TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Maquis(レジスタンス) & フランスに於けるOSS

Maquisについて:wikipedia
アメリカ軍もSOEと協力して、戦略諜報局(OSS)を介して大量の人員をフランスに派遣した。
マキザールの政治的傾向は様々であり、右派的なナショナリストから左派的な共産主義者までを含んでいた。

OSSとはドイツ占領下のフランスに於けるOSS : 活動地図
・・・・・
An American Airman's Experience in the Maquis During WWII (音声付)
・・・・・
Maquisをたたえるシャンソン:愛国戦士Maquis:
Maquisとはどんなひとたちか
The French Resistance--The Maquis(ミスタイプが酷いが)
Le Chant des Partisans : You Tube :
Barbara 歌: Il me revient 解説: Il me revient 歌詞&和訳
・・・・・・
The resistance spanned a wide ideological spectrum, including Catholics, liberals, and nationalists, the most active partisans were young Communists and other left-wingers. Their mission was supported in many cases by the British Special Operations Executive (SOE) and the US Office of Strategic Services (OSS).
→ 典拠(動画つき) コラボとレジスタンス←
Parisで地下に潜って工作活動したのがレジスタンス、地方で山中に逃げ込んでナチスに対して抵抗戦士となって活動したのがMaquis、しかしレジスタンスの一形態と見たほうが分かりやすいだろう。前者は市民生活をおくりながら、後者は生活すべてが、支配に対する反逆であった。一番上に書いたように、政治的傾向は様々で、共通なものは愛国心のみ。それをOSSが支援していた、ということを書きたかった。OSSがソ連のスパイの巣であったのも頷けるし、フランスで、自由を愛する職業の人たちの人気が圧倒的に社会党、共産党に集中するのも、理解できる筈だ。冷戦前は政治思想的敵対は表面化しておらず、連合国の敵は枢軸国、まだ単純な敵味方の図があるだけだ。
後年スパイの巣窟と言われたOSSには、アレン・ダレスもグルーもいたし、なかでも中心的な役割を担っていた。OSSは特に終戦工作(原爆を落とすかどうか、天皇制存置をポツダム宣言に明記するかどうかの綱引き)及び戦後日本のシナリオ作り(東京裁判、日本国憲法=平和主義及び天皇の位置付け,など)に大きく関与した。
保守の人たちの中には、たとえばラティモアなどの極論を跳ね除け天皇制存置のために奔走した知日派のグルーの活躍に多大な好感情を抱きつづけておられる方が多いが、グルーが日本をどう見ていたかは、西尾幹二先生がTel Quel Japonをご自身のBlogに紹介してくださった時のあのOWIの動画でグルーが初めに何を言っていたかでわかる筈だ。グルーが味方のスパイでない限り、敵の中に好意的理解者や味方を探そうなど、甘ったれた考えは持たない方がいい。いちいち考えるのも疎ましいが、彼らが知恵を絞ったシナリオは完璧で、たとえば1-フランスを解放したように日本を解放したと感謝させよう、2-忠誠を尽くした軍人を極悪人に仕立て軍隊に嫌悪感を植え付ける、3-天皇を平和主義者の人間とし、国民に平和こそ最高の価値だと思い込ませる、4-原爆投下は日本人を戦争から救い出すための必要悪だったとむしろ感謝させ、それに等しい反省を強いて、原爆被害の原因は自国の過ちにあると、罪悪感を永遠に持たせる。5-永遠にアメリカに縋りつく惨めな女のように、隷属的状況をつぎつぎとつくっては従わせる、6-政治的にも経済的にも文化的にも、世界の中央に踊り出ようとしたり、アジアのリーダーに二度となろうとしないように、近隣国に頭を下げさせて、恥をぬぐえないように内部から教育的に仕組む、7-軍人や政治家を祀ることを控えさせ、国家のために命を投げ出すのは愚の骨頂だと認識させ、公的価値を認識できない国民にする、8-国家としての責任の所在を曖昧にさせ、民意を結集させないように仕組む、9-父をなくし夫をなくし兄弟を亡くした人々に、国や天皇のために、命を預けるなどという日本人の発想が狂気に他ならなかったのだと、自分で気づくように誘導する,10-国としてのイメージを演出し、永遠に脆弱な国家像・国民像を植え付けアメリカのなすがままの地位に押さえ込むための装置を仕組んでおく。「日本計画」の水面下に潜む目的は誰でも簡単にそのいくつかは列挙できるだろう。因果関係ともども、各自考えられたし。

