TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

朝河貫一とOSSの日本計画

昭和天皇宛の大統領親書を起草したとしてTel Quel Japonの過去記事に朝河貫一のことを書いたことがある。最近見たFilm、東京裁判の東條への尋問でも、真珠湾攻撃直前に届けられたこの親書のことが取り上げられていた。実際のものは草案とは全く異なっていて、ルーズベルトの戦争回避への努力を示すあきらかなハッタリに過ぎない。裁判では東條も、改めて回答すべきことは何もない内容だったと、軽くいなしていた。
先日偶然に書店で「ラジオ深夜便」12月号を手にとったら、朝河貫一のことが書いてあったので、早速購入した。2011年8月11日放送分を文字化したものである。話し手は朝河貫一に関する研究者の山内晴子氏。
簡単に情報を追加すると、朝河は1873年福島県二本松に生まれている。現・早稲田大学時代に本郷教会の横井時雄牧師に洗礼を受けたことが、渡米の直接のきっかけとなったようだ。渡航費は、故郷の友人の他に大西祝、徳富蘇峰、大隈重信、勝海舟などが援助した。日米開戦の2か月前には金子堅太郎枢密院顧問宛に次のようなオープンレターを出している。すなわち、ナチに追随してはならないこと、中国からの軍の撤退、三国同盟の破棄、軍務と民政の分離、民心と教育の解放、世界との自由な交流を進言している。ハルノートに近い内容であることがいささか気になる。天皇の聖旨によって撤退させよと提言している。この文章を読んだハーバード大学のフォッグ美術館東洋部長のラングドン・ウォーナー氏が天皇への大統領親書を朝河に提案した。これにより親書に何故朝河が関わったかの経緯がわかった。
今回Tel Quel Japonで取り上げることにしたのは、放送の後半の部分。山内氏が朝河は戦後の占領政策にも大きな影響を与えたと語っているところだ。山内氏は2005年に出版された加藤哲郎氏の「象徴天皇の起源」を読んで、1942年6月9日にCOI(情報調整局。同月13日にOSSとOWIに改組)が作成した占領政策構想の機密文書、いわゆる日本計画に気づいたらしい。そこで「日本の天皇を(慎重に名前を挙げずに)平和のシンボルとして利用すること」と書かれている発想は朝河の学説を知っていなければ設定できないと思った、と言う。またACLS(アメリカ学術団体評議会)の中にウォーナーを委員長とする日本研究委員会というのがあって、朝河は7人の創立メンバーの一人であって、そこには「日本計画」に重要な役割を果たしたチャールズ・ファーズやヒュー・ボートン、ライシャワーなどが参加していた。42年9月の「ライシャワー・メモ」も、天皇と天皇制に関する見解が朝河と同じだと、つまり天皇制度と民主主義の異文化融合の戦後構想は朝河の学説に基づくと、言うわけである。ラジオ深夜便12月号、の中の15ペイジ分を読めば、もう少し詳しく書かれているが、要約するとこうなる。従って朝河は戦後構想に大きく貢献したという結論になっている。
COIがOSSの前身であり、OSSがCIAの前身であることに気づかれているのだろうか?山内氏の論理で行くと「日本計画」万々歳である。山内氏が朝河貫一の熱烈なファンであり、その思いがこの放送に溢れているとしたら、ある意味藪蛇である。ただ田中英道氏のこの書物が、これだけ保守の大御所の推薦があるにもかかわらず、ほとんど読者の理解を得られていないことを考えると、ラジオのリスナーの9割が、パチパチと拍手をして、そのあと朝河貫一の名前が、1、2時間頭に残ってその後忘れて、おしまい、となるのだろう。
OSSは戦略情報局、OWIは戦時情報局、その前身のCOIは情報調整局、そこは大衆のマインド・コントロールを専門としていたところである。日本人の頭が、自虐史観に洗脳され縛り付けられていることを知る者だけが、COIのOSSのOWIのそしてCIAの戦略の成果をその圧倒的な恐怖を認知するのである。

