安門事件、詳しくは報道されなかったと、この番組を見て思う。何故か、ということもわかる。
番組の内容を要約すると、1989年6月4日の北京天安門広場における学生の弾圧・殺戮を全世界が知っている。しかし、今日2500万の中国の学生たちはこのことを知らない。事件の記憶そのものが弾圧されているからである。-
何故こんな番組をBruxellesが見つけてきたかと言うと、制作がHikari Productionsだからである。製作者に名を連ねるMathias Lavergneからたどって見つけた。日本で放送してもいいような(しかしおそらく決してされない理由もある)弾圧された中国の民主化運動の番組である

日本政府はフランスのTV局に放送中止の圧力をかけたということだが、内容に不満があるなら何故、制作会社に抗議しなかったのだろう?放映される前からどうして内容を知っていたのだろう?内容を一か月以上前から知っていたのに最初の韓国での放送には何の抗議もしなかったのだろうか?そもそも何に怒って訂正でなく放送中止を要求したのだろうか?手紙と電話で?外務省の職員が個人的に??

・・・・・追記:2012年6月20日・・・・・
Anthony Dufour はHikari Productionsの創設者であり自ら制作もする社長であるようだ。
中国を肌を通して知っている
韓国と太いパイプを持っている
日本報道の第一人者かもしれない(石巻の現場からReport)
2011年の津波にはすぐに現場に駆けつけている。フランス人が一斉に引き上げたことにも、疑問を呈している。中国の見えにくい奴隷的労働環境や、中国によるチベットの弾圧、日本のハイテクマンションや高齢化社会のReportageなどを見たが、日本に対する悪意はない。一流のアジア関係専門のジャーナリストだと判断した。どんな日本人が彼に近づいて何を吹き込んでいるか、そこに焦点を当てると一番正確なパースペクティブがつかめるだろう。Liberationの誘導やその結果を別にすれば(右翼化)に関しては、見る側の日本人が勝手にビビっているだけだという結論になる。
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Hikari in Japanについて (サイトより引用)
ヒカリはフランス政府から公認を受けたアジア専門の正式なプレス・エージェントとして2002年に設立されました。日本では現地の特派員たちが、多くのルポルタージュやドキュメンタリーを制作しています。ヒカリ・プレスは以下の主要フランスメディアの正式な日本特派員です:TF1, LCI, M6, Arte, Europe 1. また、ヒカリのスタッフは大多数のヨーロッパテレビ局と定期的に一緒に仕事をしています:France Télévision, TSR, RTBF,ect...
ヒカリはまたAujourdhuilejapon.comを始めとするインターネット・サイトや実用的な日本のガイドブック(電子版/印刷版)を発行しています。本社はフランス:4 avenue Foch, 59000 Lille アジア本部は北京にあります。
日本特派員へのコンタクトはこちらへ: tokyo@hikarigroupe.com
ということで
直接意見を制作会社に日本語で届けるほうがよりダイレクトでいいかもしれない。お勧めします。
あるいは、日本政府、または政治家団体、または「つくる会」等有識者団体がクライアントとして、発信のために仕事を発注するという手も可能。クライアントとして、とことんの自己主張を通した発信をして世界のメディアで世論構築をする、というのは、いい考えだと思うのですが。それとも外務省の中にHikari Production日本版のような部門をつくってしまいますか?日本心理操作PR専用部門。
またTel Quel Japonとしても、想像を絶するようないろんな個人の感想があるのではないかと期待し、もう少しあなたのご高説をお待ちします。
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フランスの歴史教科書 その後