/////////////本の紹介//////////
最近、有馬哲夫アレン・ダレス──原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、2009年)、を読んだ。有馬氏もCIA(OSS)等の公開資料を手にし、その内容を忠実に記述されているのだと思う。ただ視点や新しい切り口が無いので、読後の刺激感が無いのは残念だ。
参照:世界史を動かした40日
今手元に有馬哲夫著平凡社新書刊の『CIAと戦後日本』と『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』の2冊がある。後ろに書かれた引用・参考文献も含めて、日本人ならとりあえず目を通しておくべき書籍であると思う。眠いからと言って素通りするわけには行かない。探せば,糸口だけなら空恐ろしいほど無数に見つかる。そこから何が立ち上がってくるかはまた別の話だ。

////////// Allen Dulles 3 : His talk /////////
Tel Quel Japon 過去記事
日本にはなぜCIAのような組織がないのだろうか?
国家や国益が大切なものだと言う認識がないためか?あるいはそれより大切なものが他にあると誤認しているからか?

話がそれるが最近のテレ朝の捏造映像、旭日旗に関して
何のために日本の放送局がこういう捏造をするの?テレ朝、取り壊し処分でしょう、常識として。第一韓国選手の発言に対しても抗議すべきでしょう、えぇ?必要じゃない?どうして?

スポンサーサイト

テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:政治・経済

衝突ビデオ & 追記:支那の大軍が襲来する

今朝のnewsで衝突ビデオがYou Tubeに流出していると聞いた。長さは40分あまり、投稿は幾つにも分割されてといっていたが、この一本しか見つける事が出来なかった。これがそのNewsのビデオの一部かどうかは確認できていない。勇み足になるかもしれないが、とりあえず掲載します。拡散です。
You Tube : 尖閣諸島衝突ビデオA
コメントもたくさん入っていますが、ビデオクリック回数があまりに少なすぎるので、数本に渡る本物の方は、別にあるのかもしれません。
一部の議員が見たものも7分程度、編集済みのものらしい。できるなら40分物を見たい。もう一度You Tubeで探してみよう。

追記:
尖閣諸島衝突ビデオB 
こちらが、40数分ものの一部である事がわかる。
【緊急転載】尖閣衝突事件海保映像4

参照:9月7日のBlog「台湾は日本の生命線!」の記事

追記:同日
無記名のコメントが二つはいって、おそらく本来のと思える6本のYou Tubeのアドレスが貼り付けられていました。残念な事に見事に全部すでに削除されていました。
政府はビデオ流出に対して、危機管理対策を徹底するそうです。大々的に犯人探しを始めるのだそうです。しかもその政府は日本政府と名乗っています。慌てた中国が偽名を使っているのでしょう。
国民の「知る権利」を一顧だにしない事の方が、まるで日本がすでに中国の属国であるかのような卑屈な対応の方が、むしろ犯罪である、という自明の報道が今こそ世論を喚起してしかるべきだと思います。

追記:2010年11月8日
昨日「たかじんのそこまで言って委員会」をみていたらこの発言が取上げられていた。
仙石長官:日本の(中国の)属国化は今にはじまったことではない。
詳しいサイトにリンクします。仙石 vs 丸山
参照:内容が分かりやすいBlog:
参照:丸山和也氏ブログより
追記:11月12日 丸山和也 News
丸山弁護士、真価を発揮せよ!

