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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

老兵は死なず、ただ去りゆくのみ・・・

老兵は死なず、ただ去りゆくのみ・・・、これがマッカーサーの言葉だと祖母から聞いたのは、小学校1、2年生だったように思う。もう一つ「I shall return」も。
そういう歴史など全く知らないので、祖母は自分の気持ちを言っているのではないかと考えていた。つまり老いるということは、死ぬことではなく、社会から役割を剥ぎ取られることだと。生命が残っていても、社会が老害化しないように、立ち去らなければならない、そんな感じの言葉だと思っていた。つまりなにも状況を理解していなかった。少しその辺を明らかにしてみた。

General Douglas MacArthur's Address to Congress
I know of no nation more serene, orderly and industrious, nor in which higher hopes can be entertained for future constructive service in the advance of the human race.(下線部引用)
ダグラス・マッカーサー将軍:連邦議会での離任演説(1951 年)
日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を知りません。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。 (下線部引用)

さまざまな理由を掲げて、共産中国と宥和しようとする人がいます。彼らは、歴史の明白な教訓に対して盲目なのです。なぜなら、宥和政策は新たな、さらに血なまぐさい戦争を招くだけだということを、歴史ははっきりと強調して教えているからです。このような結果をもたらす手段が正当化されるような例、宥和政策が見せかけの平和以上の成果をもたらした例は、歴史上1つもありません。(現代の日本にも当てはまるので、ついでに引用)
引用追記:2011年6月30日:
(この1951年のマッカーサーの発言は現代の日本での発言としても充分通用するので追記します)
こうして過去50年の間に、中国人は軍国主義的な概念と理想を持つようになりました。彼らは現在、有能な参謀と指揮官を持つ、優秀な兵士になっています。これによって、アジアに新たな強大な勢力が生み出されました。この勢力は、独自の目的のためにソ連と同盟を結んでいますが、思想と手段の面では帝国主義的な好戦性を高めており、この種の帝国主義につき物の、領土拡張と力の増大を渇望しています。
私は最初から、中国共産党による北朝鮮支援は決定的なものだと考えていました。今のところ、彼らの利害はソ連と軌を一にしています。しかし、朝鮮半島だけでなく、インドシナやチベットでも近年示され、いまや南に向けられている攻撃性は、太古の昔から、征服者たらんとする者を駆り立ててきた、力の拡大への欲望の表れにほかならない、と私は思います。
(70歳を過ぎ、解任直後にこの演説。日本滞在中に過去や未来を含めて彼が広角的に誰よりも多くのことを学習したことを実証する素晴らしい演説である。彼は日本とアジアの過去と未来をアメリカ軍人の目で初めて見たのである。ルーズベルトやトルーマンでは発想も出来なかった、眼力である)

General MacArthur leaving Japan : video
General Douglas MacArthur Farewell Address to Congress delivered 19 April 1951 Video
I still remember the refrain of one of the most popular barrack ballads of that day which proclaimed most proudly that "old soldiers never die; they just fade away. (下線部引用)

   Old Soldiers Never Die 老兵は死なず
   (Vaughn Monroe - Old Soldiers Never Die
   (Gene Autry - Old Soldiers Never Die
Old soldiers never die, never die, never die,
Old soldiers never die.
They just fade away.
Young soldiers wish they would, wish they would, wish they would,
Young soldiers wish they would,
Wish they'd fade away.

・・・・・MacArthur VS Truman・・・・・
・・・WHY TRUMAN FIRED GENERAL MacARTHUR・・・

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近衛文麿再考 & 中野五郎注目 未完

近衛文麿の遺書
参照:近衛文麿を再評価する
近衛上奏文の謎 : 元サイト:平間洋一
昭和宰相列伝2 近衛文麿他 (1937-1941)
近衛文磨首相の暴支膺懲発言と上奏文
ここに飛んで近衛文麿をクリック
参照:吉田茂
近衛上奏文 近衛文麿と左翼の敗戦革命

