TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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アンドレ・ジイド と 宮本百合子

「アンドレ・ジッド:文学者の洞察力」に関して二つのBlog記事にリンクさせていただきました。
ロシアが気になる & ○アボカドサンドとアイスキャンデー
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○ The Gulag Archipelago : 収容所列島
○ ソルジェニーツィンの個人史:Wikipedia

・・You Tube ・・You Tube・・You Tube・・
第2次大戦への道(1918-1938) - ソビエト(ソ連) 1 of 4
第2次大戦への道(1938-1939) - ソビエト(ソ連) 2 of 4
第2次大戦への道(1939-1940) - ソビエト(ソ連) 3 of 4
第2次大戦への道(1940-1941) - ソビエト(ソ連) 4 of 4
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宮本百合子 1899-02-13~1951-01-2
Wikipedia 日本語Wikipedia 英語
宮本百合子:作品を読む
前ペイジに紹介したモスクワで粛清された日本人(青木書店)P.285には以下の記述がある。
宮本百合子は、いまや「ソ連邦は我我の理想としたソ連邦ではない」としたアンドレ・ジードの「ソヴィエト旅行記」に反論して、37年2月に「ジイドとそのソヴィエト旅行記」、10月に「こわれた鏡ージイド知性の喜劇」を書き『プラウダ』の社説と「歴史の本質」なる虚構に依拠して、スターリン体制を擁護していた。
作家宮本百合子としての発言と見るより、宮本顕治の妻として、思考限度・思考境界が出来上がってしまっていたのだろう、と見るのが一番優しい眼差しなのではないだろうか。洞察力云々以前に問題がある。
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参照:湯浅芳子 Wikipedia 湯浅芳子 Blog「焔の詩人・小熊秀雄」
野上弥生子の紹介で中条百合子と知り合い、1924年から、当時の夫と離婚した百合子と共同生活を送る。1927年から1930年にかけて、百合子とともに当時のソ連に滞在する (Wikipediaより引用)
20年くらい前だろうか、ある書店で「百合子 ダスビダーニャ」というタイトルのハードカヴァーの本(文庫ではない)に目を通した記憶がある。ロシア文学者湯浅芳子と作家中條百合子が恋人同士として遠くロシアで暮らす愛の生活が文字を介して展開していたように記憶している。国内国外合わせて二人の恋愛関係は7年ほど続いた。それよりも、こんな昔に日本女性がふたりきりで、遠くロシアで暮らしたと言う事実に堂々と暮らしている様子に驚愕したのを憶えている。湯浅芳子著だと思ったのだが、どうやら勘違いだったようだ。封建的で女性に対して理不尽な制約が多い日本を脱出した開放感で一杯だったのだろう。苦しみも困難も何もかもがまだ新しさのある国家に於いて新鮮でたまらなかったのではないか。政治は肌では感じていなかった筈だ。勿論この生活の中で、後の宮本顕治との生活は、梃子でも動かぬプロレタリア作家としての人生は育まれていったのだろうけれども。
文学に興味のない方のために、宮本百合子のある一面を敢えて紹介してみました。プロレタリア文学・プロレタリア絵画に関しては、何かのきっかけがあれば、ペイジを新たにたてていつか書いてみたいと思っています。