参照:The News Media at War
参照:COI Came First

・・・・・追記:2011年11月28日・・・・・
このOSSの日本計画に関して再度検証してみた。日本計画の年月、出どころ、内容などは既に記した通りなのだが、個人を特定して誰の発案であったかまでは解明されていない。従ってACLSの中にあった日本研究委員会のメンバーやら、「天皇の聖旨によって撤退させ、戦争を回避せよ」という発想から考えて「To use the Japanese Emperor(with caution and not by name) as a peace symbol」という戦後政策の根本も、朝河貫一の発案だとする山内氏の提言には充分な真実の可能性がある、と気づいた。前にも書いたがRooseveltに提言できる立場にいたこと、日系人なのに財産も剥奪されず地位も奪われず、収容所にも入れられず、交換船で帰国した気配もない、などを考えると、その発言がよほど尊重された人物なのだろう。24歳のとき朝河は徳富蘇峰の国民新聞に「日本の方針を文明最高の思想と一致せしむるに至て、初めて東洋における義務を悟り、世界に対する地位を得る」という内容の一文を寄せている。文明最高の思想とは朝河が感動した「民主主義」のことである。「利用」と言う言葉をまさか朝河が使うとは思わないが、民主主義と天皇制を融合させるために「シンボル」という言葉をひねり出したのは、日本人の朝河の発想ではなかったか。いずれにせよ朝河がアメリカにおいてボートンやファーズに近い大変特別な日本人であったことは確かだ。
参照:萬晩報ーとりあえずご一読下さい。確かに「ビックリ憲法」とその背景
参照:山内晴子氏博士論文に関して
なるほど、日本研究委員会が?だったのだけど、IPRに関連していたんですね。戦後の占領政策に口出ししている立場を考えると、朝河を日本人のOwen Lattimoreだと受け止めると、発想や意見の違いも、立場の類似性も、そして政治的微妙性も理解しやすいかもしれない。そうすると山内氏はさしずめOwen Lattimoreに於ける磯野富士子という角度で見るのがいいかもしれない。保守の論理で見ればの話だけれど。
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//////////追記:2011年12月2日//////////
ふと幣原喜重郎のことを思いだした。
朝河との共通点はあるとは思えないが、見解positionは似ている。
幣原マッカーサー会談と憲法9 条:幣原喜重郎
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正論 2012年新年号、歌人 福島泰樹の東北の悲憤⑧ 戊辰戦争、二本松城落城までのドラマチックな文章を読んで、朝河が二本松の出身であることを思いだした。これを読むと朝河がアメリカから帰らなかったことがその心理が何となくわかるような気がしてきた。
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参照:朝河 NHK Film
参照:歴史ドキュメンタリー:朝河貫一

1905年アメリカ・ポーツマスで開かれた日露講和会議の場に自主的にでかけ、「日本の戦争目的は賠償金、領土の獲得にあらず」と日本が新しい時代の新秩序のために戦っているという「立場」を主張し、世界に理解を求めます。日露講和条約は結果的に朝河の主張通りに決着したのです。しかし、日本国内世論はこの条約の内容に「弱腰」と怒り爆発、「日比谷焼打ち事件」が起こるなど、その後の日本は大陸進出など戦争への道を歩んでいくことになります。
(自主的に日露講和会議の場に出かけた?結果的にロシアの利益に与していた、何故?小村寿太郎を説得したのが朝河?日露戦争で戦死した人たちにどういうつもりなのだろうか。国内の空気が読めていない人が何故、講和に出かけて影響力を行使したのか?)

参照:二本松藩史

・・・・・追記:2012年8月29日・・・・・
朝河貫一: 国際留学生協会

The Unnecessary War by Pat Buchanan


Tel Quel Japon 過去記事 下の方に書いているChurchill, Hitler, and "The Unnecessary War" byPatrick J. Buchanan をYou Tubeで見つけたので、読むよりも手っ取り早いと、又なくさないうちにと思いリンクしました。
Pat Buchanan :wikipedia
WWII: The Unnecessary War (1 of 4) Pat Buchanan
WWII: The Unnecessary War (2 of 4) Pat Buchanan
WWII: The Unnecessary War (3 of 4) Pat Buchanan
WWII: The Unnecessary War (4 of 4) Pat Buchanan
内容は以前聞いたものと同じ。ヒトラーは何度も停戦・休戦を提案したが、全部チャーチルに拒絶された。チャーチルの好戦性を示している。あまり日本人が聞いたことのない視点である。

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The house of Rothschild the Money's prophets 56min
The Rockefellers (Full):2時間を超える。

Propaganda : Edward L. Bernays(2)

Propaganda- Edward Bernays_1/2
Propaganda- Edward Bernays_2/2
Propaganda (1928) by Edward Bernays:EdwardBernays_convert.jpg