以下2011年6月24日:追記
昨日別冊正論最新号「中国共産党 野望と謀略の90年ー「日本=侵略国家」論との決別ー」を購入した。
近衛か風見か木戸か 政府中枢の「売国奴」は誰だ(加藤康男)がまず目に飛び込んできた。
P.173 にもかかわらず、今日でもなお「共産主義の仮面を被っていた」人物として近衛を悪しざまに罵る歴史観が横行している。
P.175 簡略ながら、以上の経緯を注意深く検証すれば、近衛を共産主義者だと読み間違うような偏狭な歴史改竄主義には陥らないはずだ。 昭和天皇に「戦争を一刻も早くおやめください」とまで進言し、コミンテルンのシナリオに最後まで抗した政治家として記憶されるべき人物である。
下線部全く同感である。説得力のある文章である。近衛がこれまで読者によって極悪人扱いされてきたのは、近衛が昭和天皇の退位を口にしたからである。敗戦直後の歴史は、感情論で書かれてしまっているのだ。(再三使用されてきた近衛の悪人顔の写真は非論理を補うための意図的誘導である)論理を取り戻したうえでの、近衛再検証が必要であると思う。加藤氏の文章はその意味でも大変重要であると思う。
ついでながら同頁に以下の文章もある。
P.175 謎といえば、外務省嘱託となっていた都留は昭和20年春にソ連を訪問している。ソ連に仲介を頼んでの和平構想の一環とみられるが、なぜ都留が派遣されたのか、都留がソ連で何をやったのかは未解明だ。ソ連を仲介役とする和平計画と「敗戦革命」とのつながりも含めて、今後の研究課題であろう。近衛が政治的に生きた時代、昭和一桁から20年にかけて、我が国の政界、軍部中央に共産主義の大津波が押し寄せてきた事実を忘れてはならない。
当時の国際的な動きを見れば、ソ連に終戦の仲介役を依頼するなど、正気の沙汰とは思えない。日本国は少なくともその一部では、この正気の沙汰とは思えない発想で大真面目に動いていたのである。イギリスのケンブリッジ・ファイブや、アメリカのルーズベルト政権内だけではない、日本にもコミンテルンに恋焦がれている、操り人形に成り果てた錯乱者は大勢いたのである。否定はできまい。

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朝日新聞記者:中野五郎について
Tel Quel Japon過去記事:The Final Secret of Pearl Harbor 貴重な翻訳家としての中野五郎氏とこれによってはじめて出会う。著者はRobert A.Theobald
Tel Quel Japon過去記事:モスクワで粛清された日本人
中野五郎が親しく接していた人物の中に、アイノ・クーシネン、杉本良吉、リヒアルト・ゾルゲの名前が出てくる。しかも朝日新聞の記者である。尾崎秀美との接触はどうなのだろう。上の近衛文麿と同じで、後の被逮捕者との接触があるからといって、まさか中野五郎がコミンテルンの回し者だと言うつもりは無いが、一応再検証する必要があるかもしれない。
ー代わりに中野の他の書には、情報交換をしたり、一緒にバーで飲んだりした国際記者仲間として、なんとリヒアルト・ゾルゲとブランコ・ブーケリッチが登場する。ー

中野五郎の仕事を調べてみた。
〇中野五郎とGilbert Cant
Gilbert Cant作品を凝縮した「敗戦の歴史・かくて玉砕せり」
〇中野五郎とロバート・シャーロット
サイパン』 ロバート・シャーロット著 (昭和20年)
1956年日本映画:太平洋戦争の記録 日本かく戦えり
1956年日本映画「南極捕鯨船団
〇中野五郎とSamuel Eliot Morison
アメリカ海軍第2次世界大戦作戦史
中野五郎が翻訳を手がけた海軍戦史、第3、4巻のみが中野五郎によって訳され改造社から出版。日本語版全18巻として改造社から発売予定だったが、予告もなく最初の4巻で突然発行中止となって海軍ファンの読者を落胆させたらしい。発行が(改造社)であることが、影響したのだろうか?それとも(中野五郎)の交友関係が問題視されたのだろうか、そんな時期だったのだろうか?
One of Morison's research assistants in the project, Henry Salomon, was inspired to create an ambitious documentary TV series on U.S. Navy and Marine Corps warfare in World War II. Several years after the war, the National Broadcasting Company TV network bought Salomon's idea, and the eventually became the TV series, Victory at Sea.
Indeed, very ambitious documentary TV series on U.S
Victory at Sea :戦史研究家には喉から手が出る動画、26×3
Victory At Sea Online Video Index