       
Tel Quel Japon 過去記事-1
Tel Quel Japon 過去記事-2
Tel Quel Japon 過去記事-3
調査の結果上のイラストはイタリア人GINO BOCCASILE作のイタリアのPropaganda Posterで、絵葉書として残っている、というところまで突き止めた。ただ証拠となる絵葉書(アメリカの兵士が母国に出したもの)のタイミングが問題で、作者もそしてイタリアのプロパガンダ・ポスターだということも、私はまだ納得していない。シチリア戦を詳しく調べようと思っている。今日は教科書に掲載された歌詞に関して、新しい事実がわかったので、その経緯をとりあえず中間報告しておきたい。
・・・・・・・・・・・・・・
Bruxelles
地の果て、星が輝き 木の下でライオンが吼える、遠い砂漠に、
我々の血で染め上げた日の丸を打ち立てよう。
ヒマラヤの麓に流れるガンジス川のワニをつかみ出そう。
ロンドンの空高く、鯉のぼりをたなびかせよう。
明日モスクワと雪に覆われたシベリヤは、我々のものになるだろう。
孫たちは私たちのために、ギャングたちを追い払ったシカゴに記念碑を建てるだろう。
私たちが死に赴く日が来たとき、死への不安と戦おう。
学校および軍隊で歌われた歌詞(1942年)として、上の歌詞が現在のフランスの教科書にもでているらしいのですが、どんなメロディーがついていたのか、もしわかれば教えていただきたいのですが。そもそも日本人はこんな歌を学校や軍隊でうたっていたのでしょうか?
メイルで教えを乞うた先は西洋軍歌蒐集館の辻田真佐憲氏。
辻田 真佐憲氏から
はじめまして。辻田と申します。ご質問の件ですが、「八紘一宇」という戯れ歌のことかと思われます。以下に歌詞があります
歌詞をご覧いただければお分かりのとおり、これは陸軍の学生が戯れに作ったものです。一部では歌われていたのかも知れませんが、一般の軍歌や国民歌のように、全国の学校や部隊で歌われたという性質のものではありません。こういう特殊な歌ですので、その歌詞から日本の国策や国民意識を読み取るのは無理があるかと思われます。フランスの教科書も、随分と面白い素材を持ってきたものですね。なお、リンク先の画像にある、武士が軍艦を斬ろうとしている画像ですが、これは日本製ではなく、当時の盟邦イタリアで製作されたものです。以上、参考になれば幸いです。