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Noam Chomsky - Propaganda And Control Of The Public Mind (Full Lecture)
The classic Canadian documentary Manufacturing ConsentManufacturing Consent:wikipedia

The Pearl Harbor Papers: Inside the Japanese Plans


Donald M. Goldstein (Editor) Katherine V. Dillon (Editor)
The Pearl Harbor Papers:Customer Reviews
The Pearl Harbor Papers:Look Inside
The after-action map prepared for Emperor Hirohito by Mitsuo Fuchida.
The Pearl Harbor Papers: Inside the Japanese Plans :素晴らしいサイト
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japanese.jpg
The Pacific War papers: Japanese documents of World War II
Diary of Admiral Kichisaburo Nomura June-December 1941
Some Opinions Concerning the War
Personnel Study
The Pacific War Papers: Look Inside
私の不勉強かもしれないが、日本の資料なのにあまり聞いたことも見たこともない角度で編纂されている。アメリカで出版されたことが不思議だ。
野村駐米大使日記:日記は内容を読めばいいのであって、解説に誘導されてはいけない。

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日本は近現代史研究の後進国のような気がしてきた。圧倒的に肝心な資料が不足しているのだ。この2冊はwritten byではなく、edited byとあるように本来は日本語の資料なのだが、英語に訳されたものだけで編纂されている。東京裁判用に英語に訳された資料だとしたら、その目的に適う部分が集められ、訳されているのだろう。現代詩の訳をみてもそう思うのだが、訳には常に原文(この場合なら日本語の元資料)を添付すべきだと思う。

樺太1945年夏 氷雪の門 & Kurosawa

樺太1945年夏 氷雪の門

樺太1945年夏 氷雪の門

No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 :
動画1 & 動画2
wikipedia & 畠山みどり:氷雪の門

追記:2010年12月16日
氷雪の門はYou Tubeで「あの時のことは、何故忘れ去られたのか?」というタイトルで1/13~13/13まで全編見ることが出来ます。古い時代のしかも制作も古い時代の物なのに、ほんの数年後の現実であるかのような錯覚を覚えました。ぜひ御覧になってください。

//////////追記:2011年2月6日//////////
子供時代の記憶だ。明治19年生まれの祖母に聞いた。
日清戦争に勝って大阪では中之島でちょうちん行列があったそうだ。
歌を歌いながらちょうちんを持って夜通し戦勝を祝ったという。
「どんな歌? 聞かせて」といったら
祖母が歌ってくれた。
「にっぽん勝った,にっぽん勝ったシナ負けた
台湾とられて、お気の毒」
「じゃあ、日露戦争の時は?」
「にっぽん勝った、にっぽん勝ったロシャ負けた
カラフトとられて、お気の毒」
「お気の毒」と言うところが日本人ね、そう思った。
この列島以外ににっぽんが存在するとはどんな気分なんだろう。
戦勝とはどんな気分なんだろう、と敗戦後しか知らない昭和生まれの私は思った。

母が死んでひとりぼっちになった私は、古きをたずねて「大阪船場を語る会」に出かけた。
偶然日露戦争の時のちょうちん行列と花火の話題が出た。
大阪をParisだとすると中之島はシテ島にあたる。
その中ノ島で盛大な花火が打ち上げられたが、費用は官費ではなく、大阪船場の大店(おおだな)が、国家の慶事を祝うために私財を出しあったのだそうだ。経済ではない、真の国家として、国際社会の一等国となった時代を、官民一体となったその高揚を、私も一度体験してみたいものだと思った。かなわぬ夢である。

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一行詩 負けた国の子らの狂宴

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追記:2011年11月10日
2010年10月2日の記事を移動させました。何故36年間もオクラ入りしなければならなかったのか、何かがおかしい。日本という国は当然の権利を主張する気力も体力もないのかと、アメリカの保護国なのはわかるとしても、何故ソ連のいいなりにせっかくの映画をしかもソ連でならともかく、母国で母国の映画を上映できなかったのか?
今日は週刊新潮玄葉が言ったとか言わなかったとかの、記事が出ている。言った言わないの事実よりも内容が常識を超える。実際TVでそう公言した人も何人かいる。何かがおかしい。
今年の8月頃BSで「人間の条件」が連続放送されたらしい。あれはソ連のプロパガンダ映画だと、OWIの資料に書いてあった、それも思い出した。
今日偶然このサイト(by Sanderson Beck)をみて、子供の頃こういうふうにおとなが言っていたような気がした。まあ日本の知識人の認識もこれと変わらない人もたくさんいる、それを思えばなかなか外国人でありながら良く出来たサイトだと感心しながら見ていた。最後の方で映画に関してGHQが規制をかけていたことを、そしてその規制の内容を知った。一例として黒沢昭監督原節子主演のNo Regrets in Our Youthのことが出ていた。
早速You Tubeで少しだけ見てみた
参照:wikipedia:

物語は滝川事件とゾルゲ事件をモデルとしており...GHQの奨励したいわゆる民主主義映画の一つである

参照:我が青春に悔いなし

黒澤監督の、戦後すぐの民主主義プロパガンダ映画。GHQの検閲が厳しい折、娯楽性ゼロ、コメディ要素ゼロのシナリオになってしまっている。


Sanderson Beck氏に教えてもらうまで、黒澤監督、原節子主演のGHQ民政局ご推薦のこういう映画があったとは全く知らなかった。
参照:Tel Quel Japon 過去記事
参照:Tel Quel Japon 過去記事
そういえば、黒澤監督のこの映画などは、のちの篠田正浩監督のこの映画のまあ露払いのようなもので、映画とは、本来Propaganda性が強いものであることが分かった。問題は監督自身のあたまが既に洗脳されていて、時代的に言って篠田監督の場合は、検閲などという概念はグラスシーリングになっているのだろう。つまり本人はこの内容で既に強い自己表現、または芸術的自己実現のつもりなのだろう、ハー。黒沢監督も、別にGHQに屈しているなどというつもりは全くなかったのでしょう、ねぇ。フー。
参照:京大滝川事件:底辺で繋がっているかもしれないが、全く次元の違う滝川事件とゾルゲ事件をリンクさせたところが、無知丸出し。そういうふうにリンクさせているからこそ、ゾルゲや尾崎を英雄視するマインドコントロールになっているんですね、ムー。

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Critical Past : Short Films 木戸孝一

こういうfilmを所有している方がいらっしゃれば、是非You TubeにUpしていただきたい。組織も資力も人材もないTel Quel Japonとしては、志を共有する方の御好意に訴えるしかない。書籍や講演では読んだり聴いたりできないことまでFilmは伝えることができる。短い断片ではあるが、とりあえず9本置いてみます。思わず食い入ってしまいます。

No.1 & No.2 & No.3 & No.4 &
No.5 & No.6 & No.7 & No.8 & No.9 &
木戸孝一:Wikipedia

陛下や私があの原子爆弾に依つて得た感じは、待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたと言ふのであつた。それらの心理的衝撃を利用して此の際断行すれば、終戦はどうやら出来るのではないかと考へたのだ。……私ども和平派はあれに拠つて終戦運動を援助して貰つた格好である」


・・・・・追記:2011年11月23日・・・・・
米内光政 Wikipedia

そのためマッカーサーの秘書官フェラーズ准将(Tel quel Japon過去記事)は、米内をGHQ司令部に呼び「天皇が何ら罪のないことを日本側が立証してくれることが最も好都合だ。そのためには近々開始される裁判が最善の機会だと思う。この裁判で東条に全責任を負わせるようにすることだ。」と語り、米内は「同感です」と答えたと言う[25]。(極東濡れ衣裁判は、日米両国のシナリオ?この発想では、東京裁判のやり直し、日本の名誉回復、自虐史観からの脱出など、100年経っても不可能だ。最近右翼や保守の論客が誰一人東京裁判の見直しを口にしなくなったのは、そのためか、すでに諦めているのか?東京裁判を諦めることは全てを諦めることだと、気づくべきだ。)

米内光政 & 久間発言
終戦工作もまともにできない、残酷に大量に国民が殺されなければ、敗戦決断もできない、冗談じゃない。こんな発言は、そもそも政治が機能しない死に体国家であったと、責任者(指導者)不在の無能国家であったと認めているに過ぎない。恥の概念が完全に抜けている。

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気は確かか、この碑文はなんだ!どこの国の国民が原爆を落とし、どこの国の国民が犠牲者になったのか、この碑文はなんだ!気は確かか