以上は2011年4月18日の入稿
以下は2011年5月4日:追記

K氏に中野五郎のもう一つの翻訳本を教えていただいた。それはハルの後継の国務長官となったEdward Stettinius, Jr.著「ヤルタ会談の秘密」(昭和28年9月15日発行、六興出版社刊)。前々から気になっていた人物、Edward Stettinius, Jr.。いつか人物検証しなければならない。1945年2月4日~11日のヤルタ会談ではルーズベルトの首席顧問となり、英(イーデン外相)ソ連(モロトフ外相)と共に議定書に署名している。中野五郎のあとがきによると、1945年12月Edward Stettinius, Jr.は国連の初代代表に、最後はバージニア大学総長となり、1949年10月31日、47歳で死去した、となっている。
Edward Stettinius, Jr.:wikipedia: Time Cover参照:
Blog つむじ風 :Stettiniusの名前が引っかかっていたのは、これに似た内容を敗戦に至る歴史の情報収集中にどこかで何度か読んだためだろう。このあたりFACTかFICTIONか徹底検証の必要あり。どういうわけかこれまでの歴史検証ではことさらあいまいに日本においてパスされている部分だ。ついでにStettiniusそのものも、パスされてきたと言えるかもしれない。
最近敗戦前後の書物に関してとんでも本にみえるものほど、検証に値するような気がしている。すでに認知された内容は大部分が意図的な創作に近いし、読者のほうもそれにならされて、筋書き通りの理解をしているように思える。「それで落ち着いているのだから、そのままでいい。真実を掘り返して、混乱を招く必要はない」という賢者からの声に、まるでムンクの絵のように耳を塞いでむなしい抵抗をしている。そんな日々が少しづつ増えてきた。

Roosevelt and the Russians THE YALTA CONFERENCE
(「ヤルタ会談の秘密」)by Edward Stettinius, Jr.:中野五郎訳書

・・・・・・・
以上2011年5月4日入稿
以下、追記:2011年6月18日
新潮社 2010年12月25日刊「日米交換船」を入手した。中野五郎に触れた部分も多い。p.115に鶴見氏の発言として「中野五郎は社交的人物でよくしゃべった。大正時代は左翼だったんじゃないか。左翼に理解があった」という記述があった。アイノ・クーシネンやゾルゲとやはり接近しやすい素地は当然あったのだろう。交換船で帰国し、敗戦国民となり、覚醒するほどの大きな使命に目覚めた、と推測するのが正しいだろう。ただゾルゲの正体を知らなかったとはいえ、どのような情報を交換していたのだろうか?
これは単なる私の推測にすぎないが、中野五郎は自殺した近衛に、ある意味自分を見たのではないだろうか。近衛の無念を最も理解できた人物ではないだろうか。
状況の変化を顧みず、左・右と決めつけるのはよくない。その意味でも新潮社刊「日米交換船」ご一読をお勧めします。今までになかった視点が各読者に導入されるのではないかと、交換船に乗る、特殊で微妙な立場の重要人物に接近できる稀なる機会を読書は読者に与えるのではないかと、期待しています。

日米交換船 未完

日米交換船 1942年(昭和17年)8月25日ニュース
ついでに出てくるNEWSも含めてとても貴重なfilmだと思う。交換船のニュース映像が見られるとは思わなかった。

Asama-maru_1931.jpg
1931年撮影の浅間丸 ↑

鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米交換船』 新潮社刊
日米交換船 Blog 旅限無 1~4
交換船とは Wikipedia & 日米交換船 : ジャニー喜多川

「日米交換船」は2006年刊。最近大型書店で初めてこの本を手に取った。興味深かったので、読む前に紹介する事にした。(上のリンクだけでもある程度の内容はわかる筈だ)読書予定なので読了後に感想等を追加するかもしれない。この方向からのこれだけ身近な視点の書物は極めて珍しい。

以上 2011年3月29日 入稿
以下 2011年6月23日 追記
たくさんの人たちが登場する。なかでも著者の一人である鶴見俊輔氏に関して、参照を。
参照:鶴見俊輔 & 思想の科学 & 思想の科学社
   :鶴見俊輔の母 & 鶴見和子小論
   :非暴力抵抗など私の立場 鶴見俊輔(談)
ある種の保守の人たちはこのあたりで「日米交換船」に興味を失くして読書予定リストから外してしまうかもしれない。しかし戦中(船中)、戦後日本(の流れ)を知るためには、必読。

おもな参考資料、P.477「ハーバート・ノーマン全集」増補版第一巻(増補部分・磯野富士子訳)の部分を見てはっとした。磯野富士子氏はハーバート・ノーマンにも繋がってくるわけ?。以前Owen Lattimoreのところで、Owen Lattimoreを一番身近に支えていた人だった。(Tel Quel Japon過去記事)
クリック→Owen Lattimore-3 中国と私