タイトルがわかったので、音源がないか調べてみた。紅羅坊名丸というBlogを発見。歌詞に関する情報はあったが、残念ながら音はでなかった。参照:なんだこりゃブログ: 参照:八紘一宇の塔
数え歌風の非常に短い歌で、歌詞の入れ替え自在、陸軍の学生の遊び、ただしコンセプトは八紘一宇。フランスの教科書にあるように広く学校などで歌われたものではない、ことはわかった。但しこの歌のタイトルは厄介だ。歌われたというのは虚偽の記述でも、コンセプトの八紘一宇は、特にあの絵とセットで捲し立てられれば、なかなか打ち消し難い。
Bruxelles
お返事有難うございます。お礼が遅れてすみません。イタリア製だというあの挿絵ですがいろいろ調べた結果GINO BOCCASILE の作品だとされているということをアメリカのプロパガンダ研究家から教えてもらいましたが、どうも納得できません。証拠としては、米兵がイタリアから出した絵葉書があるのみのようですが、なにしろインパクトが強いのでさかんに使われているようです。陸軍の学生の戯れ歌の件ですがこれは、この中に、一番から5番ぐらいまでがはいっているのかこれだけで、一番なのか、どうなんでしょう。私が思うに、数え歌風に、大体2行くらいで歌は終わるのではないかと、だからいくらでも重ねていくことができる。本来は、短歌のようなもので(勝手に書き換えて)それに各人が同じ節をつけて歌ったのではないかと。これでも、全く田中上奏文を肯定するもので日本の侵略国家論の証拠にも使われていてフランスの教科書に使われて本当に厄介なことになっています。武士が軍艦を切ろうとしている絵ですが辻田さまは、これは日本に対する悪意と思われませんか?何故、同盟国がこんなポスターを描いたのかそして記録としてそれが日本製などと歴史教科書で扱われているのか、納得できません。歌に関しては、節まではわかりませんよね。曲の長さは、わかるでしょうか?どなたか、歌える人物が今の日本にいらっしゃるでしょうか?歌詞の内容は似ているけれど違う。ということは、似ている歌詞がたくさんあるのでしょうか?なんだか馴れ馴れしく長いメイルになってしまいました。歌詞の出所を教えていただけて随分進展しました。これからもよろしくお願いいたします。
辻田 真佐憲氏から
返信が参考になったようで良かったです。戯れ歌「八紘一宇」ですが、これは同じ節回しで延々と歌う形式のものです。以下のCDに戦後録音ながら収録があります。なにしろ戯れ歌なので、歌詞のバージョンは他にもあったものと思われますが、詳細は不明です。「田中上奏文」も日本語で読めば、形式として在り得ないということがわかりますが、翻訳されてしまうとそのニュアンスが消滅して内容だけが独り歩きしてしまいます。同様に、「八紘一宇」も日本語で読めばただの戯れ歌に過ぎないとわかるのですが、翻訳だと世界征服の歌と取られてしまうのでしょう。この誤解を解くためには、解説文などで補完する他ありません。ジャック・ドリオやブラジヤックがヴィシー時代のフランス人を代表していないように、「田中上奏文」や「八紘一宇」が当時の日本人の感性を代表しているわけではない、ということは、説明すればある程度の人には理解されるものと思います。武士の挿絵ですが、米国によるプロパガンダポスターにはもっと醜悪に日本を描いたものもありますので、このようなものだと思います。西欧人にしては、甲冑も比較的まともに書かれておりますし。
Bruxelles
今すぐ結論が出せない、というところで、とりあえず、メイルのやり取りをほぼそのまま抜粋して、新しい情報として追記しようと思います。辻田さまの了解を得られれば、実行したいと思っています。ご了解いただけますか?専門の本にイタリア人の絵だと出ているのですがフランスの教科書には下に「Houhoubu 報道部」のサインがあると言うことなので本当のことを言ってポスターに関しては日本製かイタリア製かアメリカ製かわからず、その意図も日本側のプロパガンダと認めることが出来ていません。刀で軍艦を切ろうとする絵柄は頭に脳みそのある国民とは描かれていません。嘲笑が読み取れます。それはそうと、あのポスターがイタリア人の作だとどこでわかったのですか?わたしは、ここへたどり着くまで随分時間がかかりました。証拠の絵葉書はシチリア戦に参加した米兵が母国におくったものでした。その時、イタリアが、まだ戦っていたのか、降伏し、絵葉書もアメリカ製のものだったのか、その辺が、今呻吟しているところです。
辻田 真佐憲氏から
私のメールは自由に使っていただいて構いません。また、イタリアの挿絵ですが、柘植久慶『ヒトラー時代のデザイン』という本にその旨の記載があります。柘植氏がミラノで見つけた絵葉書の現物が掲載されています。同書には、他にも三国同盟を題材にしたイタリアの絵葉書が載っております。
Bruxelles
記事を書いたら連絡さしあげます。ちょっと遅れますが。この柘植久慶氏を知らなかったので検索すると、かなり評判の悪い方ですね。落合信彦と言う人も、「ほんまかいな」ということを書いていましたが、以前には無いスタイルでした。柘植久慶氏はさすがに迫力あるお顔ですね。
Bruxelles
来週の末くらいにそろそろ書こうと思っています。その際本名でもかまいませんか?あれに関しては、まだ新しい情報はありませんが、八紘一宇と言うタイトルであったこと、これは考えてみると、考える人によっては大きな問題を含んでいると思い、先に進めません。ズバリ言うと八紘一宇というのは考えようによれば、田中上奏文よりもずっと露骨な、侵略概念そのものだととられる可能性があり、その場合あの教科書に反撃出来ません。八紘一宇というのは、あれですね、竹内文書を思い出しました。慎重に行きたいと思っています。
辻田 真佐憲氏から
私の名前は本名で大丈夫です。ご存知のとおり、「八紘一宇」は神武紀から直接取られたものではなく、大正に田中智学が造語したものなので、どうしても近代日本の歩みと関わらざるを得ない概念ですね。ご指摘の「竹内文書」と同時代の言葉でもあります。宜しくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・

参照:八紘一宇:Wikipedia & 八紘一宇 切手
参照:田中上奏文:藤井一行 :
参照:田中上奏文:Tel Quel Japon 過去記事
参照:竹内文書:不思議の古代史
参照:竹内文書 詩集「2N世代」:

追記:2012年6月3日
   
    hakkouitiu.jpg

こんな歌を日本人が歌ったということ、そしてこの歌詞そのものも、悪意ある捏造だと思っていたので、陸軍の戯れ歌だと知ったときは、かなりなボディー・ブローだった。八紘一宇は表面からは消えたが、今もかなりの数の日本人がそれを基本理念として日々暮らしている。その層は多種多様でしかも厚く、全く検証されることも無いくらいに、深く根を張っているのも事実である。従ってそれがこの歌のタイトルであると知った時は、かつて青木勝利がエデル・ジョフレにくらったレバー一発のように、私にとっては膝を折る必殺パンチだった。もはや安易にこの歌を否定できない。呻きながらカウントエイトを聞いているような気分だ。フランスの出版社に抗議を続けるには、仮にこの歌詞を国歌にしても他国に四の五の言わせないだけの強面の論理を構築できるに充分な神経が必要だ。田中上奏文を諸外国を相手に打ち消せたのは、松岡洋右だけであった。松岡洋右でなく、また松岡洋右のpositionも取れない私は、「八紘一宇」のタイトルを前に、惨めにタオルの投入を待つばかりだ。