またこれを見てTel Quel Japon 過去記事の秦郁彦氏をふと、思い出した。
西尾幹二氏 vs 秦郁彦氏の対談に於ける以下の発言だ。
ーこれからの日本は世界の覇権争いに首を突っ込むのではなく、石橋湛山流の小日本主義の道を行くと言う手もある。博打は打たないで、大英帝国のように『能う限り衰亡を遅らせていくというのは、立派な国家戦略だと思います』ー
「思想及び良心の自由」を認めるとしても、どちらの発言も発言者の立場を考えると、国家及び国民の生存権という保証された理念を極端に根底から毀損している。

追記:2010年11月11日
昨日のニュース:43歳海上保安官“流出”告白
昨日ネットサーフィンをしていて、「中国人を逮捕しようと漁船に乗り移ろうとした海保職員4名のうち2名が海に突き落とされ、そのあと銛で刺し殺された」という情報に出会った。真偽は未確認である。話の尾ひれの可能性もあるが、ビデオ流出の後の中国の反応から推量するに、事実でないとは言い切れない。日本政府は単なるガス抜きをしたのだなと、ヒヤリーホット、したのではないだろうか。しかもこれは来年6月?の中国人大量日本上陸(侵攻)までの情報操作力の下調べ。日本政府がどれだけ属国化しているか確認した上で(中国シンパの日本政府の実態を把握した上で)武力侵攻するつもりらしい。馬鹿馬鹿しい被害妄想であれば、いいのですが。
参照:blog抜本塞源考 2010年02月21日過去記事
自国の領土問題に対して無関心を決め込む行為は、祖国を地球上から消し去る「罪」であるということを、我々国民一人一人が認識する必要があるだろう。

・・・・・追記:2011年1月19日・・・・・
あとから支那の大軍が襲来する!1
あとから支那の大軍が襲来する!2
あとから支那の大軍が襲来する!3
あとから支那の大軍が襲来する!4
時間が無い場合は、とりあえず3を。
4のなかのー希望の光は見えてこないけれども、絶望のどん底に陥ることも、無いかもしれない。ーよく現状を分析されている。最後の提案の実現の困難さもよく認識されている。抑制をかけて、強く言うべきところもあえて素通りされているご心中もお察しできる。

・・・・・追記:2011年11月11日・・・・・
尖閣諸島:リンクを追加します。

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

モスクワで粛清された日本人 (青木書店)

「モスクワで粛清された日本人」加藤哲郎著(青木書店)
偶然上記の書物を入手した。
スウェーデン女流作家ハンソン女史として東京に滞在したコミンテルンのスパイ、アイノ・クーシネンの存在を知ってまず驚いた。この人が岡田嘉子やゾルゲにも関わってくる。しがし実際は「モスクワで粛清された日本人」の親ソぶりとその悲劇には、もっと言葉をなくした。あまりに数が多いので、書ききれない。とりあえず上記の書を手にとってお読みいただくしかない。出来る限り手がかりを貼り付けることにするので、興味をお持ちいただけたら幸いである。
アイノ・クーシネン:Wikipedia
オットー・クーシネン:Wikipedia
日中戦争の問題点を検証する:Alphapolis
アイノ・クーシネンに関しては、上記にかいつまんでかかれているので、参照されるといいと思う。

・・・・・追記・・・・・
アイノの協力者は東京朝日新聞の中野記者と「ジャパン・タイムス」の上原記者である。
両新聞で書き立ててもらって有名になり、皇居の園遊会に招かれたり、秩父宮にも会ったりして上流階級からの情報を入手していた。

