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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

開戦神話 井口武夫著 中央文庫

開戦神話 井口武夫著 中央文庫2011年7月25日刊
米国への開戦通告の手交遅延は野村大使に対する大使館員の不協力に由来した、という一般的歴史解釈に対する全力での否定検証である。筆者は在米大使館の冤罪を晴らすというよりもはるかに重要な、昭和史の大きな謎を解き明かす意図で本書を執筆した、とある。
たしかに在米大使館のもたつき、ということになっている。そうですか、で納得していていいはずがない。その後の処分を考えてもおかしいのである。何故そこまで気が緩んでいたのか、という話である。Tel Quel Japonでも何度かその点の不可解は指摘してきた。
その解明のためにこの書では深く推測している点が要約すると2点ある。
対米通告第14電を15時間も遅らせたのは、瀬島龍三だと指摘している。
ルーズベルトから天皇への親書を保留したのも瀬島龍三だと指摘している。
天皇への親書を見て、第14電を書き換えたのも瀬島であると。つまり上の2点はリンクしていると筆者は主張する。
指摘は推測の域をでない。瀬島の名がでるのは、真犯人を突き止めないと冤罪が晴れない、というような、名前の選択であるような気がする。瀬島という名前は、その理由はあえて述べないが、こういう場面に使いやすいのも確かだ。これが私の読後感であるが、他の方はどのような読後感想をお持ちになるのだろうか、聞いてみたい。
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参照1: これが、時間に遅れて手渡された、日本の宣戦布告文と言われているもの。
「Remember Pearl Harbor!」と言われるのは、この文書の交付が遅れたから。
参照2: Tel Quel Japon過去記事
前ペイジに「立ち読みして同感の部分を2箇所発見した」と書いたが、その部分をこの過去記事から引用してみる。
〇宣戦布告が1時間あまり遅れた云々と言われているが、12月7日にハルにわたした(対米覚書)、これは宣戦布告文章ではない。交渉決裂を明言しているに過ぎない。リメンバー・パールハーバーと恨まれるのは、宣戦布告が遅れたからではない。宣戦布告の無い戦争の方がむしろ多い。戦争回避交渉中に、交渉決裂を明言せずに戦闘の幕を派手に捲り上げたからだ。
〇以前にも書いたがハル・ノートは、「叩きつけられた」と常に表現されるが、内容はともあれ、それで面を張るように、提出されたわけではない。「お返事お待ちしています」という上の電報を見ても分かる。嫌ならば、ここが嫌だ、あそこが嫌だ、こう書き換えて欲しい、ここはここまでしか譲歩できない、等など、反論をする余地は充分にあった議論のための叩き台だと受け止めるべきだったと考えている。相手がこちらを甘く見て調子に乗ったハル・ノートに仰天するよりも、むしろ自ら進んで一方的に譲歩を書き連ねた甲・乙案のほうが、日本人としては驚きである。何を考えているのやら。亜細亜解放の大和魂のカケラも大亜細亜新秩序構築の壮大な志もそのカケラもすべて、甲・乙案においては、塩をかけられたナメクジのように縮んでしまっている。
参照:2-2 ハルノート:tentative and without commitment
参照3: Tel Quel Japon過去記事から
The Ambassador in Japan (Grew) to the Secretary of State, 8 December 1941
これははじめて見た。ルーズベルトから天皇陛下への親書に対する返事を外相の東郷がグルーに伝えた。それをグルーが本国に伝えている電報。
参照4: Tel Quel Japon 過去記事
Last Secrets of the Outbreak of War betweenJ apan and the United States:
ルーズベルトから天皇への親書、生成過程

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「開戦神話」第一部
ー大使館とホテルでの抑留生活、日米交換船による帰国ー
は中でも読みやすく興味深いものであった。著者の父上は開戦時在米大使館勤務の井口貞夫氏。著者自身のアメリカ生活と交換船による帰国の様子の描写から本書はスタートしている。在米大使館の冤罪を晴らす、という開戦時の現場を見聞きした家族の思い、特に父の無念を晴らすという強い思いには深い共感を感じる。

/////追記:2011年8月24日/////
Tel Quel japon結論:ハルノートはたたきつけられてはいない
参照:ハルノート
叩き台を元に話を詰めていくという発想が日本人には希薄だったのではないだろうか。従うか、拒絶しかない、外交交渉で打開できる問題ではない、という結論がずいぶん前から発想の根底にあった、とはいえないか?交渉力のなさは今も昔も、日本人の最大の欠点だと思う。交渉技術そのものが高く評価されていない。