・・・・・2012年6月8日・・・・・
役に立つとも思えないが、いつかついでの時にでも出典図書に当たってみることに決めた。
所蔵場所のリスト1所蔵場所リスト2Jean Lequillerの著作

・・・・・2012年6月14日・・・・・
出演者|著者・辻田真佐憲さん、編集者・濱崎誉史朗さん
日 時|2012年6月8日(金)19:00~
場 所|紀伊國屋書店新宿南店3階 ふらっとすぽっと
世界軍歌全集【super wakuwaku live talk】You Tube

Food for Thought (1)

長くなるので前回の記事と切り離した。表面を見て責任を騒ぐのではなく、根底にある勘違いの原因を考えてみた。できるだけ簡潔に書きたい。
どの国にもある戦時報道部の危険な仕事を理解しなければならない。大日本帝国陸海軍の戦争を記録するにあたって、後世それが国家を辱めるような記録はまず絶対に残さない。だから日本の戦争filmが登場するからと言ってそこに「悪行を尽くす軍隊」や「後世の日本人をいたたまれなくする恥ずべき姿」が現れる筈はない。学校の先生(日教組ではない)が推薦した第二次世界大戦のfilmだからと言って、この筆者はみる前から緊張し怯えすぎている。それはこの人の血液の中で自虐史観が血栓のようにどうしようもなく存在しているから、大日本帝国の戦争のすべてを何から何まで心の中で拒否し否定し隠したいという気持ちがあるからだろう。それと、中韓に騒がれ続けてきたので繰り返された「日本国民虐待」への恐怖が強く意識下にへばりついているのだろう。くわえるならば、NHK売国放送局への潜在的敵意だ。NHKが関与した恐るべき「黙示録」、というタイトル、そして役者に演じさせてまで虚構をつくる再現filmだという決めつけ、が何よりそれを説明している。今回の正論の筆者をはじめ、驚くほど多くの日本人がfilmも見ないで、自分の感想も述べないで、即ち一切の検証を省略して強く共鳴し、いきなり拡散したり引用したり自説に利用したりしている。これは敦子さんだけの問題ではなく、多くの保守系日本人、特に年を重ねた後の転向者の実態だと看破すべきだ。
先にも書いたが、旭日旗や軍服騎乗の昭和天皇、皇居の前の土下座、子供に対する武士道精神の奨励、これらが、恐るべき黙示録の「恐るべき」に真っ先に含まれている、この原因は何なんだろう。結局は第二次世界大戦を戦った大日本帝国を誇りを持って振り返ることが全くできていないのだ。「悪魔の軍閥」「悪の軍国主義」「侵略国家日本」が心の中で苔むして、国内外からのそれに対する非難には、ようやく反発は出来るようになったが、本心はそんなものを目の前に突き付けられたくはない、見たくない怯えで一杯なのだ。
もう一度これを見ていただきたい。「この番組は、在仏邦人の名誉と尊厳を緩慢に殺傷する力すら持っている」と書かれている。文章の中で、優しく言葉をかけてくるフランス人は登場するが、放送の後にらまれたとか、因縁をつけられたとかの実被害は、一切発生していない。妄想による不安だけだ。したがってこの一行は完全に文章から浮き上がってしまっている。はっきり言うとこの一行こそが捏造なのだ。このあたりは映画を見なくても、フランス語がわからなくても、少し冷静に文章を読めば誰にでもわかる筈だ。私が編集者なら、ここで「ちょっと待てよ」となって、6時間番組の企画・構成・担当者・内容などに当然チェックを入れる。編集者の資質云々をするつもりはない。編集者も、日教組教育の深い刷り込みの亡霊に取りつかれた犠牲者だと了解しよう。保守を任ずる人々の大部分が亡霊の恐怖から解放されてはいない。これでは第二次世界大戦を戦った日本人精神には、理解はおろか、近づくことさえできない。偽りのない実写filmを見て「卑劣な日本人の残虐非道な映像」と感じることしかできないのが自称保守の実態である。「倒れた捕虜を日本兵が刀で脅す描写があった。日本兵の形相は安直な映画に出てくる未開の人食い人種さながらであった」というのはこの筆者の恐るべくしぶとい反日私感に基づく印象に過ぎない。刀を抜き大砲を撃ち、領土を拡大し「バンザイ」を三唱する映像を見てその場面にその兵隊たちに感謝と感激を感じることのできない日本人を、愛国者とは呼べない。彼らは戦争をしているのだ。兵隊でありサービス業従事者ではない。この文章の根本的奇怪さに、全く気付かず、拡散に飛びついた多くのブロガー達には、再考を求めたい。
ナレーションに関して、自己判断をできるようになってから聞くようにと私は書いているが、まずいなと思ったのは、南京虐殺とアジア侵略の部分だ。不快を感じたが、これとてこのfilmで初めてinputされた解釈ではない。もういやほど聞かされている。日本の教科書にも書いてあるし、日本政府はそれに関して謝罪までしている。日本自身の昔からの捏造である。filmのナレーションに苦情を入れても「日本の歴史を知らない日本人」扱いされるのが落ちだ。自虐史観は字のごとく自らを虐げる歴史観である。外部に抗議し説得できるものではない。全体的に言えばこの放送は映像編集と言い、ナレーションといい、日本の学校教育が日本の近現代史になすりつけたヘドロをかなりすっきりそぎ落としてくれている。それは番組を見ればわかる。だからこそ学校の先生が「いい番組だ」と推薦してくれたのだ。フランスに於いては日本国はアメリカ国ほど嫌われてはいない。「連合国側に住んでいながら、人種的に卑屈になることなく暮らしてゆけるのは、昔の日本の兵隊さんが真面目に任務を遂行してくれたおかげなのだ。