上のリンクの一部引用にある中野記者はアイノの記述によると中野男爵となっている。「朝日新聞社史 大正・昭和戦前期」に登場する中野姓の記者は中野五郎唯一人であることから、加藤哲郎氏は中野五郎ではないかと推定されている。中野五郎の祖父は貴族院議員で、外国人にバロンと呼ばれる可能性はあると。中野五郎は杉本良吉と府立一中で同級生で「無二の親友」であった。「朝日新聞記者の見た昭和史」や「君は第二次世界大戦を知っているか」は名著として復刻され、今日でも読みつづけられている。(いずれも光人社)但し前書「朝日新聞記者の見た昭和史」には親しかった外国人の中に、エリザベート・ハンセンの名は入っていないそうだ。代わりに中野の他の書には、情報交換をしたり、一緒にバーで飲んだりした国際記者仲間として、なんとリヒアルト・ゾルゲとブランコ・ブーケリッチが登場する。他に学歴、特派員国、1942年の帰国などが書かれてある。中野五郎が魅力的な女流作家を園遊会に連れて行ったり秩父宮に紹介した中野男爵であることはほぼ間違いないだろう。同じ朝日新聞記者とは言え、中野とアイノの関係は、ゾルゲと尾崎のような共謀性はないと思える。加藤哲郎氏も「アイノ・クーシネンは敏腕な国際社会部記者中野五郎の目もくらませ、疑われることがないようなかたちで、着々と日本の上流階級に近づいていたのだろう」とかかれている。
ここまで読んで思い出したことがある。私の記憶がひらめいた。中野五郎とはあの人だ。「真珠湾奇襲は米国の書いた筋書きだった」という帯をつけ、なんと昭和29年8月15日に定価180円で株式会社大日本雄弁会講談社が発行したRobert A.Theobald著「The Final Secret of Pearl Harbor(邦題:真珠湾の審判)」を訳出したあの人だ。後に「真珠湾奇襲は米国の書いた筋書きだった」というテーマでかかれた本は何冊か出て、何度も議論のたびに登場するが、最も早い時期に書かれたのが、また訳出されたのがこの本だ。
参照:Tel Quel Japon過去記事
The Final Secret of Pearl Harbor
クリックしてもう一度お読みいただきたい。今日の記事を読了後にお目通しいただくと、興味は二倍にも三倍にも膨れ上がる筈だ。


旧ソ連日本人粛清犠牲者・候補者一覧
これだけをまとめるのにどれだけの労力を要したかと思うと、頭が下がる。粛清をすり抜けた者の数も想定すると、一体どれだけの尾崎秀美がいたのか、想像する必要がある。岡田嘉子の言葉を借りるなら「スターリンを神様とも思い、小児のような純な心でソヴィエトを愛していた」日本人たちだ。

ハンソン女史は東京滞在中、岡田嘉子と同じ豪華マンションに住んでいた。この本では当然岡田嘉子、杉本良吉に関しても詳しく資料検討がなされている。特筆すべきは、1932年秋、日本共産党指導部は杉本をソヴィエトに送ってコミンテルンとの連絡にあたらせることを決めていた、ということだ。岡田嘉子との「恋の逃避行」を知った宮本顕治は「二人の組み合わせはさすがに意外だった」と語っている。恋は決行の理由ではなく単に弾みをつけたに過ぎないことが見て取れる。

最後に加藤哲郎氏自身の「モスクワで粛清された日本人 」に関するペイジがnet上にあったので、リンクさせていただくことにした。
モスクワで粛清された日本人 : 加藤哲郎

なを今回この書物を紹介したのは、コミンテルン日本支部、日本共産党の内部史を究明するためではない。あくまでも、世界の歴史教科書に於いてファシスト呼ばわりされる日本、世界の国々から悪意満載の攻撃を受けた日本、戦後も繰り返し自国民からさえいわれなき屈辱的非難を浴びせられる日本、その原因を明確にし、その日本にとりついた、どうにもこうにも動こうともしない無知・無理解及び錯誤・捏造の煤を完全払拭するための一環であることを忘れないでいただきたい。

この本のp.275に「反ファシズム人民戦線と共に始まった粛清の嵐の悲劇」という小見出しがある。マリオネットと人形遣いの指が同時に見えるではないか。

以上は2010年5月15日
以下は2011年1月14日:追記
アイノ・クーシネン及びゾルゲ事件詳細 : 加藤哲郎
上に「コミンテルン日本支部、日本共産党の内部史を究明するためではない」と書いているが、この究明は、急務かもしれない。歴史に潜んでしまった重要な陰が、浮かび上がるような気がする。多くの無知や無視の暗闇に、光があたり、歴史解釈に大きな働きを見せるかもしれない。