たとえば、このお詫びリスト、この先どうするつもりなのだろうか?これだけ自虐史観に縛られていては、そして海外にまで公然と発信していては、後戻りがきかない。特にSeptember 6. 1984,May 24, 1990,October 8, 1996のお詫びはもはや打ち消しようがない。これは心からの真実の声なのだろうか?検証は真剣になされたのだろうか。巧妙なPropagandaにやすやすと誘導された、わかりやすく言うと催眠術にかけられた状態で、あるいは強制的に不本意にも弱い心が言わせた、祖先に対する冤罪の投げ捨てではないだろうか。
このままでは、、東京裁判の見直しも、憲法の改正も軍隊の保持も、まして核武装などありえない。なんでもかんでもとりあえず謝れば、人間として良質に見えるかもという、自尊心を喪失した人間のあさはかな欺瞞である。それはまた戦争で戦った人たち、命を落とした方たちへの破廉恥極まりない裏切りである。

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家を焼かれ街を焼かれ身体を負傷し肉親を失い、命を奪われた人たちへの問答無用の破廉恥極まりない裏切りである。

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参照:企画院事件:wikipedia
参照:Judgment:International Military Tribunal for the Far East
参照:日本史

Edward Bernays (1)

2011年11月9日
Tel Quel Japonではこののち何度もEdward Bernaysについて書き込んでいくつもりでいる。
まず今日はこの日本語のBlogからご紹介。
Edward Bernays:井之上Blog

CPIは第一次世界大戦中の1917年、ウッドロー・ウイルソン(Thomas Woodrow Wilson)大統領のもとで米国の参戦に対する米国内の賛同を得るために組織されたもので、委員長であるジョージ・クリール(George Creel)にちなんでクリール委員会(Creel Committee)とも呼ばれました。マスメディアを総動員してパブリシティを広範に展開したこの活動では、100もの外国紙にプレスリリースを配信したり、19種類の言語による独自の機関紙を発行するなど、移民国家としての徹底した対応を行い、世論の同意を得ることに成功しました。。...
バーネイズはその他にも、F・ルーズベルト大統領夫人のエレノア・ルーズベルト、国務省や財務省、商務省などへのアドバイスも行いました。...


Edward Bernays:井之上Blog 2

後日、ナチ・ドイツのプロパガンディストで宣伝担当相のゲッペルスは、この本を愛読し、そこから得た情報を基に、ドイツ在住のユダヤ人排斥キャンペーンを行ったといわれています。...
1928年にPropaganda を出版。人の考え方は与えられた情報により形成されるとする理論とそのメカニズムを記したこの本は、当時プロパガンダに対する不信感を抱いていた米国で大論争に発展しました。...
80年に渡るバーネイズの活動範囲は多岐にわたり、CBSやジェネラルモーターズなどの大企業、数々の政府機関、フーバー、F・ルーズベルト、アイゼンハワーなど歴代米国大統領へのカウンセリングを行うなど、彼の与えた影響は政界や財界にとどまらず社会全体に及んでいます。...
((Bruxelles注)日本人はこのPropagandaという概念を知らなかったのではないだろうか。Remember Pearlharborも陰謀という語を当てるよりPropagandaと認識すべきである。)


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Did the O.S.S. help win the war against Hitler?

Donovan proceeded to set up a law practice, moved it to Wall Street, and soon acquired a fortune. He made another try at elected office, in 1932, running for governor against Herbert Lehman. He was a hapless campaigner, despite calling on the services of the father of public relations, Edward Bernays (who decided that the situation was irremediable and quit after a week).
((筆者Bruxelles注)この部分は、DonovanがEdward Bernaysに選挙参謀を依頼したということ、1932年の時点で、後に諜報の専門家となるDonovanその人が、票の獲得を依頼する実行部隊としてEdward Bernaysの作戦能力に 頼ったということを証明している。そして後のOSSのDonovanとEdward Bernays の関係の確認ができる。このリンクと引用はそのためだけの役割でしかない)



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参照:Edward Bernays: 詩集「2N世代」

追記:2011年11月26日
参照:米国の対外文化政策研究理論の系譜
参照:the U.S. Committee on Public Information

Zeitgeist Movement

ある方からこのリンクを知らせていただいた。クリック
内容はその前日私がBlogに書いたJohn Birch Society と非常に似ている。その方によると、結論は

大東亜戦争は、ユダヤ金融資本がルーズベルトに戦争を仕掛けさせたもの。その目的は、戦争による金儲け。米国国民を戦争に駆り立てるために日本を挑発し、「真珠湾・不意打ち」の情報操作を行った。東京裁判史観も日本国憲法も茶番。ユダヤ金融資本は世界の人々の思想を支配し、自分たちに富が集中する都合の良い「世界政府の樹立」を目論んでいる。