La 2eme guerre mondiale - Episode 04

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Apocalypse - La 2ème guerre mondiale :

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Nagasaki.avi :
参照:Tel Quel Japon file
(引用が長くなるのでfileにしました)
引用元サイト :


//////以上は2012年5月16日:以下は2012年6月11日//////
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「正論」2012年7月号P.162に平成22年1月号に掲載された敦子カロー氏の記事「NHKが関与した恐るべき黙示録」に関する記述があった。この映画は上のように5月16日にTel Quel Japonで取り上げていた映画であったので、少し驚いた。記事内容を探してみた。
正論 過去記事 記事全体が転載されているblog :
Tel Quel JaponではEpisode04のみを出しているが、たしか全部で06まであった。04に日本の映像が一番多いので、04のみここで取り上げたのだった。全部をどのblogで取り上げたのか、ごく最近のことなのに、すぐには思い出せなかった。filmを見ても出さないでそのまま消す場合も多いからだ。これは作曲担当者が日本人だったので、テーマ曲もポスターも出した記憶があった。
見えない鳥の存在 Blog版:別室の上映会(20)
Apocalypse - La 2eme guerre mondiale :Kenji Kawai
Apocalypse : Résumé : France2 Programmes :

Kenji Kawaiが語る:
J’ai vu des images à la télé. Mais celles d’Apocalypse les dépassent toutes
Gilbert Courtoisが語る
J’analyse précisément chaque image pour en identifier les éléments sonores.
François Montpellierが語る
Henri de Turenne と Jean-Louis Guillaud が語る
Daniel Costelleと Isabelle Clarkeが語る:
“Si tu veux la paix, connais la guerre”