・・・・・追記:2010年6月5日・・・・・
学陽書房、女性文庫「百合子、ダスヴィダーニヤ」を読了した。サブタイトルにあるようにあくまでも、湯浅芳子の青春がテーマであって、Tel Quel Japonが書き記すような記載はなかった。あえて書き留めるとすれば(1)1930年6月末、百合子がひとりで片山潜に会見してソヴィエト滞留を勧められたことを湯浅が知り衝撃を受けたこと(2)結局そのことが、1932年2月上旬、芳子留守中に、百合子家を出、宮本顕示と結婚、につながる、ということ(3)1930年12月中旬芳子、百合子と共にナップに加盟。この三点だと思う。筆者沢部ひとみの筆を全体的にたどってみた感想としては、典型的ブルジュア娘中條百合子を宮本に走らせたのは、芳子では満たされなかった性の部分と、世界大恐慌以降の日本社会の全体的傾向にすっぽりはまったから、と見るのが妥当だということだ。芳子に向けた、強烈で純粋に見える愛が、後に宮本性となった百合子によって、がむしゃらに自己否定されるのは、思想のサイボーグと化した百合子を仮に認めるとしても、読んでいて哀れで無残であった。ひょっとすれば、百合子は片山潜が洗脳し、日本国内の誰でもいい、党員のひとりにプレゼントしようとした、性を含む、強力お手伝いだったとも見えてくるからだ。
・・・・・追記:2010年6月6日・・・・・
記述しておいた方がいいと思われる個所を見つけたので付記しておく。
p.253 : 芳子と百合子が到着した1927年からは、革命の中心となったトロツキー、カーメネフ、バフーリン、ルナチャルスキー、ルイコフらが党を除名されたり国外に追放されたりしている。ー(略)-物資の乏しい生活はいかがおうにも不平等を生む。ー(略)-少数のものが手にできるものは何でもつかんでしまい、残りのものは飢え、ぼろをまとい、貧民窟に群がる。当時のモスクワには、浮浪児のスリやそれをあやつる大人のスリ団がたくさんいたという。
そしてそのような少年のスリに芳子と百合子は騙されて、時計やハンドバッグを奪われる。それに対する二人の見解の違いを以下に引用する。
p.256 : 階級的な問題とみる百合子に対し、芳子はその原因を「われらふたりの小児病的なカー・ペー(共産党)への信頼にあった」とする。百合子の中に芽生えだした社会主義的なものの見方に対し、芳子はあくまで理想に幻惑される人間のおろかさを見つめる視点を外さない。このあたりからふたりの方向は、思想的にもズレを見せ始めるのである

・・・・・追記:2010年6月20日・・・・・
百合子と芳子、あるいはジイドなど、このペイジを書いて、Fascism vs Communismの誤思考、というカテゴリーで、Jean Paul SartreとAlbert Camus、Paul ÉluardとAndré Bretonの対比などのペイジを書きたくなった。ただ資料がありすぎて膨大な時間がかかる。それに資料を読んでまとめるだけでは意味がない。どういう視点でどう切り込むか。特に、根底に全く新しい着眼がなければ、書く意味がない。それで入稿なしの日々が過ぎてしまった。これにかかりきると、準備だけでも何年もかかってしまいそうだ。
とりあえず消さなかった(まだ読んでいない)資料をランダムに置いていく事にする。
資料:Philosophy Jean Paul Sartre
資料:Albert Camus : The stranger:
資料:France Info:  
資料:Radio Canada:
資料:Radio PRAHA :
着眼のための資料:Click My Heart:
・・・・・・・
資料:Sartreとはなんだったのか:詩集「2N世代」By Bruxelles
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

Fascism vs Communismの誤思考 (3)

Edgar Snow
・・・・・(3) Seicho Matsumoto & Communism・・・・・

PicassoやYves Montandはともかくとして、日本では松本清張の政治的ポジションは広く知られていると理解していいだろう。1960年に発表された「日本の黒い霧」など、その作品を読めば明白だ。探偵小説を推理小説に移行させた社会派人気作家なのであるから。世論形成におけるその影響力は言うまでも無く絶大である。
松本清張作品:リンク
松本清張『日本の黒い霧』と社会推理: リンク
松本清張 : Wikipedia
Tel Quelで何も松本清張を論じるつもりも紹介するつもりも無い。先日タイトルに惹かれて松本清張の「男たちの晩節」と言う小説を買って読んだ。後ろに清張の年譜がついていて、1968年のなかの一行に眼を奪われたので、ここに取上げることにした。
来日中のエドガー・スノウと対談ーとあったのだ。
このBlogをクリックされる方なら、Edgar Snowがどういう人物かは、良くご存知だと思う。たとえば上の写真の解説はこうだ。
Edgar Snow (first left), the US journalist and writer known for his book "Red Star Over China," chats with Chairman Mao Zedong on October 1, 1970 on the Tian'anmen Rostrum in Beijing as they view the grand celebration of the 21st anniversary of the founding of the People's Republic of China
驚いたことに千夜千冊の松岡正剛が「中国の赤い星」をこのように紹介している。時代が遡る分清張のEdgar Snowに対する盲信ぶりはこれに輪をかけたものだったのだろう。(’68といえば「毛沢東語録」が赤尾の豆単よりも売れた年だ。ところで誰がEdgar Snowを日本に呼んだのだろう。)