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都留重人とノーマンが交換船の交換時(1942年7月22日)にすれ違っている。この時交わされた言葉は、後でノーマンの逮捕につながっていく、というのはよく知られている。そういう展開になるとは予測できなかったので、ノーマンの自殺を都留におっかぶせるのは、少し気の毒だ。ただ、ノーマンもこちらは明らかに直接的に一人の自殺者を出している。それは近衛である、こちらもよく語られている。こういう意見まである。こういう見方もある。
なを後者の文章の中に「「ワシントン・メリーゴーラウンド」が近衛を叩いた。いわゆるシンジケーティッド・コラムニストと呼ばれるドール・ピアソンが書いていた。」とあるが、この人物Drew Pearsonに関してはTel Quel Japonが何回か取り上げている。James Forretalを死に追いやったとも言われている、またMacCarthyをその頂点から突き落としたJournalistでもある。MacCarthurを脅迫して裁判に追い込まれたこともある。
Tel Quel Japon過去記事
ここにさりげなく出てくるDrew Pearsonに前から注目している。Drew PearsonJoseph R. McCarthyJames Forrestalに関連して登場する見過ごせない(嫌な)ジャーナリストだ。いつかまな板にぜひとも乗せてみたいと思っている。と書いている。ご記憶下さい。
(追記:2011年11月12日:Jack Anderson's role in the destruction of Joe McCarthy
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都留重人略歴

テーマ:歴史認識 - ジャンル:政治・経済

講演 新東亞の建設

近衛を語るにはこの検証を通過しなければならない。
「新東亞の建設」に関する重要資料。

講演 新東亞の建設(一) (昭和十三年明治節・首相官邸より中繼放送)1938年(昭和13年)10月13日
本日、ここに明治節を迎え、明治天皇の聖徳を忍び奉るに際し、天皇の御偉業たる東洋平和の確立に関し、政府の諸見を開陳するは私の最も光栄とするところであります。今や広東陥落に引き続いて、支那内地の心臓、漢口もまた我が有にし、近代支那の全機能を支配する一大都市の前線を昂揚する膨大なる地区、すなわちいわゆる中原は全く日本軍の掌中にあるのであります。中原を制する者はすなわち天下を制す。張政権は事実において地方政権に転落し終わったのであります。日本は一方において、外部からの干渉を排撃するに足る十分の精鋭なる戦闘力を保留しつつ、余裕綽々としてこの天下を獲得したのであります。これひとえに陛下の御稜威の下、忠勇なる将兵の奮闘によるものでありまして、日本国民の感激は比類なきまでに高調したのであります。この輝かしき戦果を思うにつけましても、国民の感謝はまず何よりも数万の戦没者と負傷者とに向かって捧げられねばなりません。我々はこの尊き犠牲に対して2つの義務を感ずるのであります。第一は、これら犠牲者の志を継いで、戦いの目的をあくまでも貫き通すことであります。第二は、これら犠牲者の遺族、家族に対し、これに報いることを忘れてはならぬということであります。今や支那をいかように処理するとも、その鍵は全く日本の手にあるのであります。しかしながら、我が日本の真に希望するところのものは、支那の滅亡にあらずして支那の興隆にあるのであります。支那の征服にあらずして支那との協力にあるのであります。日本は東洋人としての自覚に目覚めたる支那国民と相携えて、真に安定せる興亜の天地を築かんことを欲するものであります。

講演 新東亞の建設(二) (昭和十三年明治節・首相官邸より中繼放送)1938年(昭和13年)10月13日
実に支那の民族的情熱を認識し、支那の独立国家としての完成を必要とすることにおいて、日本ほど切実なるものはないのであります。等しく東亜に相隣する日本、満州、支那との三大国が、各自の個性を存分に生かしつつ、東亜保全の協同使命の下に固き結合をなすべき関係にあることは、まさに歴史の必然であります。しかるに、日支両国の間におけるこの理想の実現が、国民政府の誤れる政策のために阻止せられたることは、一人日本のみならず全東亜のために遺憾の極みであります。そもそも、国民政府の政策の基調は、欧州大戦後の反動期における一時の風潮に便乗したる浅薄のものでありまして、これは断じて支那国民本来の良知良能に根ざしたるものではなかったのであります。ことに政権維持のためには手段を選ばず、支那の共産化並びに植民地化の勢いを激成して省みなかったことは、新支那建設のために身命を賭して戦いたる幾多憂国の先輩に対する反逆であると言わなければなりません。これ日本が東亜における二大民族が同分相打つの悲劇を演ずるを欲せざるにかかわらず、なおかつ張政権打倒のためにここを取って勝つに至りました所以であります。
 日本は今や支那の覚醒を望んでやまざるものであります。支那における先憂後楽の士は、速やかに支那をして本来の同等に立ち返らしめ、攻勢支那を率いて東亜共通の使命遂行のために蹶起(けっき)すべきであります。既に北京、南京には攻勢の機運脈々たるものあり。また蒙郷には蒙古復興の気が漲っておるのであります。五千年の長き歴史を通じ、幾たびか世界文化史上に炬火を転じたる支那民族は、その偉大性を発揮し、新東亜建設の大業を分担することにより、世界文化に新たなる光明をもたらし、祖先に恥じざる歴史を残すべきであります。