私はまず戦場記録班の仕事ぶりに圧倒された。想像を絶する貴重な記録である。ナレーションに関しては、私の記事に記したとおりである。Tel Quel Japonにはfilm-Episode4を置いただけでコメントを一切入れていないのはそのためだ。全部を見ることにもまた意味がある。それは第二次世界大戦をいつまでも日中に偏らないトータルな観点から見るためにである。私の父は戦史研究家であったので、これがどれだけ貴重な記録かよくわかるのだ。動く山下奉文大将と動くアーサー・パーシバル中将が歩み寄って握手をしている。(日本がプロパガンダfilmとして撮影したとナレーションでは言っているが、戦後生まれの私は初めて見る)藤田画伯が戦場画家として絵筆をとっている映像もある。すでにTel Quel Japonでは記事にし映像も入れたが、Doolittle's RaidersがHornetから飛び立ちTokyoを爆撃する映像もあれば(pilotは全員帰還したという間違った記録が多い中で)数人は日本で逮捕され処刑されたという事実も明らかになる。数え出したらきりがない感涙ものの映像がたくさんある。
私がEpisode4を置いたのは、日本がどんどん勝ち進み進軍の矢印が次々に拡大していくのをみる快感があったからだ。日本軍の「バンザイ」の大合唱が聞こえる。自虐史観で打ちひしがれた同胞に、戦いに勝ち整然と壮大に侵攻する場面をお見せしたかった。じつに堂々とした戦いぶりである。日本軍はチンギスハーンでもなければ、アッチラでもない、まして猿でもない(ミズリー号艦上に現れた日本団をさして「洋装した猿の一団」だというナレーションをいれたfilmを以前に見たことがある。話が長くなるが「猿の惑星」の猿は昔の日本軍をcaricatureする映画である)、この映像で真の人間としての日本人の決して西洋に劣らない強さを見せつけなければ、また「勝つ日本軍」を同胞にお見せしなければ、日本は戦後の日本人にとって、敗戦ししょぼくれた「悪の枢軸国」に永遠に固定化されてしまう。そう思った。またこれはFrance2が精鋭を集め時間をたっぷりとかけ制作した名誉を賭けた6時間の特番である。その音楽を日本人が担当したこと、この喜びも文字を少し大きくしてリンクを貼ったことのもうひとつの理由である。
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少し平成22年1月号の正論の記事に触れておこう。
「日本を扱うときは再現フィルムという作り物が多く混ぜられていた」とあるがdocumentaryであるので、作為的な再現filmはありえない。古い映像なのにカラーになっていたのは上のFrançois Montpellierが語る、を見ればわかるが、繊細な分析を重ねた最新のカラー化技術が使われているからだ。役者が演じているのではない。つまり実録filmには基本的に作為ははいらない。むしろこれまでの嘘が暴かれる方が多い。「それも再現フィルムとは思えない古い白黒のドキュメントフィルム仕立てであった」とあるのは、その部分も事実再現filmではないからだ。
「番組の冒頭もひどいものだった。旭日旗が画面いっぱいにはためき、「予告なしの真珠湾攻撃」が始まる」とあるが、冒頭旭日旗が画面いっぱいにはためくのをみて、私は「いい感じ」と思った。筆者は旭日旗に負のイメージを持たれているのだろう。日教組教育が染みついている。また聞こえなかったのかもしれないが「米国と共にこの戦争に突入できるまで2年間の歳月が必要だった」というチャーチルの発言が、チャーチルとルーズベルトが並んだ場面で紹介されている。私などは「もっと大きな声でフランス人にも聞かせてあげて」と思った。にっこり場面である。
「バックに尺八の音楽が流れるのも、どこか日本を侮蔑している印象を受けた。」は単なる感情的難癖ではないだろうか?上の「Kenji Kawaiが語る」を読めば、彼には祖国を侮蔑する意思など全く無いこともわかるのだが。「彼(Kenji Kawai)はNHKの職員ですか?」と言うこの筆者の質問に至っては見識を疑う。France2の6時間番組の音楽をNHKの職員が担当する?
「さらに奇襲攻撃のフィルムを見せた後で、『米国は日本の石油供給源を止めました』とナレーターが言う。これでは時系列が逆ではないか。」とあるが、そのまえに話が数か月前に戻ると言っている。そして「止めました」の後少し間をおいて「この経済制裁が引き金となって日本は戦争に突入しました」とはっきりナレーションが聞こえる。「そうそう、よくぞ言ってくれましたね」と私は思った。
「さらには、軍人が畏まって整列しているところに、昭和天皇が騎乗で現れる映像や、皇居の前で土下座する日本人の映像に「当時は現人神であったエンペラーに、日本国民は自らの命を投げ出すのも厭わなかった」というナレーションを重ねる。」これのどこが酷いのだろうか?これは隠すべきことなのか?否定すべきことなのか?「海ゆかば」を歌って戦場に向かったあの神宮の学徒出陣まで否定することにならないか?戦時の国体に対する染みついた負の評価がこの筆者の心には埋め込まれているのだろう。
私が唯一「またこれか」と不快に思ったのは「中国大陸で(小さな穴に)女子供が生き埋めに(されかけている)シーン」しかしこれは「中国からきた」と返事のメイルが届いたのであれば、本文の趣旨から外れる(NHKとは無関係)。