ということで、いわゆる陰謀論である。Wake Up Japan Wake Up Worldというこの括りのペイジは、誰がなんの目的で編集したのかよくわからない。私の感想としては、結論もよくわからない。陰謀論を知らせたくてとりあえず類するvideoを集めてUPした方がいらっしゃるのだろう。UPした方とFILMの製作者、及び多国語に翻訳した組織とは関連がない。そこでこのFilmの背景を調べることにした。手懸りはZeitgeist(時代精神)なる語である。ー
Peter Josephという人物がZeitgeist Movementなるものの中心人物であることがわかった。
参照:The Zeitgeist Movement & Home Page & 日本支部
参照:Peter Joseph & Who is Peter Joseph ?
参照:The Zeitgeist Movement:
まずHome Pageをクリックして映画を(どれもかなり長時間を要する)みることから始めるのがいいだろう。なかなか説得力がある。しかし従来の陰謀論とは根底は全く異なっている。先にJohn Birch SocietyのFilm内容と似ていると書いたが、こちらがアメリカの政治に限定していて、小さな政府を主張しているのに対し、Zeitgeist Movementの方は地球規模の発想で、既製の何ものにもにていない。Peter Josephは映画人であり拡散する人、したがって発想及び主張のベイスはThe Venus Projectを構築したJacque Frescoに拠っている。Jacque Frescoに共鳴して、映画の力で拡散して組織化することを考えたのだろう。映画はNET上に無料公開されている。すでに多数の共感者を獲得して、今後もますますそのテクノロジー(インターネット)によって共感者や協力者を増やすだろう。ただ残念なことにPeter JosephとThe Venus Projectはお互い了解できないところがあって現在袂を分かってしまったようだ。Jacque FrescoはResource-Based Economy を発想の根底に据えている。またTechnology and Scienceを切り札にし、それゆえに政治や経済により制度化した人心の管理・誘導をほとんど問題にせず理想の未来を見つめている。一方Peter Josephはむしろ過去や現在の現実的腐敗を告発する方向に、目を向けている。共感はし合っても、結局袂を分かつのは運命だったのかもしれない。

参照:追記11月7日 ツァイトガイスト ザイトガイスト アデンダム 日本語字幕
2時間を超えるが現代の日本人にとっては充分すぎるほど見る価値がある。
{参照:Engineering of Consent: guatemala coup 1954  Zeitgeist Movementの記事とは無関係。ここにこれを置くと焦点がぼやけてしまうが、アデンダムのFILMに出てくるGuatemalaの部分とEdward Bernaysの名前を記憶に留めて置いていただきたい。この参照は今回はそれ以上の意味も関連もない}
・・・・・・・
参照:John Birch Society (詩集「2N世代」)
参照:Jacque Fresco : The Venus Project(Ceci n'est pas une pipe)

さて最初の「クリック」の陰謀論に戻るが、日本ではまだ噂程度で、それがどこから誰から発しているか検討されては居ないようだ。いろんな人たちによって書かれてきたが、一番資料性が高く、様々な書物の典拠をなしている人物は、どうやら歴史学者のCarroll Quigleyらしい。
参照:Carroll Quigley(詩集「2N世代」)
Quigleyはこの陰謀と呼ばれているシステムを陰謀だと非難している訳ではない。ただ学者として秘密にされて来たことを外部にも伝える使命を感じて、告発などという気持ちは全くなく書き記したようだ。したがって陰謀論発信人ではない。ここのところは抑えておく必要がある。(追記:2011年11月5日 被害を受けた側からみれば、陰謀かもしれないが、加害者側からみれば、見えないように仕組んだ巧妙な戦略である、従って陰謀論で括ると、視点のバランスを欠くことになる、学者であるQuigleyの感覚はよく理解できる)
今回Tel Quel JaponにZeitgeist Movementを取り上げたのは、「クリック」にも、Zeitgeist MovementにもThe Venus ProjectにもJohn Birch Society にもCarroll Quigleyにも共通して取り上げられているひとつの事実をここに事実だと宣言しようと思ったからだ。一度誰かが「たかじんの...」で発言しておられるのを聞いたが、トンデモ本扱いで、半ば笑いものだったのを覚えている。笑ってる場合じゃないですよ、と宣言する。一言で言うと、FRBはあたかも政府機関のように金融政策を行なっているが民間の組織であるということだ。それがどういう意味を持つのか、経済を学んだ方なら分かるはずだ。民主党も共和党も関係がない、冷戦も関係がない、共産主義も資本主義も関係がない、超越しているが故に国境を超え政治をも超えているのだ。FRBの正体暴露を直ちに秘密結社の陰謀論に直結させるつもりはないが、この出発点だけはもはや常識として共有してほしい。