・・・・・・・・・・・
The Final Secret of Pearl Harbor
推量のしかも私事で申し訳無いが、パール・ハーバーが筒抜けだったと言うことは、いつ頃から語られるようになったのだろうか?私は、半世紀以上前(1954年)からそれを信じて疑った事がない。海軍の研究をしていた父に、軍人の欧米人からある書物が届いた。父がそれを手にして、飛び上がって喜んでいた姿を、まだ幼稚園児だった私は覚えている。すべてに無知な幼稚園児のわたしが、何故その説をその年齢で知っていたのだろうか。思うに、父があの時手に入れたのはこの本(The Final Secret of Pearl Harbor )だったのではないだろうか。

テーマ:歴史認識 - ジャンル:政治・経済

日独伊防共協定 The Anti-Comintern Pact

○ スペイン内戦
1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で、再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャ(左翼共和党)を大統領、サンティアゴ・カサレス・キロガを首相とする人民戦線政府が成立した
○ 人民戦線
○ 人民戦線事件
上のリンク三連発のあともう一度これを聞くと、(先ほど単純すぎると疑った)何かが今度は真実を照らし出す筈だ。

日独伊防共協定
何かの偶然で日独伊防共協定がThe Anti-Comintern Pactと言語化されていたことに気づいた。スペインの内乱も日中戦争もうしろにコミンテルンの工作があることに、早々と気づいていたのが枢軸国だったということだ。歴史に解釈されているようにファシストの国々が集まったのではなく、コミンテルンの工作に気づき、手を打とうとした国々が集まったのだ。上の「これを聞くと」でも言っているように、毛沢東など、ソ連の傀儡で、日中戦争もユン・チャンが言うようにソ連の、コミンテルンの例の筋書きなのだ。日本をファシスト国家とひとまとめに認識した国は、その国民はすでに赤化していたことがわかる。赤化と言うより、より鮮明に言えば工作員レベルに洗脳されていたといえるだろう。

改めて感じることが二つある。
その一。日米開戦前にゾルゲや尾崎を逮捕した、日本警察の優秀さだ。この「上海の陰謀」がアメリカで取りざたされるのはようやく1951年だ。それ以前、終戦後G2で活躍したウィロビーは日本でゾルゲ事件を知りスメドレーを逮捕しようとするのだが、逆に告訴されてしまう。
駄目押し参照:歴史道楽
その二。毛沢東の中国を政治の内側で体験したユン・チャンとその夫であるイギリス人の歴史家の書いた「マオ」は日本人こそが大騒ぎすべき書物なのに、何故歴史家達は頭から否定的なのだろうか。ユン・チャンに会いに行き、資料を眼にし、そこからさらにその方向を深めようという日本人の歴史家が何故存在できないのだろうか?歴史の書き換えが怖いのか?正しい歴史観を打ち立てるチャンスだという思いは、存在しないのか?目に見えない左右の圧力があって、日本はファシスト国家では決してなかったと、証明できないのか?
ここに渡邊理氏の筆になる「マオ」の読後感がある。学校で教える既成の歴史観にすっかり洗脳されているにもかかわらず、これだけの読み込みをされている。このように他の書物との整合性を比較するだけでも、ユン・チャン達の歴史認識の正しさと斬新さと重大さは分かる筈だ。尤も渡邊理氏の毛沢東と西太后の比較の個所などには何の意味もないが。
日本人が「マオ」に於いて瞠目しなければならないのは、張作霖爆殺の部分であることは言うまでもない。かつて紅衛兵であったユン・チャンが飛車、角をこちら側に与えてくれている、そうとらえる想像力さへ日本人は既に失ってしまったのだろうか?
駄目押し参照1:満州事変「1931(昭和6年)」
駄目押し参照2:日中戦争(正確には「日支事変」)・日中対決
願わくば、渡邊理氏にもお読みいただきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の記事は2010年5月2日 以下 追記:2011年1月12日
German-Japanese Agreement and Supplementary Protocol, Signed at Berlin, November 25, 1936 (Anti-Comintern Pact)