この筆者は長い間自虐史観論者で、大人になって以降に転向したひとで、外国人に見せたくはない(と思い込んでいる)場面や事実の刷り込みが解消されていないのではないだろうか。対象にしている映像は52分のEpisode04の中のわずかに9分足らであった。本来フランスの放送局が制作した第二次世界大戦全般を扱う6時間番組であり、NHKが日本の部分の再現filmを意図的に制作し番組にはめ込む自由は全くない。それをNHK批判に繋げようとすること自体、偏見と勘違いの妄想を必要とするそもそもが無謀な試みである。
日本人のNHKに対する気持ちはよくわかるので批判はしたくないのだが、正論のこの文章の拡散は驚くほど多い。大部分がfilmの検証もなく単なる尻馬乗りに近い。非常に残念である。責任は正論にあるとしておこう。

・・・・・追記:2012年6月13日・・・・・
平成22年1月号に掲載された記事だけなら、だれも気付かなかったので、有耶無耶にできたかもしれない。なのに再度、「正論」2012年7月号で、繰り返してこの記事を取り上げたために、「正論」の内部体質までが結果として露呈した。内容確認をせずに掲載したということ、そして他人の記載を真に受けて、自己検証もせずに、自分の論理展開に書き込んだ。恥の上塗りである。
誰しも勘違いはあるので、元の原稿の筆者や今回の筆者、あるいは「正論」を非難するつもりはない。ただ、確認をしないままの転載や拡散や引用が平気でなされること、書く方の慎重な検証の不在、読む方の論理を辿る視点の不在、が最近目立つのだ。転載や拡散の行為、あるいは引用を使って自分の主張の論理展開の補強とする場合は特に責任を自覚して慎重にお願いしたい。論壇の質の維持のためにである。

・・・・・追記:2012年7月7日・・・・・
西尾幹二氏のブログの中の「天皇と原爆」に関する書評にコメントをいれた。「なかなか理解されないのではないか」「理解されるには時間がかかる」などと書いた理由は、たとえばこの上の記事を見ていただければ多くの方々にも充分理解されるのではないかと思う。「理解されにくいということが理解される」かもしれないということだ。上の原稿のお二人の筆者に、どれだけ深く自虐史観が張り付いているか、上の記事でご理解いただけるのではないかと願っている。例えるならば脳梗塞の血栓のように、ほとんど消えようがないまでに巣食っている。(被害)妄想の次元に到達している。忘れないでいただきたいのは掲載誌が「正論」である、と言うことだ。

在中国日本国大使とその類

在中国日本国大使 丹羽宇一郎 新潟の次は尖閣諸島を売る
このYou Tubeを見て思わずコメントを入れた。(この動画を完全コピーしてそのまままたYou Tubeに載せている人がいる。こういうことを平気でするとは!攪乱のため同じ動画で、違うコメントを集めようとしているのだろうか?)
丹羽宇一郎と言う人の素性を調べる必要がでてきた。
青木直人:丹羽宇一郎新中国大使誕生の背景
中国に萎縮―丹羽宇一郎新大使に早くも屈服の予感
「中国の訴え」に符合する日本大使の発言行動
このまま「大使」に据え置いて良いのか
丹羽宇一郎 中国大使 2010.7.26 日本記者クラブ
(話し方に誠意も熱意も無いのは大江健三郎と同じ。内容もそれ以前も、顔声不快の垂れ流し。話を聞くと将来的力関係を見越した上でのきわめて打算的な蔑日親中だということがわかる。拉致被害者に「個人的な要求ばかりせずに大きな目で国益・国交を考えて黙れ」という類の卑劣な根性の国益・愛国が丸見えになってくる。)

そうなのかな:こちらにコメントを書かせていただきました。
上の日本記者クラブにおける丹羽宇一郎中国大使(最初から恩着せがましい発言の連続、自分に過度な英雄的評価をしているのだろうか?)のような、何をやっても恬として恥じるところのない人のことを愛国親中というのでしょうか?たしかにこの連中は愛国心、皇室命を唱えていますが、錦の御旗を振っているだけ、頭の中は真逆。どちら側の腹話術人形になっているかで、正体はすぐにバレバレ、矛盾に気づかないのは頭の硬直化した本人ばかりなり。
「国のため命をささげる」だと?このひとは言葉の意味が分かっていない。ポチ保守も困りものだけれど、愛国親中はその百倍も売国だ。