読み比べ:聞き比べ
○ Edgar Snowと毛沢東 :(このペイジで北京放送中国国際放送局が聞ける)
○ Mao: The Unknown Storyの著者Jung ChangとJon HallidayがListenerのメイルや電話に答える:必聴!参照
○ スノー未亡人の激白
○ The Straits Times, 11 October 2000
○ 松井石根とエドガー・スノウ
○ 中国がひた隠す毛沢東の真実
○ Site:Way That Are Dark
○ Chinese People's Forever Friend
○ 日中戦争の真実
○ 中華人民共和国の誕生にEdgar Snowがどれだけ貢献したかは、上の写真を見れば一目瞭然だ。この特権的地位を得るためにEdgarが何を書いたか。ヒトラーにとってのゲッベルス以上の働きをした、すでに中国人まがいのEdgarがいる。視点を誘導され、思想を注入され、検閲を受け、それでも夢見心地のEdgar。カールソンやスメドレーの仲間である。
未亡人が編集したEdgar Snowの巨大な中国写真本を数ヶ月前に読んだが(麻痺しているためか)内容的には、日本の教科書ほど日本に対するこれでもかという悪口雑言は見当たらなかった。写真は機能を失し内乱状態の国の中で、極度の貧しさから動物同様またはそれ以下の生活水準に苦しむ、想像を絶する中国人民の姿をとらえていた。このままではいけない、中国人に機能する国を与えなければいけない、とEdgarでなくても思う。Edgarはその夢・幻想を毛沢東に重ねたのだろう。ある資料によると結果論ではあるが、Edgarは晩年、毛沢東に自分がいいように利用されたことをうすうす感じ、また認めていたそうだ。
数ヶ月前TV局のアナウンサーが「ガンジーといえば、毛沢東と並ぶ、20世紀の偉人ですよ」と言ったのを聞いて吃驚したのを憶えている。そういう思考力の無い知識人は日本にまだまだ沢山いる。Snowが生み出したSnow's AHO children達だ。 
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清張年譜:その他の注目
1968年1月、59歳
カストロ首相、ゲバラ夫人とのインタビューを試みたが失敗。
1974年12月29日 65歳:池田大作創価学会会長と宮本顕治日本共産党委員長の極秘会談を自宅でセットする。
1975年7月 66歳 :前年末の池田・宮本会談による「創共協定」の成立が報じられ、各方面に衝撃を与えた。
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(注)清張は推理作家であるので、事件をどう推理しようと、推理なのだ。また清張がEdgar Snowと対談したからと言って、作家としての作品評価にはなんら影響するものではない。
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スペイン内戦:Wikipedia
また、共産主義とファシスト枢軸との間の代理戦争との見方がなされていた。
ちょうどこの時期、1937年7月、盧溝橋事件、12月南京占領、1939年3月、フランコ、日独伊防共協定に参加、などのタイミングを外からみれば、日本はファシスト国家だという風に眼鏡が固定されてしまったんでしょうね。
1937年のPicassoの「ゲルニカ」も大きなインパクトになってるんですよねぇ、人民戦線政府から注文があって、三角関係の苦労と自分を取り合って二人の女が争うのを描いただけなのに、平和の象徴としての歴史的名画になった。(どこが平和の象徴かわかりませんけどね)しかもナチスによるゲルニカ空爆と同じ1937年の8月15日日本軍が南京の空爆を開始したから、イメージとして日本は平和国家の対極に置かれてしまうんです。

・・・・・追記:2010年4月27日・・・・・
中国人民解放軍の正体」: 佐藤守Blog
多くの日本人を洗脳したEdgar Snowが実は、共産中国の飼い犬的プロパガンダ担当要員に過ぎなかったことが、少しは分かるだろう。目覚めよ、松岡正剛!

・・・・・追記:2010年6月4日・・・・・
Read this page : Edgar Snow and others
The 'Mao Myth' is centered around the 'Long March' myth, which has long been known to have been fabricated by Edgar Snow. His book of lies is still in print.

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