テーマ:国際政治 - ジャンル:政治・経済

アジアを興す大使命 (3)

PREMIER KUNIAKI KOISO'S NEW YEAR'S ADDRESS January 1, 1945
・・・ The enemies, America and Britain, who have been driven from Asiatic soil, have launched an offensive in an attempt to place Asia again under their domination. This is the year for us to sweep away the threatening clouds and restore Greater East Asia to her true position. With this conviction, in cooperation with the other countries of the G.E.A. sphere, Japan will smash the enemy's offensive, proceed with the building of the G.E.A. sphere, and march on to bring about the realization of our common ideal.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Joint Declaration of the Greater East Asia Conference
Greater East Asia Conference:5~6 Nov 1943 Tokyo

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Prime Minister Tojo's speech at the conference
Greater East Asia Conference:5~6 Nov 1943 Tokyo
Jinwei Wang  & Subhash Chandra Bose
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テーマ:立てよ国民 - ジャンル:政治・経済

アジアを興す大使命 (1)

長くなりそうなので、前ペイジと分離しました。
///////////////////////////////

追記:2010年11月20日
数日前偶然こんなBlogを見つけた。ここに出ている資料は、資料としてどうなのだろう。有効に使えるものなら、保守の間で共有し今後有効に活用すべきだろう。
昭和16年12月9日の朝日新聞夕刊に掲載された大東亜戦争開戦に当たっての「帝国政府声明文」
「戦勝国は日本だった」のブログ(追記:2011年1月5日:この資料を写真としてだけでなく、文字に書き起こしてBlog上で内容を紹介しない事には、いつまでたってもこのblogからは論が立ち上がってこない。それと主張を擁護する資料が活字のつぶれたままの新聞の切り抜きたった一枚、というのはいかにも残念である。ただ亜細亜解放戦争という目的の位置付けは何もこのblogが最初ではない、昔からさんざん言われてきた。独自の資料を素早く見つけて、検証・展開した方がことは動く。Blogの書き手の「こんなん出てきました」という写真はそれ自体結論で、残念だがそこで終わっている。)
この資料を補足するに有効なペイジはこちら
前記の War apology statements issued by Japanは、このリストでKO出来るだろう。少なくとも判定勝ちは間違いない。その結果、今までの謝罪表明は、洗脳または強要された常道を逸した発言であったと反省し、間違いを認め、覚醒したものから順番にまず日本国民に謝罪する必要が生じる。なんと嬉しい謝罪であろうか!
・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つ紹介したいペイジはこちらだ。
「戦勝国は日本だった」のブログ(追記:2011年1月5日:保守論壇も根底では敗戦贖罪史観にとりつかれている、というのは正しい指摘だ。捏造や隠蔽もある。敗戦贖罪史観は混乱した頭脳には縋りつきたいほどの、救済だった時期もあった筈だ。憲法がそのままなように、回復した筈の頭脳も再考を,真の再検証を忘却したままなのだ。敗戦贖罪史観は繰り返されて原形を無くし言わばこびりついているのだ。)
確かに私が検証してきた範囲に限ってもこの40数年間、保守の論点は数個のワンパターン論証でしかない。発想が固定化し、すでに手垢がつき、効力を無くし、随分昔から堂堂巡りの国内議論に終始し、しかもその大半が仲間内のみで盛り上がるまるで居酒屋の宴会のような体たらくだ。理由はリンクしたBlogの筆者が言うようにその根底で敗戦贖罪史観が完全に払拭されてはいないからだ。はっきり言おう、彼らの大半はそう見えないだけで実は本心は謝罪容認派なのだ。東京裁判を完全否定する気もないのだ、実はそのままにしておいて、今更あまり触れたくも無いのだ:この人物が徹底的に分析されたことがあっただろうか。徹底的でなくとも、保守の論壇でちらりとでも真剣に検証された事があっただろうか。保守は今まで真の再考を望んでこなかったのだ。
「戦勝国は日本だった」のブログ(以下追記:2011年1月5日)
軍人達が勝手に暴走した筈の戦争に、聖戦の大義があるとなると、ゼロからすべての資料の整合性の再検討をしなければならない。三宅氏及びこびり付き派は、そこまでの徹底した検証を全く望んでいないし、必要ともしていない。東京裁判の全否定には途方もない努力が要るが、靖国で涙を流すぶんには、論拠も根拠も不用で、当り障りがなく左右を問わずTV受けもよくなる。プロ、アマを問わず自称保守に最も多いタイプである。