参照:(詳しい日本語解説ペイジ)FRBに関して
リンク先:Electronic Journal
参照:FEDERAL RESERVE : THE ENEMY OF AMERICA 

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追記:2011年10月30日 Tel Quel Japonの仮説
「クリック」の結論部である上の引用の囲み部分について、つまり従来の(ユダヤ)金融資本による陰謀論なのだが、突き詰めてみると(ユダヤ)金融資本=共産主義ということに集約される。ピンと来ない方は、第二次世界大戦後の世界情勢を見ればわかる。戦争の結果多大な利を得たのは共産ロシアと共産中国である。ところがこの(ユダヤ?)金融資本=共産主義はなかなかa hard nut to crackで有り続けた。(追記 2011年11月6日 参照 こう言う説明もある 誰がロシア革命を導いたのかという面白い説である。)Tel Quelはさらにその奥の目的を取り上げ、次のような仮説を考えてみた。
Tel Quel Japonの仮説:産業革命によって植民地(原料や労働力)を獲得する必要が起こった。大量生産時代を迎えた。これは資本主義発展の過程であるが、次に製品をさばく市場の必要が起こった。家畜のように労働だけさせておいては、消費者が育たないのだ。消費者を作り出すためには、大量の購買力を生まなければならないという前提が出てくる。社会構造の変革革命が必要になる。平等や解放という高尚な革命理論によって他民族のエリートを啓蒙?すれば、目的達成は充分可能である。もともとどこかの国の利益を優先するつもりなどさらさらない。言い換えると資本主義が共産主義を必要としたのである。資本主義も共産主義も、民主主義も全体主義も手段に過ぎないのだ。但しこれはあくまでも金融資本主義者=共産主義者という謎を解くための仮説であって、しかもひとつの hard nutをcrackしているに過ぎない。(追記:2011年11月6日 購買力・消費者創出のための社会革命、それはある意味農奴たちの解放である。植民地人を家畜として扱うのでなく、ある程度の水準までは社会参加させようという思想は国境を超えて心優しき超エリート達を奮い立たせたのも頷ける。ただ出演者達には演出者達が見えていなかったのだ。)

(ユダヤ:ユダヤという限定は避けたほうがいい)金融資本家による陰謀論を打立てるにはもっと具体的な人物や組織のもっと具体的な行動の分析が必要であることは言うまでもない。陰謀論にはもうひとつあって、様々な秘密結社による特権階級の限定された人物たちの物欲と結束に満ちたものもある。フリーメースン論を筆頭にこれらについてはさらに多くの書物で語られているが、内部抗争や内部変節が必ず起こるだろうから、一貫して全てを説明することはかなり難しい。(追記:日本語説明:陰謀論との付き合い方) 内部資料を縦横に使って学術的に陰謀説を外に取り出したQuigleyによると、組織の名前を変えているが、内容は同じということだ。
繰り返すがここで陰謀論を取り上げるつもりはない。しかし、陰謀論(陰謀論というネイミングも非常に誤解を生む)をトンデモ本扱いするのは明らかに間違っている。ハル・ノートを書いたと言われているWhiteはソ連のスパイで、日米対決をさせてソ連を救うという行為をしている。そのWhiteが世界銀行やIMFの父といわれ、国連憲章草案にも関与しているのは、何故なのだろう。
参照(1): 参照(2)参照(3)
すでに終戦後の金融支配(アングロ・アメリカン・エスタブリッシュメントによる、としたほうがいいかもしれない:追記:日本語説明:CFR・FRB...)を視野にいれていたとは言えないか。参照をクリックしていただければよくわかる。国際連合及びそれに付随する金融機関には、高尚な革命理論によって啓蒙?されたエリートスパイたちが、余りにもうじゃうじゃしていたのが分かるはずだ。そして彼らが戦後の国際金融機関の実際の仕組みを構築したのだ。これはすでに何かの暗示ではないだろうか。

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ついでに参照:陰謀とは同じ空気を吸って呼吸をすること、か

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