参照:以上の元サイト

参照:以下は上記同様教科書に載せるべき東条氏演説
(東条、松岡、近衛、を悪人に仕上げたワンパターン歴史認識を思考の典拠とする、特に自称保守の方々に。ワンパターン認識を排除しなければ真の歴史にも、有効資料にも到達・活用できないことにも気づくべき、切実な時であります)
大詔を拜し奉りて(上) & 大詔を拜し奉りて(下)
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[証言記録 ] 従軍看護婦が見た戦争 日本国民にとっての敗戦
何の矛盾もない傾聴すべき全うな証言記録だと思える。がNHKらしき誘導演出により最後の(11)(12)は(脈略なく)蛇足的に付加されている。そのあたりを識別する視点を持たなければ、貴重な証言も曲解され、逆利用され結論誘導されてしまう例。真の反省と国家再生のためには、識別する視点が今、すべての国民に早急に必要なのだと言える。
参照:以上の元サイト:(誘導を見破る眼力テスト?)
そしてその上で初めて虚心坦懐に傾聴するべき証言である。敗けた国には敗けた国なりの反省点が当然あるのだから。
追加・参照:[証言記録 ] 従軍看護婦が見た戦争
日本国民にとっての敗戦:やはり(13)でNHK的結論誘導がなされている。かつて存在したこれだけ立派な日本国民を矮小化して個人に反省を強いる、NHKに良心はない。本来虚心坦懐に傾聴すべき証言、NHKの意図的結論誘導は証言者に対する無礼であるだけでなく、人間的に良識の範囲を逸脱していると言わざるを得ない。

東京裁判:Ben Bruce Blakeney

国家の行為である戦争について、個人責任を問うことは法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。
個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
真珠湾攻撃が殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか。
Tokyo Military Tribunal for the Far East
Ben Bruce Blakeney : Please watch this film

読む価値あり :Yuki Tanaka’s article:力作論文

参照:Wikipedia
ジョージ・A・ファーネスベン・ブルース・ブレイクニー

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1年の終りにこう言うサイトを紹介できる喜びを得た。
The USA Mistook the True Enemy (1)
The USA Mistook the True Enemy (2)
参照:Tel Quel Japon 過去記事

追記:2010年1月1日(本来は2009年12月31日の記事に追記したものである)
東京裁判:素晴らしいペイジを見つけたので追加します。

追記:2010年9月25日
上記のBlakeneyの弁論の原文をようやく見つけた。
The bald proposition indeed, is that, as a matter of law, individuals may not be charged with
responsibility for wars, not at all because of high position in the state but because existing law does not prohibit it and assess a penalty. For this reason, additionally, the Indictment, insofar as it relates to the new crime of waging war by individuals, should not be tried by the Tribunal. It is superfluous to add that all charges of conspiring to do what was not itself criminal must likewise fall.
As my next point, I wish to discuss ... the proposition that killing in war is not murder. That killing in war is not murder follows from the fact that war is legal. This legalized killing -- justifiable homicide, technically, perhaps -- however repulsive, however abhorrent, has never been thought of as imposing criminal responsibility.
...
If the killing of Admiral Kidd by the bombing of Pearl Harbor is murder, we know the name of the very
man who [sic] hands loosed the atomic bomb on Hiroshima, we know the chief of staff who planned
that act, we know the chief of the responsible state. Is murder on their consciences? We may well
doubt it. We may well doubt it, and not because the event of armed conflict has declared their cause
just and their enemies unjust, but because the act is not murder. Show us the charge, produce the
proof of the killing contrary to the laws and customs of war, name the man whose hand dealt the
blow, produce the responsible superior who planned, ordered, permitted or acquiesced in this act,
and you have brought a criminal to the bar of justice.

参照:The Tokyo Trials: The Unheard Defens
   Written and Edited by KOBORI Keiichiro
参照:反日ワクチン-書棚の中の東京裁判

・・・・・追記:2011年3月29日・・・・・
新たに指名された 戦争犯罪人(?戦後ストーリー)
1945年(昭和20年)11月30日 NEWS 堂々と巣鴨に向かう
     
  上記の入稿は2010年9月25日
・・・・・追記:2011年6月14日 資料・・・・・
Ben Bruce Blakeney, Petition to the Supreme Commander For the Allied Powers, November 19, 1948, Official File 全39頁, Truman Papers, Harry S. Truman Presidential Museum & Library

・・・・・追記:2011年10月6日・・・・・
東京裁判後、レーリンク判事へのインタビュー

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済