/////////////////////////////////////////////

追記:2010年12月25日
参照:大東亜決戦の歌 :歌詞BlogYou Tube :
東亜侵略百年の ,野望をここに覆(くつがえ)す ,いま決戦の時来(きた)る ・・・・いざや果たさん十億の ,アジアを興す大使命 ・・・・いま決戦の時来る
歌詞は公募当選作品。これが当時の大東亜決戦目的に関する日本社会全体のコンセンサスだったことが分かる。どのあたりで日本民族は忘却の民と成り果てたのだろうか。本土空襲、二度の原子爆弾、そしてまぎれもない東京裁判捏造ストーリーのための、シナリオによって、である。
追記:2010年12月29日
参照:Tel Quel Japon過去記事:世界人に告ぐ
上の「大東亜決戦の歌」同様、「世界人に告ぐ」は戦争目的が「亜細亜の解放」であったことを裏付けるに充分な資料であると思う。

テーマ:それでいいのか日本国民 - ジャンル:政治・経済

六甲山中のゼロ戦

昨日の強風とはうって変わって今日は穏やかに日が昇った。
部屋の中に上空を飛ぶ小型機のエンジン音が聞こえてきた。
伊勢神宮に参拝するために飛び立ったのだろうか。
かれこれ30年近く前になる。大阪八尾の日本産業航空の訓練生だった頃、上級の人たちはお正月には編隊を組んで伊勢神宮参拝飛行に繰り出していた。そして8月15日には六甲山中のゼロ戦に花束投下をしていた。
その時たまたまクラブハウスにいて、いまから六甲山にむかうと言う現場に居合わせたので「ぜひ私に花束投下をさせて下さい」と申し出た。許可が下りて飛行機に乗り込んだ。誰が用意したのか大きな花束を渡された。
「本当に六甲山中にゼロ戦の残骸があるのですか?」
「行けば分かるよ」
普通の人にはわからない。毎年来ているからこそすんなり到達したのだろう「あそこだ」と言われたあたりを見下ろすと、たいした損傷もないゼロ戦が山中に墜落している。記憶はもう定かではないが赤い日の丸,緑の機体、間違いなくゼロ戦だ。対空速度、対地速度、高度、気流などの関係で、花束投下のタイミングはとても難しい。自分では判断も計算もできない。旋回をしてその最中に「今だ!」と言われた瞬間に花束を手放した。高度は少し下げただけだ。ゼロ戦が目に焼きついた。風雨に晒されたまま何故ゼロ戦が六甲山中に墜落しているのだろうか?七曜会の先輩のF氏に,後年話したら「六甲山中のゼロ戦の存在」は信じてもらえなかった。ひょっとしたら、これは誰にも知られていない、産業航空関係者だけの秘密だったのかもしれない。だとしたら、そのゼロ戦にまつわるどんなストーリーが隠されているのだろうか?

(数ある八尾の飛行クラブのなかで日本産業航空だけが、今はその名を消している。数年後に新聞をにぎわせた巨大金融詐欺会社が、八尾の伝統ある飛行クラブの喉元を、その濡れ手で泡の札束で締め上げ、消滅させたのだった。)

追記:2012年8月16日
ネット上にこの日のことを書いた古い日記があることを思い出した。
そのほかの日々(1)Paris 15 Aout :

テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。