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沈黙のファイル 共同通信社社会部編 

昨日入手し一気に読んだ。読みが浅かったせいもあるが、判断できない。ネット上で、読書感想などを読み比べてみたが、主観的すぎるし視点が平凡過ぎるものが多かった。再読し、時間をかけて考えてみる必要があると思う。深く考えてみる必要がある。本は1996年4月9日発行となっているので、すでに読まれた方もいらっしゃると思う。未完としたのは、読みながら、自分自身の視点が動いたからだ。この先また動くかもしれない。読書速度を速めて読んだので、目にも負担がかかった。そのため再読には時間をあけるつもりだ。従って今日はこういう本を読んだという報告だけ、繰り返すが未だ判断ができないでいる。

動画を一部見つけたので、取り敢えず以下にリンクをはることにする。この番組の構成には不快感を感じた。良質な番組とは言い難い。知性もセンスもひどいものだ。ゲストだけにしか価値がない。
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第3回 1/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第3回 2/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第3回 3/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第4回 1/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第4回 2/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第4回 3/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第5回 1/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第5回 2/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第5回 3/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第6回 1/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第6回 2/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第6回 3/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第7回 1/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第7回 2/3
新・平成日本のよふけSP 瀬島龍三 第7回 3/3

参照:Ryuzo Sejima & 参照:瀬島龍三

・・・・・追記:2011年8月2日・・・・・
瀬島龍三を扱った
木庵先生の独り言 全3頁 瀬島龍三論全14編
にリンクさせていただきました。

・・・・・追記:2011年8月6日・・・・・
「沈黙のファイル」第一章は「戦後賠償のからくり」
何故政治家が馬鹿ほど謝罪をくりかえすのか、わかるような気がしてきた。謝罪は賠償ビジネスにつながるのだろう。賠償ビジネスという言葉を初めて知った。

「開戦神話ー対米通告を遅らせたのは誰か」井口武夫著、2011年7月25日、中央公論社刊を梅田の大型書店で買った。立ち読みして同感の部分を2箇所発見したからだが、著者のベイスをなす歴史認識や参考資料には、偏向を感じた。第一章はすんなり楽しく読めるが、その他は、明快な流れのある整理された運びがなく、また運びの中の推測の多さにも書物としての不満を感じた。この本の骨子をなす重要な二つの考察の中で、瀬島龍三がその両方に登場する。推理としては楽しいが、論拠に乏しいのは本の性格上残念である。目的に届かないからだ。それでは、この本の目的とは?

・・・・・2011年8月10日・・・・・
「沈黙のファイル」第5章に「高良とみが来た」と大騒ぎになる場面が登場する。日本女性がシベリアの収容所にやってきたのだ!
昔詩を書いていたので詩人の「高良留美子」の母親が高良とみ、であることまでは知っているが、シベリヤまで来たことは知らなかった。
参照:高良(こおら)とみ No.1 & No.2 :
この時代にこういう日本女性がいたことを書き留めたくてリンクを貼りました。

・・・・・2011年8月11日・・・・・
「沈黙のファイル」読了。瀬島龍三のことが書かれていたので、興味を持って無理をして読んだが、たくさんの参考資料を元に書かれてはいるが、資料自体に偏向がある。非常によく書かれてはいるが、視点が既成の昭和史の流れに沿って無批判に最初から固定されている。日本語の書物はその資料自体に最初から偏向と制限があるので、読んで新しい視点を提示するものは、左であれ右であれ、ほとんどない。書物を紹介するより、新しい外部資料を紹介するほうが、はるかに重要だと改めて思った。
井口武夫氏の「開戦神話」は多くの証言や回想録の類を疑い否定しながら、状況的推論を展開されている。証言や回想録を鵜呑みにしない点は、新鮮だが、その分すべてが状況的推論で止まってしまい、論証に至らなかったのは、歯がゆくもありまた残念でもあった。

Burma 未完

p12a.jpg 
ビルマにて、Flying Tigersに撃墜された日本兵。衝撃的な写真だ。おそらく日本未公開と思われる。

Burmaを集めてみる。
The Fall of Burma in World War 2
ビルマの戦い:wikipedia
〇YouTube - 大東亜戦争 ビルマ独立と日本との関係:
The Expansion of the Japanese Empire in 1942
World War Two : Burma
Joseph Stilwell's Escape from Burma During World War II
How World War II Shaped Burma's Future
FLYING TIGERS IN BURMA
Madame Chiang Kai-shek concluded her nationwide tour at a spectacular mass meeting held in the Hollywood Bowl
BURMA INDEPENDENCE ARMY
The China-Burma-India Theater
BURMA-THAILAND RAILWAY
The Burma-Thailand Railway
Burma profile
Remembering the Forgotten Theater of World War II
Allied Advances in Japanese Occupied Asia in Late 1944